1日目の業務は、同僚となるメイドさんたちへの自己紹介、清掃用具等各種備品の配置、舞波さんから私への引継ぎ等で終了した。お嬢様は朝食の後また睡眠を取られてしまって、その後もすれ違いが続いてしまったため、挨拶はできなかった。


「はー、疲れたぁ。」
「ふふ、お疲れ様です」

午後18時30分。終業時間。

10畳程の部屋に、私と舞波さんは並んで腰を下ろした。
ここは住み込みのメイド専用のお部屋。舞波さんが出て行く日まで、2人で共有させてもらうことになっている。


「とりあえず、楽な格好に着替えましょうか」


舞波さんはよっこいしょと立ち上がると、おもむろにエプロンを外して、ワンピース型のメイド服を一気に脱いだ。


「うわあ」
「えっ?」


意外と胸大き・・・じゃなくて、こんなおとなしそうな顔して、何て大胆な!舞波さんはお口あんぐりな私の顔を見て、「あっ、そっか」何てつぶやきながら、そそくさと私服のワンピースに着替えた。


「ごめんなさい、私、ちょっとおかしいみたいで」
「おかしい、って」

私もパーカーにハーフパンツという楽チンな格好に着替えつつ、舞波さんの話の続きを待つ。


「なんていうか、人と恥ずかしがるポイントとか、笑ったり怒ったりするポイントが違ったり。今もそんな感じなのかな・・・私はあんまり、人がいても平気で着替えたりしてしまうけど、やっぱり普通は隠しますよね?」


「いや、えーっと・・でも、そんなに気にしなくてもいいと思うけど」

その横顔があんまり寂しそうに見えたから、私は慌てて言葉をつないだ。

「私の友達・・・だった子にも変わった子はいますよ。すっごい可愛くてオシャレなのに、好きな食べ物がスルメだったり、チー鱈とかおつまみ系ばっかりなの。私自身も、自覚ないけど、結構考え方おかしいって言われるし。
だから、うーん、何かよくわからないけど、別に気にすることはないと思うんですけど。さっきはびっくりしちゃっただけで、引いたとかそういうことでもないし」


自分でも何を言いたいのかよくわからないけど、この人の悲しそうな顔というのはあんまり見たくない気がして、必死にフォローしてしまっている。
そんな私を、目をパチパチさせながら見ていた舞波さんは、やっと表情を崩して笑ってくれた。


「優しいんですね。」
「いや、全然。私なんて、本当ワガママで・・・」
「めぐさんは、お嬢様に似ているのかも。めぐさんと話してると、ちゃんと笑ったりできる」

舞波さんは大きな出窓まで移動して、その縁に腰掛けて私に向き直った。どっちかと言えば童顔な可愛らしい顔が、うっすら暗くなってきた夕闇の中で、憂いを感じる大人びたものに見える。



「私ね、宇宙人なんです」
「え?あはは・・・」

私の乾いた笑い声は、舞波さんの真剣な顔を見ていたら、すぐにしぼんでしまった。


「だから、もうずっと黙っていようと思って。なるべく存在を消して、感情も消して、いるんだかいないんだかわからなくなればいいのかなって。宇宙人だと迷惑をかけるけど、透明人間なら、誰にも気づかれないでしょ?」
「ごめん、言ってる意味が」
「このままおとなしく生きていれば、誰にも迷惑をかけないし、自分が苦しむこともない。それが最善のはずだったのに。私はやっぱり弱くて」


どうしよう。舞波さんのこの話の行き先が読めない。淡々と話しているのに、その表情は明らかに思いつめていた。
最初から順序立てて説明してもらえる雰囲気でもない。かといって、今口を挟んで止めることもできない。私は両膝の上で拳を作って、ただじっと見守ることしかできなかった。


――♪♪♪

その時、張り詰めた部屋の空気を破るように、内線電話の軽快な音が鳴り響いた。


「あ・・・で、出ます」

私は慌てて立ち上がると、何もないところで蹴っつまずきながら、ヨロヨロと電話を取った。


「はい、村上です」
“・・・あ・・・・あの、私、です。えと、”

ちょっと鼻にかかる声。フガフガした舌ったらずな喋り方。

「千聖お嬢様、ですよね?」
“え、えぇ、そうよ。勤務外時間にごめんなさい”
「いいえ、今、舞波さんに代わりますね」
“あ・・・違うの。舞波ちゃんじゃなくて、村上さんに”
「私ですか?」
“今、千聖の部屋に来ていただけるかしら?もう私服に着替えているなら、そのままで結構よ”
「でも・・・」


