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4月の雨降りの日、私は見知らぬ会社の、見知らぬ部屋で、今まで飲んだ事のない味のお茶を啜っていた。


「もう少し待っててね。今、衣装が届くから」
「あ・・・はい」
「それにしても、前田さんにこんな可愛らしいお嬢さんがいらっしゃったなんて」
「はあ・・・」


一体、どうしてこんなことになったのか。
私はただ、お父さんの忘れ物を届けに、お仕事場を訪ねただけだったのに。


* * * * *

「助かったよ、憂佳」
「もう、大事なものなんでしょ?気をつけないと」

休日の朝。
のんびりおきて、ご飯を食べていたら、お父さんから電話が来た。
なんでも、お仕事で使うデータの入ったUSBを置いてきてしまったとか。

フリーのカメラマンをやっているお父さんは、今日、よその会社のスタジオで撮影をすると言っていた。

結構ピンチな状況らしく、どうしても都合がつかなかったお母さんの変わりに、私はタクシーで、お父さんのいる場所へ向かったというわけだ。

「それにしても、お父さんってすごいね。こんな大きな会社の撮影任されるなんて」

私たちがいるのは、ある製薬会社のロビー。
私みたいな中学生でも、その名前を知っているぐらい、有名な会社だ。

「まあ、今回は岡・・・お父さんの大学の先輩から声をかけてもらってな。
どうだ、中学生になったことだし、せっかくの機会だから見学でもしていくか?」

そんなわけで、撮影スタジオのすみっこのパイプ椅子で足をブラブラさせながら、忙しく動き回る人たちを見ていたんだけれど・・・しばらくすると、俄に部屋の空気が変わった。


「・・・でも、そんな」
「突然のことで・・・」


なにやら、大人が深刻な表情で話し合っている。何となく気まずくなって、おトイレでも借りようかとスタジオをこっそり出ようとしたところで、「憂佳」と声を掛けられた。

「はい?」

「・・・どうですかね」
「・・・・・いや、なかなかどうして」
「よし、決まりだな。

憂佳、お前、モデルデビューだ!」

「はいい???」


* * * * *

「ごめんなさいね、急にこんなことになって」
「あ、いいえ・・・」


一旦スタジオから出され、“控室”と書いてあるお部屋で綺麗な社員のお姉さんが話してくれたのは、こういうことだった。

今日は、子供用のお薬やマスクのカタログの写真を撮る予定だったのに、モデルの男の子と女の子が、揃って高熱でダウンしてしまったらしい。

お父さんは次のお仕事が詰まっているらしく(お姉さん曰く、お父さんは売れっ子カメラマンらしい。知らなかった・・・)もう代役を呼んでいる時間がない。そこで、ちょっと年上だけれども、私を・・・という話になったそうだ。

本当に、いいんだろうか。
正直、私なんかに務まることなのかわからない。自信がない。でも、私は「嫌」をはっきり言えるタイプじゃないから、こうして流されるままに衣装を待っているわけで・・・。時間が経つにつれ、不安が大きくなってくる。


「でも、私一人じゃないんですよね?男の子の代役って」
「ええ、多分もうすぐいらっしゃると思うけれど」

なぜか苦笑しながらそう言って、お姉さんがチラッと入り口を見ると同時に、ドアがほんの少しだけ開かれた。


「あ・・・お待ちしてました」


私に対する口調とは全然違って、畏まった感じで背筋を伸ばすお姉さん。
その声に呼ばれるように、おずおずと部屋に入ってきたのは、とても小柄な子だった。
黒目の大きな目が印象的で、綺麗な顔の男の子だなって思った。綺麗っていうと、私の友達だと、彩花ちゃんも綺麗系だと思うけど、またそういうのとは違うかも。小学・・・何年生ぐらいなんだろう。


