剣道用語か行


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介者剣法(かいしゃけんぽう)
素肌剣法に対して、鎧兜(よろいかぶと)をつけた重装備の剣法を介者剣法と呼んだ。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし(常静子剣談)
道を貴び術を知れば心勇ならずと雖(いえど)も必ず勝つ。
道に背き術に違えば必ず負く。
道を守れば不思議に勝ち、道に背けば必ず負けるという心理術理の妙を教えている。

活人剣・殺人刀(かつじんけん・さつじんとう)
活人剣も殺人刀もただその生命を絶つかどうかの問題ではなくて、人を生かすか殺すかに心の持ちよう、刀の使い方の問題である。柳生流には「一殺多生の剣」というのがあるが、一人の悪を断ち一人を殺しても多くの衆生を生かすのが活人剣であり、いわれなき殺生をするのが殺人刀である。

勝而後戦う(かってしかるのちにたたかう)
戦って結果として勝つのではなく、戦う前に気で勝ち、心で勝って而後(しかるのち)に戦えという教えである。
「気で攻めて理で打て」というのも同義である。

勝つに法あり負けるに理あり
勝っても負けてもその理法に合ったやり方をせよということで、無理無法の盲目剣はいけないという戒めである。

香取・鹿島(かとり・かしま)
香取神社には経津主神(ふつぬしのかみ)を祭り、鹿島神社に武甕槌命(たけみかづちのみこと)をお祭りして、ともに武神を祭る神社として尊崇され、武の発祥地とされている。
飯篠長威斎家直はこの地に天真正伝神道流興し日本剣道の源流として知られてる。全国の道場には香取・鹿島の御神霊を武神として移祭しているところが多い。

気海(きかい)
気海の気は形なくして多いなる力を発するもの、海は広く無限に漲るもの。
すなわち気力精気の無限に生ずるところを気海という。白隠禅師は「気海、丹田各々臍下に屈す」といっているように気海と丹田はとは表現の違いであって同じ部位をさしているものである。

気は大納言の如く身は足軽の如し
気品は大納言の如く高く豊かに持ち、身は足軽小物にも比して忠実細心に働けという教えであり、剣道人の気構えと平素の修行の心構えを教えたものである。

虚実
うそとまことであり、剣道的にいえば隙や油断のあるのが虚であり、その反対に隙も油断もなく精神の緊張した姿が実である。

居の打ち、色(いろ)の打ち
フェイントをかけて打つ技で相手の気の迷いを打つのである。
虚の剣の使い手であるとか、色の稽古であるとかいわれるのは、いささか蔑視された表現であり、奨励すべき技ではない。

切紙、目録(きりがみ、もくろく)
昔は段位がなくて、修行した技前によって階級をつけたが、その一番初歩のランクが切紙であり、これは紙の切れはしなど簡単なものに修行修得した技前が書いてあった。だから切紙と言ったのである。それから目録、印可、免許、皆伝、口決(こうけつ)(口伝)(くでん)と進んで行き、最後が口伝でこれがその流の極意剣の伝授である。

したがってこれは四方の襖を立て切り、周囲の人払いをして深夜ひそかに師匠が直接手をとってその秘術を授けたものである。
披剣中の秘剣を「書きもの」にせず口から直接伝授したのは他にもれることを恐れたものであり、師匠の口から直接伝えられたために口伝と言われたのである。

もちろん前述のようなランクは流儀流派によって異なり、千葉周作は一刀流にあった五つのランクを初伝、中伝、奥伝の三種に絞ったため却って入門者がふえ、入門希望者が門前市をなしたと伝えられている。

きまり合い
気合い、理合い、間合いのことで切る間合いだけをさすのではない。剣道でも最も大事な三要素を教えている。

驚擢疑惑(きょうくぎわく)
相手と対峙したときにおこる心の動揺や心の動揺を抑えきれない状態をあらわしたことば。驚いたり、擢(恐)れたり、疑ったり、惑ったりする心の状態。四戒、四病ともいい、これをいかに制御するかが重要であるという教え。

