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真田紐
真田紐(さなだひも)は、縦糸と横糸を使い機で織った平たく狭い織物の紐。

一重織り・袋織りがあり、材質は木綿・正絹を使う。 主に茶道具の桐箱の紐・刀の下げ緒・鎧兜着用時の紐・帯締め・帯留め用の紐・荷物紐等に使用する。 特徴は伸びにくく丈夫なので重いものを吊ったり、しっかりと物を縛る事に使う。 数多くの柄があり、一部は家紋の様に家・個人の決められた柄があり個人・集団の認証・作品の真贋鑑定に使われている。


歴史・名前の由来
起原は定かではないがチベットの山岳民族が家畜の獣毛を染め腰機を用い織った細幅織物が仏教伝来と共に海路日本に入ってきたものが停泊地の沖縄地方ではミンサー織りになり本州では綿を草木で染め織った細幅織物となり後の真田紐になったと言われている。 関ヶ原の合戦後に九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子とその家族が作製し、堺の商人を通じて販売したとされ、各地で行商人が「真田の作った強い紐」と言って売り歩いた事から名付けられたといわれている。伝承では、紐の販売を口実に武将の家臣が各地に赴いて、各国の情勢を持ち帰って次の戦に備えていたとされる。 真田紐は名前から真田家の領地である長野県を主要産地と思われているが戦国時代の実際は全国各地の武将が軍需物資として製作・使用していた。 当時、徳川の天下統一に伴い地方の庶民には親豊臣・反徳川的風潮が根強く、最後まで徳川に苦汁をなめさせた真田を支持・美化する動きがあり真田紐を一つの象徴とする様になったと言われている。 また、「紐」を意味するチベット周辺の言語「サナール」が転じたとする説や平安時代に日本に入ってきたとされる真田紐が当時は「さのはた(狭織)」と呼ばれていた為「さのはた」が「さなだ」に転化したという説もある。

中国から日本の宮中に伝わったと言われる組紐に対し庶民・武士が常用したのが真田紐である。経糸のみで「組む」組紐は構造的に伸びやすく、装飾的に使われる組紐に対し縦糸と横糸を機で「織る」真田紐は非常に実用的だった事が伺える。 平安時代・鎌倉時代の武将は宮廷色の強い、飾りの多い甲冑を身に着けていたが、庶民や地方豪族から出て来た武将が登場した戦国時代には、真田紐等一般庶民が使って来た道具を甲冑に使用する事により、より動きやすく実戦的な甲冑となり、これが結果的に戦国時代における勝敗を左右し、ひいては時代の変わり目の一因となった。

戦国時代中期、千利休の発案で当時武将が使っていた刀の下げ緒が非常に伸びにくく丈夫であることから、それまで鹿革の紐などを使っていた桐箱に使用する様になった。 元来刀の下げ緒等に使われていた時に各家の好みの柄が出来、これを遺品回収の折の目印にした事がのちに茶道具では約束紐と呼ばれる各流儀・各作家・各機関でのみ使う事が出来る独特の柄を制定する文化の基となった。 また桐箱の結びは武将同士の通信に使われた箱に結ばれていた封印結びが基と言われている。

参照ウィキペディア「真田紐」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E7%B4%90



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