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手術当日、熊井ちゃんが見舞いに来てくれた。

「どう、入院生活は?」
「どうって言われても、昨日入院したばかりだから別に」
「何か変わったことは無いの?」
「特に何も無いけど・・・」

そう答えた僕に、彼女は口を尖らせてあからさまにつまらなそうな顔になった。
きっと熊井ちゃんは、入院という非日常空間、そこにはきっと何かワクワクするようなドラマがあるに違いない、とでも思っていたのだろう。

だがもちろん、そんなドラマなんかあるわけもない。
そもそも僕は昨日入院したばかりなのだ。昨日今日でそんな話しの急展開など有り得ない。
それよりもむしろ、いま彼女がここにやって来たこと、これこそが事件を呼(ry


「一人部屋なんだね」
「うん。お嬢様の計らいで、そうしていただいたみたい」

そう、入院が決まってから僕は至れり尽くせりの待遇なのだ。
お嬢様が気を使ってくださったからだ。
僕が入院のためにこの病院にやってくるときだって、わざわざクルマを回していただいて。
そして、病院では既に全ての手配を岡井家の執事さんが済ませてくれていた。

だから、僕はこうやって特別の個室に入ることが出来たわけで。


「これから手術なんでしょ。気分はどう?」
「うん。今はもう落ち着いてるよ。覚悟も決まってるし、気持ちの整理はついてるから」
「そっか・・・」

熊井ちゃんが静かに微笑んだ。
その落ち着いた笑顔。熊井ちゃん、こんな表情もできるんだな、なんて思って見とれてしまうほどの彼女のその表情。
そんな穏かな笑顔を僕に見せてくれるなんて。

美人顔で微笑まれたんだ。僕は思わず感激してしまった。
そんな彼女に見とれてしまいそうになったのだが、僕のそんな心中なんか全く関知もしていないんだろう熊井ちゃんは坦々と話しを続けた。

「でもさ、手術ってやっぱり失敗することだってあるんでしょ?」
「え?」
「ほら、人間のやることだからさ、お医者さんだってミスすることがあるかもしれないよね」
「ま、まあ、そういうこともあるかもしれないけど・・・」
「失敗したらさ、もう二度と歩けなくなっちゃうのかもしれないよ」
「・・・・」

そ、そんなことないでしょ・・・と言おうとしたが言葉にならない。

自分の顔が引きつっているのを自覚する。落ち着いていた心の中に再び恐怖心が湧き上がってきた。
動揺を隠せないでいる僕の耳に、更に話しを続ける熊井ちゃんの声が響く。

「それに、うちが心配してるのはさ、手術してみたら予想外に、、、あっ・・・」

そう言いかけた熊井ちゃんの口が止まった。慌てたように、その大きな手で御自分の口を塞ぐ。

「え?なんのこと?」
「ううん、なんでもないよ。気にしないで行くがいい」

な、なんで視線を外すの?熊井ちゃん!!

さっきからのその熊井ちゃんの話しを聞いて、僕の心はどんどん乱されるばかり。
せっかく落ち着いていた気持ちが・・・


そんな熊井ちゃんが急に話題を変えた。

「ところでさ、憶えてる?小学校のときのこと・・・」

今度はまたずいぶんと話しが飛んだぞ?
彼女の話しに脈絡が無いのはいつものことだけど。
でも、小学校のとき?なんでまた急にそんな昔話を?

「教室の席は、いつもうちの前の席だったよねー」

確かに、僕は教室の席は何故かいつも熊井ちゃんの前の席だった。
席替えをしても、その度いつも彼女の前の席になるのは、あれは何故だったんだろう・・・
決して人為的なことは何も無いはずなのに、しかし何故かいつも決まって僕の後ろの席には熊井ちゃん。
そこには何か見えざる自然の力でも働いていたんだろうか・・・


昔の記憶をたどり始めた僕に、熊井ちゃんの話しは更に続く。

「それで、休み時間はいつもうちが勉強を見てあげてたんだ」


そうだったっけ?
それ、僕の記憶とは若干の食い違いがあるぞ。

(教室の席は、いつもうちの前だったよね)

そこまでは僕の記憶と同じだ。
問題はそのあと。

(それで、いつもうちが勉強を見てあげてたんだ)

熊井ちゃんが僕に勉強の面倒を見てくれてたって?


