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成人式が始まった。
厳かな式典を新成人が妨害するなんてことももちろん無く、式次第はいたって平穏に進行していく。
市長さんの挨拶も無事に何事も無く終わった。

心配なんてするまでも無かったな。
取り越し苦労だったことにホッとしつつ、改めて思う。これで僕も成人だ。
これからは僕ももう大人なんだ。しっかりとしないとな(ま、舞ちゃんのためにも・・)。
さっき市長さんの言った新成人の自覚ということの意味を噛みしめつつ、隣りのなかさきちゃんを見てみる。

成人となった彼女の、真っ直ぐに前を見据えているその知的で凛とした表情。
それはそれは可愛くて。ずっと見ていたいよ、その表情。
本当にカワイイなー、なっきぃ。


そのときだった。
急に舞台袖で何かざわついた気配がしていることに気付いた。
何かあったのかなと思う間もなく、そのざわめきは程なく落ち着く。
そのまま式典は何事も無いように続く様子だし、何かトラブルがあったという訳では無いのかな。

静けさを取り戻した舞台袖から、次の登壇者らしき人物が現れた。
壇上に現れたその紋付袴姿の人物を見て、僕となかさきちゃんは同時に叫び声をあげることになる。


「ゆ、ゆ、ゆりなちゃん!!!」
「く、熊井ちゃん!!!!11」

そう。
ステージの上に現れたのは、熊井ちゃんだったんだ。

その長身を紋付袴で包み、この市民ホールのステージに現れた熊井ちゃん。
いつもの自信満々の振る舞いは、今日のこの大勢の観衆の前でも全く変わらない。
その堂々たる立ち姿。

目の前のこの光景は、僕を固まらせるのに十分すぎるほどのものだった。


この成人式、彼女がやらかさないはずが無い、とは思っていた。
だが、彼女のやることはいつだって、僕が常識の範囲内で考えうるような、そんな予想を遥かに上回っているんだ。
今もまた、大きな熊さんは見事なまでに僕の想像の遥か斜め上を突き進まれていらっしゃった。

演台のマイクを前に、彼女がしている満面のそのドヤ顔。
その表情を見れば、僕の心が平穏でいられるはずも無い。
僕は一瞬にして嫌な予感を通り越して、一気に恐怖心に包まれる。


そんな僕の後ろの席から、思いがけない甲高い歓声が聞こえてきた。
いまステージ上に現れた人物の姿に、後ろの席の女の子たちが叫ぶような声を上げたんだ。
彼女たちの視線が捉えているのは、セミロングまで伸びてきた髪を後ろに束ねた羽織袴姿も凛々しい長身さん。

「えー、なに? すっごいイケメンじゃない♥」
「あんなカッコいいヒトがこの街にいたんだ!」

絶句している僕やなかさきちゃんの反応とはまるで異なり、現れた大きな熊さんを見て興奮気味にキャーキャー言ってる彼女たち。
まぁ、たぶん次に壇上の人が口を開いてクマクマとした声で喋りだした瞬間にその認識も一変することだろうけど。

なんなんだ、これは・・・・
全く状況が理解できず混乱の局地に陥る僕。
隣りのなかさきちゃんも似たようなものみたいだ。

「な、なかさきちゃん、これはいったい・・・?」
「ゆ、ゆ、ゆりなちゃん・・・」

壇上に立ってホール内をゆっくりと見回している熊井ちゃん。
まさか、何か喋るつもりなんだろうか。
ていうか、もちろんそのつもりなんだろうな。見るからに喋る気満々の御様子だし。
大丈夫なんだろうか。ここは成人式という厳かな儀式の場なのに。
また世界征服がどうのなどと訳の分からない演説を始めたりしないだろうな。
この状況、こ、怖すぎる。


そんな緊張を感じている僕の耳に、次第に広がる会場のそのざわめきが聞こえてきた。

「あれ? ひょっとして、女性なのか!?」

目ざとい人にはそのことが分かったみたいだ。
そんなステージの様子に当然、ザワザワとした空気が広がり始める客席。
そりゃそうだ。壇上に現れたのは、この紋付袴を纏った長身の美女。
ただ事ではないということだけは一目で分かる。

しかし、紋付袴って。
なんでまたそんな格好・・・
熊井家の人たちは、この格好で成人式に向かう長女に対して何も言ったりはしなかったんだろうか。

そんな愚問を僕が考えているとき、熊井ちゃんの表情がふっと緩んだ。
半開きになったお口が、彼女がいま楽しい心情にあることを知らせてくれる。
熊井ちゃん、楽しいんだな・・・
これからいったい何が起こるっていうんだ・・・

すると、おもむろに愛くるしい表情をつくった熊井ちゃん。
なんだ、その表情は。
めまぐるしい展開に、なんかジェットコースターにでも乗ってるような気分になってきた。
こうなったらもう固唾を呑んで見守るしかない。

だが、次に彼女の口から出てきた言葉は、予想外のもの、だった。
この厳かな式典の場にそぐわない、鼻にかかったような幼い声色。

「あのねっ、芦田愛菜だよ」

・・・・・・・

ホール内を、寒い空気が充満した。

いきなりそんなことを言い出して・・・
そんなの、ここにいる人のうち何人が分かるんだよ。

僕には分かった。
そして隣りにいるなかさきちゃんももちろん分かったみたいで。
これ、熊井ちゃんは千聖お嬢様のモノマネをしているんだ。

先日、千聖お嬢様がしてくれた、テレビで見たというあるタレントさんのモノマネ。
何でも、テレビ大好きっ娘のお嬢様がある番組を見ていたら、たまたまやっていたそのモノマネがとても面白かったらしく、えらい気に入られてしまったとのことで。
そのモノマネを僕らにも披露してくださったことがあったんだ。
つまり今のは、元々はあるタレントさんのモノマネで、そのモノマネをしている千聖お嬢様、さらにそのマネをしている熊井ちゃん、というわけだ。

