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「それにしてもお嬢様? どうしてこいつなんかと一緒なんですか」
「ウフフ、今日駅で偶然お会いして、それでそのあと千聖のわがままにお付き合いしていただいていたのよ」
「えー? こいつに付き添いさせるとか、お嬢様ってやっぱり少し変わってるー!あははは。それで、こんなのでも少しはお嬢様のお役に立ちましたか?」
「えぇ。いろいろご案内していただいて、とても有難かったです。さすが大きな熊さんが懇意にされている方ね。大きな熊さんと同じような安心感を感じたわ」

熊井ちゃんの子分扱い丸出しのその言い方には今更触れないとして、なんとお嬢様からそんな最上級の褒め言葉を頂けるとは。
そんなことまで僕に感じていただいていたとは非常に名誉なことではあります。

が、お嬢様も僕を語る上で常に“大きな熊さん”という単語が枕詞のように付いてくるんだな。
もはや僕はこの熊井さんの影響下から逃れることはできないのだろうか。僕の立場って、いったい・・・


話しをしている2人を見て、ひらめいた。

そうか、お嬢様には熊井ちゃんと一緒にお屋敷へ帰っていただけばいいわけだ。

まさに、災い転じて福となす。
登場した熊井ちゃんにそれぐらいのことをしていただかなくては、夢心地の時間を奪われ今すっかりテンションの下がってしまったこの僕が浮かばれない。

「あの、熊井ちゃん、お願いがあるんだけど・・・」
「お願い? この私に子分がお願いをするつもりなの?」

この人は何でそんな偉そうな態度なんだろう。
でも、彼女の言うことにいちいちツッコんだら負けのような気がする。今は何事も無かったかのようにお願いを完遂しなければ。

「う、うん。熊井ちゃん、この後お嬢様をお屋敷までお送りしてあげてくれないかな」
「お屋敷まで? 別にいいけど」
「男子がお嬢様を送っていくのはやっぱりまずいだろうからね。いいところで熊井ちゃんに会えて助かったよ」
「まぁ?そんなに言われたからには、うちが責任を持って送り届けてあげるから。安心して」
「さすが熊井ちゃん! 本当、ここ一番で頼りになるのはやっぱり熊井ちゃんだね」

僕は目的を達成するためなら、心にも無いことを平気で言うことができるようになったのか。
大人になるってこういうことなのだろうか。

「まぁ、大きな熊さんが送ってくださるの。ありがとうございます。それじゃあ屋敷からのお帰りは、うちの車で大きな熊さんのお宅までお送りさせるわね」
「お嬢様のおうちのリムジンで送っていただけるんですか!? やった! あの車、シートはフカフカだし、あんな高級車めったに乗れないから」



意気揚々と歩く熊井ちゃん。その隣りにはお嬢様。
僕はその後ろをうなだれて歩く。

「帰りに何か食べてから帰りませんかお嬢様」
「それなら、さっき言ってた○郎というお店に行ってみたいわ」
「えっ!?お嬢様、二○を知ってるんですか! あー、でも、あの店に行くには梨沙子が一緒じゃないと。
あの店は何か作法が難しいらしいんですよ。一緒に行ったとき梨沙子なにか呪文とか唱えてたけど、うちよく分からないし」
「そういうお店なのね。それでしたら、それは今度すぎゃさんも一緒の時に行くことにして、今日は他の店にしませんか」
「じゃあ、帰りにうどんでも食べに行きますか」
「あら、さっきそばを食べてきたのよ。ウフフフ」

楽しそうな熊井ちゃんとお嬢様のやりとり。
もしかして、お嬢様と今からまた一緒に何か食べに行ったりできるのかな(熊井ちゃんもいるけど)。
それはやはり楽しみなわけで。
熊井ちゃんの提案を耳にして、僕の気持ちも少し復活してきたのだ。

そんな期待感で気持ちが上向きに戻ってきた僕に、駅に着いたところで熊井ちゃんが唐突に言った。

「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「お願い?僕に? 何でしょう」

お願いというよりは命令という口調の彼女は、一枚のハガキを取り出して僕に渡してきた。

「ここに行って自転車を引き取ってきて」
「え? 自転車って、それどういうこと?」
「うちが上の弟からずっと借りてた自転車、駅前に放置してたら撤去されちゃったんだよね。
撤去された保管先がちょうどこの駅の近くだから、そこから引き取って来て欲しいの」
「あ、そういうこと・・・」

