k2_349-358

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「き、霧切さん…そんな姿で歩きまわらないでって、何度言ったら…」 「自分の事務所よ。どんな格好をしていたって構わないでしょう?」 「か、構うよ!僕だっているんだから…その…」 「あら、苗木君に見られて、何か困ることがあるのかしら?」  霧切さんはそう言って机に腰かけ、艶めかしく足を組んだ。  話は、事務所に帰り着くなり、彼女がコートやスカートを脱ぎ去って、  下着とワイシャツ一枚というなんともサービス…目のやり場に困る姿になってしまった所から始まる。  先に言っておくけれど、彼女は酔っていた。  事の発端は、彼女が関わった今回の事件。  殺人だの強盗だのといったおよそ凶悪な犯罪の類ではなく、とある女優に付きまとう、たちの悪いストーカー被害に関するものだった。  …とある、女優。数年前には「超高校級のアイドル」とまで呼ばれていた、僕達のクラスメイト。  そう、かつての級友である舞園さんからの依頼。  その依頼を終え、積もる話とともに、二人揃って酒を酌み交わしたらしい。  まあ、僕はそんな酔った彼女たちのタクシー代わりとして呼ばれて、  ついでに彼女の事務所に(ほぼ強制的に)お邪魔させてもらったわけなんだけれど。  酔った霧切さんは、取り立ててひどく乱れたりはしないけれど、 「ふふ、苗木君…どこを見ているの?」  いつもより少しだけ大胆で、少しだけからかいが悪質になる。  僕は急いで目をそらす。 ――だから、そんな服装で歩き回らないで欲しいのに…  目をそらしても、彼女の姿は網膜に焼きついて中々離れようとしない。  健康的な白い肢体。はだけたワイシャツから覗く、黒いレースの下着。 「と、とにかく…事務所に送り届けたんだから、僕はもう帰るよ!」 「あら、私が帰すと思うの?」  僕の前に立ちふさがった霧切さんは、 「あなた、明日大学は休みのはずよね」  女性が持つにはおよそ似合わしくない、 「…アハハ、いや実は、一限から演習の…」  『鬼殺し』の名を冠する酒瓶を握りしめ、 「とぼけても無駄。私の仕事を忘れたの?身辺調査のプロフェッショナルよ」  少しだけ潤んだ目で、ジトリ、と僕を睨んでいた。 「もちろん付き合ってくれるわよね、苗木君。わかっていると思うけど、今夜は帰さないわよ」 「…ソフトドリンク、ある?」  僕は本当にお酒はダメで、大学に入ってから初めての新歓コンパでも、  ビールを一杯飲んだだけでトイレで倒れ込み、挙句記憶を失くして、  気づいたら店の裏に転がっていた。それくらい酒に弱い。  だから、テーブルの上に広げられた、スルメやチー鱈などのおつまみのオンパレードにも、  日本酒やウィスキーのような、一歩間違えれば命に届いてしまうような高い度数のアルコールにも、  本当はとことん縁がないはずなのだ。 「だいたいあなたは、卒業してからほとんど連絡もよこさないで、…ちょっと聞いているの!?」 「はい聞いていますすみません!」  霧切さんは、ダン、と音を立ててコップをテーブルに叩きつける。 「知っているのよ…山田君や江ノ島さんには、頻繁に連絡しているそうじゃない」 「だからなんで知っているのさ…」 「探偵なめんな!」 「すいません!」  本当に、たちがわるい酔っぱらいだ…。 「で、でも山田君や江ノ島さんは同じ大学d「そ・こ・じゃ・ないのよ、問題は!」  彼女の責めるような視線から逃れるように、僕は5杯目のウーロン茶を注ぐ。  彼女は僕の説得もむなしく相変わらずの服装で、ソファーに腰掛け足を組み、ゴボゴボとコップに酒を足した。  在学中は思いもしなかった、彼女がこんな酒豪だなんて。  凡人なら、とっくに酔いつぶれているであろう量を、彼女は同じペースで飲み続けている。 (やっぱり、探偵業ってストレス溜まるのかな…) 「どうして彼らとは何時間も電話して、私には一通のメールもよこさないの?」 「メールならしてるじゃないか…」 「私のメールに返信するだけでしょう!?