( ^ω^)震災から一週間のようです その2


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二日目。
この日は気温が高く、小春日和とでも言える陽気であった。

沈んだ心を癒すには足り得はしなかったのではあるが……。

幸いにも、街中の一部はこの日通電が行われたヶ所があったようだ。

俺達はガソリン節約のため、体育館へと戻る。

( ^ω^)「お? 炊き出しやってるお!」

中に入ると炊き出しが行われていた。
そういえば昨日から何も口にしていない。

1時間ほど並ぶと、パックに詰められた炊き込みご飯を貰う事が出来た。

震災後始めての、暖かい食事は本当に美味しかった。
暖かい物が食べられるだけで、幸せだった。

( ^ω^)「飯が喰えるだけで、マシだおね」

萎え始めていた心に、活力が湧いて来た。

この日は、夜まで体育館内で丸まっていた。

一旦学校の水道が止まった時にバケツでプールから、トイレ用水を運んだり以外は体力温存に努める。

そして夜は車の中で暖を取り眠った。

この日は正直、寝ていただけだった。
次の日から、食料調達のために動き出したのだが、二日目に休んでおいて本当によかった。

二日目、終了。

――二日目時点で入って来た情報。

南三陸町10000人の行方不明者。
原発が危なそうだと、言う事。
空港閉鎖。
暗いニュースしか入って来なかったが、精神的には余裕だった。

三日目。
店員さんの家の電気、水道が復旧。
それにより、そちらにお邪魔する事に。

そして食料調達へ、コンビニなどは根こそぎ物が無くなり、二時間ほどで閉店する店が相次ぐ。
スーパー等は店頭販売のみで、300人待ちがざらの状況だった。

合も変わらず、復旧の兆しを見せない携帯にイライラを募らせ始めたのもこの日からだった。

買える物が少なく、入荷も未定。
ガソリンも供給される見込みは見えない状況。

一番不安を感じたのはこの日だったと思う。

復興出来るのか?

ただこの一点が心配であった。

この時点で救助より、復興を急いだ方がトータルで助かる人数が増えるだろうと感じてはいた。

だが更なる追い打ちが、俺達を襲う。

――福島第一原発、爆発。

(;^ω^)「なんでんな状況になるんだお!」

後手後手の対応を繰り返す東京電力に、心底怒りの湧いた瞬間だった。

明らかに情報規制が行われているテレビの内容に、戦々恐々としていた。

余震は少しずつ減っては行ったが、心が休まる時は中々訪れる事はないようだ。

ちなみにこの日は買い出しの際に、多賀城の手前まで車で向かった。

その時、立体駐車場が跡形も無く潰れている姿を見て、地震の凄まじさを始めて目の当たりにした日でもあった。

三日目時点の情報。
石油コンビナート炎上は海上での出来事である事。
ガスの復旧の目処が全く経っていない事。
電気水道は少しずつ、回復を始めて居る事。
巨大な余震が来る可能性が70%超えである事。
津波の被害が少しずつ表になって来た事。

