いつも寮生の方々が歩いてくる林道の、その入り口。
気がつくと、いつの間にかまたここに来ていた。
そして、そこに足を踏み入れる。
そうせずにはいられない何か焦燥感にも似た気持ちが僕を動かしたのだろうか。
あれ以来、どうしても気になって仕方が無い。
この奥には、引き付けられてしまう何かを感じる不思議な場所があるのだ。
その場所を知ったのは、僕が初めてこの林道に入り込んだついこの間のこと。
その時の出来事が忘れられない。
あれは奇妙な体験だった。
* * * *
この間、お姉ちゃんの後ろ姿を見送った場所。いま僕はそこに立っていた。
あの後ろ姿が忘れられなくて・・・
お姉ちゃんの面影を追いかけるように、林道に吸い込まれた。
この林道の奥には何があるのだろう。ずっと気になっていた。
関係者以外に歩いている人もいないし、何となく入って行きにくい雰囲気が漂っているその林道。
だから、今までそこに足を踏み入れるのは躊躇われていた。
が、今日は好奇心がそれに勝った。
寮生の方たちを意識するまで、そう遠くない近所にこんな道があることを全く知らなかった。
うっそうとした木立の中はとても静かで心が落ち着く。
この道を舞ちゃんと並んで歩きたいな。
静かなこの木々の中を僕と舞ちゃんは並んで歩く。そんな2人は会話なんかしなくても、きっと心が通じ合っているんだ。
だから、僕が舞ちゃんを見たとき、舞ちゃんも見上げるようにして僕に顔を向けてくれる。
そして、そこで立ち止まった2人の顔が近づいて(ry
妄想を全開にして歩いていたら、いつのまにかだいぶ進んでいたようだ。
そして、その時に気付いたのだが、周りの雰囲気がちょっと変わっていた。
程なくして現れたのは、古いお屋敷だった。
こんなところにこんな立派なお屋敷があるなんて。
凄い立派なお屋敷だな。まるで西洋の古城のようだ。
こんな凄い所に住んでいるのは、一体どんな人なのだろう。
垣根越しに中を覗いてみようとするが、ちょっと無理のようだ。見えにくい。
あまり人気も感じない静かな空間だから、誰かがいるなんて思わなかった。
「そこの君・・・」
・・・うわ、びっくりした!!
急に現れて僕に声を掛けた人物。
その姿を見たとき、唖然としてしまった。今まで、こんな人、というかこんな職業の人を見たことなど僕にはなかったから。
黒い燕尾服のこの人、一目でわかるその職業、これは執事ってやつだ。きっと、この人はこのお屋敷の人なのだろう。
執事なんて職業の人は初めて見た。本当にいるんだな。
でも執事さんって、もっとこう白髪に口ヒゲを生やしてるような、そんな年配の人のイメージなんだけどな。
ところが、今目の前にいるのは僕よりちょっと年上ぐらいの、そう、いつぞやの桃ヲタどもと同年代かもうちょっと上かな、それぐらいの若い人だった。
メガネを掛けていて、そのせいか知的に見えないことも無い。
執事という仕事をしているぐらいだから物静かで理性的な人なのだろうが、今この人が持っているものはとても剣呑なものだった。
その手に、警棒のようなものを持って出てきたところを見ると、僕は不審者と見られてるんだ。これはまずい・・・
そんな物騒な得物を持って、僕を威圧するように立っている執事さん。
これは面倒なことになるのかと、一瞬顔がこわばった。
でも、目の前の相手はまだ話しを聞いてくれそうに見える(なかさきちゃんや熊ryとの比較的な意味で)。
うん、心配ない。話せばきっと分かってもらえる。
ところが、そんな緊張した雰囲気は思いがけず弛緩するのだった。他でもないその執事さん自身によって。
「・・・何か、御用でしょうかァ?」
その裏返った声。
自分の発言に自分で凹んでいる執事さん。
いきなり飛び出してきて、ドヤ顔で問いかけてきて、一人で勝手に凹んでいる・・・・
・・・ひょっとして、あまり関わらない方がいいタイプの人なんだろうか。
そうも思ったんだけど、僕を不審者か何かと思ってるんだから、僕から勝手に立ち去るわけにもいかない。
その辺は誤解をはっきりと解いておきたいから。
でもこの人、ちょっと変な人なのかもしれないし、あまり刺激しない方がいいのだろうか。
取りあえずここは下手に出ておいた方がいいのかな。
「大丈夫ですか?」
「お気遣いなく。それより・・・」