私はチラリと舞波さんの方を伺った。あんな状態の彼女を、一人にしておくのは気が引けた。

“行ってあげて”

だけど、再び目を合わせた舞波さんは、もういつものおっとり優しい顔に戻っていた。口パクで私を促すと、エクボを見せてにっこり笑う。


「・・・・わかりました。参りますので、少々お待ちください。」

お嬢様が受話器を置く音を確認してから、私も電話を切る。

「千・・・お嬢様に、呼ばれたんでしょう?行ってあげてください。お嬢様、とても寂しがりなんですよ。・・・さっきは、ごめんなさい。もう平気ですから。」
「・・・はい。それじゃ、ちょっと行ってきます。」

少し照れくさそうに鼻の頭をかく舞波さんの表情で、私は、とりあえずもう大丈夫だと判断した。・・・・というか、一人になりたいのかな、ってなんとなく思ったのもあった。


スリッパの音を派手に立てないよう、廊下では小走り以上のスピードを出さないよう気をつけながら、私は舞波さんにもらったお屋敷の地図を片手にお嬢様の部屋を目指した。




「・・・遅かったのね。」

迷路のように入り組んだ(というか私の方向感覚のせいだけど・・・)お屋敷中をさまよって、やっとたどり着いた部屋の前には、腕組みをしたお嬢様が待っていた。

「すみません、迷ってしまって。」
「まあ。初日ですものね、千聖のおうちは広いから。さあ、中に入って。今、お茶を入れてもらうから」
「いえ、そんな、おかまいなく。私はメイドですし」
「今は違うわ。勤務時間を過ぎたら、千聖のお客様よ」
「はぁ・・・」


どうやら、子供っぽいとばかり思っていたお嬢様は、公私をしっかりわける分別がきちんとついていて、案外しっかりしたところもあるらしい。


そりゃそうか、一面に触れただけじゃ、その人の全体像なんてつかめるはずもない。ふと、さっきの舞波さんのことが頭をよぎった。


「そちらに座って。」


シンプルだけど、重厚でセンスのいい調度品に見入っていると、後ろから軽く服を引っ張られた。
促されるままに、アイボリーの大きなソファに腰掛ける。うわ、体が沈む。これは相当な高級品だろう。ちょっと緊張して、背筋が伸びる。


「あ・・・あの、ご立派な調度品ですね。この応接用のソファも、大きくていっぱい人が来ても大丈夫そう」
「・・・そんなにたくさん、お客様が来てくれることなんてないわ。学校にも、お友達はほとんどいないから」
「えー・・・と」


つい先日は、キャンキャンほえる子犬みたいに、私を威嚇していたお嬢様。なのに今日は打って変わって、なんだかしおらしい。


「初日のお仕事は、どうだった?舞波ちゃんは、村上さんはとても優秀で飲み込みが早いとおっしゃっていたわ。」
「恐れ入ります。まだ不手際もたくさんあると思いますが、明日以降もこちらで働かせていただけたら幸いです。」
「そう。」


自分から振った話題なのに、お嬢様はつまらなそうな顔をしている。


「あの・・・」
「なぁに?」
「何か、お悩みになっていることでも?」
「まぁ・・・どうして、そう思うの?私は村上さんを、お茶に誘っただけかもしれないのに」

レモンティーをかき混ぜていた、丸っこい指が止まる。黒目の大きな、茶色がかった瞳がこちらに向けられて、私は少しドキッとした。

「新人の、今日から勤務の私を、いきなり誘ってくださるとは思えません。それに、お嬢様は何だか寂しそうです。」
「寂しい・・・?あぁ、そうかもしれないわね。」

お嬢様はあいまいに笑うと、少しだけ私のほうへ体を寄せてきた。


「舞波ちゃんが、村上さんは鋭いって言っていたけれど・・・本当にそのとおりね。確かに、雑談のためにここへ来てもらったわけじゃないの。お願いがあって。」
「お願い、ですか。」


小さな唇から、ため息がこぼれる。一瞬伏せた目をまっすぐ私に向けると、お嬢様はよく通る声で言った。



「村上さん、舞波ちゃんを引き止めて。」




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最終更新:2011年02月12日 18:37