こちら苗木誠探偵事務所4

「おーい苗木っち! 今度のテストなんだけどさぁ」
「苗木ー! 霧切ちゃーん! ドーナツが上手く焼けないのー!」
「我より強い戦士を……探している」
「え、ええっとー。あはは」
「…………頭が痛いわ」

 苗木誠探偵事務所は、ただの何でも屋になりつつある。

――にゃー。
最初はそれこそ迷い猫捜しに恋人の浮気調査にと、まるで小説に出てくる売れない探偵のような依頼が多かったのに。それがいつからか、
――多分、テストのヤマはりを請け負った時からだろう――、僕らの事務所には妙な依頼が増えたのだ。
テニスの試合のピンチヒッター。アルバイト先の新メニューの考案。そして、
「――にゃあ」
「ああはいはい。ごめんよ、きょうちゃん」
「っ、………」
太ももにのせられた顎をちょいちょいと撫でる。サテンのようになめらかな感触。黒蜜のようにとろりとした深い黒の毛皮。
『猫を預かって欲しい』――探偵事務所のドアが控えめにノックされたのは、今日の朝10時のことだった。
土日であっても僕らの都合さえあえば事務所は開けてあるけど、大抵の場合、開店休業だ。正午になったら二人で昼食をとり、どちらかに用事があればそこで事務所は店じまい。最近はそのまま一日過ごすことが多かったけど、今日は珍しく依頼人がやってきた。
検査入院で二日ほど家を空けるから飼い猫を預かってほしい、と僕らに告げたのは見覚えのない上級生だった。
『かきょうちゃんっていうの。大人しいコだし、悪さはしないから』
イエスともノーとも言わない霧切さんと困り顔の依頼人に挟まれ、仕方なしに僕は猫入りのケージを受け取って。ケージの中からおっかなびっくり出てきた黒猫は、
「ううん、そろそろ降りてくれないかなあ……?」
――なぅ?
僕の膝の上から降りなくなった。この猫、初対面なのにえらい人懐っこい。
耳の後ろをさわさわと撫でる。気持ちよさそうに眼を細めるその様子を見るに、今のところ機嫌は損ねていないようだ。
「図々しいわね……猫のくせに」
「なにか言った? 霧切さん」
「なんでもないわ」
「そう? ……あ、ひょっとして霧切さん、猫嫌いだった? きょうちゃんを預かる時もなんにも言わなかったし」
「……そんなことないわ。……それよりも、苗木君」なぅ?
僕の代わりに返事をするように、何故か一鳴き。それを聞いた霧切さんの視線が一際冷たくなった――ような気がした。
「貴方は呼んでないわよ」ふにー。「何よ。文句でもあるの?」ふかー。
「ま、まあまあ。霧切さんもきょうちゃんも喧嘩しないで」
「……それよ」「え、どれ」「……その、呼び方。どうにかならないのかしら」
霧切さんが不可思議なことを言い出した。
「呼び方って、きょうちゃんのこと? だってかきょうってなんか言い辛いし」「前々から思ってたけどわかっててやってるでしょう貴方」
どういうことだろうか。猫に限らず、生き物の預かりなんて初めての依頼だけど。
「きょうちゃんが事務所に来たのは今朝のことだよ」「そういうことじゃなくて、この前も貴方食堂で――」「?」
「……なんでもない」
ぷいと体ごと背けてしまう。霧切さんの椅子は音もなく90度回転し、そうして霧切さんは無実の人間でも自白させてしまいそうな視線を本棚に向けた。怖い。
僕は何か失言してしまっただろうかとさっきまでの会話を反芻し、わからないなりに何か言おうと口を開いて、
「――にゃー」
「うん? どうしたのきょうちゃん」なぅ。「んー、お腹すいたかな?」にゃにゃ。「多分そうだよね。たしか、飼い主さんからもらったカリカリが――」
ばんっ!「へぁっ!?」
情けない声が出た。驚いて霧切さんの方を見ると彼女は何故か立ち上がっていた。今のはどうやら机を叩いた音らしい。きょうちゃんも目を見開いて固まっている。
「えっと………」「………コーヒー」「へ?」「コーヒー買ってくるわ」「え。インスタントならそこに」「私は、」
「……缶コーヒー。そう、缶コーヒーが飲みたいのよ」
そう言って霧切さんは足音荒く僕の横を通り過ぎ、
「………ふん。一人でペットショップ苗木でもやればいいのよ」「え、今なんか」「ナン・デモ・ナイ」
最後にきょうちゃんを一睨みして事務所を出ていった。静かに閉まったドアが異様に恐ろしい。
「僕、なにかしたかなあ……帰ってきたら霧切さんに謝らないと」
ふか、と、膝の上の黒猫が呆れたようにあくびを一つ。僕の顔をひょいと見上げて、気だるそうに後ろ足で耳を掻き、今までが嘘のように膝の上から飛び降りた。

ちなみに霧切さんが帰ってきたのはこの後二時間ほど経ってからだった。

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