こういうときは先手必勝だ。
いろいろ問いただそうと思ってる相手に対しては、どうしても受身になりがちだけど、あらぬ誤解が生じるのはそういう時なのだから。
だから、聞かれる前にこっちからコミュニケーションを取ることが、結局トラブルを回避する早道なのだ。
執事さんは僕の言うことをキチンと聞いてくれた。
よかった、決して危ない人なんかじゃなかった。
それどころか人当たりも良く、至って普通の常識的な人のようだ(栞菜ちゃんや熊ryとの比較的な意味で)。
ひととおり事情を説明すると、納得して貰えたのか、執事さんの口調も柔らかくなる。
やっぱり執事なんていう職業の人だけあって、なかなか聞き上手な人だ。
嘘のつけなさそうな裏表の無い人っぽいから、僕も安心して話しをすることができる(桃子さんや熊ryとの比較的な意味で)。
緊張を解いてくれたのか、執事さんも僕にフランクに接してくれた。
次々と教えてもらったお屋敷のいろいろなことは、僕にとって新鮮なことばかりだった。
僕の話しに対しても、この人の良さそうな執事さんが丁寧に聞いてくれるから、つい調子に乗って聞かれてもいない舞ちゃんのことまで話してしまった。
話しを真っ直ぐに聞いてもらえるって、気持ちのいいことですね。余計な気を使わずに話しができるなんて、ねぇ桃子さry
だから、僕はこの年長の人の意見を求めてみたくなった。
「彼女ともっと仲良くなりたいと思ってるんですけど、この先どうすればいいと思います?」
執事さんは自分の経験を思い返すように考え込むと、すぐにいくつかのアドバイスを僕にくれた。
経験の無い僕に比べると、さすがに年長者なだけあって人生経験は豊富なようだ。
馴れ馴れしく話しかけまくればとか、頭をぽんぽん撫でてみろとか、男なんだから強引に迫ってみなよ、みたいなことを言ってくる。
そうやって、すぐにいくつも具体例が出てくるなんて。この人、意外と女性の扱いというものに長けているようだ。
具体的な経験に基づいてるのかな。だとしたら、何か羨ましい話しだな。
でも、いくつかアドバイスを頂いたけど・・・
うーん、舞ちゃん相手にどれも成功するイメージが浮かんでこない。
でも、舞ちゃんの頭をポンポンか・・・やってみたいな、それ。腕をもがれるのを覚悟の上で。
執事さんを相手にして舞ちゃんの話しをすること、それはとても楽しかった。
ただ舞ちゃんの話しをするだけでこんなに楽しいなんて。
それは、この執事さんが僕の舞ちゃんの話しを、煽りとか無しの真摯な態度で聞いてくれているからだ。
普段はその話しをするようなときは、いつも僕の目の前には、桃子さんや桃子さんや桃子さんや熊井ちゃんがいて、そのために楽しいイメージがちっとも思い浮かばないのだ。
なんか、とても楽しく会話をすることが出来た。
でも考えてみれば、この人いま仕事中なんじゃないのかな。
不審者がいるからって飛び出してきて、よりによってその対象とずっとお喋りなどしてていいんだろうか。
ご主人様に怒られてしまうのでは。他人事ながら心配になる。
それに、僕ももうあのカフェに向かわないと。
席を取っておかないと怒られちゃうんですよ、あの人達に。
こんなお屋敷の執事さんには想像も出来ないでしょうけど、世の中は上品で穏やかな人達ばかりという訳じゃないんですよ。
あの人達は、僕をこきつかうのを当たり前のように思っている本当にひどい人達なんだから。
同い年の彼女は俺王様だから僕の都合なんかお構いなし、日々の無茶振りにはもう本当に嫌になっちゃいますよ。そりゃ確かにとてつもない美人だけど。
それに負けず劣らずの先輩もいるから。むしろこの人の方が、何をしてくるのか読めない分、僕に多大のストレスを与えてくれているわけで。
この2人に振り回されて、僕の毎日はもう滅茶苦茶なんですよ。まったく、困っちゃうんですよねー。
僕の話しを聞いた執事さんの顔がちょっと強張った。
どうやら同情して貰えたようですね、僕の置かれている悲惨な状況に。
お世話になりました執事さん。お話しとても楽しかったです。
じゃあ僕はこれで。
ふと、気になって振り返る。
「しかし・・・本当に、日本にも執事さんって存在するんですね
「・・・職業体験も出来ますので、機会があればどうぞ」
ふーん、そんなのがあるんだ。それはちょっと面白そうだな。
