※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 変だな、と思った。


 膠着状態。今の僕達はまさにそれだ。
 誰かを殺し、それを誰にも見破られずに貫き通せば、他の全員の命と引き換えに自分が卒業。
 そこには、会ったばかりのはずの他人に対する警戒心や、他人を犠牲する自分に対する嫌悪感があったのだろう。
 もしかしたら、他の生徒の目を欺いて完全な殺人を犯す、ということの難易度に身構えていた結果かもしれない。

 とにかく僕達は、そのルールに縛られずにこの学園生活を送っていた。
 誰も殺さず、けれど仲良しこよしというわけでもなく。

 妙な連帯意識を結ぶ相手もいれば、絶えず警戒を張り巡らせている人もいる。
 それでも、その妙な距離感を、僕達は享受していたのだ。


 そうして、数か月。

 たった数か月と言えばそれまでだけど、それでもその間に互いの距離感は把握していた。

 だから。


「ぁ…苗木、君」


 彼女に廊下で呼びとめられた時、僕は変だな、と、そう思ったんだ。


「…舞園さん。どうしたの?」
「…あ、いえ…その…」

 一目見て分かるくらい、鈍い僕でも警戒心を抱いてしまうくらいに、彼女は様子がおかしかった。

 息が荒く、耳元までその吸気の音が聞こえてくる。
 肩が上下するたびに、そのふくよかな胸が強調されるようだ。
 顔は赤く、熱にでも浮かされているのかのように目は虚ろ。

 そして、

 鼻孔を突く、僕の知らない匂い。
 蕩けるように甘く、腐ったように粘り、溶かされるほど扇情的なその匂いの発生源は、紛れもなく目の前の彼女からだった。


 彼女とは比較的、友好関係にあるはずだった。
 同じ中学だったということもあるし、なにより彼女は助かることよりも、ここでどう生活するかを考えていた。
 他の誰かを出し抜くよりも、現状を受け入れることに尽力をする人だったのだ。

「舞園さん、顔…真っ赤だよ?どうしたの?」
「あっ、いえっ、これは、その…」

 だから、変だな、とは思ったけれど。
 僕は警戒を、解いた。

 そう言えば今朝の食堂で、ひどく具合が悪そうにしていたことを思い出す。

「まさか、熱があるんじゃ…」
 と、歩み寄ろうとした僕から遠ざかる様に、
「っ…!」
 舞園さんは距離を取った。

「?」
「あっ…す、すみません」
「や、謝られるようなことじゃないけど…ホントに大丈夫?」

 足運びもおぼつかないようで、距離を取ったはいいものの、ふらついている。
 本当に、熱に浮かされているとしか思えなくて。
 僕は無遠慮にも、一歩踏み出したんだ。

「な、なえぎ、く…」
 す、と腕を伸ばし、舞園さんの額に当てる。
「んっ…」
 ちょっと無遠慮かなとも思ったけれど、熱があるなら一大事だ。
 実際彼女の額は少し汗ばんでいて、燃えるように熱い。

「すごい熱だよ。安静にしてなきゃ…歩ける?保健室まで行こう」
「……」

 手を胸のあたりに当てて、腰を揺らす。
 その仕種が艶めかしくて、僕は唾を飲んだ。

 何を考えているんだ、僕は。
 相手はアイドルで、病人で、そして大切なクラスメイトだ。
 こんな気持ち、失礼以外の何物でも――


「わかりました、行きましょう」

 と。
 不意に彼女がそう言った。

「え?あ」
 するり、と、僕の指に彼女の手が絡みつく。
 艶めかしく、しっとりとした彼女の指が、まるで逃がさないとでも言うかのように、指と指の間にしがみついた。

「ま、舞園さん…?」

 熱に浮かされた彼女の顔が、一瞬だけ陰ったように見えた。
 けれど、それも気のせいだったのか。

「付いてきてくれますか、苗木君」
「う、うん…」

 再び見た彼女の貌は、いつものように微笑んでいた。

「あれ?あの、舞園さん、こっちは保健室じゃ――」


――――――――――――――――――――――
『弾丸論破 鬼畜セレスの話(R-18) vs霧切』
――――――――――――――――――――――


「目新しい食べ物は追加されてなかったね…」
「まあ文句言ってもしゃーないべ。レパートリーは豊富だし、味も文句ないし」
「断言しよう!食堂には、季節ごとに旬の食材が入荷されているから、しばらくは同じ――」
「…それ、ずっと前に分かってることだろ」


