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夢の中で、私は籠の中に閉じ込めたちっさーを眺めていた。
ちっさーはちょうちょだった。
あの可愛いリボンのワンピースを着て、レモン色をもっと薄くしたような、綺麗な羽を震わせている。
小さな触覚。小さな手足。小さな羽根。
とても可愛くて思わず手を差し入れたら、私の爪先よりも小さなちっさーの手が、けなげに人差し指を握ってきた。
ここから出して、と言われてるみたいだ。


もうずっと昔、私は幼稚園で捕まえたモンシロチョウを虫かごに入れて家にもって帰ったことがあった。
図鑑を読んで、えさを調べて、一生懸命お世話をしたけれど、モンシロチョウはすぐに弱ってしまった。
泣きながらお母さんに助けを求めると、お母さんは私をなぐさめながらこう言った。

「ちょうちょはね、せまいところでは生きていけないの。お花がたくさん咲いてる広いところに、帰してあげよう。」


お母さんと手を繋いで、ベランダからモンシロチョウを外に出してあげたあの日のことは、なぜか今でもはっきり覚えている。
風に煽られながらどんどん遠ざかる白い羽を眺めて、私はどんなに大切にしていても、ひとりじめはできないものがあるということを学んだ。



そっか、ちっさーは今ちょうちょだから、ちゃんと自由にさせてあげなきゃいけないんだね。
「ごめんね。」

籠の鍵を開けて、人差し指にしがみついたままのちっさーを外に出してあげた。

これでよかったんだ。私は空っぽになった籠を見つめて、不思議と幸せな気持ちになっていた。

“メールだよ!メールだよ!”

着信音で、私の意識は現実に引き戻された。

喉がヒリヒリして、瞼が痛い。
時計を見ると、もうすぐお昼になるぐらいの時間だった。
今日は休日で仕事もない。
普段なら学校の友達や、えりかちゃんや愛理と遊びに出ているところだけれど、今日はとてもそんな気分になれなかった。

ちっさーと私がレッスンの合間に大トラブルを起こしたのは昨日のことだった。
私は大泣きして、自分で立ち上がれないほどに打ちのめされてしまったから、そのままタクシーで自宅に送り届けられた。
私の家につくまでえりかちゃんが側にいて、ずっと手を握ってくれていたけれど、ちっさーはあの後どうしたんだろう。
みんながついていたから、きっと一人ぼっちではなかっただろうけど。

「まだ泣いてるのかな・・・」

私を睨んでいたちっさーの顔が、後悔と悲しみに染まっていくあの瞬間を思い出すだけで、また涙が溜まってくる。
ちっさーが本当に、私のことをエッグだから区別していたのかなんてもうどうでもいい。
そんなことより、優しいちっさーにあんな顔をさせてしまったことが悔しくてしかたがなかった。

さっきの夢の中みたいに、早くちっさーを解放してあげればよかった。

少し時間を置いたら、ちっさーは私のことを許してくれるだろう。
でももう私たちは二度と心から笑い合えないかもしれない。

「ちっさー・・・ちさと・・・」

枯れるほど流したはずの涙が、まだボロボロとほっぺたをすべり落ちていく。
それを乱暴にぬぐいながら、さっき来たメールを見ようと、まだ着信ランプの光っているケータイに手を伸ばした。


「栞菜ー。ちょっと」
その時、ちょうどお母さんが私を呼ぶ声がした。
何だか急いでるみたいだから、とりあえずケータイは置いてリビングに向かった。


「・・・・えりかちゃん。」

リビングのガラス扉に背中を向けて配置されたソファに、お母さんと楽しそうに話しをする見慣れた背の高い後姿があった。

「来ちゃった。ごめんね、連絡もしないで。」
「ううん。・・・栞菜の部屋、行こう。」


こんな私にも、まだこうやって訪ねて来てくれる人がいるんだ。
そんなことを思ったらまた泣きそうになってしまって、私は早足で部屋に戻った。

「タピオカジュース、買ってきたんだよ。栞菜ここの好きだって言ってたでしょ。」
返事ができない。
何か言ったら感情が溢れてしまいそうで、私は必死で歯を食いしばった。

「栞菜。」
えりかちゃんはいつもと変わらない態度で、私の横に座って、髪を撫でてくれた。

気持ちが押さえきれない。

「私、ちっさーにひどいことした・・・もう自分が嫌だ。」
言葉を吐き出すとともに、えりかちゃんの胸に飛び込んだ。

「栞菜、大丈夫。栞菜が思ってるよりずっと、みんな栞菜のことが大好きなんだよ。ちっさーだって同じだよ。」
「でも、私は・・・」
「何があったのかはわからないけど、本当に意地悪な人はそうやって自分以外の誰かのために泣いたりできないよ。ウチは栞菜の優しいとこ、たくさん知ってる。そんなに自分を責めたらウチも悲しくなっちゃうよ。」

えりかちゃんの言葉全てが心に沁みて、悲しいのと嬉しいのがごっちゃになった涙が次から次へと溢れた。


ひとしきり泣いて落着いてから、えりかちゃんの持ってきてくれたタピオカジュースを2人で飲んだ。
丸くて甘いつぶつぶが、疲れた喉を優しく撫でるように通っていくのが気持ちいい。
女の子には時々甘いものが必要だって何かの歌にあったけれど、確かに今の私にのささくれた心も、優しくてとろけるような甘い味を求めていたみたいだ。
少しずつ気持ちが落ち着いていく。
今なら、冷静に話ができそうだと思った。

「えりかちゃん、栞菜の話、聞いてくれる?」



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