それも、『うん、そうだね』とか『アハハ』とか…  まともに会話する気がないのは見るに明らかよ!  舞園さんには『月9主演おめでとう!毎週欠かさず見るよ!』なんてメール送っているくせに!  あの文面とドヤ顔を見せられた時、私がどれだけ惨めだったか!!」  ああもうどうしよう。本当に面倒だ。  普段は何を考えているかわからないほど、自分のことを頑なに語ろうとしないのに、  アルコールは人をここまで変えてしまうのか。  彼女が僕への愚痴を始めてから、そろそろ一時間が経とうとしている。  さすがの僕も、これだけけなされ続ければ、イラつきもする。  僕はお人好しでも聞き上手でもない、凡人なんだ。そこまでの寛容さはない。 「ああ、わかったわ。苗木君は私のことが嫌いで、相手をするのが面倒くさいのね。  だから桑田君や舞園さんのように、応援のメールも送ってこないし、  山田君や江ノ島さんのように、親しい話もしようとしないし、  不二咲君やセレスさんのように、食事を誘うこともしないのね」  彼女はそこまで一気に言うと一区切りし、ニヤニヤと笑って僕の反論を待っている。 「…」  僕は返事をしなかった。あえてだ。  いつもならこのタイミングで弁解を入れているけれど、今だけは本当に限界なんだ。  だいたい僕の身辺調査をしたというのなら、大学関連の情報リークは、きっと山田君か江ノ島さんのどちらかだ。  それなら今が期末考査の時期で、僕が昨日徹夜でレポートを仕上げたということだって、当然耳に入っているはずだろう。  だというのに、この仕打ち。  僕にだって、我慢の限界がある。 「…なにか言ったらどうなの、苗木君。反論や弁明があるなら、一応耳を貸してあげるわ」  どうせ何か言っても、相手は高校入学前から世界レベルで活躍するほどの探偵だ。  腐っても鯛、酔っていても霧切さん。論破されてしまうに決まっている。  だから僕は、反論しない。 「…そ、そう。反論はないのね。あなたは私が…嫌い。で、面倒だと思っている。そういうことでいいのね」 「…霧切さんがそう思うなら、それでいいよ」  霧切さんは、目を見開いた。面喰らった、と、表情が語っていた。  一瞬だけどコップを持つ手が震え、つまみに伸ばしかけていた手が止まる。  いつものポーカーフェイスも、さすがに酒が入ると、幾分か、いや、かなり緩むみたいだ。  女の子にこんなこと思うのは、ホントはダメなんだろうけど。 ――どうだ、まいったか 「…生意気ね。苗木君のくせに」  彼女はかなりの不満の表情を顔に浮かべ、またコップに酒を注ぎ足した。 「…ちょ、ちょっと、それ何杯目?いい加減にしないと、本当に体壊すよ」  僕が注意すると、彼女は例の潤んだジト目で僕を睨みつける。 「何よ、私が嫌いで、面倒なんでしょう?放っておけばいいじゃない」  ああ、デジャヴ。拗ねてる拗ねてる。  高校の時に同じようなことを言っていた、文学少女がいたっけ。  実は、酔った霧切さんを相手にするのは、これが初めてじゃない。  一対一で、というのはあまりなかったけれど、今でも時々行われる高校の同窓会に、僕も彼女も顔を出すから。  酔った霧切さんは、いつもより少し冷静さを失う、というか、感情的になる、というか、  わかりやすくいえば、わかりやすくなる、とでも言うべきか。  拗ねた霧切さんは、酒を飲もうとする。  僕がそれを止めようとすれば、無理やりにでも飲もうとする。  僕は立ち上がり、更に酒を煽ろうとする霧切さんの腕を掴んだ。 「心配だから言ってるんだよ」 「は、離しなさい…っ」 「ダメだよ。霧切さんの体に何かあったら、困るからね」 「……あ、あなたって人は、ホント…無自覚のくせして…」  途端に霧切さんが真っ赤になってうつむく。  具合でも悪くなったのだろうか。  そのまま彼女は少し抵抗を試みたけれど、さすがに酔っぱらった上に僕の腕を振りきるほどの力は残されておらず、  観念してコップをテーブルの上においた。  そして、彼女が再び顔を挙げて一言。 「…じゃあ、苗木君」  この一連の言動が、 「代わりに、飲みなさい」  悲劇を招いてしまうと、この時の僕はまだ知らない。 