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「・・・聖」

 ――ん・・・

「千聖」
「んー・・」
「起きなさい、千聖」

体がガクガクと揺さぶられる感覚で、私は目を覚ました。

「お母様・・・」
「千聖にお客様が来てるから、起きて」


時計を見ると、寝付いてから1時間ぐらい経っていた。
丁度、夕食の時間だ。奥の部屋からカレーの匂いと、いつもの家族のにぎやかな笑い声が聞こえてくる。

「お客様は・・・どちらに?」
「ああ、今下の子たちと遊んでくれてる。・・・千聖、調子悪い?」
「いえ・・・大丈夫です」
「それじゃ、リビングにいらっしゃい。先に行ってるから」

お母様はそう言い残して、部屋を出て行った。


「・・どなたかしら」

寝起きでぼんやりしていたせいで、肝心な事を聞き忘れていた。
口振りからして、お母様も面識のある方のようだったけれど・・・。家まで訪ねてきてくださる人で、心当たりがあるのは、中学校の時のお友だちや早貴さんぐらいだ。

「あまりお待たせしては、申し訳ないわね」

深く眠ったおかげで、今はもう、心は落ち着いている。誰かとお喋りすれば、もう少し気持ちも軽くなるかもしれない。
私は髪を整えて、少し腫れた瞼に化粧水をつけた。

リビングに向かう為、廊下に出ると、弾けるような笑い声に混じって、可愛らしい独特の声が響いた。
私は思わず立ちすくんだ。心臓が鼓動を早める。


「どうして・・・」

果たして、このドアを開けていいのだろうか。さっきまでの泣きたくなるような不安感が、胸いっぱいに広がっていくみたいだった。


「・・・あれ?いるし」

丁度、弟がリビングから出てきた。私の顔を見て、不思議そうに首を傾げる。

「ねーちゃん、今さ」
「・・・ええ、わかっているわ」

お顔を見なくても、大好きな人の声はわかる。
こんなところで立ちすくんでいてはいけないと、私は弟の手を握って、その声のする方に歩いていった。


「千聖ぉ」
「・・・・ごきげんよう、桃子さん」

末の妹を膝に抱いた彼女――桃子さんは、いつもどおりの弾けるような笑顔で、私を迎えてくれた。


「変な時間にごめんね、偶然通りかかってさ、千聖元気かなーって」
「あら、嬉しいわ。夕食も、召し上がっていってくださるのよね?ゆっくりなさってね


明日菜以外の誰も、私と桃子さんのさっきのやりとりを知らない。
私も精一杯動揺を隠していたし、桃子さんはいつもの桃子さんらしく、明るい態度でいてくださったから、不穏な空気にはならずにすんだ。

「お姉ちゃん・・・」

テーブルの下で、明日菜の手が私の手を掴んだ。心配そうな顔をしている。本当に優しい妹だと思う。

“大丈夫”


