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その日も、朝からずっと授業中も卒業式当日のシミュレーションを反芻していたのだ。


6時間目の授業を受けている最中のこと。
それは、何の前触れもなくやってきた。

突然の出来事、それは未だ経験したことがない強烈な揺れだった。
そして、それは異様なまでに長かった。
これは尋常じゃないということが嫌でもわかった。

揺れが収まると、学校中全員が校庭に避難する。
そこで待機している間、みんなとケイタイのワンセグを見ていると、日本中が未曾有の事態になっていた。
皆一様に押し黙って、画面に次々映し出されるその信じられない光景をただ呆然と見ていることしか出来なかった。

しばらく待機していたが、結局そのまま休校となり帰宅させられることになった。
公立校ということもあって、大部分の生徒は近距離のところに住んでいるからという判断なのだろう

そうだろうな。この高校を避難場所とすることはたぶん無いだろうと思っていたので。
うちの高校は、もう何年も前から強度に問題ありと判定されていると専らの噂のボロ校舎なのだ。
この地震でも大丈夫だったところを見ると、それは単なる噂にすぎないのかもしれないけれど。

いくつか避難場所も知らされたが、僕は帰宅するためにとにかくいったん駅に向かってみた。




駅に着くと、そこは大混乱になっていた。
止まっている電車がいつ運転再開になるのか全く見通しがたたないらしい。
これはだめだ。しょうがない、歩いて帰ろうか、と思って歩き始める。

そのとき、また余震がやってきた。
これまた大きな揺れだ。街中が騒然となる。
この尋常じゃない状況、もう、どうすればいいのか。
こういう時は動かない方がいいのだろうか。

とにかく落ち着こう。
避難所になっている大学があることを聞き、一旦そこに向かうことにした。


着いたその大学も大勢の人でごったがえしている。
こんなに大勢の人が足止めを食っているのか。

当ても無く歩いていたら、目に留まったのだ。見覚えのある人が歩いていることに。

え? こんなところで、まさか。それに、子供連れだったぞ?
でも、あの独特の背格好。見間違えるはずがない。

思わず、行ってしまったその後姿を追いかける。

その人、校舎に入っていった。
僕も追いかけてそこに続く。
入口に掲げてある看板が目に入る。教育学部?

校舎に入ってすぐのロビー、そこに彼女がいた。


「桃子さん!」


「え?少年? そうか無事だったかー少年!」
「桃子さんこそ。良かった・・・」

僕の呼びかけにびっくりした顔でふりむく桃子さん。
あれ、何か涙が出てきた。知っている人に会えて緊張の糸が解けたみたいだ。

「泣くなよ~。男の子でしょ。子供たちに笑われちゃうよ」

桃子さんの両手には小学校低学年ぐらいの小さい子がわらわらと数名。

「えっと、桃子さん、その子たちは?」
「帰る途中で急に電車が止まっちゃったからここに避難してきたんだって。だから相手をしてあげてるの」

優しい笑顔で子供たちに微笑む桃子さん。
子供たちは、もう既に桃子先生にすっかり懐いているようだ。

「そうですか。僕に手伝えることあれば、何でもやります。何か力になりたいんです」
「そっか、アリガト。この子たち親御さん方にはメールしたんだけどすぐには届かないかもね。そしたらしばらく面倒みないといけないから、じゃあ少年も頼りにしてるよ」

子供たちの相手をしてあげている桃子さんは結構手馴れた様子だった。
子供たちと絵を描いたり、折り紙を折ったり。

僕も子供たちと一緒に折り紙を折る。折り紙なら僕も結構得意なのだ。
でもこれじゃあ、僕が子供の相手をしているんじゃなくて、桃子さんが子供たちと僕をまとめて相手してくれてるみたいだな。