 恒例と化した、朝食会。

 提案したのが誰で、それがいつだったのか、覚えている人間はどれくらいいるだろう。
 それほど、ずっと前から続けられていたことだった。

 生活環境を崩してしまわないように、全員で食堂にそろって朝食を取る。
 その後、この共同生活の中で気が付いたことや、気になっている事項を上げて、解散。
 既に形骸化した、そんな儀式めいた行事だ。

 そんな中。


「――ふっ、…!!……、ん、っ…ぁぶ…っ」

 想定以上の感覚に、思わず口の中のものを吐き出しそうになってしまい、私は慌てて手で押さえた。



「…舞園さん?」

 正面に座っていた苗木君が、気付いて声をかけてくれる。

「どうしたの?吐きそう…?」


 彼にだけは、気取られるわけにはいかない。

 心配をかけたくないという気持ちもあるけれど、それ以上に。
 既に汚れ、落ちてしまった私を、知られたくなかった。

 まともに咀嚼していないものを無理矢理飲み込んで、私は笑顔を作り上げる。


「…大丈夫、です。すみません…ちょっと、苦手な味だったから」
「そう?…あ、じゃあ僕のパスタと交換しようよ。まだ、フォークはつけてないからさ」

 彼は穏やかにほほ笑み、自分の平皿を指す。
 茹でたパスタにレトルトのソースをかけただけの簡単なものだったが、確かに目の前のトーストよりはいい。

「…ありがとう、苗木君」


 隣にいたセレスさんが、底意地の悪い笑みを向けてきた。

 二つ隣の、セレスさんを挟んで向こう側の席では、朝日奈さんがご飯を流し込んでいる。

「おいおい朝日奈…そんな、オメェ、飯が逃げるわけでもねえんだし」
「朝日奈よ…ゆっくり噛まなければ、胃を悪くするぞ」


 周囲の忠告も無視して、彼女は本当に料理を『飲み込んで』いた。
 たぶん、アレが彼女が身につけた方法なんだろう。

 確かにあれなら、あまり口の中は刺激されない。
 それに、思わず零れる声も、

「んっ…ぐ…ふぅ、っ!…」

 飲み込んで、誤魔化せるだろう。


 けれど、私はそれを真似するわけにはいかなかった。
 なりふり構っている場合じゃないのは理解している。

 それでも。

「あはは…朝日奈さん、相変わらずすごい勢いだね」

 目の前のこの少年の前で、はしたない姿は晒せない。
 おそらく、それをわかってセレスさんは、私を苗木君の正面に座らせたのだろう。


 震える手でフォークを握り、数本パスタを巻き付け、口の中へ。
 唇にかするだけで、くすぐられたかのような甘い刺激が奔る。

 まるで、生きた触手を食べているかのように感じた。
 意思を持っているのではないかと疑うほど、その紐は私の舌にぬるぬると絡みついて、

「――ん、ふ…あ゛っ…!」

 耐えきれず、私は横にあった牛乳で、それを流し込む。


「…舞園さん?パスタもダメだった…?」

 また、彼が心配そうに覗きこんでくる。
 ダメだ、悟られてはいけない。

「大丈夫…です…おいしい、からっ…」

 テーブルの下で、これでもかというくらい、太ももに爪を突き立てた。
 痛みがあれば、多少は紛らわせる。

 出演してきた番組で、催眠術を見たことはあった。
 それでも自分が実際にかけられたことは無くて、どうせ眉唾なものだろうと決めつけていた。
 メンバーの一人が、実際に自分がかかった時のことを説明しても。
 個人差だってあるだろうし、自分がかかっていると思い込んでいるだけなんだ、と。


 私と朝日奈さんの口の中は、今は女性器となっている。

 実際にそうなっているのではなく、性器としての機能なんかない。
 ただ、催眠術でそう認識させられているのだ。

 不思議なもので、自分が催眠にかかっているとわかっても、それは解けるものではなかった。
 それどころかいっそう感覚を鋭敏化させ、

 唇は陰唇に、口蓋はGスポットに、そして、


「ん、むっ…ふ、んぅ…っ!、!…っ」


 ぬらぬらとパスタが纏わりつく舌からは、まるでクリトリスを細い紐で擦り上げられるかのような快感が、脳髄に届く。
 ゾクゾクと脊髄を駆け抜けて、頭からアソコまで、電気のように鋭い性感が走り抜ける。
 思わず背筋を震わせるも、表情にはおくびにも出すわけにはいかない。

