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すぴー、すぴー


――なんてこったい。

お手洗いを借りる間のほんの3分、目を放した隙に、この部屋の主はすっかり眠りの国にいざなわれてしまっていた。


“お嬢様のお勉強を見てあげて”

家族と出かける用事があるというなっちゃんからそう依頼を受けて、土曜の午前中から張り切ってここを訪れたというのに、千聖は全くやる気を起こしてくれなかった。

理由はわかっている。単純に、朝が弱いこと(っていってももう10時30分なんすけど)。それから、私が来たせいで、ワンちゃんたちのお散歩をあっすーに取られてしまったこと。
あとは・・・高校生になってなお、中坊の私に勉強を習うというのが気に入らないっていうのもあるんだろうけど。
どうやら、もぉ軍団の残党にからかわれたらしい。まったく、舞の千聖だっていうのに、みんなが寄ってたかって余計なこと言うんだから!


「千聖、起きて」
「ん・・・んー・・・」

テキストの上に顔を伏せてる、犬の赤ちゃんみたいなそのお姿は可愛くてたまらないけど・・・私だって、なっちゃんに頼ってもらった以上、任務を果たす責任というものがある。
肩に手を置いて強めに揺さぶるけれど、ウーウーとむずかるだけで顔を上げてはくれない。

「千聖ってば!」
「もぉ・・・静かにしなしゃい、舞ったら・・・ちしゃとはねみゅいのよ・・・」


――全然ダメだ。このまま頑張って起こしたとしても、超不機嫌で下手すりゃベソベソ泣き出すかもしれない。
作戦変更。私は唇の両端を無理やり引き上げて、不慣れな作り笑いで千聖に顔を近づけた。


「ちーさーとちゃんっ。勉強しましょうよぉ~」
「・・・」
「ねぇ~ん、千聖ちゃんてばぁ~起きてくださぁい」

参考人物は、愛理やえりかちゃん。ああいうふんわりした優しさで包んであげれば、機嫌を直してくれるかもしれない。
そう考えて、自分でもオエッてなるような甘ったるい声を出してみたら、千聖の肩がぷるぷる震えだした。

「ふふ・・・うふふふふ」
「千聖?」
「もう、やめてちょうだい舞ったら。ウフフフ、どうしたっていうの、その声色は」
「うわっ」

千聖がいきなり顔を上げたもんだから、珍しく超至近距離で目がバチッと合う。
スキンシップ嫌いな千聖と、こんなに近くで見つめ合えることなんてめったにない。なのに、テンパッた私は、あわてて顔を遠ざけてしまった。もったいない!


「ウフフ、仕方ないわね、舞に習って差し上げてもよくてよ」
「はぁ・・・どうも」


私の思い描いていた効果とはだいぶ違っていたけれど、とりあえず千聖はお勉強モードに入ってくれたみたいだ。

「んじゃ、世界史のテキスト開いて」
「ええ、お願いね、舞。千聖、社会科目は苦手なの」

そうそう、そうやって素直に言う事を聞いてれば可愛いんだから。

「いーい?じゃあ、最初中国人物史ね。覚えたら小テストやるから。80点以上取れたら、今日の夜御褒美に時代劇鑑賞に付き合ってあげる」
「まあ、一緒に見てくださるの?私、絶対に良い点を取ってみせるわ!」
「・・・ほーんと、ガキなんだから。こんなことで喜ぶなんてさぁ」

とかなんとかいいつつ、私は嬉しさでほっぺたが緩んじゃっている。

時代劇、ね。全然興味ないんだけど。ま、千聖の目がキラキラしてるのを横目で楽しめるんだから、私にとっても十分有意義な時間になると言えよう。・・・もちろん、小テストを手抜きで作ったりなんかは絶対にしないけど。

それからしばらく、千聖は単語帳、私はテスト問題を作るため、しばし黙ってお互いのすべきことに没頭することにした。

時折、真剣なお顔をチラ見しているだけで、私はなんとも幸せな気持ちになれる。

――黙ってると結構美形なんだよね、千聖って。育ちは桁違いにいいし、勉強はちょっとアレだけど言葉遣いとかは綺麗だし。うんうん、本当によく出来た(俺の)嫁だ。

なっちゃんとか栞菜とか、お調子に乗って「お嬢様は私のものだケロ!(だかんな!)」とか言っちゃってるけど、冗談はよしこさんですよ、まったく。


「っか明らかに舞のだから」
「え?」
「いーえ、何でもない。暗記、続けて?」
「ええ」

こんな乱暴な指示にも、黙って従ってくれるこの従順さ!もはや夫婦と言っても過言はないだろう。


「千聖、もう覚えた?そろそろテストやろっか」
「・・・わかったわ」

手書きのテスト用紙を渡すと、千聖はすぐに問題文を凝視し始めた。

頑張ってくださいよ、岡井さん。
私とあなたが真夏の熱帯夜にハッスルハッスルできるかどうかは、テストの結果次第なんですから。

*****

「・・・おーかーいー!!!なんじゃこりゃあああ」
「きゃんっ!もうっ、ひょっぺたをつねるのはやめなひゃい!」

数分後、私はアシュラマイマイ怒りの面で、千聖のぷくぷくほっぺを捻り上げていた。

「何なの!?第1問目、回答:魯山人。・・・いや、ろさんじんって中国人じゃないから!美味○んぼの読みすぎ!
ふつーの漢字書けないくせに、何でこういうのは書けるわけ?」
「だって、とても偉大な方だと雄○さんも・・・」
「次!第2問、回答:西大后。第3問、回答:西大后。第4問、回答:西大后。・・・何でせいたいごう推しやねん!」
「だって、めぐが怖い話を教えてくださった時に、印象に残った方なのよ。夫の愛人を、ダルマ・・・」
「あーあーグロは無理!もー、今までの時間何やってたの?どーせ覚える気なかったんでしょ!」

