制度としてのソビエト民族学 : 民族学理論の位相と歴史主義の可能性 : ロシア民族学に於けるエトノス理論の攻防 ―ソビエト科学誌の為に―

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制度としてのソビエト民族学 : 民族学理論の位相と歴史主義の可能性 : ロシア民族学に於けるエトノス理論の攻防 ―ソビエト科学誌の為に―」(2011/04/02 (土) 02:50:09) の最新版変更点

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*分類 論文 *タイトル ロシア民族学に於けるエトノス理論の攻防 ―ソビエト科学誌の為に― *公開 国立民族学博物館 みんぱくリポジトリ 国立民族学博物館調査報告(SER) http://hdl.handle.net/10502/3918 •ページ数:46 *著者 渡邊日日 *発行日 2008 *本文引用  ……本稿は,限度を持つとはいえ以上の視角から,ソビエト民族学,特に民族理論の発展過程と重なり合うソビエト民族学の流れについて,その「防御体」での理論的蠢きを記述するものである。便宜的に3名の民族学者を取り上げ,その民族理論の軌跡を追う。  1人は,トナカイ遊牧民であるシベリア・北方トゥングース(エヴェンキ)人について精緻な調査を行い,膨大な研究業績を残したセルゲイ・ミハイロヴィチ・シロコゴロフ(Sergei Mikhailovich Shirokogoroff, 1889-1939)である。彼がここで取り上げられるのは, 世界に先駆けて「民族(etnos)」概念を, 単なる記述概念としてではなく分析概念として練り上げたその功績ゆえであり,そのエトノス論とソビエト期のエトノス論との対比によりそれぞれの立論の特徴が際立つからである。  次に,ソビエト期のエトノス論の立役者であり,長らく民族学研究所所長として大きな影響力を行使したユリアン・ヴラジミロヴィチ・ブロムレイ(Iurian VladimirovichBromley, 1921-1990)である。ここで, 彼の生涯について簡単に記しておきたい。(中略)こうしたブロムレイが,重病ゆえ職務を続けられなくなったS・P・トルストフ(専門は中央アジアの考古学と民族学)から民族学研究所所長の地位を引き継ぐことになったのは翌年の1966年のことである。それから1989年まで所長職を続け, 1990年6月に亡くなった。この所長職の間, 練り上げられていったエトノス理論が本稿での議論の大きな対象である。  3人目は,既にその名に触れた,ヴァレリイ・アレクサンドロヴィチ・ティシュコフ(Valery Aleksandrovich Tishkov, 1941-)である。1941年,スヴェルドロフスク州に生まれ, 1964年, モスクワ大学歴史学部を卒業後, 1969年に「カナダ1837年革命の歴史的前提」で准博士号を, その10年後,「植民地カナダに於ける解放運動」で博士号を取得した。一時期, 科学アカデミー歴史部門で研究助手を務め, 1989年から, ブロムレイの後を受けて,民族学研究所の所長となり,現在に至っている。ティシュコフは,エリツィン政権の時に民族問題担当大臣を務めたこともあって,民族や移民,人口に関する政治的発言が多い人物としても知られる。本稿で彼を取り上げるのは,寧ろ,彼の議論が西欧人類学にとってアクセスし易い種類のものであり,それゆえ彼のソビエト民族学批判の意義と限界を明らかにし易いからである。また, 彼が所長になって以降,民族学研究所は,民族問題への積極的な取り組みを行い,現在のロシア民族学のパラダイムを主導しているという側面も無視できない。 *タグ &tags()
*分類 論文 *タイトル ロシア民族学に於けるエトノス理論の攻防 ―ソビエト科学誌の為に― *公開 国立民族学博物館 みんぱくリポジトリ 国立民族学博物館調査報告(SER) http://hdl.handle.net/10502/3918 •ページ数:46 *著者 渡邊日日 *発行日 2008 *本文引用  ……本稿は,限度を持つとはいえ以上の視角から,ソビエト民族学,特に民族理論の発展過程と重なり合うソビエト民族学の流れについて,その「防御体」での理論的蠢きを記述するものである。便宜的に3名の民族学者を取り上げ,その民族理論の軌跡を追う。  1人は,トナカイ遊牧民であるシベリア・北方トゥングース(エヴェンキ)人について精緻な調査を行い,膨大な研究業績を残したセルゲイ・ミハイロヴィチ・シロコゴロフ(Sergei Mikhailovich Shirokogoroff, 1889-1939)である。彼がここで取り上げられるのは, 世界に先駆けて「民族(etnos)」概念を, 単なる記述概念としてではなく分析概念として練り上げたその功績ゆえであり,そのエトノス論とソビエト期のエトノス論との対比によりそれぞれの立論の特徴が際立つからである。  次に,ソビエト期のエトノス論の立役者であり,長らく民族学研究所所長として大きな影響力を行使したユリアン・ヴラジミロヴィチ・ブロムレイ(Iurian VladimirovichBromley, 1921-1990)である。ここで, 彼の生涯について簡単に記しておきたい。(中略)こうしたブロムレイが,重病ゆえ職務を続けられなくなったS・P・トルストフ(専門は中央アジアの考古学と民族学)から民族学研究所所長の地位を引き継ぐことになったのは翌年の1966年のことである。それから1989年まで所長職を続け, 1990年6月に亡くなった。この所長職の間, 練り上げられていったエトノス理論が本稿での議論の大きな対象である。  3人目は,既にその名に触れた,ヴァレリイ・アレクサンドロヴィチ・ティシュコフ(Valery Aleksandrovich Tishkov, 1941-)である。1941年,スヴェルドロフスク州に生まれ, 1964年, モスクワ大学歴史学部を卒業後, 1969年に「カナダ1837年革命の歴史的前提」で准博士号を, その10年後,「植民地カナダに於ける解放運動」で博士号を取得した。一時期, 科学アカデミー歴史部門で研究助手を務め, 1989年から, ブロムレイの後を受けて,民族学研究所の所長となり,現在に至っている。ティシュコフは,エリツィン政権の時に民族問題担当大臣を務めたこともあって,民族や移民,人口に関する政治的発言が多い人物としても知られる。本稿で彼を取り上げるのは,寧ろ,彼の議論が西欧人類学にとってアクセスし易い種類のものであり,それゆえ彼のソビエト民族学批判の意義と限界を明らかにし易いからである。また, 彼が所長になって以降,民族学研究所は,民族問題への積極的な取り組みを行い,現在のロシア民族学のパラダイムを主導しているという側面も無視できない。 *タグ &tags()

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