剣道用語あ行

相抜け(あいぬけ)
これは針ヶ谷夕雲が剣道の極所を説いたものとして古来貴ばれてきた言葉であるがその真意を的確に表現することはむずかしい。
相抜けは相打ちではない。相打ちはどちらも傷つくが、相抜けは双方共に空を打たせて、いずれも無事であり、太刀の勝負より心の勝負を教えたもので、聖人の太刀合いとも言われている。
いずれかを勝ちと定めんいずれをか 負けと申さん合いの相抜け

足軽稽古下郎技(あしがるけいこげろうわざ)
稽古にも理合いにも風格もなく、最も卑しい稽古のやり方をいう。百姓稽古木引(ひゃくしょうげいここび)き技も同じ意味である。

一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)
これは剣道修行の大事な要素をその重要度に応じて示したものである。
一眼―剣道で一番大事なことは相手の思考動作を見破る眼力であり洞察力である。二足―初心者は手先で打って足がこれに伴わない。むかしから見学の心得に「技を見ないで足を見よ」ということがあるが、技の根元は足であり、足の踏み方使い方は剣道で最も重要視されるものである。三胆―胆は胆力であり度胸である。ものに動ぜぬ胆力と決断力であり不動の意味である。四力―力は体力でなくて技術の力であり、わざ前のことである。剣道はすべて技術を最後にもって来たところにこの教えの尊さがある。

一源三流(いちげんさんりゅう)
家のためには汗を流す。友のためには涙を流す。国のためには血を流すという武士の魂を伝えた源流館の教えだといわれている。

一国一允可(いんが)
昔の流祖はその流派の秘剣が乱用されるのを恐れ、その流派の「極意剣」の伝授は一国のうちで最高のもの唯一人にしか授けなかった。
又、「唯授(ゆいじゅ)一人」ともいわれ、日本中唯一にしか与えなかった宝山流のような厳しい流儀もあった。昔はそのくらい流儀流派の極意剣は大事にされたものである。

イメージトレーニング、メンタルリハーサル
これは最近のスポーツ界で非常に重要視されている訓練法で、常に頭の中にさまざまの状態を描いてそれに対応するトレーニングをやる。

或は精神的訓練をやることで剣道で言えば思念工夫であり、昔から伝わる静思黙考の独り稽古である。他のスポーツでもイメージトレーニングの重要さを教えているが、剣道こそはこれが最も大事であり、昔の剣聖流祖が神社仏閣に参籠し、あるいは岩窟に籠って修行して悟りをひらき、さらに難行苦行の夢寐(むび)の間に開眼するなどはすべてこれ現代流に言えばイメージトレーニングでありメンタルリハーサルの成果である。

最近剣道をやる者はただ道場の打合いだけを剣道修業と心得ているが、本当の修行はイメージトレーニングやメンタルリハーサルによって得た剣理剣法を道場で実際に試みてその正否をただし、さらに演練(えんれん)を重ねて行くのが本当の意味の剣道の稽古である。その大事なイメージトレーニングを忘れては道の修行にもならないし剣道の上達も覚束もない。剣道修行の最も心すべき一条だろう。

居付く(いつく)
稽古中に足が床板について、軽快自由に動けない状態。あるいは試合中に精神的機能が一時止って瞬間的動作の出来ない状態。したがってこれは大きな隙であり、相手にとっては逃してはならぬ打突の好機である。

一寸の見切り、二寸のひらき
一寸の見切りは宮元武蔵の有名な言葉で、相手の太刀がまさにあたらんとする一寸のところで体をかわすこと。
太刀風三寸にして身をかわすということと同じ原理である。二寸のひらめきとは柳生流の教えで、人の頭の幅は四、五寸であるからわずかに二寸ひらけばその太刀をかわすことができる。その体のひらきを教えたもので心理的には一寸の見切りと同じである。

一刀三礼
仏像師が仏像を彫るとき、一刀を振るう前に三度の祈りを捧げて彫る如く、剣道も一刀を振るう度に真摯の祈りを込めて指導せよという心の持ち方を教えたものである。

一刀流
伊藤一刀斎の創始にかかる。
一刀流は二刀流に対しての呼称ではなく、一心一刀で信念の一刀に生命をかける精神であり、更に一刀万刀に変じ、万刀一刀に帰すという根本理念に基づいて命名されたもので流祖一刀斎の名前をとったものではない。

一拍子の打ち
現代剣道における一拍子の打ちとは動作が二挙動にならぬように打つこと。
例えば、すり上げ面の場合に「すり上げ」と「打ち」が二つにならぬように一挙動で打つ。結局「打つ途中においてすり上げる」心がけが大事であり、太刀も心も一連のものとならなければならない。兵法三十五ヶ条の「一拍子の打ち」とは表現的に若干ニュアンスの違いがある。上泉勢守は「いかなる事態からもまっすぐに一拍子の太刀の出せること」を最高至極の剣として、これを転(まろばし)と読んでいた。

異能力士に三役なし
相撲の言葉であるが基本的な正しいことをやらずに特異なやり方で勝つ力士は決して三役まで上ることはできないということで剣道でも変剣難剣で勝っても正道を踏まなければ決してそれは大成しないということである。

いわおの構え(巖の身)
心身共に巖の如くいささかも動ぜぬ寂然不動の構え。
剣道の基本である。(宮本武蔵)

陰陽の足
剣道の打突には片足ばかり動かしてはいけない。
いかなる場合も右足が出たら左足が必ずこれにつき、両足が同じように動いて体の安定を保ち、打突を正確にしなければならない。それが陰陽の足である。

有構、無構(うこう、むこう)
構えはあれども無きが如きもので、心の構えがあれば太刀の構えは不要であり、構えにこだわってはならないという武蔵の教えであるが、これはでき上がった人にして初めていえることで始めのうちは「構えの極りは中段と心得るべし、中段の構え本意なり」と武蔵自信もいっているように初心者のうちは構えを堅確にすることは最も大事なことである。

右轉左轉出身の剣(うてんさてんでみのけん)
これは溝口一刀流の秘剣といわれているが相手の攻撃に対してひいてはいけないということである。
右にひらくか左に転ずるか、さもなくば前に出ろということである。柳生流に右旋左転の言葉があるが、結局は「たんだ踏みこめ神妙の剣」がその極意剣である。真剣勝負の心の持ち方を教えている。

縁のあたり(えんのあたり)
相手のた太刀を払っても叩いてもあるいは受けても相手の竹刀にあたったら、そらは相手を打つ縁であって、それを合図に必ず打ち込まなければならない。そこは逃してはならない勝機であり、それを縁のあたりというのである。

円明流(えんめいりゅう)
武蔵流のことである。武蔵は幼にして父より十手を習い、それを土台にして剣法を工夫して円明流と称した。「心月円明」をとったものといわれている。

お止め流(おとめりゅう)
柳生流と小野派一刀流は将軍家指南の流儀であり、これは他流との仕合を禁止された。それは将軍家ご指南が他流との仕合で負けでもしたら、それこそ面目を失墜し、将軍家の権威にもかかわるということで、他流との仕合は一切禁止されたので、これをお止め流と呼んだ。

面を刺す(おもてをさす)
相対した時は絶えず相手の心を制し、相手が動いたら剣先でその面を刺す心で前に出よ。
これは真剣勝負のコツでいかなる場合も退いてはいけないという宮本武蔵の教えである。



参照:剣道用語辞典 より
http://www.budogu.jp/column/kotoba.html




榎本劍修堂 / 劒人倶楽部

埼玉県さいたま市見沼区大谷399

最終更新:2011年05月25日 10:24
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