「里保さんは、どの種目を専門になさっているのかしら?」
柔軟体操で、背中を里保ちゃんに押してもらいながら、ちさとさんはふわふわした声で話しかける。
これから勝負だっていうのに、あまり緊張感が感じられないのはなぜだろう。
お互いのストレッチを助け合いながら、わりとのんびりした会話が続いている。
「まだ、専門は決めていないんです。初等部なので、色々試してからゆっくり決めた方がいいって、先生が」
「まあ、そうなの。それは、多才だということなのでしょうね。是非、専門種目が決まったら教えて頂戴。応援に伺うわ」
――ああ、そうか。
人を率直に褒めるちさとさんだから、自然とピリピリした空気を吹き飛ばしてしまうんだろう。
それが証拠に、里保ちゃんは顔を赤くして、困ったような嬉しいような複雑な表情で、ほっぺたを指で掻いてもじもじしちゃってる。ふふふ、こういうとこ、可愛いんだよなあ。
「いや、いえ、そんな・・・あ、あの、それより」
「ああ、そうね。私が種目を決めていいということだったわね」
仲良く(?)ストレッチを続けながら、ちさとさんはグラウンドをじっと見渡す。
そのくるくる移る視線と、愛嬌のあるお顔立ちで、好奇心いっぱいの小型犬に似てるな、なんて思った。
「里保さん、ハードル走はどうかしら」
しばらくすると、ちさとさんはトラックの反対側に整列している、ハードルを指さした。
「ああ、いいですね。ちょうど、先輩方も使っていないようですし」
「ウフフ、とても楽しみね」
楽しみ・・・?あのー、一応、私の言論の自由がかかっているんで、そこは真剣にやってほしいかな、なーんて・・・。
スタートラインに二人が並ぶと、陸上部の部員さんたちは足を止めて、トラックの中に集まってきた。
緊張渦巻く注目の一戦、と言ったところなのだろうか。
「うふふふ、思わぬ収穫ね。千聖お嬢様まで写真に残せるなんて」
「うっわあびっくりしたぁ!」
後ろから私の肩にあごを乗っけて、耳元でささやいてきたのは譜久村さん。・・・な、なんとも表現しがたい笑顔。
曰く、バドミントン部の練習風景を撮影しに行っていたのよ。この学校は素敵な部活がいっぱい。うふふふふふ・・・・
「本当に、間に合ってよかったわ」
「・・・はは」
譜久村さんがカメラを構えた先に、最後の足慣らしとばかりに、ピョコピョコと軽くジャンプしているちさとさんの可愛らしい姿と、軽く目を閉じて、精神統一をしている里保ちゃんの姿がある。
「わぁ~・・・、なんか、き、緊張してきたぁ」
「うふふ?どうして、香音ちゃんが?・・ああ、親友の里保ちゃんの一番勝負だから?」
「ま、まあ、それもあるんですけど、じつはかくかくしかじか」
この勝負は、決して他人事ではないのだ。
それを譜久村さんに説明すると、その切れ長な瞳が、スッと細められる。
「あら・・・そうなの・・・香音ちゃんの口癖を賭けての、ねぇ」
「私の事なのに、蚊帳の外っで感じで不思議なんですけど。あはは・・・」
軽く腕組みをして、何か考え事に浸っている様子の譜久村さん。
そして、次に私に向けて発せられた言葉は、かなり意外なものだった。
「香音ちゃんは、それで、悔しくない?」
「悔しいって」
言われている意味がよくわからず、言葉に詰まっていると、譜久村さんのお顔がさらに近づいてくる。
「里保ちゃんが、あなたや千聖お嬢様に止めてほしいと考えている言葉・・・香音ちゃん自身は、どう思っているの?」
「どうって、別に・・・変なこと言ってるわけじゃないのに、里保ちゃんがこだわりすぎじゃないかと」
「ふーん・・・」
期待した答えとは違ったのか、譜久村さんは小首を傾げて唇を尖らせた。
「あっ!でも、明らかに気になるなら直すし、こんな勝負なんかにしなくても、ねえ?」
「ウフフ、そんなに気を遣わなくていいのよ、香音ちゃん」