「あ・・・あの・・・」

あ、すごく震えてる。おとなしい子なのかな。
お姉さんの態度からして、多分この会社の偉い人の息子さんとかだと思うんだけど、すごくおとなしそうだ。
ぶかぶかのセーターの袖を、ちょこんと出た指でギュッと掴む仕草が何とも可愛らしい。


「こちら、本日ご一緒に撮影なさる前田さんです」
「ど、どうも。前田です」
「・・・ぁ、えと・・・」

どうやら、本当に恥ずかしがり屋さんみたいで、顔を真っ赤にしたまま、お姉さんの後ろに隠れてしまった。

「・・・あの、よかったら一緒に、お菓子食べない?」
「ぇ・・・」

さすがにこうなってくると、私がしっかりしなきゃ、という気持ちが芽生える。
少しでも仲良くなってから、撮影に臨んだほうがいいだろうし・・・それに、不思議と構いたくなってしまう子だ。


「ふふ。それじゃ、私はスタジオに戻りますね。スタイリストに、衣装を急ぐよう言っておくので。それでは」


お姉さんが退席し、バリケードを失ったその子は、恐る恐る私の前に腰を下ろした。

「お名前、聞いても言い?」

改めてそう聞くと、華奢な肩がびくんと揺れた。
泣いてしまいそうに目が潤んでいる。
あまり、自分から友達を作るタイプではない私。慣れない事をしたから、何か良くない言い方をしてしまっただろうか。

「あ・・・ごめんね、ダメだったらいいんだ、」


一応そういってみると、かすかだけど、首を横に振ってくれた。
そして、ためらいがちに、私の顔とテーブルを交互に見た後、小さく呟いた。


「えと・・・な、名前、ちさと、です」
「ちさと。」


可愛い響きの名前だ。

男の子にしては、甘い感じの響きだけど、何だかぴったりな名前だと思った。
やっと名前を聞けた事が嬉しくて、私は少し調子に乗ってしまった。


「じゃあ、ちさと、って呼んでもいいかな」
「ひぇっ」

すると、ちさと君はものすごく驚いた顔で私を見た。
よっぽどびっくりしたのか、膝こぞうがテーブルを打って、おいてあったお菓子もピョンと跳ねた。


「ご、ごめん」

さっきから謝ってばかりだ。どうもしっくりいかない。


「あ・・・えと、あまり、呼ばれたこと、なくて・・・名前・・・で」
「そうなんだ。お友達には、何て呼ばれているの?」

そう聞くと、「えと・・・お、岡井、さん、とか」と掠れた声。

「岡井さん?・・・君づけじゃないんだね」
「?え、えと・・・はい」

まあ、そんなものなのかな。
仕立ての良さそうなセーターに、品のいいこげ茶色のコーデュロイパンツはいかにもお金持ちのおぼっちゃんのようだし、そういう子が集まる私立の小学校なら、さんづけが当たり前なのかも。


「あ、あの・・・」

そんなことを考えていたら、また小さな声で喋り出した。

「あの・・・とても、緊張、して、いて。
な、なんで、その、ち、ちさとが、モデル・・・今日は、お父様の、お仕事を見に・・・」


――どうやら、私と同じような状況らしい。


「・・・岡井さん!」

小学生の男の子相手に、変な呼び方だけれど、いつもと同じの方が落ち着くだろう。
私はその小さな手をギュッと握った。


「私も、モデルなんてしたことないの。
でもこんな機会、もう二度とないと思うし・・・一緒に頑張ってみよう」
「前田さん・・・」

通知表に、“引っ込み思案”“あまり意見を言わない”などと書かれてしまう私にしては、かなり勇気を出したほうだと思う。

深い茶色の瞳が、私をじっと見つめる。
しばらくすると、岡井さんは目を三日月の形にして、小さくうなずいた。


「・・・ウフフ」

あら、変わった笑い方。
可愛い弟が出来たような気がして、私は内心、とんでもなく舞い上がってしまっていた。



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