日本刀の多様な側面

日本刀の性能と力学的性質

日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」といった3つの相反する性質を同時に達成することを追求しながら作刀工程が発達してきたと考えられている。「折れず、曲がらず」の材料工学においての強度と靭性の両立に相当する。両者の均衡を保つことは高度な技術の結果である。また「よく切れる」と「折れず」の両立も難しい。これについては刃先は硬く、芯に向かうと硬さが徐々に下がるいわゆる傾斜機能構造を持つことで圧縮残留応力を刃先に発生させて実現されている。

日本刀の切れ味については、様々なところで語られる。有名な逸話として、榊原健吉の同田貫一門の刀による「兜割り」がある。テレビの通販番組でも「刃物の製造に関しては世界一の技術を誇る日本」などの謳い文句が時に用いられる[要出典]。ただし、この切れ味も最適な角度で切り込んでこそ発揮できるもので、静止物に刀を振り下ろす場合はともかく、実戦で動き回る相手に対し常に最適の角度で切り込むのは至難の業とされる。

日本刀のうち、江戸時代の打刀は、江戸幕府の規制(2尺9寸以上の刀すなわち野太刀は禁止された)と、外出中は大小を日常的に帯刀することから、(江戸幕府の)創成期と幕末期を除き、刃渡り2尺3寸(約70cm)程度が定寸である。また、江戸時代には実戦に供する機会がなくなり、試し斬りが多々行われた[6]。刀剣は一般通念よりも軽く作られている。

以下は各地域発祥の刀剣との比較。なお、重量は全て抜き身の状態のもの。

   * 打刀(日本):刃渡り70-80cmの場合 850-1400g程度(柄、鍔などを含める、抜き身の状態。刃渡り100cm程のものは、3,000g以上)
   * サーベル(世界各地):刃渡り70-100cmの場合 600-2,400g程度
   * シャスク(東ヨーロッパ):刃渡り80cm 900-1,100g程度
   * 中国剣(中国):刃渡り70-90cmの場合 500-1,000g程度 (両手用、刃渡り80-100cmほどのものは900-3,000g程度)

以上は近代まで使われていた物である。日本の刀は、他の刀剣と比べ柄が長く、刃の単位長さ当たりの密度が低いわけではない。しかし、両手で扱う刀剣の中では最も軽量な部類に入る。日本刀は、「断ち切る」ことに適した刀剣である。しかし、刀自体重量が軽いので切断する際手前にスライドさせて力の向きを切断物に対し直角からそらして加える必要がある。同じ理由により、「斬る」ために刀を砥ぐ際は、包丁のように、スライドさせる方向に砥ぎをかける(剣の扱いに似ている)。
テレビ番組による実験

トリビアの泉
   2004年(平成16年)の夏頃に放送された実験結果。

   日本刀と拳銃(コルトガバメントM1911A1)
       刀身に向けて、ベンチレストを用いて垂直に弾丸を撃ち込む実験。いくら撃っても弾丸は両断され、全く刃こぼれしなかった。ガバメントの弾丸は拳銃弾としては強力であるが、人畜を傷つけるための柔らかい鉛の弾にすぎない。例えば鉄心などが入っていないため、貫通力は低く、刀になんら損傷を与えられなかった。
       銃弾は銅皮膜のないタイプであるので、貫通力を重視した弾丸では、異なる結果が出る可能性もある。
   日本刀とウォータージェット(水圧の刃)
       刀身に向けて、垂直にウォータージェットを噴射する実験。キズ一つ無く、通過した。同じ条件で包丁は両断された。
   日本刀とマシンガン
       拳銃と同じ角度からブローニングM2重機関銃を使用して大型の銃弾を100発撃ち込み何発まで耐えられるかという実験。弾丸が当たった衝撃により切っ先の角度が少しずれながら、6発まで耐えたのち、刀身が一気に削られ、真二つにちぎり折れる。安全のため後ろに置かれていたコンクリートの壁は粉砕された。この弾丸は対戦車ライフル(対物ライフル)などにも使われるもので、弾丸の持つエネルギー量は前述の拳銃弾の30倍、一般的なマシンガンの弾丸に対してさえ5倍を超える、極めて高威力の弾丸であった。

怪しい伝説
   「映画によくある、剣で剣を斬るというシーンは実際に可能なのか?」というコンセプトのもとに行われた実験。大まかな内容は、同じ力で剣を振るための機械を自作し、その機械を使って剣を振り固定した別の剣に刃をぶつけるというもの。用いられたクレイモアやレイピアは炭素鋼を使用して作成されたレプリカである。