 口の中にあるものは、食べ物ではなく、もはや異物だ。
 味すらもまともに感じられない。
 咀嚼しなければ飲み込めず、けれども少しでも口を動かせば舌が――クリトリスが過敏に反応する。

 既に、三回は絶頂した。
 その度に満足げにセレスさんは笑い、苗木君には訝しげな目で見られる。

 でも、私はまだ良い方だ。

 『ゼロと言われない限りイケない』という催眠も継続している朝日奈さんには、地獄のような時間だろう。
 絶頂できないことが、ではない。


「どこからか入ってくる食糧でしか、外の季節が分からないなんて…ね」
「どうだかな。それすらも怪しいものだ」
「どういうこと?」
「秋の食材が来たから秋だ、と…そう思い込むことも、黒幕の手のうちかもしれないだろう」
「意図的に季節感をずらされてる、ってわけ?」
「まあ…可能性も『ゼロ』じゃないだろうな」


「――ふぶっ…!!!」


 ガシャン、と、大きな音を立てて、床に食器が落ちる。

 朝日奈さんは体を大きく痙攣させて、意思のない絶頂を強制された。
 幸か不幸か、彼女のその様子に気が付く人はおらず、

「あーあ、なにやってんだよ朝日奈…」
「あ、僕、拭くもの持ってくるよ」

 落ちた皿に気を取られているのがほとんどだった。


「あ……、かは…っ…」


 酸素を求めるように開かれた唇は震え、愛液のような涎を垂らす。
 その呼吸すら刺激が強いのか、ピンと背筋を反らしたまま、切なそうに目を潤ませている。

 どれだけ刺激されてもイケないのに、何の前触れもなく絶頂が訪れる。
 その辛さを思い、私は目をつぶった。
 彼女に比べれば、私なんてまだ楽な方なんだ。


「――苗木君、ごちそうさまでした」

 気を聞かせて雑巾を持ってきた彼に、私は微笑みを向ける。

「あれ、もういいの?」
「ちょっと、食欲が無くて…後のこと、お願いしていいですか?」

 苗木君が頷くのを確認して、私は席を立った。


「大丈夫か、朝日奈…気分がすぐれないのなら、」
「…だい、じょぶ…ごめん、私もう行く…」


 フラフラのまま、朝日奈さんが立ち上がる。
 けれども腰が抜けたようで、そのまま地面に倒れてしまいそうになる。

 私は横から、彼女の腕の下に体を入れて、それを支えた。


「あ…舞園、ちゃ…」
「…大神さん、朝日奈さんは私が送って行きます。具合悪そうだし」
「む、済まぬな…」

 セレスさんはこちらを見ていない。
 もう十分楽しんだし、好きにしろ、ということだろう。

 みんなから庇うように、私は自分の体を朝日奈さんとの間に割って入れる。
 今の彼女は、見せものにするべきじゃない。
 表情は蕩け、足は震え、分厚いはずのホットパンツがぐっしょりと濡れている。

 私だって似たようなもので、顔は火照るし、やっぱり足に力は入らない。
 下着だって、もはや意味を成さないほど、ぐちゃぐちゃになっている。

 それでも、彼女に比べれば、私なんてまだマシだから。

「…歩けますか、朝日奈さん。とりあえず、私の部屋まで行きましょう。その方が近いし」

 彼女にだけ聞こえるように、私は囁いた。

 ハッとしたように、彼女は顔を上げて、私を見て。
 そして、また瞳に涙を湛える。

「ゴメン…ゴメンね…」
「もう、謝らないでって言ったじゃないですか。ホラ、早く行かないとみんなに気付かれます」

 朝日奈さんのホットパンツは、後ろから見ても分かるくらい、濡れて色が変わってしまっていた。

 理解している。
 私を巻きこんだのは彼女で、そういう意味では彼女も加害者だ、と。
 けれどそれ以前に、間違いなく朝日奈さんも被害者だ。
 真の加害者に、有無を言わさず従わされただけ。
 彼女を恨んだりは、しない。