自分で取ってこいよー・・・
なーんて、そんなこと思っても決してそれを口に出したりはしなかった。
まぁ、引き取ってくるのはいいけど、一応聞いておくか。

「別に引き取ってくるのはいいけど、でも何でそれを僕が? 引き取ってくる間、熊井ちゃんたちは何してるの?」
「だって、うちはお嬢様をお屋敷までお送りしなきゃいけないでしょ。だから先に帰るよ。もう言わなくても後はわかるよね」
「つまり、僕は熊井ちゃんの弟の自転車をこいでここから一人で帰れと・・・」

なに、その僕を自転車で帰宅させようとするためだけの、取って付けたような無理やりな状況設定は。


そんなとんでもない提案(とんでもないですよね!)をしてきたにも関わらず、熊井ちゃんはご自身のお考えに御満悦のご様子だった。
熊井ちゃんのそのほえっとした笑顔を見てしまうと、もはや受け入れざるを得ない。
まぁもとより、僕に「断る」という選択肢は用意されていないわけで。
そう、彼女のお願いに対して、そういった権利は僕には一切認められていないのだから。

「・・・まぁ、いいけど」

電車で20分かかる距離を自転車に乗って帰るのか。面倒くさいなあ。

「しっかりこいで帰りなさいよ。男でしょ!」

ハッパをかけてくる大きな熊さん。その言い方は、とてもとても偉そうだった。
熊井ちゃんが怖いから決して反抗的な態度は取らなかったが、僕のテンションは明らかに低かった。

そんなやりとりを見ていたお嬢様が僕に言ったこと、それは、、、


「自転車で帰宅なさるの?・・・危ないから気をつけて帰ってくださいね」


両手を組んで僕を見つめながらこう言うお嬢様。
目の前のこの光景に気合を注入されない男など存在しない。格段に士気が高まった。力がみなぎってくる。
お嬢様が僕を心配してそう言って下さるその言葉、それは僕の今の心の支えです。
そして、僕を見つめるその美しい瞳、鳶色の美しい瞳。
それを思い出せば、僕はこの先どんな困難な道であっても自転車をこいでいくことができるでしょう。


「じゃあ、お嬢様をお屋敷まで頼んだよ熊井ちゃん」
「まかせておいて。お嬢様は大船に乗った気分でいてくださいっ!」
「ウフフフ、大きな熊さんは本当に頼りがいがあるわ」
「そうだ、お嬢様まっすぐ帰ってもつまらないし、せっかくだからどこかに寄って行きませんか?」
「あら、面白そうね。どちらに寄ったりするのかしら」
「ホストクラブに行ってみるっていうのはどうですかー?」
「ほすとくらぶ?」
「熊 井 ち ゃ ん ! !」

この人の言ってることは、冗談なのか本気なのかたまによく分からないことがある。
まさかお嬢様をそんなところに連れ込んだりしないよね。
熊井ちゃん、お願いだから無事にお屋敷までまっすぐお送りしてね。

あぁ、非常に心配だ。
そんな僕にお嬢様が声を掛けて下さる。


「あの・・・」

え? 僕にお嬢様が?

「今日は、ありがとうございました」


その瞬間、僕はお嬢様に心を奪われてしまった。
僕とお嬢様の視線が重なる。
僕の意識はお嬢様のその瞳だけに向かって集中した。その隣りに熊井ちゃんがいることなどすっかり忘れてしまうぐらいに。
そんなお嬢様が僕に言ったこと。


「とても、楽しかった、です」

そうやって少し照れたような笑顔を浮かべるお嬢様。
時間が止まったように僕の意識も固まってしまった。

お嬢様、楽しかったんだ・・・良かった。
僕の仕事は、ここで終わり。
さようなら、お嬢様。気をつけて帰ってくださいね。

改札を通り抜けてホームに向かう2人の身長差のある後ろ姿を、僕は見えなくなるまでずっと見送っていた。



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