だから、こっそりとそう口を動かす。なんとなく察してくれたのか、明日菜は大きくうなずいてくれた。

その後も私と桃子さんは、ごく平和に会話を広げていった。
明るくて気づかいやさんの桃子さんのおかげで、家族の団欒もいつも以上に盛り上がっていた。


「・・・千聖」

食後、弟たちがゲームに夢中になり始めた頃、ぼんやりそれを眺めていた私の横に、桃子さんが腰を降ろした。

「千聖の部屋に行きたいな」
「え・・・」

さっきまでの天真爛漫な笑顔は消えて、桃子さんは強張った表情に変わっていた。

桃子さんは、真顔の時と笑顔の時では、まるで別の人のように顔つきが変わる。
悲壮感さえ感じるその表情に、私は慌てて服の裾をギュッと掴んだ。


「・・だめかな?」
「いえ、そんなこと・・・。明日菜、桃子さんと2人でお話をしたいから、子ども部屋を貸りるわ」


おざなりに家族に向かってそう呼びかけると、異変を悟られないよう、早足で部屋へ向かった。


「桃子さん。どうぞ、お入りになって」

私は簡単に部屋を整理して、桃子さんを中に招き入れた。

「散らかっていてごめんなさいね」
「ううん・・全然、片付いてるよ」
「・・・」

もうさっきまでの楽しい空気は完全に消えてしまった。二言三言で気まずい沈黙が流れる。


お互い、言いよどんでいる内容はわかっていた。
だけど、だからこそ、どこから切り出せばいいのか全く検討がつかなかった。きっと桃子さんも同じ気持ちなんだろう。


「あの・・・」


意を決して、口を開く。
すると、私が喋りだす前に、桃子さんの手が、私の唇を覆った。

「ん・・・」
「待って、やだ、言わないで」


ゆっくりと顔を上げた桃子さんは、下唇を噛み締めて、さっきよりもさらに辛そうな顔をしていた。


「・・・もぉのこと、嫌いになっちゃった?」


私は慌てて首を横に振った。けれど、桃子さんの目には入っていないようだった。

「ごめんね、嫌われて当然だよね。こんな風に家にまで押しかけて、もぉ何やってるんだろうね。アハハ・・・」


「も、桃子さん!」

だから、私は少しお腹に力を込めて声をだした。
加減がおかしかったのか、ちょっと裏返ってしまったけれど、桃子さんはぴたっと口を閉じて私を見てくれた。

「あの、私、あんなことを言いたかったんじゃなくて、それよりも、私が桃子さんを傷つけてしまって、あ、あのでも、私が本当にお伝えしたかったのは、えと、まずは私からも謝罪を」
「え?え?ちょっと待って、落ち着いて千聖。ウフフ・・・お嬢様になっても、ふがふがは健在なんだね」

フガフガ言ってる、って皆さんに形容される、私の喋り方の癖。恥ずかしいけれど、今は少しだけでも桃子さんの笑顔を引き出すことができてよかった。


「あの・・・桃子さん」

一呼吸おいて、私は再び口を開いた。

「私は“前の千聖”と違って、思っていることを上手に表現できないかもしれませんが」
「えー、前の千聖だって、何だかよくわかんないこと言いまくりだったけどー?ウフフ」
「もう・・・桃子さんたら」

桃子さんがおどけたようにそう言ってくれたおかげで、なんとなく弾みがついた。
綺麗に纏まらなくてもいいから、今自分の思ってることを、ちゃんと伝えたい。そう思った。


「・・・まずは、先ほど電話で八つ当たりをしてしまってごめんなさい」
「千聖、そのことなんだけど」
「お察しのとおり、桃子さんが進学なさることについてです」


桃子さんの瞳が揺れる。

「ごめんね・・・」

「謝らなければいけないのは、私のほうです。桃子さんのことをスタッフさんから聞いた時、私、とても嬉しかった。
でも、いざその気持ちを桃子さんにお伝えしようとしたら、その・・・急に寂しくなってしまって」
「寂しい・・?」

桃子さんは黙り込んだまま、私の言葉を聞いてくれた。
こうして思いを告げさせてもらうことで、私自身も、改めて自分の気持ちと対峙することができる。

「ええ、語弊があったらすみませんが、・・・取り残されてしまうような気がして。私自身も、最近将来の事についてよく考えるようになってきて・・・いろいろ不安な気持ちを、ぶつけてしまったんだと思います。本当にごめんない。でも、私は・・・」

「わかった。もういいよ千聖」

ふいに、桃子さんの腕が、私の体を包んだ。
言葉を止めて、伝わってくる心臓の鼓動に耳を傾ける。
私と同じぐらい小柄な体は、どこか懐かしい温かさで心が和んだ。


「・・・言い訳になっちゃうけど、聞いてくれる?」

耳元を掠める桃子さんの声は、珍しく不安げな色を帯びていた。

「進学する事、本当はもっと早く、千聖に言いたかったんだ。
でも、去年、いろいろあったでしょ?その・・えりかちゃんや栞ちゃんの卒業、とか」
「ええ・・」
「だから、何か、言いそびれちゃって・・・って、すっごい言い訳がましいね。かっこわる」

私は背中に添えた腕に、少し力を込めた。


「・・・千聖のこと、そんなに気づかってくださっていたのね。それなのに私、勝手なことを言って」
「違う。もぉが悪いんだってば」
「いいえ、千聖が子どもなのがいけなかったの」
「いーや、もぉだから」
「違うわ。千聖よ」
「もぉ!」
「千聖!」


「・・・もー、何これ?小学生のけんかじゃーん」
「ウフフフ、もう、桃子さんたら」

緊張感が一気に抜けたせいか、2人して床に寝転がって、お互いの背中をバシバシと叩く。

「本当、変なトコ頑固なのは前の千聖と変わってないね」
「よく℃-uteの皆さんにも言われるわ」
「ウフフ・・・なんか安心した」

桃子さんは目を細めて、私の頭を両手で何度も撫で付けた。
それは友だち同士のスキンシップというより、私自身も弟や妹にするような、慈しむような優しい触れ方だった。
ゆっくり目を閉じて、桃子さんの指の感触に浸る。