・・・・違うだろ、それ。

だって、熊井ちゃんはいつも、僕がやってきた宿題を書き写すのを朝の日課にしていたはずだぞ。
たまに僕が宿題をやってくるのを忘れたりすると、熊井ちゃんからこっぴどく叱られたりしたっけ。

『どうすんのさ!!これじゃ、うちまで宿題を忘れたことになるでしょ!!全く、もう!!!!』


うん、確かにそうだった。
僕が熊井ちゃんに勉強の面倒を見ていただいたというようなことは、全く記憶にはございませんが。

僕が心中でそんな抗議をしていることなんか全く気付いてもいないんだろう熊井ちゃん、遠くを見ているような視線で更に語る。


「懐かしいね・・・」


「思い出って大切だよね。いつまでも心の中に生き続けることができるんだから」


しかし、何だってまた急にそんな昔のことを思い出したりして、それを語ってきたりしたんだろう。
僕の疑問をよそに、熊井ちゃんはしみじみとした表情で語り続ける。


「そう、こうやって心の中で生き続けるんだから・・・」


「だから、大丈夫だよ。万が一のことがあっても心配しないで。何があっても、うちはえーじのこと決して忘れたりはしないからね」


真顔に戻った彼女が僕に語りかけてくる。
僕のことを名前で呼んでくれた熊井ちゃん。この状況でこんな美人さんに名前を呼んでもらえるとは。


でも、いま語りかけてきたその言葉の持つ意味は?

万が一のこと、って・・・


熊井ちゃんが語ったここまでの一連の話し、それを聞いて僕が思いつくのは明らかにひとつだけだ。

ひょっとして、僕が考えてるほど簡単な手術ではないのだろうか。
それどころか、実はもっと重大な疾患が他に見つかっていて、僕以外の人にだけ先生から告知されてるとか?
そう考えると、この熊井ちゃんのどこか真剣な表情も合点がいく。

膝の手術だと思ってたんだけど、本当は何か他のことが?
この手術が終わったとき、僕はちゃんと生きていられるんだよね・・・


あ、なんだか急に怖くなってきた。
足がすくんでくるような、そんな気持ちになってきたよ。

そんな恐慌状態に陥りつつあった僕を、看護婦さんが迎えに来た。
これからいよいよ手術室へと向かうんだ。

こ、怖い・・・・
頭の中が真っ白になりそうになった。


そのとき、熊井ちゃんがポケットから何かを取り出してきた。
そして、それを僕に手渡してくれたんだ。

「そうだ。うち、ここに来る途中で神社に寄ってきたから。はいこれ、お守り!」

お守り?

熊井ちゃんが僕のためにわざわざ?
それは素直に嬉しい。
っていうか、めっちゃ嬉しい!リーダーさん(自称)、ありがとう!

「僕のために?ありがとう熊井ちゃん!大切に持って行かせてもらうよ!!」

ちょっと照れたような顔をした熊井ちゃん。
たまーにだけ見ることのできる、このかわいいお顔。
いつもこんなかわいい女の子だったらいいのにな。もしそうなら僕の毎日はとっても楽しいものになるだろうに。
でも、それじゃ大きな熊さんらしくないか、なんて思ってしまったり。

そんなことを思いながら僕は、熊井ちゃんから手渡されたお守り、それををしみじみと眺める。

でも、熊井ちゃん、なんでこのお守りを僕に?


そのお守りに縫いこんであるのは「安産祈願」という文字だったのだ。


「もう行かなきゃ。じゃあね、熊井ちゃん」
「うん。また明日来るから」

彼女のその言葉は、今の僕に本当に安心感を与えてくれた。
大丈夫。間違いなく僕には「明日」という日が来るんだ。

だって、熊井ちゃんが言ったんだから。また明日って。
彼女の言うことに間違いなんか無いんだ。だから大丈夫。
それが僕の心の支えになったんだ、本当に。

熊井ちゃんはいつだって無意識にやってることなんだろうけど、ここぞというとき彼女の言葉はいつも僕に勇気を与えてくれるんだ。


去っていった熊井ちゃんの後ろ姿を見送った看護婦さんが、耐え切れずに笑い出す。

「あなたの彼女、本当に面白い人ねw」
「いえ、彼女なんかじゃないんです。そんな恐れ多いこと・・・でも、あの人は面白いだけじゃないんですよ、本当に凄い人なんだから」
「そんな感じはするわね確かに。はい、それでは行きましょうか」


熊井ちゃんから貰ったお守りを握り締めた。

もう何も余計なことを考えたりはしなかった。覚悟が決まるって、こういうことか。
いま自分でも口にしたけど、熊井ちゃんって凄い人なんだ。
そんな彼女に負けたくないからね。
僕だって、男なんだ。



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