さすがに、声を荒げてそういうと、千聖はうつむいた。泣いちゃった?と思ったけど、心配無用みたいだ。
すぐに唇を尖らせて「・・・舞が悪いのよ」なんて言ってきた。

「はあ!?何で舞のせいになるの?」
「だって、私はちゃんと覚えようとしたのよ!なのに、なのに、あの、舞が・・・私と時代劇を見て、くれるなんて、言うから・・・」

語気も荒く、私に突っかかってきたはずの千聖の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
私はまた、自分の顔がとんでもなく崩壊しかかっていることに気がついた。・・・本当Sですよね、舞って。
ここぞとばかりに千聖の真横に体を移して、指と指を絡める。

「はーん・・・舞と時代劇見れるかもしれないのが嬉しくって、集中力なくなっちゃったんだ」
「ふがふがふが」
「もしかして、何の時代劇にしようかなって考えてたとか?それで、何にも頭に入らなかったとか」
「あの、ちが、えっと・・・それは」
「ふふ、可愛い。舞と一緒にいられるのが、そんなに楽しみだったの?ほら、こっち向いてよ」
「まい・・・」

「はい!はい!はい!はい!かーもねっ、はい!さっさと離れんかい!」

危うく禁断の世界に足を踏み入れようとした矢先のことだった。

いきなり、奥のクローゼット兼隠し部屋のドアが開き、私の天敵・世界のアリカンが飛び出してきたのだった。

「は!?何でいんの!この変質者!」
「何だその言い方!私は添い寝係の特権として、お嬢様のお風呂をいつでも使っていいことになってるかんなっ!ね、お嬢様ハァーン?」
「ええ、そうよ。栞菜はいつもお風呂は長めに入るのよね。今日も、舞がこちらに来る少し前から入浴をしていたのよ」
「ま、舞に断りもなくそんな危険な・・・!」


ってかそれ、絶対長風呂だけじゃないから!ウォークインクローゼットに侵入して、いろいろクンカクンカしてるはずだから!下着とか煮沸消毒すべき!

でも、純真無垢な笑顔の千聖の前でそう返す事もできず、私はドヤ顔の栞菜を睨みつけることしかできなかった。

「お嬢様ったら、お勉強でお困りならぁ、栞菜が御相談にのらせていただきましたのにぃ。
化学の元素記号周期表なんて、超簡単ですよ?ベッドに(Be)もぐって( Mg)かんなと( Ca)お嬢様がする( Sr )のはバラ(Ba Ra)色・・・」
「やめろ、コラ!」
「べ、べっどに、もぐ・・・?ああ、でも本当にこれは覚えやすいのね。舞、世界史はこういうものはないのかしら?」
「ちしゃとおおおぅ・・・!」


くっそー、せっかくの濃厚ラブラブタイムだったっていうのに、要領よく栞菜に掻っ攫われてしまった。
さすが、毎晩千聖を独占しているだけあって、興味の引き方をよく心得ていること。

今も「世界史で」というリクエストにお応えして、「セクシー(1941年)なスターリン、ソビエ勃つ(自主規制)」というひどい年号の覚え方を披露して、千聖を喜ばせている。

だが、そんなことぐらいでくじける私じゃない。
語呂合わせ?ふふん、そんなの即興で1000通りぐらい作ったるがな。
天才の実力の片鱗、今ここに見せん!

「栞菜、勝負だよ!舞は世界史、栞菜は化学!
次の学校のテストで、千聖がより高い点を取ったほうが勝ちだから。勝者が正式な千聖の恋人だよ!」
「ほほう、別にいいかんなっ。そうやって天才の座に胡坐かいてると、痛い目にあうのは舞ちゃんの方なんだからね!」
「ウフフ、嬉しいわ。2人で千聖のために・・・。そうだわ、勝っても負けても、今日は3人で仲良く時代劇を見ましょうね」
「「もちろん!」」


――あれ?なんか、千聖の手のひらで転がされたような気がしなくもないけど・・・。とりあえず、この勝負、負けるわけにはいかない。


隣で聞くに耐えないごろあわせをぶつぶつつぶやいている栞菜をキッと1睨みして、私も世界史の資料集をガン見し始めたのだった。



*****

州*‘ -‘リ<岡井さん、テストどーだった?
リ*・一・リ<
州*‘ -‘リ<わっ!世界史と化学ちょーいいじゃん!?どうやって覚えたの?
リ*・一・リ<
州*‘ -‘リ<岡井さん?
リ*・一・リ<・・・ふっくらぶらじゃー愛の痕・・・今度は愛あるリッチなホテルでまったり・・・
Σ州*‘ -‘リ
リ*・一・リ<ぶって、ビシイッと!自由にし○○○!
州*‘ -‘;リ<あばばばばばば

从*´∇`) <・・・なんだかスクープの予感がするもんにー


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最終更新:2013年11月24日 09:26