だけど、気分を害したというわけでもないらしい。
譜久村さんは口数が少なく、わかりやすく顔に出るタイプでもないから、なかなかテンポが掴めない。
「香音ちゃんは優しいけれど、空気を読みすぎてしまうところがあるわね」
「はぁ」
「客観的に見て、あまりにも自己評価が低すぎるように思うのだけれど」
そういうと、譜久村さんは急に真顔に戻って、徐に口を開いた。
「・・・鈴木香音。初等部6年生。得意教科は音楽と国語。学級問わず、友達は多いほう。委員会は環境整備。お菓子づくりにはまっていて、中等部に進学したら、料理部への入部を検討している」
「・・・・・うわぁ」
これが噂の、フクペディアか。淡々と読み上げられる私の個人情報(?)。思わず後ずさりしてしまった。
「うふふふ、私はね、可愛い女の子の情報は全て把握しているのよ」
「可愛い子、って。じゃあなんで、私なんかの・・・」
「うふふふ?」
私が言い終わるよりも前に、譜久村さんの手が、私の手首をガシッと掴んだ。
そのまま、トラックの真ん中をぐいぐいと突っ切って歩いていく。
「え・・・ええ?」
向かっている先は、スタートラインで身構える里保ちゃんとちさとさん。
そこをまっすぐ見定めたまま、譜久村さんは大きく息を吸った。
「その勝負、ちょっと待った!!!」
およそ、お上品な写真部の優等生とは思えないような、低くてよく通る声。
陸上部の人たちの視線が、一斉にこっちへ向けられた。
「お騒がせてして申し訳ありません。写真部の譜久村と申します。里保ちゃんと千聖お嬢様のハードル対決に関して、一寸」
ぺこりと一礼した譜久村さんは、その明瞭な声のまま、続けた。
「その勝負に、こちらの鈴木香音さんを加えて頂きたくて、失礼を承知で参りました。」
「・・・はいぃ?」
おっしゃっている意味がわからず、ぽかーんとしているうちに、満面の笑みの前生徒会長さんが近づいてきた。
「すごいね、走るの?」
「いや、・・・えぇ!?」
「じゃあ、制服だと不利だから、私のジャージ貸してあげるね!」
何が何だかわからないで、返答に困っている私をよそに、なんと、前生徒会長さんは、おもむろにジャージのズボンを脱ぎだした。
411 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2013/06/13(木) 16:35:24
「ギュフーッ!!!!」
「あはは、大丈夫だよ!ショートパンツ履いてるし!なっきぃまたエッチなこと考えてたのー?とかいってw」
その男前な行動のままに、私の手に、脱ぎたてのジャージを押し付ける前生徒会長さん。・・・あ、あったかい、美人のぬくもりが・・・。譜久村さんが「あらうらやましい」とつぶやいたのは、聞かなかったことにしよう。
「そんないい思i・・・いえ、ジャージをお借りしたのだから、もう逃げられないわね、香音ちゃん」
「いや・・・何で私がそんな」
「だって、さっき言っていたじゃない。“自分の事なのに、蚊帳の外だ”って」
「言ったけど・・・なにも別に走りたいという意味じゃ」
「・・・香音ちゃん」
振り向くと、表情をこわばらせた里保ちゃんが、私の後ろに立っていた。
「あ、里保ちゃ・・・」
「ごめんね、香音ちゃん!」
里保ちゃんが、私に向かって頭を下げる。
「な、何で!?」
「そうだよね、香音ちゃんのことなのに、岡井さんと私で決着をつけようなんて、おかしな考えだった」
香音さんは真面目なのね、と胸が痛むほどピュアな笑顔の岡井さんも、視界の端っこに見て取れる。
――一体、何でこんなことに・・・。半泣き状態の私は、ようやくここにきて、自分のろくでもない口癖を後悔し始めた。
「うふふ」
私の心の中を見透かしたかのように、満足そうに譜久村さんがほほ笑んだ。
最終更新:2014年02月02日 22:21