「な、なんでそうなるのさ」 「一度注がれたお酒は、必ず空にしないといけないのが社会のルールよ。  あなたが飲まないのなら私が飲む、私に飲ませたくないのならあなたが飲む」 「男の前でそんな格好してる霧切さんに、社会のルール、なんて言われたくないよ」 「女に勧められた酒すら飲めない苗木君に、男女間の倫理を語られたくはないわ」  屁理屈も屁理屈で返されては、なすすべがないと思う。 「それに…あなたの前でなければ、こんな恰好はしないわよ…」 「え?なんて?」 「……~~~っ、女の子が注いだ酒も飲めない朴念仁なんか、男としてカウントしないと言ったのよ!」  もう、どれが地雷かすらわからない。  ただでさえ酔っぱらって、怒りの沸点が低くなっているのに。  けれど、やっぱり飲むのは出来るだけ避けたい。そうすればまた意識を失い、彼女に迷惑をかけるのだ。 「ほら、飲まないのなら私が…」  僕の手元まで寄せられたコップを取ろうと、彼女が身を乗り出した。  けれども、やはり酔いは回っていたのだろう。  ふらり、と彼女の体が、不自然な方向へ傾く。 「危ない!」  僕はとっさに立ち上がり、彼女の肩を支えた。  思わず、その細さに、ドキっとする。  彼女が前のめりに倒れたから、僕達は自然と、互いの距離を縮めていた。  酒臭いのに混じって、ほのかに鼻に届く、石鹸のような清潔感のある良い香り。  ワイシャツの下の黒い下着が、薄く透けて見える… ――何を考えているんだ、僕は!  咄嗟に目をそらして、霧切さんの肩から手を離した。 「ご、ごめん!」  霧切さんは少しだけ、呆けたような顔をしてから、 「…ふーん」  すぐにいつもの、人をからかう時の意地の悪い笑顔に戻った。 「苗木君…どこを見て、何を考えていたの?」 「いや、あの…僕はそんなつもりじゃ…」  攻めるような口調の霧切さんは、やけに挑発的な笑顔で、僕の顔を覗き込んだ。  赤みが差した頬。すごく、色っぽい。 「そうだ、良いことを考えたわ、苗木君」  彼女は自分の椅子に腰をかけると、その手をゆっくりと自分のワイシャツに伸ばした。  そして、一つ。  胸のボタンをはずす。  黒い下着が、露わになる。 「わわわわ、何してるんだよ!」 「あなたが飲むまで、私はワイシャツのボタンを外していく…これならあなたも飲まざるを得ないでしょう?  ワイシャツを外し終えたら、そうね…ブラのホックでもいいわ。  ああ、もちろん、あなたが酔った女の子を脱がせて楽しむ趣味のある、最低な鬼畜だというのなら、  飲まずに楽しんでいても良いわ。ただし、明日になってからみんなに伝えるけれど」  そんなの、卑怯だ。  そう思いつつも僕の目は、ボタンに手をかける霧切さんに囚われていた。 ――でも、霧切さんの体、ホントに綺麗だなぁ…  そんな最低な考えが浮かび、僕はぶんぶんと首を振った。  これじゃ彼女の言うとおり、女の子を脱がせて楽しむ変態だ。  けれど、そう思う理性の片隅で、彼女に見とれている僕がいるのも事実だった。 ――飲めよ苗木誠、男だろ? ――飲むなよ苗木誠、男だろ?  矛盾する、頭の中の二つの声。  結局僕は、 「わ、わかったよ、飲むから!飲むから、手を止めて…」 「ちゃんと飲み終わるまで、信用できないわ。ほら、もうワイシャツを脱ぎ終わるわよ…」  ああ、もう、どうにでもなれ。  僕は腰に手を回すと、一気にその液体を喉の奥に流し込んだ。 「…ふふふ、男らしかったわよ、一気飲み」 「…うぇ」 「江ノ島さんたちも、苗木君は『すぐ酔うから』って全然飲まないって言ってたけれど、本当だったのね」 「…」 「でもこれで、情報を提供してくれた彼女たちへの、良い報酬ができたわ」 「…」 「ほら、まだ飲むわよ苗木君。夜は長いんだから…」 「さんざん好き勝手ストーカーしといてそれかよ…」 「は…?」 「レポート徹夜明けだって言っているのにタクシー代わりに呼んで、僕を何だと思ってるのかなー…」 「…あ……そ、れは、私の助手として…」 「はっ、助手だって。どうせ心の中では、便利で暇つぶしには持って来いの雑用、くらいに思ってるんでしょ」 「そ、そんなことない…」 「挙句に、嫌がるのを引きとめて延々と愚痴り始めるし。