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「もう、気が済んだでしょ。離して」

だけど、そんな幸せな気分は、千聖の憮然とした声で打ち砕かれた。あんまり聞いたことがないようなその声色に、私は不安を覚えた。
抱きかかえるようにして体を起こすと、ちょうど向き合うような体勢になる。千聖は完全に無表情だった。いつも喜怒哀楽がはっきりしていて、顔を見れば機嫌がわかるはずなのに。緊張で、喉がキュッと音を立てた。



「千・・・」
「これ、外して。痛い。」
「あ、あ・・・うん」


まだ喋り方は淡々としていたけれど、千聖は眉間に皺を寄せて不快そうに体を捩った。例えネガティブな感情でも、まだこうして意思を表してくれた方が安心する。私は少し安心感を覚えて、急いで机の上の鍵を取った。


「・・・」


手錠が解ける。自由になった右手をさすりながら、千聖はじりじりと私との距離を離していく。



「・・・・・・何か、こういうこと、無理やりされるっていうのが、どういうことかわかった。」
「千聖、」
「そんなのわかりたくなかったけど。怖かった。本当に。嫌だったんだよ」


まるで独り言のように、千聖はスカートの乱れを直しながら淡々と話し続ける。



「ごめ・・・」



「謝るぐらいならさぁ、最初からやらなきゃいいじゃん」
「ごめん」
「だからさぁ」


苛立つような口調。そのまま怒ってくれたほうがまだマシだったけれど、千聖の目には涙がいっぱい溜まっていた。それで私は今更、自分のしでかした事がどういうことなのか、やっとわかった。

こんなことはするべきじゃなかった。千聖の煮え切らなさや私への甘さにつけこんで、結果的にひどく傷つけた。
「私はおもちゃじゃない」そう言って嫌がっていたのに、私はわざと聞き流した。どんなことをしても、千聖は最後には許してくれると思っていたから。えりかちゃんへの対抗心や、自分の中で膨らんでいた欲望を解消するために、自分の意思を貫いてしまった。


「・・・・帰る。」

気まずい沈黙の後、千聖はポツリとつぶやいた。


「待って。ママに車出してもらうから」
「いい。一人で帰りたい。」
「でも、その方が不自然だから。お願い、送らせて。」


必死で食い下がると、千聖は小さくため息をついてうなずいてくれた。



どうしよう。私がバカだった。
お嬢様の千聖を泣かすのはもちろん嫌だったけれど、正直この千聖に嫌われるのはもっと大打撃だった。冷や汗が吹き出る。



帰りの車の中で、千聖は一度も私の顔を見てくれなかった。ママに話しかけられた時は普通にしていたし、私が話しかければ答えてくれたけれど、私の胃は余計にキリキリ痛むだけだった。



「・・・あ、この辺でいいです。ありがとうございました。」
「そう?それじゃあ、気をつけてね」
「はい。」

「千聖・・・」
「舞ちゃん、明日頑張ろうね」


千聖は早口でそう言うと、さっさと車を降りて歩いていってしまった。信号を渡って、小さな背中がどんどん遠ざかる。

どうしよう、どうしよう。時間を元に戻せるなら、どうか今日舞の家に来る前までタイムワープしたい。いや、むしろなっきぃとエッチビデオを見てしまったあの時まで・・・


「喧嘩でもしちゃったの?どーせ舞が千聖ちゃん怒らせちゃったんでしょ」
「うるさいな」


勘のいいママが、今はちょっぴり憎らしい。私はブランケットでバサッと体を包むと、フテ寝を決め込むことにした。・・・でも頭が興奮していて、ちっとも眠くならない。

さっき、ちょっと泣いてたな。そういえば、千聖は基本的に、マジギレというのをできない性格だった。怒ると泣いて凹んじゃう、なんて自分で言ってたぐらいだ。私は誰よりもそのことをわかっていたはずなのに、あまりにも思いやりのない行為だった。
千聖は長女のわりに甘えん坊だと思っていたけど、本当にワガママでガキなのは自分のほうだって、こんなことになるまで気がつけなかったことが情けない。

明日はゲキハロ初日なのに、果たして私も千聖も大丈夫だろうか・・・


翌日。

「おはよ・・・」
「あら、おはようございます、舞さん。」

だけどそんな心配とは裏腹に、舞台上でなっきぃと台本の読みあわせをしていた千聖は、私の姿を捉えると、ぴょこっと頭を下げて微笑んだ。
キャラはお嬢様に戻ってるんだ。私は一瞬、千聖が昨日のことを覚えていないんじゃないかという期待を覚えた。でも、