だがもちろん、そんなことが会場の人たちに分かるはずもない。
熊井ちゃん渾身の一発ギャグをもってしても、この彼女自身の登場により緊張させられた会場の重い空気をほぐすことは出来なかった。
会場の人たちは一様に、紋付袴で突然現れていきなり寒いことを言い出したその長身の美人さんに対してリアクションを取れないでいる。
そんな凍りついた会場の空気ではあったが、僕と隣りのなかさきちゃんにはそのモノマネが余りにもタイムリーすぎてツボに入ってしまったわけで。

「「プッww」」

思わず吹き出してしまった。
たぶん、いま中学校の同級生と一緒にいる栞菜ちゃんも同じ反応だったはず。
だって、千聖お嬢様のあのモノマネを思い出してしまうんだ。
あの可愛らしいお嬢様の作り笑顔を思い出すと、それがどうしてもおかしくて。


熊井ちゃんとしては、とりあえず一発かましてこの会場の空気を全て自分のものにしようということだったのだろう。
ギャグは滑ったが、そんな彼女の狙いは結果的には当たったようだ。
この会場中の全ての人の視線が、今は壇上の熊井ちゃんに向けられている。
あっけにとられている、と言った方がより適切かもしれないが。

そんな緊張感ただよう雰囲気にも全く動じないのは、大きな熊さんさすがとしか言いようが無い。
これだけの観衆を前にしてたった一人でステージに立つなんて、普通それだけでも緊張しそうなものなのに。
そんなステージに立って(しかもどうやら乱入・・・)、そこでやったことはと言えば、千聖お嬢様のモノマネ(しかもダダすべり・・・)。

たいした度胸だよ。
まぁ、いつものことだけど・・・
いつだって彼女は自分のやりたいことを気ままにやっているだけ・・・

するとここで熊井ちゃんが表情を変えたんだ。
お遊びはここまで、とばかりに今度はやけにキリリとした表情になると、ホールをぐるりと一瞥した熊井ちゃん。
会場中の静寂を確認するように一呼吸おくと、マイクに向かってゆっくりと語り始めた。

「私は、中学校高校と市内にある学園に通いました」

「その頃の思い出は多いですが、そのなかでも特に印象に残っている出来事があるので、今からそれを話したいと思います」

さっきとは打って変わって真剣な口調だ。
予想外にまともなことを話し始めた熊井ちゃん。
案外ちゃんとしたことを話すつもりなのかもな。
そうだよね。マジレッサーなことでも分かるように、ああ見えて根は案外マジメなんだから(本当?)。
どうやら大惨事だけは免れそうだと、ちょっとホッとしながら彼女の話しの続きを聞くことにした。


私は、小学校を卒業すると市内にある学園に進学しました。
中学校高校と、6年間をその学園で過ごしたんですけど、そのなかでも一番憶えてることがあって。
あれは、学園の入学式の日のことでした。
その日、入学式のあとお母さんと街に出かけたんです。
その電車の中でのことなんですけど、隣りの席に座っていた知らないおじさんが、こっちをすごい見てたんですね。
おおかた「デカい女がいるな」とか思ってたんだろうと思いますけど、とにかくすごい見てるんですよ、私のことを。
すごい見てくるから、何かやだなーと思って警戒してたんです。
そしたら、そのおじさんがいきなり「その酢昆布、おいしそうだね」と話しかけてきたんです。
あ、わたし、酢昆布食べてたんですよ、電車のなかで。え?おかしいですか? 全然おかしくないでしょ。
で、そう、「酢昆布、おいしそうだね」っていきなり言われたんですよ。
しかも、なんかすごい欲しそうにしてるんです。
「えー?」と思って、隣りにいるママに「どうしよう?」って聞いたら「あげなさい?」と言われたので、しょうがないから「ハイ、コレ・・・」と言って酢昆布をあげました。
それで酢昆布をあげたら、そのおじさんとても喜んでくれて。
サラリーマンって酢昆布で喜ぶんだなあ・・・と思った思い出があります。
懐かしいねー(遠い目)。
そんな思い出もあって、自分のなかでは、学園の入学式、イコール、酢昆布、という思い出になってます。

な、何を言ってるんだ、この人は・・・

酢昆布って・・・・

どうしてまた成人式の式典でその話しをしようと思ったんだろう。
たぶんここにいる全ての人が同じことを思っているのかもしれない。

でも僕には分かった。
これ、たぶん逆なんだよ。
熊井ちゃんは別に、この酢昆布の話しをしたかったという訳ではないんだ。
そう、逆。
成人式という場所で話したかったことが、たまたま酢昆布の話しだったというだけのこと。
彼女にとって大事なのは、この成人式という大切な場で、自分の大切にしている話しをするということで。
いつだって彼女にとってはその目的こそが重要なわけで、そのための方法論というのはそれほどの意味を成さないんだから。

だからこその今の酢昆布の話しなんだ。
大切にしている話しが酢昆布でいいのか、という疑問はそれはまた別の問題で。
全ては熊井ちゃんにしか分からないこと。
この何というクマクマワールド。さすがだよ。


そんな、胸を張って壇上に立っている熊井ちゃんの姿を、隣りのなかさきちゃんは実に生ぬるーい表情で見つめていた。



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