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数分後、綺麗にラッピングされたキーホルダーを受け取って、私とえりかさんはお店を出た。

「ちょっと歩くけど、いい?」
「ええ。どちらへ連れて行ってくださるの?」
「ふふ。着いてからのお楽しみだよ」

えりかさんは慣れた様子でショッピングストリートの横道に入ると、私の手を取って坂道を上り始めた。

この辺一帯は高級住宅地らしく、デザイナー物件のような個性的な邸宅から、煉瓦造りの重厚な家屋まで、さまざまな豪邸が軒を連ねている。
のどかで落ち着いた風景に、穏やかな表情のえりかさんが溶け込む。まるで、絵画のように美しい光景だと思った。


「もう秋なのに、暑いね。・・・延び延びになっちゃってごめんね。ウチが旅行に誘ったのに」
「いえ、そんなこと・・・いいんです、私。いっぱい構っていただけて、それだけで幸せですから」


本当は、ゲキハロが終わったらすぐに旅行に行くつもりだった。だけど、私の学校の期末試験や夏のツアー、ハワイの準備でオフの時間が合わず、結局、今日――9月の上旬にまで延びてしまっていた。

私はえりかさんのそばにいられるだけで、十分に幸福だと思える。
だから、都合がつかなくて中止になってしまっても、ちゃんと割り切れるつもりでいた。でも、えりかさんはちゃんとこうして私のために時間をくれた。本当に、幸せなことだと思う。


「ハー、ハー、まだ坂道続くけど、大丈夫?ぜぇぜぇ」

思ったより坂は長くて、まだ疲れてはいないけれど、少し額に汗が滲んできた。
えりかさんは軽く舌を出しながら、疲労困憊といった顔で私を見つめた。

「ウフフ。千聖は大丈夫ですよ。ウフフフ」
「もー、ハァハァ、梅さん年だからさー、千聖は本当体力あるよね、ゼーゼー」

おおげさな呼吸に、2人で同時に笑い出す。私もえりかさんの真似をしてみせたりして、はしゃぎながら坂道を歩いた。
えりかさんは本当に優しいと思う。いつも周りに気を配ってくれて、私は昔から幾度となくえりかさんに救われてきた気がする。

えりかさんが、キュートを卒業する。

それを初めて聞いたのは、本当にずいぶん前のことだった。それこそ、私が頭を打つ前のことだったかもしれない。
スタッフさんたちやえりかさんの配慮でもあったんだろう、「今すぐじゃなくて、もっと後の話だけど」という形でのお話だったから、現実のこととして、しっかり認識できていなかったように思う。
だから、漠然と“辞めないでほしい”とか“もしかして、そのうち気が変わって残ることになるんじゃないか”という願望は持っていたものの、最近まで実感を持てないままでいた。

だけど、その日が少しずつ近づいてくるにつれ、私はそれが現実に起こることであり、そしてもう、えりかさんを止めることは絶対にできないのだと本能的にわかってしまった。

えりかさんは、簡単に思いを口にする人ではない。
そして、どれだけキュートのことを愛してくれているのか、舞美さんも早貴さんも愛理も舞さんも、私もよく知っている。そんなえりかさんの大きな大きな決断が、今更覆るはずもない。
引き止めてつなぎとめられるぐらいの意思なら、えりかさんは何も言わず、多少無理してもキュートに残ってくれたはず。
だから、もう私にできることは、えりかさんが笑って旅立っていけるように、残された日々を一緒に笑って過ごす。それだけだと思った。