楠杉の訓え
楠の木は根を一寸張れば上に一寸伸びるように、根と幹とが常に相和して成長するが、杉は根を張らず上へ上へと伸びていく。したがって楠は大風にも倒れないが、杉は少しの強風にあえばすぐに吹き倒れてしまう。
これは剣道心と技との関係を教えたもので、心の修養を積みながら枝を伸ばせば決して誤りはないが、いたずらに枝だけを伸して、心の修養を怠ればわずかの困難にもすぐに挫けて失敗することを戒めている。

組太刀(くみだち)
組太刀は一般には形と同義語に取扱われているが勿論形には違いないが、その成立にはいささか異なった意味も存している。形は剣の理合いと実践の経験をもとにして作られた自流独特のものであり、組太刀は他流の技の長所に対して、それに勝つ技を仕組んだものである。
例えば柳剛(りゅうごう)流は臑(すね)を切るからこれに対してはこの技で行く。
示現(じげん)流は袈裟(けさ)がけに着るからこう応ずるといちいちその流儀の長所に対応する技を考案していくのである。

稽古(けいこ)
古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味で、日本古来の伝統的な武道や芸道の修行、練習をいう。このことばは単にくり返しを意味するのではなく、技や芸に対する自己の確立や心の問題を理念、工夫していくところに特性がみられる。

下部の三所(げぶのさんしょ)(常静子)
剣道では一眼二足といわれるくらい足は大事にされているが心形刀流では腰と足とひかがみとを下部の三所として最も重要視されている。何をやるにも足腰といわれるが、足腰に十分の機能を発揮させるのはひかがみである。

したがってここを硬直させたり、曲げすぎたりしてはいけない。余り目立たない所にあって下部の三所として最も貴ばれるゆんである。

剣心一如(けんしんいちにょ)
剣は人なり、剣は心なりといわれるように剣は心によって動くものであり、剣と心は一元的のものである。
したがって正しい剣の修行をすれば正しい心を磨く結果になる。

剣禅一致(けんぜんいっち)(一如)
剣は生死の間に於て修行し、大死一番の境地に大活するものであり、禅は静思黙考の裡に大悟するものである。
あずれも生死を超越するところに、窮極においては剣禅全く相共通する一脈があることを教えている。

剣の五徳(けんのごとく)
正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲を剣の五徳といい、この徳目を身につけるために剣の修行をするものである。

攻防一如(こうぼういちにょ)
懸待一致と同意語である。

交剣知愛(こうけんちあい)
「剣を交えて"おしむ"を知る」を読まれ、剣道を通じて互いに理解しあい人間的な向上をはかることを教えたことばである。愛はおしむ(惜別)、大切にして手離さないということを意味しており、あの人とはもう一度稽古や試合をしてみたいという気持ちになること、また、そうした気分になれるように稽古や試合をしなさいという教えを説いたことば。

五加
神道無念流の形。五加は技よりも気力を重んじる形で、五加五流がその真髄とされている。

互角稽古(ごかくげいこ)
技能的に差のない者同士の稽古。また、たとえ差があっても、同等の気持ちになって行う稽古。

呼吸
人間の呼吸は複式、胸式、肺尖呼吸の三通りに大別されるが普通は胸式呼吸である。
肺尖呼吸は病人がやるような肺尖でやる最も浅い呼吸で一番不健康な呼吸法である。剣道人のやる呼吸は複式呼吸であり、横隔膜を下げてやる最も深い健康的な呼吸である。座禅や静座をやるのもそのためである。剣道は吐く息で打つので吸う時は隙であり打たれ易い。昔から「呼吸をはかる」ということはそのことをいうので相手が息を吐き終わった時は隙であり、そこを打てというのである。

九重の位(ここのえのくらい)、大納言(大納言)の剣
最高の気位を持ち、至高の剣風を持てということで剣道至極の風格を教えたものである。
(足軽稽古下郎技の対比語である)

牛頭馬頭(ごづめづ)
牛の頭は大きく馬の頭は小さい。
したがって牛頭馬頭とは大技小技のことで剣道では大技だけでもいけないし、小技ばかりに偏しても駄目である。大技小技を織りまぜてやれという教えである。



参照:剣道用語辞典 より
http://www.budogu.jp/column/kotoba.html#ka



榎本劍修堂 / 劒人倶楽部

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