「千聖・・・」
「あ、舞美さん。この台詞の間についてですけれど・・・」
「ねえ、」
「ごめんなさい、今ちょっと。愛理、このシーンの立ち位置を・・・」


調子付いて話しかけようとすると、プイッと違う人の所へ行ってしまう。一見本番に備えての確認に奔走しているようにも見えるけれど、よく聞けばさほど重要なことを話してわけでもない。
それこそ、長年の付き合いだからわかる。千聖は明らかに私を避けている。心が重く沈んでいく。


「舞ちゃん、大丈夫?」


そんな私の様子にいち早く気づいてくれたのは、えりかちゃんだった。

「うん・・・」
「千聖、ちょっと変だね。何かあった?」

普段はおふざけ仲間で、誰よりもはしゃいじゃうところがあるえりかちゃんは、こういう時は意外に年下組の様子を見ていてくれている。


「うん・・・・」

えりかちゃんは恋敵だけど、それ以前に私の大切なおねえちゃんだ。弱ってるときに優しくされたら、そりゃあ甘えたくなってしまう。


「舞、千聖にひどいことしちゃった。千聖が何でも許してくれるって思い込んで、怒らせちゃったの。でも、普通に謝るんじゃ足りないっていうか、どうしようもない気がして。」

内容が内容なだけに、あんまり詳しくは言えなかったけれど。それでもえりかちゃんはこんな端折った説明だけで「ふーん。そっか。」なんて言ってうなずいた。

「え・・・今のでわかるの?」
「何となくね。可愛い妹たちのことですから。」

そう言って、私の頭を肩に乗っけてくれる。

「きっと、千聖は舞ちゃんが何を考えてるのかわからないんじゃないのかな。」
「わからない・・?」
「ウチの予想だと、舞ちゃんはきっと、何の説明もなしに、いきなり千聖にワガママを言った。もしくは、何か強引にやらかした。」
「・・・うん。そうだと思う」

えりかちゃんの声は柔らかくて、それでいて頼もしい。心の中を見抜かれてしまうのは恥ずかしくて嫌な事のはずなのに、優しさが自然に染み入ってくる。

「もう、だめかも。ある意味犯罪者だもん、舞。」
「ええ???」
「だって・・・」

こういうの、何て言うんだっけ。セクハラ罪?痴漢罪っていうのはあるのかな。とにかく、そういうヘンタイ系の罪になることは間違いない。

「いや、まあ、でもさ。今ならまだ大丈夫だと思うよ。そんな、犯罪者だなんて怖いこと言わないでよ舞ちゃん。」
「そうかな」
「千聖はあれで、結構臆病なとこあるから。今は何がなんだかわからなくて、怖がってるんだと思うよ。だから、舞ちゃんが思ってること全部伝えて、安心させてあげてほしいな。ほら、今だって千聖、すっごい舞ちゃんのこと気にしてる。」


えりかちゃんがこっそり指差す先にいた千聖は、なるほど確かに私たちの方をチラチラ観察している。目が合うと、すぐに背中を向けてしまったけれど。


「あれは、えりかちゃんの方を見てたんじゃないの・・・」
「違うよ。舞ちゃんだよ。ウチとは視線がぶつからなかった」
「そう・・?そう、かな」
「そうだよ」


えりかちゃんはそこで大きく体を伸ばすと、「さ、ウチらも最後の確認しよ?」と私を促してくれた。


「ちゃんと、後で千聖と2人っきりで喋れる場所確保してあげるから。」
「本当?」

えりかちゃんは不敵に笑うと、「千聖ー!読み合わせやろう!」と千聖を手招きで呼んだ。


「ん?何で笑ってるの?」
「んーん。別に。・・・えりかちゃん、ありがとうね。」
不思議な感覚だ。やっぱり敵わないな、って思ったのに、うれしいなんて。悔しいから、それは言ってあげないけど。

ついこないだは舞美ちゃんに励ましてもらって、今日はえりかちゃん。みんな心配してくれてるんだから、ほんとにちゃんとしないと。


「さ、集中集中!」


ほどなくみんなも集まってきて、自然に全体の最終確認になる。


大丈夫。今は、やるべきことに集中して。


「舞ちゃん、次舞ちゃんだよ!」
「あ、ごめんごめん!」


私はほっぺたを2回ペチペチ叩くと、みんなの読み合わせに追いつくべく台本に目を通した。



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