「・・・千聖だけじゃなくて、ギリギリまで誰にも言わなかったんだ、大学行くこと。
もぉこれでも変にプライド高いとこあるからさ、受験失敗した時かっこ悪いからさぁ。
――あとは、まぁ、さっきも言ったけど、私も大事な人が急にいなくなっちゃうショックとか悲しさはわかるから。誤解とはいえ、そんな思いは誰にもさせたくなかったの」


大事な人。

桃子さんは、大切な宝物の話をするように、優しい表情で言った。
名前を出さなくたってわかる。それは、その方との思い出は、殊更私たちにとっては特別なものだから。

「そんなに、気を使っていただいて・・」
「あはは、まぁ、もぉがいなくなって、みんなそんなに悲しむとは思わないけどぉ」

自嘲気味な言葉は、照れ隠しの時の桃子さんの癖。

「・・・私は、悲しいです」

だから、私はそう返した。

「千聖ぉ」
「えっと、でも、もちろん桃子さんのこと好きだから、もし今とは違う道を志すようになったのなら、いっぱい応援させていただくつもりです。でもでも、それなら桃子さんの口からはっきり聞きたくて・・・」
「えーっと・・・それは、もぉが今すぐアイドル辞めるって思ってるってこと?」
「え?・・そう、ですね。かいつまんで申し上げるなら」

そう言うと、真顔だった桃子さんの表情がみるみるうちに笑顔に変わっていった。

「やーだ、それはないない!!もぉがそう簡単にこのポジションから退くわけないじゃーん!」
「きゃんっ」

脇腹をつつかれて、思わず変な声を上げてしまう。

「ほらほら、まいったか!」
「あっ、そんな、そこはだめですっ桃子さんたら!」
「・・・まだまだ、もぉはここにいるよ。安心して?」
「桃子さん・・・」

再び私から体を離すと、桃子さんはベッドに寄りかかって、窓の方へ視線を遣った。

「ま、でもさ、人生短いんだから、何でもやりたいと思ったことにはチャレンジしていきたいじゃん。
そのためにも、選択肢を増やしておいたらいいかなぁなーんて」

その少し照れたような、はにかむ笑顔を見ていたら、私も自然と頬が緩んでいった。

「・・・やっぱり、桃子さんは千聖の自慢のお姉様だわ」

「本当?」
「ええ。お話を聞いて、改めて素晴らしいご決断だと思いました。
もしも遠い未来に、千聖に子どもがいたとしたら、桃子先生にご面倒をみていただきたいわ。ウフフ」
「やーだ、どんだけ気が早いの?千聖は面白いなぁ。もぉ先生はスパルタですよー?」

照れ隠しのようにぶつかってくる肩をそっと抑えて、私はもう一度、桃子さんと向き合った。

「・・・言い忘れていた事がありました」
「なぁに?」


「大学進学、おめでとうございます」


桃子さんの目が、丸くなったまま制止する。


「・・・よかった、やっと言えました」
「お・・遅いよ、もう!そんなん、真っ先に言ってよね!あーびっくりした、何言い出すかと思ったらぁ」

弱点だとわかった私の脇腹にまた攻撃を繰り出しながら、桃子さんは「・・・アリガト」とつぶやいてくれた。
そんな仕草ひとつで、私は穏やかな気持ちになれる。


昔、舞さんと小指に結んだ“黄色い糸”。
それが、桃子さんとの間にも見えた気がした。
だから、もう大丈夫。近くにいても、遠く離れていても、桃子さんのことを思うだけで励まされる。


「んー・・・」
「ん?どしたの、千聖」

急に生欠伸をかみ殺した私を、桃子さんがびっくりした顔で見つめている。
「あ・・・大丈夫、です。でも、ちょっとだけ、待ってて・・・」

瞼が重くなってきて、急激に頭がぼんやりしてきた。・・・どうやら、もう一人、桃子さんに会いたがっている“元気な娘”が私に交代を要請しているみたいだ。

「千聖ぉ?」
「ウフフ・・・」

次に目を開けた時、驚きと喜びで私を抱きしめる桃子さんを想像しながら、私はとても幸せな気持ちで、つかの間の眠りについた。


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