剣道の選手の服装~

選手の服装
剣道着、袴を着用する。基本的に裸足であるが、選手によっては足袋を着用する者もいる。試合や稽古を行う際は、原則的に防具として垂、胴、面、籠手の剣道具を着用する。その他、なぎなたとの異種試合の際は、すね当ての着用も必要となる。面を着用する際には、頭に手拭い(面手拭い、面タオル)を巻き付ける。垂には通常、名前や所属する道場名などの記されたゼッケンを付ける。足袋は試合のときも許可を得れば使用可能であることが一般的である。また、試合時には識別用として背中(胴紐の交差部)に紅白それぞれの目印(たすき)を付ける(全長70cm幅5cm)。近年では垂に目印をつける大会もある。


歴史
明治 [編集]

   * 1895年(明治28年) -「大日本武徳会」が創立され、剣術をはじめ各種の伝統武術の振興がなされた。
   * 1905年(明治38年)8月 - 大日本武徳会が、京都に武術教員養成所を開設。
   * 1911年(明治44年) - 武術教員養成所を武術専門学校と改称。
         o 旧制中学校で剣術(撃剣)を正課として採用可能となった。
   * 1912年(大正元年)[元号要検証] - 武術専門学校が認可された(後に「武道専門学校」と改称)。



剣道の誕生(大正〜昭和(敗戦まで))
1920年(大正8年)、大日本武徳会は剣術(撃剣)を「剣道」という名称に改めた。

以後、敗戦に至るまで剣道は国民に浸透し、隆盛した。全国大会、天覧試合も3回行われ、多くの集客があった。日本が欧米列強に対抗するために富国強兵を進めてゆくとき、古来の剣術の流れを汲む剣道が士族ではない人々にも習得され広まったことは、国民の士気を高めた。

   * 1929年(昭和4年)5月、第一回剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・持田盛二、府県選士の部・横山永十)
   * 1934年(昭和9年)5月、第二回剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・山本、府県選士の部・野間恒)
   * 1940年(昭和15年)6月、皇紀二千六百年剣道天覧試合(優勝、指定選士の部・増田真助、府県選士の部・望月正房)



現代(第二次世界大戦後)
   * 1945年(昭和20年)11月6日、連合国軍最高司令官総司令部が学校の剣道を禁止した(GHQ武道禁止策)。
   * 1946年(昭和21年)8月25日、社会体育の剣道を制限。
   * 1946年(昭和21年)~1947年(昭和22年)、大日本武徳会解散、関係者の公職追放1,300余名。
   * 1950年(昭和25年)3月5日、全日本剣道競技連盟創立。改称し全日本撓競技連盟へ。
   * 1951年(昭和26年)5月4日、東京日比谷公園で第1回全国撓競技大会開催。
   * 1952年(昭和27年)10月14日、全日本剣道連盟が結成される。占領終了により剣道禁令が解除。
   * 1953年(昭和28年)1月23日、毎日新聞に学校の新学期から撓競技を実施との記事。 第1回全日本剣道選手権大会開催。
   * 1953年(昭和28年)5月19日、文部省、剣道に対し社会体育の制限を解除。
   * 1954年(昭和29年)3月14日、全日本撓競技連盟と全日本剣道連盟とが合併(名称は全日本剣道連盟)。
   * 1957年(昭和32年)5月20日、撓競技と剣道を統合し中学校、高等学校で正課体育に。



段級位制・称号
段級位制
剣道の段級位制には、六級 - 一級までの級[3]、初段、弐段、参段、四段、五段、六段、七段、八段までの段位がある。

段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」、称号は「これに加え指導力や、識見などを備えた剣道人としての完成度」を示すものとして、審査(選考会)を経て授与される。

級位・段位審査会の主催団体規模は段級位によって異なる。六級から一級までは市町村単位の支部剣道連盟が主催して審査をする。初段から五段までは、都道府県の剣道連盟が主催し審査をする。多くの場合、初段から三段までは、その都道府県を幾つかの地区に分けて、その都道府県の下部組織である、各支部で合同して審査をする形が多い(四段・五段は1か所で審査)。また、三段審査や四段審査に関しては、高等学校剣道専門部や大学連盟で、一般の審査会と独立して行われることがある[4]。六段以降は全日本剣道連盟が一括に主催して行う。六段以降になると、段位合格者名が大手剣道専門雑誌の『剣道日本』や『剣道時代』に掲載される。年間の審査会開催回数は段位ごとに異なるが、六段が8回程度[5]、七段が6回程度、八段が4回程度である。また、審査会は東京をはじめ、京都など全国の主要都市などで行われる。

また、各級・段位は年齢制限及び各種条件がある。六級~一級までは、ほとんどが段位の受審資格がない小学生が取得している。中学生以上対象の昇級審査会に受審し、合格するとその時点で一級が授与される。一級受有時点で中学2年以上の場合は次の昇段審査(3か月以上後に実施[要出典])で初段を受審することが可能だが、中学1年の場合は年齢制限により受有後1年間は昇段審査を受審することができない。

六級 - 三級は、受審条件および年齢制限はない。一級と二級は小学6年生以上が受審資格[6]を有する。


段位 受審条件 年齢制限
初段 一級受有者 中学校2年生以上
弐段 初段受有後1年以上修業
参段 二段受有後2年以上修業
四段 三段受有後3年以上修業
五段 四段受有後4年以上修業
六段 五段受有後5年以上修業
七段 六段受有後6年以上修業
八段 七段受有後10年以上修業 46歳以上


「剣道称号・段位審査規則」 平成17年3月23日一部改正、平成17年4月1日より施行 全日本剣道連盟

一般的に、各段位の平均合格率が異なる。初段は約80 - 90%、二段は約60 - 70%、三段は約40 - 50%、四段は約30 - 45%、五段は約20 - 30%である。また、六段以降はさらに合格率が下がり、六段は約10%[7]、七段は約8 - 10%、最高位の八段となるとわずか1%という狭き門となる[8]。


称号
上記に記した段位・級位のほか、錬士、教士、範士の3つの称号がある。六段〜八段の高段位者のみ受審資格があり、いずれも加盟団体会長の推薦が必要である。

称号を取得した後は、例えば「錬士六段」、「範士八段」のように、段位の前に称号を名乗ることになっている。


称号 受審資格 受審条件
錬士 五段受有者 五段受有後、10年以上を経過し、かつ年齢60歳以上の者で、加盟団体の選考を経て、特に加盟団体会長より推薦された者。
六段受有者 六段受有後1年を経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者。
教士 錬士七段受有者 七段受有後2年経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者。
範士 教士八段受有者 八段受有後8年以上経過し、加盟団体の選考を経て、加盟団体会長より推薦された者、および全剣連会長が適格と認めた者。


十段位制・称号
2000年4月1日の審査規則改正前は、九段および十段が存在した。また、五段受有者から教士の受審資格が、七段受有者から範士の受審資格があった。このため、現行の制度ではなることのできない「錬士五段」や「範士七段」などが存在した。しかし「範士が剣道界の最高峰である」ことを改めて確立するため、また範士が八段受有者の年功序列によって授与されていたことの反省から、九段および十段は廃止され、各称号の審査基準が上の表のように見直された。ただし既に取得されたものは段位として有効である。また、現行でも範士の称号においては剣道特有の年功序列のようなものが存在しているとされる





次回「剣道禁止期間」より~




榎本劍修堂 / 劒人倶楽部

埼玉県さいたま市見沼区大谷399


最終更新:2011年01月17日 22:35
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