   日本刀をステンレス製の模造刀の側面にぶつける
       模造刀はぶつけられた部分から折れた。
   日本刀を日本刀の側面にぶつける
       日本刀は大きくしなるだけで折れなかった。
   日本刀の刃同士をぶつける
       固定された方の日本刀はぶつけられた部分が少し曲がって刃が欠け、根本から折れた。振られた方の日本刀の状態は不明。
   日本刀をレイピアにぶつける
       レイピアは大きくしなり、ぶつけられた部分から折れた。
   クレイモアを日本刀の側面にぶつける
       日本刀は大きくしなるだけで折れなかった。

   同番組の別企画「デイヴィッド・クロケットの伝説の実証」では、斧の刃に先込式銃で撃って、弾を2つに斬れるかという実験が行われた。25mと35mの距離から射撃した結果、折れることなく2つに斬ることに成功している。
ナショナルジオグラフィックチャンネル
   (日本国内では編集版が世界まる見え!テレビ特捜部で放送、2008年8月24日にスカパー!・ケーブルテレビなどを通じ、完全版が放送された)
   番組内で取り上げた海外番組『Fight Science』での検証で、日本刀が世界最強の武器であると結論している。同番組では衝撃力・攻撃範囲・扱い易さの3つを兼ね揃えた武器が最強としており、扱いやすく威力の高い武器として刀剣類をあげている。「剣は突き中心」「刀は斬撃中心」と両者の特徴の違いを説明した上で、刀でありながら斬撃と突き攻撃両方に使え、丈夫で優れた武器として日本刀が紹介された。日本人居合道有段者による巻藁や青竹を試斬するシーンや、実験用ゼラチンで作ったモデル人形(人間の筋肉の密度を再現している)を白人のITF系テコンドー家が突き刺したり(胴体を貫通)一刀両断にするシーン(胴体を切断)を流し、日本刀の武器としての優位性について証明したとされる。しかし、人形を用いた試斬を行ったのは先述のようにテコンドーの修行者であり、居合道や剣術に長けた人物では無いこと、試斬を行ったテコンドー家が日本刀による演武を行う(中国武術家との演武)が、その使い方が日本剣術本来の操法では無いことから、検証の正確さについて疑問が残る(テコンドーと空手を混同し、テコンドーを日本武術と勘違いしている部分があり、テコンドーの武器として日本刀が用いられていると誤解している節がみられた)。

日本刀の性能に言及されている史料

日中戦争(支那事変)中、日本軍将校2人が百人斬り競争を行ったという。将校の一方は自らの関の孫六について、56人の時点で刃こぼれが1つ、86人の時点で「まだ百人や二百人斬れるぞ」と言ったという(東京日日新聞1937年11月30日・同12月4日)。これについて「名誉毀損」として訴訟が起きており、「全くの虚偽であると認めることはできない」とされた高裁判決が確定している(ただし、この裁判自体は戦時報道の虚偽性に関するものであり、日本刀の性能に関しては判断されていない。また、判決自体も結局のところ「総合的には真実とも虚偽ともどちらとも言えない」というような曖昧なものであり、史料性は低い)。

秦郁彦によると、刀工の成瀬関次は『戦ふ日本刀』(1935)で日本刀での47人斬り他複数の逸話や伝聞の信憑性を肯定的に述べている。秦によると、鵜野晋太郎という少尉が『ペンの陰謀』に、捕虜10人を並べてたてつづけに首を切り落とした経験を寄稿したという。山本七平は「自身の経験に照らして日本刀で斬れるのは高々3人である」としている(『私の中の日本軍』)。
戦史上の日本刀

日本刀は元来、「断ち切る」ことに適した刀剣である。起源をさかのぼれば、古墳 - 奈良時代に、儀式用と実戦用とが区別され始めた時、「圭頭大刀(けいとうたち)」や「黒作大刀(くろづくりのたち)」は「断ち切る」専用だった。平安時代に「小烏」などが「切っ先諸刃作り」を採用して「突き刺す」ことにも適性を持っていたが、その後、太刀や打刀では、切っ先諸刃作りは排され、手首を利かせて「切る」ことに適するよう、湾曲している。一部の武芸者は、切先三寸が両刃となった刀を使用したが、これは例外である。
近代以前の戦史における日本刀の役割についての論争

日本刀は、「武士の魂」、神器としての精神的、宗教的価値や美術的価値が重視される一方で、日本史上の戦場でそれほど活躍しなかったとする説がある[7](山本七平、鈴木眞哉など)。鈴木眞哉は、日本刀が普及していた理由は、首を切り落として首級をとるために必要不可欠な道具であったからだと結論づけている。しかし、そのような用途では脇差・短刀の類で十分であり、太刀・打刀のような大型の日本刀が普及した事の説明にならない。山本七平氏のものは、自身の戦時中に軍刀で死体を切ってみた感想に基づいた意見である。