「千聖?」

急に黙ってしまった私を気遣うように、えりかさんの足が止まる。

どうしよう、今日は楽しく過ごそうって決めたのに。急にあふれ出した感情を、塞き止めることができない。


「・・・どうしたの?」

「あ・・・・あの、何か、私、走りたい・・気分なのでっ・・・ちょっと先に行ってますねっ」
「ちさ・・・」


優しい手を振り切って、私は急な坂道を大またで駆けた。


呼吸が乱れる。視界が霞んで、唇が震えているのがわかる。


前の私は悲しいことがあると、えりかさんに思いをぶつけて、優しく慰めてもらっていたらしい。今でもなんとなく覚えている。
頭を打って性格が変わってからは、自分のことがわからなくなって、不安でたまらなくて打ちのめされそうになるたびに、えりかさんはいつも心も体も受け止めてくれた。
でも、もうすぐその温もりは消えてしまう。


あと何回、こうしてえりかさんの優しさに触れられるだろう。
あと何回、2人きりで会うことができるのだろう。
あと何回、私はえりかさんの手に――


「千聖!」

坂を上りきって息を整えていると、思っていたよりもずっと早く、えりかさんの足音が聞こえてきた。

「ほ・・ほんと、足、速っ・・・」

走るのはあまりお好きではないと言っていたのに、えりかさんはひどく呼吸を乱してまで、私を追いかけてきてくれた。
メイクをしていない日でよかった。
私はほっぺたにこぼれていた滴を拭うと、えりかさんに向き直る。

「ごめんなさい、何かテンションが上がってしまいました。」とはにかんでみせた。大丈夫、まだ笑うことぐらいはできる。
「・・・千聖」

私の大好きな、えりかさんの色素の薄い瞳が揺れた。声をかけようと口を開く前に、顔に柔らかなものが押し付けられた。
同時に、背中を痛いぐらいに絞られるような感覚を覚える。――抱きしめられた、と理解したのは、数秒遅れてからだった。金縛りにあったように、身動きがとれない。

坂の上は人通りの多い道路沿いの道で、道ゆく人が、私たちを興味深そうに見ながら通り過ぎていく。バスのクラクションの音や、同年代の女の子の楽しそうな集団の笑い声が、どこか遠くの音の様に、非現実的に感じられた。


「えりか、さん」

やっと搾り出した声に、えりかさんの細い指がピクンと反応した。

「・・・ごめん。息切れが収まんないから、千聖にしがみついちゃったよ。ほら、苦しすぎてなみだ目になっちゃった」
「ウフフ。そんなに無理なさらなくても。千聖、ちゃんとここで待っていたのに。」

私たちは、お互いに何も言わなかった。
私の鼻が真っ赤になっていることも、えりかさんのマスカラを滲ませる涙の理由も、今はまだ触れてはいけない気がした。


「・・・・えりかさん、行きたいところがおありなのでしょう?ここから、どちらに歩けばいいのかしら」
「あぁ、ごめんごめん。そっち、左ね。そうそう、全然関係ないけど、この前リハの時舞美がさぁ~」


空気が綻ぶ。
湿っぽいのはやめよう。今日は泣くために会いに来たわけではないのだから、えりかさんと2人で過ごせる時間に、素直に感謝しよう。


「ウフフッ、嫌だわ、舞美さんたらそんなことを・・・あら」

雑談で盛り上がりながらしばらく歩いていると、まるでドラマのセットみたいな美しい洋館が何棟か姿を現した。

「綺麗・・・」

閑静で瀟洒な街の雰囲気を、より一層引き立たせるような空間。生い茂る木々から木漏れ日が漏れて、噴水の傍らでは小さな子供が遊ぶ。とても平和な光景が、広がっていた。

「ウチのお気に入りの場所なんだよ。千聖、好きでしょ?こういう建物」
「ええ、とても。」

「よかった。前の千聖は、全然興味なさそうだったけど。」
「あら、ウフフ。きっと、趣向が変わったんですね」

細やかな細工を施してある、細い支柱。童話に出てくる王女様が、夜な夜な王子様を待つような、丸く大きく迫り出した白いバルコニー。
外から眺めているだけでも、ため息が出るほど美しいそれらの建物に、私はうっとりと見入ってしまった。

