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当の千聖はというと、悲しそうだったり、怒ったりしている様子は別になかった。
ただ、いつものお口をポカーンと開けたおまぬけな表情で立ち尽くしている。

「ちしゃと」

少し大きい声で呼びかけると、小さく息をのんで、我に返ったような顔で私を見つめ返してきた。

「あ・・・ご、ごめんなさい、私ったら」
「どうかしたの?」
「あの・・・私」

長い睫がふわりと伏せられて、まるっこい指が、所在なさげに唇に触れる。
何かを言いたくて、上手く言葉にできない時の千聖の癖だ。私もなっちゃんも、多分愛理もわかっているから、ひとまず問いかけるのをやめて、じっと待つことにする。


「・・・私は、合唱には向いていないのかもしれないわ」

やがて、千聖が発した言葉。それはかなり意外なものだった。


「おじょじょ、お嬢様!何をおっしゃっているんですか!」
「だって、あの・・・」

また、言い淀んで黙り込む。
何だろう。あんなにご機嫌に、大好きな歌を歌っていたのに。どこで千聖の気持ちが変わったのか。
数分前までの千聖の様子を思い出してみても、特にぴんとくるものがない。ついでに自分の言動を顧みてみたけれど、やっぱり怒らせた覚えはない。


「・・・ということは、なっちゃんか。おいコラ」
「ギュフーッ!私が何をしたっていうの!ひどいケロひどいケロ!」

八つ当たりまじりに毒づいてはみるものの、もちろん彼女が元凶でないことも最初からわかっている(キュフゥ・・・)
せっかちな私はだんだん苛立ってきて、困った顔をする千聖に詰め寄ってやろうかと思い始めた。


「あー・・・もしかして、声質のこと、ですかぁ?」

その時、口を閉ざしていた愛理が、千聖に声を掛けた。


「お嬢様の歌声は、よく通って響くから」
「それって、悪いことなの?」

どうも、言わんとすることがよくわからず、しかも今日は愛理にやられっぱなしだから・・・つい反論口調になってしまう。
だけど当の千聖は嬉しそうに、首を縦に振って、キラキラした目で愛理を見ていた。


「そう。愛理の言うとおり。千聖は、そう言いたかったのよ」
「舞全然わかんないんだけど。納得できない」

ここで差をつけられたらたまらない。愛理より自分のほうが、千聖の気持ちを汲むことができる。そう思いたいがための焦りが、私の口調をとげとげしくしてしまう。


「つまりね、舞。私は、今皆さんと一緒に歌っていて、自分の声だけが浮いているのがわかったわ。
トーンや質、発声・・・。歌うことは好きだけれど、合唱には、向いていないように感じたわ」

そう言いつつも、あまり残念そうに見えないのはなぜなんだろう。どうやら、愛理にはわかるらしく、微笑して千聖のことを見つめている。なのに、私は一瞬一瞬の千聖の気持ちが読めない。そのことが、どうしようもなく気持ちをモヤモヤさせてしまう。

「お嬢様の声、綺麗に響いていらっしゃったと思いますよ~ケッケッケ」
「そうです、ケッケッケ、合唱には、これが正解というハーモニーはないですから。今も、お嬢様たちに加わっていただくことで新しい魅力が生まれたと思いますし」

ケッケッケ隊もとい合唱部の部員さんたちは、口々に千聖に優しい言葉をかけてくれている。なっちゃんもうんうんと大きくうなずきながら、相変わらずオロオロした感じで千聖を見つめているようだった。

「ちしゃと。自分で合唱に向いてないって思ってたって、他の人はそう感じなかったみたいだけど?」
「でも、ご迷惑になってはいけないわ」
「だから、迷惑とか誰も言ってないし。そうやって思い込みで変な自虐すんのやめてよね」
「まあ、舞ったら。思い込みではないのよ。千聖は実際に、皆さんと声を重ねて・・・」

千聖の舌ったらずな抗議。
いつものちさまい恒例の言い争いより、熱が入っている。その事も、一層私を苛立たせる要素となって、胸をムカムカさせてしまう。


「ストーップ!!!」


そんな私たちの間に、久しぶりに懐かしい喧嘩止め文句が割って入ってきた。


「お嬢様!舞ちゃん!喧嘩は生徒会室で!決着が着かなければ寮で!人に迷惑をかけないこと!」

自分の出番とばかりに、若干ちょっと嬉しそうにキャンキャンと吠え立ててくる小型犬・・・もとい、なっちゃん。
同時に、周りから“ケッケッケ”“ケッケッケッケッ”と小さな笑い声も聞こえてきて、ヒートアップしていた言い争いに急ブレーキがかかる。


「楽しくなければ、部活動巡りの意味がないケロ!皆さんは、お嬢様を思って、こうして部活動に体験入部させてくれたんですから!痴話ゲンカは後にしてください!」

「・・・そうね、なっきぃが言うとおりだわ。大人げない態度をしてしまって、ごめんなさい」

なっちゃんのお説教で、千聖もようやく落ち着きを取り戻した。
ふふん、“痴話ゲンカ”って。これも私の気を静めるためのなっちゃんの作戦なら大したもんだけど、まあ、なっちゃんだからなあ(ギュフーッ!)