日本刀不要物論においてよく挙げられる根拠は以下のもの。なお、これらには日本刀に限らず刀剣一般に該当するものを含む。

  1. 当時の死傷記録において刀傷の割合が低いこと。
  2. 刀剣の多くは接近戦専用で、広い空間では長柄武器(槍・薙刀など)に対して不利だったこと。
  3. 鎧や鎖帷子を着用した部位に対する斬撃が有効でないこと。
  4. 刀身と柄が一体でなく、またその接合方法上、強い打撃に耐えられないという構造上の問題があること。さらに刃の薄いものについては、力を加える方向によってはすぐに曲がったり折れたりする。また、多少の刃こぼれでも威力に大きく影響する。
  5. 製法に手間がかかるため、高品質の刀や、大型の野太刀を量産化・兵士に支給することはできなかったこと。
  6. 日本刀の草創期からすでに武士の主戦術は騎射だったこと。さらに鎌倉末期からは槍兵による集団戦術、戦国時代からは鉄砲が加わったこと。
  7. 剣術が盛んになったのは平和な江戸時代に、竹刀剣術が隆盛してからであったこと。

これに対して、以下の根拠から反論がなされている。

  1. 乱戦、狭い空間での闘い、および夜襲や悪天候下など、長柄武器や飛び道具が使いづらい限定された状況においては有効な武器だったこと。
  2. 大型の刀身は対峙した相手に恐怖感を与え、接近戦においては心理的に有用であったこと。
  3. 数打ちと呼ばれる量産品が生産されてからは、持っていない者がいないくらい大量に普及していたこと。
  4. 鎧は全身を覆っておらず、特に足軽などの雑兵は露出の多い簡素な鎧ですませていたり、鎧なしの者もいたこと。
  5. 鎧は打撃に若干弱い面があり、戦国期には刀を刃物付き鈍器として扱う戦い方もあったこと(戦国期の刀には蛤刃といって刀身を分厚くこしらえたものが存在する)。
  6. 鎧や鎖帷子は防刃に優れるが基本的に重く動き辛い。刀の装備はこれらの着用を相手に強いる効果があること。例えば鎧を着用しなくなった西南戦争時に抜刀隊が両軍で活躍している。
  7. ことさら精神性を重視されるようになるのもまた江戸時代以降であり、当時は実用品としての意義が大きかったこと。
  8. ことさら美術的価値のみが重視されるようになったのは現代に入ってからのことであり、当時は実用品としての意義が大きく、美術的価値は副次的もしくは一部特権階級の嗜好品にすぎなかったこと。
  9. 人を殺めるのにはなにも首をはねたり胴を切断する必要はないということ。特に刺突は常に十分な殺傷力を有する(ただしこの理由により、実際の合戦では槍が主要な武器となり、集団戦法へと推移した)。
 10. 飛び道具に比べてコストパフォーマンスに優れ、扱いが容易なこと(その意味では、槍や薙刀が最も攻撃力やコストパフォーマンスに優れるとも言える)。

このような根拠から日本刀の実戦能力を評価する立場が多い[8]。
合戦に刀が使用された理由

騎馬武者の武器として
   反りのある日本刀は馬上斬撃に適していた。弓馬の道というように、遠距離では弓を放ち、近距離では刀に持ち替えて戦うのが典型的な武士像であった。
予備の武器としての価値
   武器は武人の蛮用により破損してしまうことが日常的にあり、予備の武器が必要である。古今東西、人は丸腰になることを恐れる。
自衛用の武器としての価値
   白兵戦を専門し、長柄武器を持つ兵は一部である。それ以外の兵も自衛用の武器が必要とされ、主に刀を身につけていた。たとえば弓・鉄砲・石つぶてといった投射兵種、荷駄や黒鍬といった支援兵種など。
長柄武器を使用しづらい状況での使用
   室内や山林など、長柄の武器の取り回しが悪い環境では刀に持ち替えて戦った。
槍の補助
   日本の合戦は中世の弓や近世の鉄砲などといった遠距離兵器が主体であり、中距離での戦いは槍などで闘ったあと、乱戦時の切り結びのために、または短刀や鎧通しで頸動脈を切るための組み打ちで終結するために、日本刀は槍の補助として使われることが多かった。
   合戦で使用された刀の中には、峯などに相手の刀などによる切り込み傷のあるものが多い。たとえば、名物石田正宗には、大きな切り込み傷が多数存在し、実戦で使用されたことを窺わせている。
敵将の首級を挙げる
   槍などの刀以外の武器では、戦場の真っ只中で迅速に首を切り落とすのは、非常に困難であり、合戦では自らの功績を示すものが敵将の首級であったため、重要であった。