「えりかさん、こんな素敵な場所に千聖を連れてきてくださって・・・」
「ん?まだだよ。中にも入れるんだよ」
「えっ、本当ですか!?中に??」

思わず大きな声を出すと、えりかさんは「爆笑ー」なんて言いながらケラケラ笑った。

「お嬢様の千聖も、結構おっきい声出すんだね。よかった、そんなに喜んでくれて」
「あら、そんな、私・・」
「でも、そっか。たしかにエッチな事してるときは大きい・・・」
「もう、えりかさん!早く中を見に行きましょう!」


照れ隠しに、少し強引にえりかさんの腕を引っ張ってみる。笑って応じてくれるのが嬉しい。

「ここから入ろう。最後にあっち見るから」

お気に入りの場所だけあって、えりかさんは慣れた風に洋館へと足を運ぶ。靴を脱いで、「せーの」でドアを開けて。えりかさんの大好きな空間に、私は一歩足を踏み入れた。




「・・・千聖。千聖?」
「・・あ、は、はい。」

どれぐらい時間が経ったのだろう。
空が夕焼け色に染まる頃、散々歩き回った私たちは、自由に座れる椅子が並ぶ窓際のテラスで一休みしていた。

「大丈夫?疲れちゃった?いっぱい回ったもんね」
「いえ、ただボーッとしてしまって・・・ここ、本当にとてもいい所ですね。いろいろ見て回ったものを思い返していたら、口数が減ってしまいました。」
「千聖、あんなにはしゃいじゃって。前の千聖に戻ったのかと思った。テンション上がりすぎだよ」

洋館はどれもシックで優雅な内装で、私は驚きと興奮で何度も奇声を上げたり走り回ったりして、そのたびにえりかさんを笑わせてしまった。


「ごめんなさい。お恥ずかしいところを・・・」
「んーん。貴重なものを見せてもらいました。とかいってw」

えりかさんは軽く笑うと、一枚のチラシを差し出した。ピアノを弾いている女性の影絵と、今休んでいるこの建物の名前が記載されている。


「リサイタル、ですか?」
「うん。今からやるみたい・・・聞いてく?無料だけど、結構本格的なんだってさ」

見れば、すぐ隣に設置されたコンサートホールには、もう大分人が集まっている。きっと人気の催しなんだろう。


「どうする?」
「せっかくですから、聞いてみたいわ」
「うん」


私たちは、ホールの一番後ろの席に移動した。肩を寄せて、さっきのチラシに目を落とす。


「曲目・・・ショパンの、別れの曲。葬送行進曲。・・・なんか、別れの曲ばっか・・・」

そこまで言って、えりかさんはハッと口をつぐんだ。

「ごめん・・・」


私を見る顔に、後悔や憐憫の色が浮かんでいる。


「えりかさん。」

大好きな人の、こんな顔は見たくない。だから私はえりかさんの腕に、体全部で寄り添って甘えた。

「大丈夫です、私。今、幸せです。だから・・・・」
「千聖・・・」


照明が落ちて、遠くのピアノが、優しい音色を奏で始めた。私はそのままの体制で、目を閉じて音楽に身を委ねた。
それは別れを主題にした曲目だけあって、しんみりしていて、でもどこか優しかった。楽器の心得がほとんどない私でも、優雅な調べの心地よさを感じることができる。


――このまま、永遠に演奏が終わらなければいいのに。

そんなかなうはずのない願いが、ふと胸をよぎった。
このまま、えりかさんの隣で、ずっと二人でいられたら。


「このまま・・・」
「・・・千聖?」
「・・・・・いえ、ごめんなさい。」

楽しかったり、切なかったり、悲しくなったり。
一緒にいられる時間を、ただ純粋に喜びたかったのに、私の心はワガママになってしまう。

せめて、今この時間だけは。えりかさんの温もりを、私だけのものに。


最後の一音が、ホールの高い天井に吸い込まれるまで、私はギュッとえりかさんの腕にしがみつき続けた。



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