カフェに着いたら、そこには既にもぉ軍団の人が来ていた。
いつもの席にどっかりと座っていたのは、熊井ちゃんだった。腕組みなんかしちゃって。
「遅い! どこ行ってた!!」
普段は平気で僕を放置するくせに、こういうときだけよくもまあ臆面もなくそんなセリフが言えるもんだ。
でもその時、僕は心が潤ったことで余裕が出来ていたのかもしれない。
僕の知らなかった面白そうな世界の人と知り合うことが出来たのだから。
だから、理不尽な熊井ちゃんに反論するよりも、今はその話しを聞いて貰いたくてしょうがなかった。
「待たせちゃった? ごめん、ごめん。ちょっと面白いことがあって」
「なにそれ」
「熊井ちゃん、本物の執事さんって見たことある?」
* * * *
面白い人だったな。
そんな先日のことを思い返しながら、林道を歩いていく。
もう街の喧騒も全く聞こえてこない。
物音のない静かなこの道、ただ僕の踏みしめる枯葉の乾いた音だけが聞こえてくる。
もう少し歩けば現れるはず。
あの時のお屋敷が。
しばらく経つと、熊井ちゃんが珍しくしみじみとした口調で話し始める。
「いよいよ卒業式なんだよねー。ももも卒業かぁ」
やっぱり来たよ、卒業式の話し。
お姉ちゃんのあの話しはやっぱりもぉ軍団の仕組んだ罠だったのだ。睨んだとおりだ。
でもそんなそぶりは一切見せず、僕はそ知らぬ顔で熊井ちゃんに返答する。
「へぇー、卒業式なんだ? 熊井ちゃんも出席するの?」
「うん、出るよー!」
「じゃあさ、僕からの伝言をお願いしたいんだけど、桃子さんにおめでとうって伝えておいてくれる?」
「ダメだよ。そういうことは自分で言わなきゃー。伝言じゃ気持ちが伝わらないでしょ」
ほら来た。僕を式に来させようとして、熊井ちゃんそうやって誘導するわけだ。
熊井ちゃんにしては結構うまい誘導じゃないか。
何も知らなければコロっと騙されていたかも。
でも、今の熊井ちゃんのマジレスはちょっとグッと来てしまった。
やっぱり卒業って聞くとしみじみとした気分になってしまうのだ。
さっき言った、桃子さんにお祝いの気持ちをちゃんと伝えたいなあ、という気持ちがあるのもまた事実なわけで。
熊井ちゃんがそれを意図しての発言だったのかは分からないけれど、僕は気持ちがだいぶ傾きそうになっていた。
僕は本当にノコノコと卒業式に向かっていたかもしれない。熊井ちゃんの、この後の一連の発言が無ければ・・・
「でも、そうか。外部の人が卒業式に出席するには紹介状がいるんだよね。なかさきちゃんが言ってた」
なんだ、紹介状とか必要なのか。それじゃあ僕なんか元から無理なんじゃん。
実は、お姉ちゃんの晴れ姿はやっぱり見ておきたいなあと思って、出待ちとかしてこっそり見ようかな、などと思っていたのだ。
それなのに、紹介状が必要とか。つまり警備が厳重ってことだろうから、付近をうろつくのも厳しそうだ。
さすが名門女子校の卒業式。
こりゃ僕の出る幕など全く無いってことだ。
でも、それできっぱりあきらめがついた。紹介状が無いなら式には出られない。
逆にスッキリとした気分になった僕に、熊井ちゃんはこんなことを言い出した。
「でも、どうしても式に出たいんなら、うちが紹介状ぐらい作ってあげるけど?」
「どういうこと? 作るって、熊井ちゃんがそういうのを発行する係なの」
「違うよ」
ニッコリとした顔の熊井ちゃん、明るい声で続ける。
「偽造するに決まってるじゃん、もちろん。
そんなのうちの手にかかればチョロいもんだぜ」
・・・・
熊井ちゃん
文書の偽造は犯罪行為だよ・・・
きっと熊井ちゃんが偽造した紹介状なんか、正門のチェックで一発で見破られるシロモノなんだろう。
そしてその場で変質者認定され風紀委員の人に確保連行される僕。そんなところを寮生の人達に見られでもしたら・・・
地獄絵図が頭をよぎる。
「熊井ちゃん・・・ 僕は学校の授業があるから、卒業式に出席することは断腸の思いであきらめます。本当に残念だけど」
「なんだよー。学校優先とかつまんない奴だー!!」
本当に申し訳ありません。
桃子さん、やっぱり直接お伝えすることは出来なさそうなので、心の中でお祝いさせていただきます。
ご卒業、本当におめでとうございます!!
最終更新:2013年11月24日 11:14