戦場外での日本刀

武士は戦場外でも常時、本差と脇差を携帯していた。これは扱いやすく丈夫(いざというときは命を預けられる)でコストパフォーマンスにすぐれた護身用の携帯汎用武器として秀逸であったことを示している。非武装の庶民や軽装備の者に対しての威嚇・威圧効果としては十分であり、辻斬りやあだ討ちなどにも日本刀は使われ、十分な殺傷力を秘めていることを実証している。
日本刀の文化・宗教的側面

合戦、人間同士の生命を賭した戦いという極限的状況には相応の覚悟が必要となる。それに際してに日本刀の「武士の魂」、神器としての精神的、宗教的価値や美術的価値がある意味現実的な力として求められたとしても不思議ではない。戦乱の時代に作られた刀に所有者が信じる神仏の名や真言が彫り付けてある遺例が数多く存在することも当時の武士達の赤裸々な心情を窺わせて興味深い。

工学的側面からは、金属の結晶の理論や相変化の理論が解明されていない時代において、刀工たちが連綿と工夫を重ね科学的にも優れた刃物の到達点を示しえたことに今も関心がもたれている。理論や言語にならない、見た目の変化、手触り、においなどのメタ情報を多く集積したり伝承したりすることで、ブラックボックス型の工学的知を実現しているためである。
日本刀の新聞

   * 刀剣春秋新聞社『刀剣春秋』

日本刀の雑誌

   * 日本美術刀剣保存協会『刀剣美術』
   * 日本刀剣保存会 『刀剣と歴史』

参考資料

   * 川口陟・飯田一雄 『改訂増補 刀工総覧』 刀剣春秋新聞社・宮帯出版社(発売)
   * 若山泡沫・飯田一雄 『金工事典』 刀剣春秋新聞社・宮帯出版社(発売)
   * 本阿弥光遜 『日本刀の掟と特徴』 美術倶楽部
   * 永山光幹 『刀剣鑑定読本』 永山美術刀剣研磨所
   * 永山光幹 『日本刀を研ぐ』 雄山閣
   * 鈴木卓夫 『作刀の伝統技術』 理工学社
   * 鈴木卓夫 『たたら製鉄と日本刀の科学』 雄山閣
   * 鈴木眞哉 『戦国合戦の虚実』 講談社
   * 鈴木眞哉 『刀と首取り』 平凡社 平凡社新書
   * 鈴木眞哉 『鉄砲と日本人』 ちくま学芸文庫
   * 鈴木眞哉 『謎とき日本合戦史』講談社
   * 藤本正行 『逆転の日本史 戦国合戦本当はこうだった』 洋泉社
   * 成瀬関次 『戦う日本刀』 実業之日本社
   * 刀剣春秋編集部 編 『刀剣甲冑手帳』 刀剣春秋新聞社・宮帯出版社(発売) ISBN 9784863660632
   * 日立金属『たたらの話』日立金属HP

注記

  1. ^ アジアでは倭刀と呼ばれたが、現地で日本刀に模して作成されたものを指す事も多い。現代の漢文圏では「倭」を忌んで「和刀」と表記することもある。西欧では認知の普及により和語をそのまま"katana"と利用されたり、象徴的意味合いとして慣用的に“samurai sword”と呼ばれることもある。
  2. ^ 日立金属「たたらの話」
  3. ^ JSTP編 『もの作り不思議百科』 コロナ社 1996年7月25日初版第3刷発行 ISBN 4-339-07668-6
  4. ^ a b c 歴史群像編集部編 『図解 日本刀事典』 学研 2006年12月26日第1刷発行 ISBN 4054032761
  5. ^ 【日本刀の美の壺】日本刀鑑賞の要点
  6. ^ 試し斬りについて
  7. ^ 山本七平著『私の中の日本軍』文春文庫 1983年1月初版第1刷発行 ISBN 978-4167306014
  8. ^ 成瀬関次著『戦ふ日本刀』実業之日本社 1940年

出典

  1. ^ 柴山光男著、『趣味の日本刀』、雄山閣、2002年6月20日発行、ISBN 4639010265

関連項目
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、日本刀に関連するカテゴリがあります。

   * 太刀 - 打刀 - 刺刀 - 忍刀 - 大太刀
   * 長巻 - 薙刀 - 槍
   * 脇差
   * 天下五剣 - 日本刀一覧
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   * 剣術






榎本劍修堂 / 劒人倶楽部

埼玉県さいたま市見沼区大谷399

最終更新:2011年03月11日 10:42
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