放課後、化学の先生にこってりしぼられてから、私は中等部の校舎に向かった。
もちろんお目当てはお嬢様だったのだけれど、どうも姿が見当たらない。

「あのー、千聖お嬢様は?」
近くにいた女の子のグループに声をかけると、なぜか「キャッ!」と悲鳴を上げられてしまった。

「え、何?」
私の顔を見て、ヒソヒソと何か話し込んでいる。なんだなんだ、気になるぞ。

「あ、だだ大丈夫です!あのなんでもないです!えと、千聖お嬢様なら、もうお帰りになったみたいですけど。
もしかしたら体調が悪かったのかもしれないです。何か、お昼明けの授業からずいぶん元気がないみたいでしたし。」
「そっか、めずらしいなあ。うん、それならいいや、ありがとう。それじゃあ・・」
「あの!わ、私たち、えりか様のファンなんです!あの、お話できて嬉しいです!えりかお姉さまって呼んでもいいですか!」


ビッターン!


あまりのことに、私は腰を抜かして廊下にお尻をついた。え、えりかお姉さまて!

「大丈夫ですかお姉さま!」
「ちょ、え、な、何をいきなり!」

差し伸べられた手を取るのが恐ろしくて、私はまぬけな格好であとずさった。

「ご存知ないですか?えりか様は美人で聡明で凛々しいから、中等部にもいっぱいファンがいるんですよ。」
「いや、そんな、ファンとか」

実は心当たりは少しだけある。たまに靴箱に手紙が入っていたり(憧れてますというような内容)、誕生日に机の中にプレゼントが突っ込まれていたこともあった。
でもこんなにストレートに話しかけられたのは初めてだったから、かなり動揺してしまった。

「う、嬉しいけど・・・ウチはそんな、全然凛々しいタイプじゃないよ。それにすぐ泣くし、勉強もできる方じゃないし。」
「まあ、お姉さまったら奥ゆかしいんですね!」

困惑する私を無視して、彼女達は盛り上がっている。・・なんだろうな、好意を持ってくれるのは素直に嬉しいんだけれど、モヤモヤする。いくら憧れてくれても、私、そういう風には振舞えないよ。

お嬢様も学園で毎日こんな思いをしているのかな、なんてふと思った。
明るくて無邪気なもともとの性格を押さえ込んで、みんなが望んでいるお嬢様として生活するというのは、きっと辛いことなんだろう。


「お姉さま、またいらしてくださいね。」

手を振って見送ってくれる彼女たちのことを邪険にもできず、私は複雑な気持ちのままお嬢様のいない教室を後にした。
料理クラブに顔を出そうと思っていたけれど、今日は休んでお屋敷へ行くことにした。何となく千聖お嬢様のことが気になっていた。



「あれ・・・」

寮までの林道をのんびり歩いていると、前方のベンチに小さな人影を見つけた。

「・・千聖お嬢様?」

ほんの少し前で声をかけてみる。でも、お嬢様は私の呼びかけには反応しなかった。


「お嬢様?」
「・・・」

目の前まで来てもう一度名前を呼ぶ。それでもお嬢様は動かない。
私は怖くなって、お嬢様のほっぺたに触れた。・・冷たい。ずいぶん長い間、ここにいたのかもしれない。
いつもは小さい子みたいにくるくる表情の変わる瞳が、完全に焦点をなくしてしまっている。何の表情もないその顔を見ているのが辛くて、私はお嬢様をギュッと抱きしめた。


「・・・・・えりか、さん」


しばらくたってから、お嬢様はうわごとみたいに私の名前を呟いた。いつもだったら抱きしめられるのを嫌がるだろうに、無気力に私に身体を預けたままだった。


「お嬢様、お迎えの運転手さんはお呼びにならなかったんですか?1人で帰っては危ないですよ。」
「・・あぁ・・・そうだったわね。」

まるで夢の中にいるように、お嬢さまの口調には覇気がない。

「何かあったんですか?ウチでよければ話を聞かせてください。」
「・・・・いいえ、何も。あの、体調が悪くなってしまって・・・そう、だから、生徒会のお手伝いもいけなくて、ごめんなさい。」

全く抑揚のない喋り方。お嬢様は台本でも読んでいるみたいに淡々と言葉を漏らした。

何かをごまかしている風ではなかった。どちらかというと、起こった出来事のあまりの衝撃に、心がついていっていないような・・・

「お嬢様、ここは寒いですから、一緒にお屋敷に帰りましょう。運転手さんにはウチから連絡します。」
「そう・・・ありがとう」

私はお嬢様の肩を抱いて、お屋敷に連絡をしながら歩き出した。
お屋敷まで5分もかからないはずの道のりが、とても長く感じられる。
お嬢様は時折足をもたつかせながらも、けなげに私と歩調を合わせてくれた。

いったい、何がお嬢様をこんな状態にしてしまったんだろう。こんなに近くにいるのに、私はお嬢様の心に触れることができない。


「もう、ここまでで大丈夫よ。ありがとう、えりかさん。」
「お嬢様・・・」

お嬢様は結局私の目を一度も見てくれないまま、お屋敷の中へ入っていってしまった。



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最終更新:2013年11月21日 23:51