桃子さんは教職課程を専攻しているって言ってたっけ。小学校の先生を目指してるって。
先生か。桃子さんには向いているんじゃないかな。
現に子供たちの相手をしている桃子さんを見ていると、今すぐにでも先生として通用しそうだ。
でも、先生になってしまったら、もう歌は歌わないのかな・・・なんて、そんなこと僕が考えることじゃないけど。



子供たちに本を朗読する桃子さん。

僕は子供たちの後ろで、考え事をしていた。
これから、どうなってしまうんだろう。考えれば考えるだけ不安になる。

桃子さんのその可愛らしい声が耳に入ってくる。

僕は考え事をしているふりをしながら、その桃子さんの声に耳をすませていた。
どうしようもなく不安になるこの気持ちを、こっそり桃子さんに癒してもらっていたんだ。

ずっと頑張っている桃子さんを見ていると、少し自分が恥ずかしくなる。
だから、出来ることは無いかと仕事を探してみると、パンとペットボトルの水が配給されるということなので貰ってきた。
ついでに毛布も人数分。

「少年、ご苦労さんっ」

僕よりも頑張っている桃子さんに労わられてしまった。

子供たち一人一人にパンを手渡していく桃子さん。
パンをかじる子供たちの目線になり、優しく尋ねる。

「おいしい?」
「うん!」

僕もそのパンの味が忘れられない。確かにとても美味しかったんだ。何の変哲も無い普通のパンだったのに。

何回も起きる余震。
そのたびに子供たちは怖がってしまう。

「ももちゃ~ん、こわいよぅ・・・」
「大丈夫だよ。ももねぇがついてるからね」
「うん・・・」
「ほら、少年、何か面白い話しでもしなさいよ」
「そんなこと急に言われても・・・ よ~し、、、増えるわかめ!!」
「あいりんかよ! そんなの子供たちに分かるわけないでしょ」


「じゃあねぇ、ももがね、歌を歌ってあげるからね」

そう言うとペットボトルを左手に持った桃子さん。
ポーズを決めると、小指がいつも通りちゃんと立っている。

そして、桃子さんが独特の高い声で歌い始めた。

♪インターネット・キューピット
♪ワ・タ・シ インターネットキューピット
♪恋のウィルスを 世界にまき散らすわ

子供たちの目が桃子さんに釘付けになる。その桃子さんの笑顔を見ていると、子供たちの表情が落ち着いていく。

(歌で人の気持ちを明るく出来るようになりたい)

いつだったか、桃子さんの言っていた言葉が頭に浮かぶ。
桃子さん、あなたのその願いはもうとっくに成就されていますよ。
この子たちがそれを証明してるじゃないですか。そして、この僕も。

やっぱり桃子さんの歌、僕はもっと聞きたいです。これからも。

夜が更けてきても停電は復旧しなかった。

「ももちゃん、暗いよー」
「よーし、そういうときは逆転の発想。外に行ってみよー! 月明かりがどれだけ明るいか知ってる? みんなにそれを見せてあげる」

子供達を引き連れて外に出る。
でも、桃子先生の言っていた通りにはなっていなかった。

「ももちゃん、あんまり明るくないよ」
「あれ~? おっかしいなぁ?」
「今夜は満月どころか、まだ三日月でしたね」
「でも、ももちゃん、星がとってもキレイに見えるね」

見上げると、それは満天の星空だった。この街中でこんなにはっきりと星が見えるなんて。
でも、それが意味するものを考えると・・・・
あまりにも美しい星空、見上げていないと涙がこぼれてきそうだった。