明るいニュースがもっとも少なく、一番きつい一日でした。

――四日目。
俺はこの日、家に帰る事にした。

片付けを行う気力はなかったが、流石に様子ぐらい伺うべきだしね。

我が家はマンションの上の方なのだが、幸い家族は出張中で誰もおらず連絡もすぐについたので放置していたのだ。

ガチャガチャと鍵を開けて中に入ると、タンスが倒れているのが目に飛びこんで来た。

(;^ω^)「誰も居なくてよかったお……」

親の寝室のタンスは、二段構造のため上が簡単に落ちてくるのだ。

深夜の寝てる時なら、多分下敷きになって親は助からなかっただろう……。

(;^ω^)「はぁ……しっかしこれ片付けんのかお……」

散乱し割れた食器に、気を付けて進む。

少し歪んだ襖を開けて自分の部屋に入ると、冷蔵庫が10cm以上動いていた。

タンスは倒れて、部屋の壁に穴を作っている。

(;^ω^)「いやな予感はしてたけど、ここまでとは……」

棚の上にあった筈の古いラジカセを拾い上げながら、ため息を着く。

ラジカセの下には、プラモが下敷きになっていた。

(  ω )「結構大事にしてたのに……」
小学生の時から家にあった物だ。
ちゃちい物だが、それなりに愛着はあった。

この時点でいろいろいやになり、戸締まりを確認してすぐに家を出ることにした。

正直に言えば続く余震が怖くなって、逃げ出したという側面もあった。

揺れるのには慣れたのだが、まだ一人の状況が堪えられなかったようだ。

俺は店員さんの家へと帰る途中、八百屋が空いてるのを発見した。

俺は食材を買うために並ぶが、物価の高さに嫌になった。

トマト一つ200円。
ぼったくりにもほどがあるが、それでも人は群がり50名ほどが並んでいた。

そして待っている間に、更に憂鬱な出来事が起こる。

二度目の原発での爆発だ。

この時おばさんが、被爆するぞ! と大声で逃げ惑い始めたせいで一時期周辺がパニックに陥った。

仙台は原発までぎりぎり100km圏内なのだ。
大きな事故があれば、被爆しても可笑しくはない。

この時もしっかりと情報規制が行われていた。

この時点で放射能に関して俺は諦めた。

知らない内に被爆している可能性があるが、気にしたら何も出来やしない。

さてここまでは自分視点の温い話でしたが、ここからは気仙沼の友人から情報を書こうと思う。

家は津波に巻き込まれなかったようだが、その後の状況は一週間経っても芳しくはないようだ。

( ・∀・)白「なんとか生きてるよ!」

明るい第一声に、心底安堵した。
震災から四日目、復旧しつつある電波状況でやっと連絡が着いたのだ。

( ^ω^)白「無事で何よりだお」

( ・∀・)白「まだ解んねぇけどな……」

( ^ω^)白「津波かお?」

( ・∀・)白「いや……、食料面さ」

( ^ω^)白「救援物資は来ないのかお?」

( ・∀・)白「道がねぇんだ。しかも強盗やらが頻発してる」

( ^ω^)白「マジかお……、なんとかして物送り届けてやるかお?」

( ・∀・)白「辞めとけ! 本気で怪我するぞ?」

( ^ω^)白「大丈夫かお?」

( ・∀・)白「なんとかなるさ! お前は自分の事心配してろ」

電気の復旧の見通しがついてないため、そいつとはそれ以降連絡がついていない。

これ以外の友人からの連絡でテレビで放映されていない地域の状況も解ってきた。

長町や東仙台など、もともと治安があまり良くない地域や、道路が寸断された地域は強盗や強姦、車上荒らしが頻発しているようだ。

そしてライフラや、政府対応についてのイライラが溜まり出し、駅前の人間にも心の余裕が無くなり出した時期だった。

ちなみに些細な因縁で、喧嘩を吹っかけられたりもしました。

駅前に居る人間はまだ幸せな筈なんですがね、どれだけ自分達が文明に頼っていたのか解った気がします。

四日目、終了。

――四日目時点の情報。

北斗の拳が現実になりつつある事。
やはり自分は恵まれていた事。
自分の身は自分で守らなければならない事。

女性が夜に出歩くのは、本当に危険になってます。

――五日目。
この日は、ダ○エーが開いたため買い物に行くが1000人以上の並びで断念した。

地下鉄の駅二つ分の行列など、始めてみた。

(;^ω^)「流石に5時間以上待ちそうだお……」

諦めて街をさ迷う近くのラーメン屋が開いていたので、そこに入り朝飯とした。
店主の話ではある分は全部出すつもりのようだが、次の食材の入荷は未定との事だった。

駅前でこの物流の無さだ。
地方は想像すら支度なかった。

ちなみにラーメン屋などは、定価で提供しているがぼったくり店は本当にひどい物だ。

おにぎり3つで1000 円や、豚汁一杯700円とか本当に足元を見た商売をしている店も多々見られる。

アーケード沿いのドラッグストアも200人ほどの列が並んでいる。

ここ数日続いた悪天候と、ストレスで体調を崩した人が多いのか風邪薬が良く売れていた。

お菓子などの食料やトイレペーパーは売り切れている様子だった。

特に欲しい物も無く、アーケードを後にしたが、帰り道の生協が開いている。

卵などが売られており、1時間ほど並ぶだけで買え、幸運だったと思う。

( ^ω^)「一人5点までかお」

米はなかったが野菜などは買えたので、物流回復の兆しを見えて来ていた。

――五日目、夜。

バイト先からの電話が鳴る。

( ^ω^)白「もしもし?」

( ,_ノ` )y白「当分、店社員だけでやるから」

(;^ω^)白「つまりクビかお?」

(; ,_ノ` )y白「いや……また連絡するからよ」

どうやらバイトをクビになったようだ。

しかも、会社都合にはしてくれないようだ。

こういう状況のやつは、増えているらしい。
酷い話だ。

ちょっと人間の奥底が見えてきた気がして、気分が落ちていった。

五日目、終了。

五日目時点の情報。
青葉区内のガス以外の復旧地域拡大の朗報。
空港の瓦礫撤去作業の開始。

明るいニュースが少しずつ入り始めて来たのがこの日だった。

――六日目。

朝から水シャワーを浴びて、汚れを落とす。

( ;ω;)「さみいお……」

昨夜の電話で気落ちしていたが、洗髪などを行い気持ちを入れ替える。

この日は昨日の生協に向かい、食料をまた買い込んだ後は寝ていた。

疲れが溜まり始めているようだ。
喉が少し痛む。

夕方頃起きだし、別のラーメン屋に……。
本当に恵まれている。

並べば何かしら食べられるのだから。

六日目、終了。

この時点の情報。
中山など山間部はまだ、インフラが回復していない事。
原発が火事など、いまさらな情報が入ってくる事。
古川にライフラが復旧したこと。

――七日目。
この日は中山の伯父の家へと向かった。

水道は安定はしないが、来てはいるらしい。

幸い市営バスが動いており、30分ほど揺られるだけで着いた。

( ^ω^)「こちらは大丈夫でしたかお?」

('A`)「備蓄があるから大丈夫だよ。ただ水は集会場まで汲みに行かないとならないね」

( ^ω^)「そうですかお……」

一週間経っても仙台市中心部以外は不自由な生活を営んで居るようだ。

電気調理機などを貸して貰い、伯父の家を後にする。

親類の情報は全て頂き、皆無事なようだ。

途中荒巻の近くのヨークベニ○ルで買い物をして、帰る。

先行き不安から、買い溜めをする癖が着いたようだ。

七日目、終了。

( ^ω^)「この一週間を振り返ってみたお」

( ―ω―)「辛くない訳じゃないが、やはり自分は運がよかったのだと思うお」

( ^ω^)「幸い電気や水道は通るし、食料も並べば買えるお」

( ^ω^)「LPガスの友人にお風呂を貸して貰えたりもしたお」

( ^ω^)「この状況では文句なんて言ってらんないお! 街中の早い復興が、地方へと伝播して行く筈だお」

( ^ω^)「生きてる。それだけでまだやれる事があるんだお」

( ^ω^)「だから、みんなで頑張って行こうと思うお!」


( ^ω^)震災から一週間のようです。

終わり

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