 そして、まもなく私も、そんな加害者の仲間入りを果たそうとしている。



「…あら」


 少し遅れて食堂に来た霧切さんと、ばったり蜂合わせる。

「…おはようございます」
「…ええ、おはよう」

 霧切さんは、訝しんだように私たち二人を見た。

「あ、あの…朝日奈さん、具合悪くなっちゃって」
「…」

 求められる前に説明してしまう。
 これじゃ、怪しいだけだ。

 でも、彼女の観察眼の前には、これを隠し通すことはできないだろう。
 言葉こそなかなか交わせないけれど、彼女の洞察力は十分に理解しているつもりだ。

 それに、優しさも。


「…深くは追求しないけれど。辛くなったら私にも言いなさい。出来る限りで、力になるから」

 なんとも素っ気なさげにそう言って、彼女はつかつかと食堂の中へ入って行ってしまった。

 たぶん、彼女はなんとなくわかっているんだろう。
 私と朝日奈さんがどういう状況で、何をされているのか。

 その上で、自分から首を突っ込んだりはしない。
 それは見捨てるという意味ではなく、選択肢を与えてくれるのだ。
 手を差し伸べれば、応えてくれるだけ。

 無愛想に見えて、優しいから。
 最初に出会った時は誤解してしまったけれど、彼女は本当にいい人で、


 だから、こんな感情を持ってしまっている自分を、私は心底嫌悪していた。


「あ、おはよう霧切さん」


 朝日奈さんを、早く楽にさせてあげなければいけないのに。
 私は足を止めて、食堂を見ていた。

「…苗木君、頬にいちごのジャム」
「え?あっ…」
「まったく、朝からそそっかしいんだから」


 彼女がそう言って腰かけたのは、苗木君の正面の席。
 さっきまで、私が座っていた椅子。
 本当なら、私がいて、今も苗木君と笑い合い、言葉を交わしていたはずの場所に、霧切さんがいる。


 奪われた。


 そうじゃない、と、自分に言い聞かせる。
 苗木君は、誰とでも仲良くなれる人だから。
 霧切さんも、悪意や故意で、あそこに座ったわけじゃない。

 なのに私は、心の底から湧きあがる黒い感情を抑えられなかった。


 苗木君は、私が最初に知り合って、私が最初に仲良くなって、私が――


「んっ……」

 と、横で震える朝日奈さんの体に、我に帰る。
 そうだ、汚い嫉妬に塗れている場合じゃない。
 まずは彼女を落ち着かせないと。


 苗木君がからかわれたのだろう、食卓でドッと笑いが起こる。
 その中心に、恥ずかしそうにうつむきながらも楽しそうな苗木君と、穏やかにほほ笑んでいる霧切さんがいる。

 後ろ髪を引かれる思いで、私は食堂を出た。

 こういう黒い感情を抑える方法を、私は心得ている。

 それは、我慢しないことだった。

 しっかりと黒い感情に向き合い、それを理解する。
 理解していれば、無意識に漏れだすことはない。
 自分の鬱屈とした部分を把握したうえで、それに蓋をするのだ。


 それが、芸能界にいた頃の、私のやり方。
 それが、理性を保っていた頃の、私のやり方。


『ん゛ぁあああっあああ!!!気持ちいい、気持ちいいですぅううっぅあああっっ――!!!』



 いつかの自分の悲鳴を思い出して、背筋が震える。

 理性を快楽で溶かされた時の、それは私の本音。
 あんな声、自分でも初めて聞いた。

 今の私は、スイッチ一つで自分の理性を崩壊させることができる。
 快楽という名のそのスイッチを、握っているのは他でもないセレスさんだった。



 怖い。
 自分がどうなってしまうか分からない。

 彼女は、次のターゲットとなる二人を、私に教えてくれた。
 それを責めるのに、私にも手伝ってもらう、と。

 理性がある内は、まだ拒んでいられる。

 もし、理性を溶かされたら。

 私は彼らに、何をしてしまうのだろうか。


 ゾクリ、と、背筋に嫌な感覚が走り抜けて、私はまた我に返り、自分の部屋へと急ぐのだった。






――そうして、舞園さやかは、最後まで気づかなかった。

 その時彼女の背中を駆け抜けたものが、怖気ではなく、むしろ恍惚に近いものだということに。