「舞、愛理、なっきぃ、皆さん」

千聖は深く息を吐き出すと、鳶色の瞳を瞬かせて、室内にいる一人一人の顔をじっと見つめた。


「私、元々皆さんの合唱がとても好きで。
今日体験入部させていただく前から、皆さんがコンクールに参加なさった映像を拝見したりしていました。
本当に、澄んだ水のように優しくて綺麗な音色。美しいハーモニー。・・・だから、そこに自分の声が入るのは、なにかが違うと感じました」
「でもさ・・・」

言いかけて、私はぐっと言葉を飲んだ。


「舞?」
「・・・やっぱいい。ちしゃとがそう思ったんなら、いいんじゃないの、それで」


だって、千聖の目には、何の迷いも感じられなかった。まるで、自分の歌が、合唱を破壊してるかのような物言いなのに、その表情には一切自虐的な要素はなく、私は自分が、全くの思い違いをしているということに気が付いたのだ。

「・・・ちしゃとはさ、夏焼さんのファンじゃん。ってか、Buono!大好きじゃん」
「ええ、そうね」
「でも、Buono!に入りたいかって言われたら、そうじゃないんでしょ?」
「ええ、そういう気持ちではないわ」
「今も、同じ気持ちなんでしょ。合唱部は好きだし尊敬もしてるけど、入部して一緒に歌いたいんじゃないって」

今度は、正解だったらしい。
千聖は目を三日月にしてこくこくとうなずいた。

「ウフフ。舞は何でもお見通しなのね。うまく言葉にできなかったから、どうやってお伝えしようかと思っていたのだけれど」
「ふふん、まあ、ちしゃとの考えてることぐらい、いつもわかってるし」

「…皆さん。今、舞が代弁してくださったのが、私の考えです。
大好きな皆さんの歌の中に、自分の声を混ぜてみたら、どうなるのか、馴染むのか、反発してしまうものなのか。失礼ながら、今日は部の見学だけでなく、それが楽しみでした」
「で、結果、これは違うかな?と」
「ええ、愛理。
でもね、これはネガティブな気持ちではないの。もちろん、歌が好きな気持ちに変わりはないわ。
だけど、私の声は、少しあくが強すぎるのでしょうね。皆さんと上手く調和できない歌ならば、合唱部に入部させていただくのは、本意ではないと考えたの」
「キュフゥ・・・でもお嬢様、もったいないですよ。そんなに魅力的な歌を歌う才能があるっていうのに」

なっちゃんは大変不本意そうだけれど、合唱部の人たちは納得してくれたみたいだ。
そこまで熱心に自分たちの歌を聴きこんでる、というのはそりゃ悪い気はしないだろう。

「・・・舞みたいに、“つまらん”とか言われちゃう歌のほうが合唱には向いてるのかな」

何気なくそうつぶやくと、愛理となっきぃが「ヒィィ」とか言いながら、大げさに後ずさりする。

「なんだよぅ」
「ま、舞様が、フォローの言葉を述べてらっしゃるケロ!」
「しかも自分sageお嬢様age・・・ケッケッケ、珍しいもの見てもうたぁ~」
「いいでしょ、別に!」

おちょくられるのは好きじゃないんだけど、まあ不思議とそんなに悪い気はしない。
この部の、独特の空気がそうさせるのかもしれない。ボス(?)の愛理と同じく、面白がりでマイペースな我が道タイプが揃っているんだろう。

「お嬢様。合唱部には入部しないというお話、残念なことですが、もう一つだけよろしいでしょうか?」

ふと、愛理が真顔になって千聖に向き直る。

「ええ、愛理」
「私、いえ、私たち、本当に楽しかったですよ。お嬢様と合唱ができて。心からそう思います」
「ウフフ、ありがとう」
「それで、1つ提案なのですが。お嬢様は、声楽にご興味はありますかぁ~?」
「声楽?」


聞けば、うちの系列の大学の声楽科で、学生さんが中・高等部生にレッスンをしてくれることがあるらしい。

「私も以前、発声のレクチャーをしてもらったことがあって。ケッケッケ、うちの部のOGさんもいらっしゃいますし、よかったら今度一緒にどうでしょう?」
「まあ・・・。素敵なお話だけれど、私なんかがお伺いしてもいいのかしら?」
「ケッケッケ、お嬢様の実力は、合唱部のお墨付きなんですから。先輩方もきっと、才能溢れる後輩の訪問を喜んでくださいますよ」

傍らの千聖の肩がそわそわと動き出して、嬉しくてたまらないっていう気持ちが顔なんて見なくても伝わってくる。

「ねえ、舞、なっきぃ」
「ちしゃとがやりたいなら、舞別に反対しないけど」
「キュフフ、ぜひお嬢様の独唱を聴かせてくださいね!お屋敷のホールでリサイタル開いちゃいます?」
「ウフフフ・・・二人がそう言ってくださるなら、私、挑戦してみようかしら」

――まあ、なんていうか、私も大人になったもんだ。
二人の時間は減っちゃうのかもしれないけど、その辺は有原の添い寝を阻止するとかして、調整を図ればいいかな。
大体、こんな極上笑顔の前で、反対だなんていえるわけがないし。



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