「お星様、本当にキレイだねー・・・・ももちゃん?」

桃子さんの返事がない。

真っ暗な闇の中、僕には桃子さんの姿はよく見えなかった。
でも、星を見上げている桃子さんの、その後ろ姿はかすかに震えているような気配が・・・・

僕は声も出せず、ただ空を見上げていることしかできなかった。

でも、子供はその気配を敏感に察知する。

「ももちゃん、どうしたの?」

「なんでもないぞ、ウフフフ。ほら、あれが大熊座だよ、分かる? しっぽのところにあるのが北斗七星ね。大きい星座でしょー。何といっても熊さんだからねー」

メールが少しずつ届き始めたのか、はたまたようやくここにたどり着けたのか、子供たちの親御さんが次々と引き取りにやってくる。

「お世話になりまして、本当にありがとうございました」
「ももちゃん、ありがとう。また会えるかな」
「うん、きっとまた会えるよ。気をつけてね。バイバイ」


「お疲れ様でした、桃子先生。あの子たちから本当に懐かれていましたね。まさにプロって感じでした。さすが本職」
「子供はホント好きなんだよね。純粋だから。たぶん、わたし自身が純粋だからなのかな」

こういうときに、子供たちを明るく安心させてあげた桃子さん。
この人はどうしてこんなに器が大きいんだろう。
こんなに大人な人なのに、僕とは歳が二つしか違わないんだ。
果たして僕は2年後、こんなに大人な人間になれているのだろうか。

桃子さん、僕はあなたを心の底から尊敬します。


「余震も心配なんで僕が起きて警戒してますから、桃子さんは休んでください。よかったらこの毛布も使って」
「ありがと。でも大丈夫」
「桃子さんは眠くないんですか」
「うん、何かね、全然眠くならないんだよね」
「僕もです」
「じゃあ起きてようか」

「桃子さん、みんな無事なんでしょうか」
「無事だよ。大丈夫」
「えっ!? ひょっとしてもう連絡ついてるんですか?」
「ううん、まだだけど。でも大丈夫、みんな無事だよ。だって、ももがついてるんだから・・・・・




* * *

はっ! いつのまにか寝てしまってた。

外はまだ薄暗い。

「おはよ、少年」
「あ、桃子さん。おはようございます」
「何が、“余震も心配だから起きて警戒してます(キリッ”だよー、もう。真っ先にぐうぐう寝ちゃってさぁ」

しまった。先に寝てしまって後から起きたとか、何という失態。・・・・桃子さんの寝顔を拝みたかったのに。
でも桃子さん、少しか寝たのかな。

「おー、見て見て。朝日が上ってきたよー」
「日の出を見るのなんて、久しぶりです」

電車が動き始めたと聞いて、大学を出て駅に向かった。

隣を歩く桃子さん。
その美しい黒髪を上から眺めて、桃子さんってこんなに小さかったんだな、と思った。

桃子さんはいつだってとても大きく見える。
本当にすごい人だな。
何故そう見えるのか、その理由の一端を見ることができた昨日からの出来事。
きのう偶然にも桃子さんと会えたことは、僕の人生の中で大きな意味を持ってくるのかも知れない。

桃子さんは視線を前に向けたまま僕に話しかけた。

「少年、ありがと。一緒にいてくれて心強かったよ」

・・・・・

そのセリフを言うのは僕の方じゃないですか。

僕にはすぐわかった。桃子さんは決して自分が心細かったわけじゃなくて、僕を励ましてくれる意味でそれを言ったのだということ。
いつも僕を完全におもちゃ扱いしているあの桃子さんが、こんな優しい言葉をかけてくれるなんて・・・・あぁ今は非常時なんだということを強烈に実感した。

電車を降りて、別れ際に桃子さんが僕に言葉を掛けてくれる。

「それじゃ少年、気をつけるんだぞ。何があるか分からないけど、しっかりね。自分を見失うんじゃないぞ!」
「はい、ありがとうございます。桃子さんもお気をつけて」

にっこりと微笑んでくれる桃子さん。
昨日から桃子さんの励ましで、どれだけ僕が勇気付けられたことか。
そして、また今も。桃子さんの言葉があったからこそ、その後も僕は冷静さを失わずに済んだのかもしれない。


桃子さんと一つ屋根の下で過ごしたこの日のことを、僕は一生忘れないだろう。



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