「必要って」
「まあ、見ればわかると思うから。とにかく着いてきて」
風紀委員長さんは、意外なほど強い力で私の手を引いた。
「香音ちゃん、里保ちゃんが自分を必要としてるなんて思えない。そう思ってるんでしょ」
「えっ」
自分の胸の内を、そのままバシッと言い当てられて、心臓がドクンと高鳴る。
「わかるよ。大事な友達のことを真剣に思う時、そういう悩みってつきものだからね」
なぜか寂しげに微笑んでいる。
このしっかり者の風紀委員長さんにも、はたしてそんな悩みがあるものなのだろうか。
「キュフフ、でもね、あんまり自分で自分の価値をさげるのって、よくないと思うんだ」
「価値・・・」
「そう。それって、自分と仲良くしてくれる人にも、失礼な話じゃない?だから私は、できる限り堂々と、自分が正しいと思ったものをみんなに発信するように心がけているんだ」
――ああ、素敵な人だな。
風紀委員長、なんていうと、すっごく厳しくて怖いイメージになっちゃうけれど、弱いところもちゃんと口にできる。
特にかかわりのない、初等部の私にまで、自分のことを話してくれるなんて。
「なんか、励まされます」
「本当?キュフフ、そう言ってもらえると、私のほうこそ嬉しいな」
そう言ってにっこり笑った風紀委員長さんは、たどり着いたグラウンドの手前、トラックに並ぶ陸上部員さんたちの方へ視線を向けた。
「見て、里保ちゃんが走る」
「あ・・・」
先輩たちにまぎれて、一番外側の白線の中、足をひょこひょこと動かしている里保ちゃん。
今から走るんだろうか。何度もスタートダッシュの練習をしている。だけど・・・
「あれ・・・集中してない、かも?」
「そう。さすが友達。よくわかったね、キュフフ」
いつもの、グラウンドのどこにいても光るようなオーラを感じない。
体育の時間も、部活の時も、里保ちゃんが走り出すと、みんなが注目する。
普段はそんなに目立つタイプじゃない里保ちゃんが、一気に遠い存在になってしまう感じ。
なのに、今は全然・・・友達だから、そういう彼女をそばで見ているからこそわかる、里保ちゃんの変化。
先輩たちに埋もれちゃってる。一体、どうしちゃったんだろう。
「はい、並んでー。・・・スタート!!」
スタートの笛が鳴り、走り出す里保ちゃん。
さっき私が見ていた時は、最初から最後まで、誰にも一番を譲らずにダントツの速さで走っていた。
今は・・・どんどんぬかされちゃってる。とても不安そうな表情。負けず嫌いの里保ちゃんが、とても小さく、か弱い存在に見えた。
「里保ちゃん!」
私はたまらず、大声で名前を呼んだ。
一瞬、里保ちゃんの足が止まる。だけど、私はそのまま言葉をつないだ。
「私、見てるから!里保ちゃんがんばれ!」
――なぜ里保ちゃんが、今日私を陸上部の練習に誘ってくれたのか。
わからなかったけれど、ちょっとだけわかった気がする。
「キュフフ、ほら、香音ちゃんがここにいるだけで、もう全然違ってる」
中島先輩の言うとおり、私に向かって大きくうなずいた里保ちゃんは、一気に加速しだした。
すらっと伸びた長い脚が、アスファルトを軽快に蹴り出しながら、前を走る先輩たちをぐんぐんと追い越していく。
印象的な切れ長の目は、ただ目の前のゴール地点だけを見据えている。・・・ああ、いつもの里保ちゃんだ。なぜか安心感を覚えた。
「香音ちゃん!」
ゴール寸前、先頭の先輩を追い抜いて行った里保ちゃんは、その駆け足のまま、私のところまで来てくれた。
「ごめんね、ちょっと水飲んでて」
「ううん。良かった、いなくなっちゃったのかと思って、目で探してたんだ」
汗のにじんだおでこをタオルでぽんぽんと叩いてあげると、里保ちゃんは嬉しそうに笑った。
「私、香音ちゃんが見ていてくれると、いつもより早く走れる気がするんだ。何か、安心する」
「本当?私なんか、いてもいなくても同じかと思ってたよ。里保ちゃんにとって、全然重要じゃない存在っていうか・・・。でも、役に立てたなら嬉しいな」
いつもマイペースで、しっかり者の里保ちゃんだから、全然、陸上部のお姉さんたちに混じってたって、平気なのかと思ってた。
でもきっと、一人だけ初等部っていうのは不安な部分もあったんだろう。
それを解消してあげられたのなら、良かった。心からそう思う。
だけど、私の発言を聞いた里保ちゃんは、ムッと眉を寄せた。
「何それ。冗談でも怒るよ、いてもいなくても、って。そんなはずない。
クラスのグループのみんなだって言ってるよ。香音ちゃんがいつも励ましてくれたり、明るく盛り上げてくれるから、私たち、仲良しでいられるんだって。だから、もう絶対そんなこと言わないで」
「ご、ごめん」
「私は、香音ちゃんがいいの。香音ちゃんだから、一緒に着いてきてもらったのに」
里保ちゃんがこんな、感情的になるなんて、滅多にない。しかも、私なんかのことで・・・
「だから、私なんかって、言わないでってば」
「ちょ、今それ言ってないから(思ってたけど・・・)だって、やっぱり私なんか私なんかだし・・・」
「キュフフ、まあまあ、痴話げんかはそのぐらいにして」
すると、ずっと黙って私たちの様子を見ていた風紀委員長さんが、笑いながら仲裁に入った。
「若いねぇ~、何か、キラキラしてて眩しい。キュフフフ」
何がそんなにおかしいのかわからないけれど、キュフキュフと独特の笑いをもらし続けている。
「本当は、こういう言い方したくないんだけどなぁ~、でも、まあ、可愛い後輩ができたことだし、今回だけ特別かなぁ~。キュフフ」
なんだか、もったいぶった感じの口調に変わった風紀委員長さん。
一体何を言い出すのかと、私と里保ちゃんは、思わず顔を見合わせた。
最終更新:2014年02月01日 20:30