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カツ、カツ、カツ

人気のない夜の住宅街に、私のブーツのヒールの音が響いている。
さっきから、何か胸騒ぎがする。
耳からヘッドホンを外して、辺りをキョロキョロと見回してみる。・・・なぜか、不安感が更に強くなっていく。
視界には誰もいないし、足音や声が聞こえるわけでもない。でも、人がいる気配だけは感じる。

――尾けられている・・・?

冷や汗が背中を滑り落ちる。私はさっきより歩調を早くしながら、お母さんと通話しながら歩こうと、ケータイを取り出した。

「えっと・・・自宅、自宅・・・」

気になんてしてないよ、ってアピールのために出した明るめの声も、静寂の中に虚しく吸い込まれていってしまう。
今、この瞬間も、私のこういう演技をニヤニヤ笑ってみている人がいるのだろうか。そう考えると、焦りで指が滑って、なかなかアドレスを検索できなくなってしまう。

正直、長いことこういう仕事をしているから、こんな目にあうのも珍しいわけではない。だけど、やっぱり怖い事には変わりないわけで・・・。

「あっ」

ふいに、手からケータイが滑り落ちた。

「もー、やだちょっと・・・」

しゃがみこんだ私の視界が陰る。人の形の影が、私の体を包み込んでいた。
少し早まった呼吸と、人の体温を背中に感じる。・・・間違いない。背後に誰かがいる。

悲鳴は喉の奥で殺され、私は地面のケータイに指を触れさせたまま、固まってしまった。
どうしよう・・・

だけど不思議な事に頭は妙に冷静で、千奈美が以前教えてくれた、変質者の撃退法が頭に浮かぶ。

“なんかー、雑誌で読んだんだけどさ!痴漢とかって、撃退するときアソコは狙わないほうがいいんだって!え?アソコってどこって?ふっざけんなよーわかってんでしょー?(以下略)・・・で、喉仏とかジンチュウ?あと眉間が効くらしいよ!今度弟君でためしてみて!”

・・・ありがとう、千奈美ちゃんよ。可愛い弟にそんな非道な真似をする前に、ちゃんと実践する場ができたみたい。

喉仏・・、は位置的に狙いにくそう。
ジンチュウってどこやねん。というわけで、狙いは定まった。

おそらく、振り返ってすぐ、最初の一撃が重要になってくるだろう。
えーと、男の人だから、自分の背よりだいぶ上を想定して・・・。
私は奥歯を噛み締めて、律儀に私の後ろで立ち往生してくれている変態(?)さんへ勢いよく振り返った。
顔を見るのは怖いから、きつく目をつぶって、そのままケータイを握ったままの手(硬いものを持って殴ると威力が増すって千奈美が(ry)を、前方に向かって突き出す。


スカッ

「・・・・・・マジで?」

拳が空を切る。ヤバイ、外した!
でも、おそるおそる開けた目の前には、もう誰もいなかった。
あいかわらず、閑散とした薄暗い一本道が続いてるだけ。

「嘘だ・・・だって、たしかに」
その時、手元のケータイが、軽妙な着信音を奏でた。
――お母さんからだ。さすが、私のピンチにいち早く感づいてくれる。

「もしもしー?おかーさん?今、帰り道ー!でね、今日仕事でねー!・・・」
あー、怖かった!結局何だかよくわからなかったけど、私の思い過ごしだったのかもしれない。
明日からは、明るい道にルートを変えてみよう。チャリンコを使うのもいいかも。

30秒後にはこんな出来事なんてすっかり忘れて、私はお母さんと夕ご飯の話なんてしながら、楽しく帰宅したのだった。


*****

「・・・危なかったわ」

私はそうつぶやくと、しがみついていた電柱からするすると滑り降りた。

「ウフフ」

今日もみやびさんは、無事に御帰宅できそう。
安堵と喜びに、頬が緩む。帰りにおうどんでも食べて行こうかしら。

先ほど、事務所の玄関口でみやびさんをお見かけした時は、もう既に随分遅い時間だった。
あんなに美しい方が、こんな時間に一人でお帰りに・・・?そう思ったら、私はいてもたってもいられず、すぐにそのスラッとした女神様のような後姿を追いかけた。

明るいときの私ならいざ知らず、“お嬢様”などと皆さんに呼んでいただいている今の私には、声をお掛けするなどという大胆不敵なことはできず、距離を取りながら、みやびさんの御無事をお見届けするのが精一杯。
顔をすっぽり覆うマスクに、大きなサングラスで、変装は完璧。万が一でも、みやびさんに気づかれてしまっては恥ずかしい。
電車の中でも、歩いているときも、みやびさんは後光が差しているかのように輝いていて、そっとお見守りするだけで、胸がいっぱいになってしまいそうだった。

途中、うずくまったみやびさんに駆け寄ったときに、アクシデントであの可憐な拳が私の頭にぶつかりそうになったのは御愛嬌。とっさに飛びのいて、セミのように電柱によじのぼったおかげで、みやびさんの吸い込まれそうな瞳に映らずに済んだみたい。
でも、ちょっと、ちょっとだけ、みやびさんの打撃を受けてみたいなんて思ってしまったのは、私の心の中だけの秘密。ウフフ・・・


「あら、いけないわ。もうこんな時間」

私は携帯電話を操作して、画面上にみやびさんのセレンドを呼び出す。
毎日21時30分の日課。みやびさんの可愛らしい文章と、見つめることすらためらわれる美しいお写真に、【いいね】とお気持ちを送信する、至高の瞬間。
「おやすみなさい、みやびさん」

待ちうけ画面のみやびさんに、軽く唇で触れると、私はスキップで帰路についた。


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