タタール商人の町カルガルの成立--一八世紀前半ロシアの宗教政策と東方進出

分類

論文

タイトル

タタール商人の町カルガルの成立--一八世紀前半ロシアの宗教政策と東方進出

公開

007 京都大学大学機関リポジトリKURENAI紅
京都大学東洋史研究
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/138200
  • ページ数:36

著者

濱本眞實

発行日

2006/12

本文引用

1745年に,ロシアの「東方への窓」とも呼ばれたオレンブルク近郊のカルガルКаргалы,Qarghālī(別名セイトフスカヤ・スロボダーСеи-товская слобода,あるいはカルガラКаргала)に,カザンから移住したタタール商人の一団は,オレンブルクを基点とするロシアの対中央アジア貿易において先駆者として活躍した。カルガルのタタール商人は,ロシア政府からカルガルへの移住の条件としてさまざまな特権を与えられていた。そのうちの一つとして,信仰の自由の保証があり,カルガルの町の外側には,彼らの移住後すぐに大きなモスクが建てられた。1740年代はロシア帝国において最も激しい正教宣教政策が採られた期間であったにもかかわらず,このようなモスクの建設が実現されたことは注目に値する。
18世紀前半のロシアは,東方との交易を求めて,また,草原の遊牧民を支配するため,着々と東南に領土を広げていった。同時に,帝国内の東方諸民族に対しては,これまでになく大規模な正教化・ロシア化政策が推し進められた。タタール商人は,まさにロシアの東方進出とキリスト教化政策の狭間で頭角を現していったと言える。

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最終更新:2012年02月19日 03:01