※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。



「急いで病院へ向かって!!」

お嬢様のその言葉。
確かに急いで病院に行くべきだとは思う。

今はアドレナリンが出まくってるのか、まだほとんど痛みも感じていないけど。
神経が高ぶってるから妙にハイな気分にもなっている。
でも、これから患部が急激に腫れ上がってくるのは分かってるし、盛大な痛みも襲って来るだろうから。

だから、すぐに病院に行くべきというのは当然なんだけど、心残りがある。

それは、帰省してきている海夕音ちゃんに会えないということ。
そして、もうひとつ。


「プール! プールは!?」
「え? プール?」
「そうだよ熊井ちゃん。プールだよ!」
「なに言ってるの? それどころじゃないでしょ」
「プール!!」


彼女の言う通りだ。なにを言ってるんだろう。僕は・・・
自分でもよく分からないけど、僕はいま変に興奮してしまっている。

だって、目の前まで迫っていたビッグイベントを目にすることが出来ないなんて・・・
これでお屋敷を後にしなければならないなんて、そんなのつらすぎるよ。

「まぁ、そんなにプールを楽しみにしていただいていたの?」

純粋なお嬢様が純粋な気持ちで僕の言葉を純粋に受け取ってくださった。


「はい(泣)」
「そうでしたか。でも、プールは今日だけでは無いですから、まだ機会もあるわ。今はとにかく病院へ急いで」

今のこの空気のお陰で、僕の言ったその言葉が持つ異常さは覆い隠されていた。
男子たる僕がお屋敷のプールに行こうとするなんて、そんなのどう考えても有り得ないことでしょう。
でも、誰も僕の言ったことを窘めなかったし、笑ったりする人もいなかった。



あぁ、今日あれだけ楽しみにしていたプールを見ることなくお屋敷を後にしなければならないとは。
お屋敷の建物を見上げて、思わずつぶやいてしまった。

「・・・・I shall return」


僕は必ず戻って来ます。
待ってて、舞ちゃん。


「ところでお嬢様、お屋敷に医務室があるっておっしゃってましたよね」
「えぇ」
「あの、そこに松葉杖があったら貸していただけませんか? 支えがないと、ちょっと立てないので・・・」
「すぐに持ってこさせますわ!」


門扉のインターフォンで連絡を取るお嬢様。

「千聖よ! 正門まで急いで松葉杖を持ってきて! あと、すぐに車を回すように伝えてちょうだい!!」

用件だけを口早に話すお嬢様のその言葉だけで通じるところに、このお屋敷のスタッフの優秀さが分かる。
さすが、岡井家。隅々までレベルが高い。


お嬢様が連絡をすると、驚くほどすぐ一人のメイドさんが姿を現した。

あの村上さんというメイドさんだ。
その手に、お嬢様が頼まれた松葉杖を持ってやってきてくれた。
あと、何故か首から船長さんの持っているような大きい双眼鏡を下げている。

やってきた村上さんにお嬢様が早口で切り出した。

「めぐ!ももちゃんさんが・・・・ケガをされてしまったの」
「えぇ、そのようですね。一部始終見てましたから。それで急ぎ仰せの物を持って馳せ参じました」

お嬢様の急いた口調と対照的に、落ち着いたその村上さんの口調。

なんで双眼鏡を下げてるのかと思ったが、なるほどその双眼鏡で千聖お嬢様を遠目から見守っていたんだな。
おおかた熊対策か。
もちろん、それはメイドとしての職務で、門前のお嬢様周りの監視をしていたんだろう。
(双眼鏡を使った覗きとか、そんなの有原じゃあるまいし)


「はいお嬢様、松葉杖」

村上さんが持ってきた松葉杖を手にお嬢様に語りかける。

「これ私が使ってたやつなんですよ。再び役に立つ日が来るとはね」

その松葉杖に特別の思い入れでもあるのか、村上さんはその松葉杖を見る目は何かを語っているようだった。


「めぐ、大丈夫かしら。大丈夫よね」
「それは分からないですよ。ちゃんとお医者さんに診察してもらわないと、何とも」

動転するお嬢様に、村上さんは落ち着いた口調で受け答えする。
引きつった顔の皆さんと対照的に微笑を浮かべた村上さんが僕に声をかけてくれた。

「あー、やっちゃいましたか。膝、ですか?」
「えぇ。古傷のところで」
「歩けます?」
「松葉杖を借りれば何とか」

そのサバサバとした言葉。
体育会系の人なんだな、村上さんは。

でも、それが僕の気持ちを落ち着かせてくれる。
僕も体育会系の中で過ごしてきたから、余計な気を使わないその空気の方がやりやすさを感じるんだ。


この状況で冷静に対応してくれる彼女のその言葉が、今はとてもありがたかった。
だって、まわりの3人の気を動転させていることに対して、僕は申し訳ない気分で一杯だったから。

たぶん彼女は、僕を含め動揺している人達を落ち着かせるために、わざとこのように振舞ってくれたんだろう。


「はい、タオルをお持ちしましたから。これで汗を拭いて」
「めぐ・・・」
「まぁまぁ、まずは落ち着こう」

村上さんが汗だくのお姉ちゃんに柔らかそうなタオルを渡す。
用意周到なメイドさん。さすがプロ。
お嬢様に急かされてここへやって来たはずだが、現場の状況をここまで把握しきっているとは。

「はい、熊井さんも。その姿、もうプールに入ってきたの?とかいってw」
「ありがとう」

真剣な顔つきだから怖い表情みたいになってしまっている熊井ちゃんだったが、メイドさんにそう声を掛けられたことでそのお顔がちょっと緩んだ。

状況を即座に把握して、的確な判断のもと冷静かつ迅速な行動に繋げること。
なるほど、この人はここ一番で頼りになるような人なんだろうな。
つばさ君が言っていた通りだ。
(つえーメイドな、あいつ本当にすげーんだぜ!)って。



ほどなくすると、黒塗りの車がやって来た。

すごい! リムジンだ。
こんな高級車に乗るのなんて、僕は初めてだよ。


門の前で停車すると、村上さんがすぐにドアを開けてくれた。
お嬢様に促されて、後部座席に乗り込ませてもらう。
すると反対側のドアから、お嬢様と熊井ちゃんが乗り込んできて僕の隣りに座った。
助手席にはお姉ちゃんも乗り込む。

って、何でこんなに皆でついて来るんだよ。(でも、これは嬉しい)



TOP