聞かされている僕の身にもなってくれないかなぁ」 「…っ」 「この際だから言わせてもらうけれどぉ、高校の頃からずっとそうだよね、霧切さんて。  なにかにつけて、何の説明もしないで僕をおもちゃみたいに振り回して。僕の都合なんてまるで無視!  卒業すればいくらかは解放されるかと思ったら、今度は単位返上で雑用だしさぁ…いい加減うんざりだ」 「……それが、っ…本音なの…?」 「そうだよ…こっちは、探偵業で疲れてるだろうと思って、メール一文返信するのにも気を使ってるのに」 「え」 「ホントは『お疲れ様、事件どうだった?よかったら今度一緒に食事でも…』くらい書きたいのにさぁ。  そうやって気を使って送ったメールすらもダメ出しされちゃー、もうどうしようもないよね…  ところで、霧切さん」 「は、はい…」 「ここまでいろいろ頑張って我慢してきた僕には、何の報酬もないのかな?」 「ほ、報酬って…」 「ねえ、ホントに僕を助手って思ってくれているなら、労をねぎらうくらいはあっても良いんじゃないかな」 「ちょ、苗木君、近…」 「こんなに綺麗な体を見せつけられても、ずっと手を出さずに我慢してきたわけなんだけど…」 「ひぁっ!…ちょ、ちょっと、どこに手を…っ!!」 「このまま報酬がないのが続くのなら、もう助手なんて止めちゃおっかなー…」 「そっ…!それは…」 「嫌?はい、それじゃあ交渉成立ねー」 「や、あの…で、でも…」 「ふふ…かあわいいなぁ、霧切さん…」 「えっ!?……やっ、待って苗木く――――」  ガバッ、と、僕は飛び起きた。 「…あれ、ここは…」  幾度か見たことのある、小さな個室。  泊まり込みで霧切さんの探偵業の手伝いをした時に借りた、事務所の客室兼寝室だ。  そうだ、僕はあの時、結局酒を飲んで… 「っ!!…つー…」  キィン、と、嫌な痛みが頭に走り、続けて異様な胃のムカつきと、体中のだるさが僕を襲う。  きっと、そのまま眠りこけてしまったのだろう。やっぱり、迷惑をかけてしまったのだ。  それにしても、嫌に背徳的な夢を見た気がする。  飛び起きたのは、その夢の内容が原因だったはずだ。  なにか、触れてはいけない禁忌に触れたような悪寒。  内容を思い出そうとしても、そのたびに頭痛がその邪魔をするので、僕は諦めてベッドから降りた。  ガチャ、とドアを開ける。  まず目をやったのは、柱の上の時計。もうそろそろ昼飯時、それくらい僕が眠りこけていたことになる。  奥の備え付けの簡易キッチンで、霧切さんがコーヒーの準備をしているところだった。  カリカリ、小気味良い音をさせて、豆を挽いていたけど、 「…… っ!!な、苗木君…」  僕に気づくと、彼女はその手を止めて、どうにも僕の反応を待っているかのようなそぶりを見せる。 「? おはよう、霧切さん」 「あ、…ええ、おはよう…」  なんだろう、今の間。  僕の顔を見るなり、真っ赤に顔を染めてそっぽを向いてしまった。  ああ、今になってやっと、昨日の服装のことを思い出して、恥ずかしがっているのかも。 「…苗木君、その…昨日のことは…」  霧切さんがコーヒーを作る間、僕はソファに腰をかけ、テレビなんか見ながら新聞を広げる。  彼女はずっと落ち着かない様子で、チラチラと僕の方に目線を投げかける。 「? ああ、大丈夫。誰にも言わないから」 「あ、いや、それもあるのだけれど…」 「っていうか霧切さんも、いくらお酒の席だからって節操を見極めないとダメだよ?他の男の人の前で同じような…」 「他の人の前で、あんなことするわけないじゃない!というか、アレはあなたが…」 「僕?」 「…っ…なんでも、ないわ」 「そう?でもホント、周りの人にも迷惑をかけるからね。僕もよく飲み会の席で、先輩が同じような事するけど――」 「あっ、あなた、学校の先輩にもあんな…!?」 「うーん、みんながみんな、ってわけじゃないけどね。人の目もあるんだから、気をつけてほしいっていつも注意して…」 「…ちょっと待って、苗木君。あなた、何の話をしているの?」 「え?お酒を飲んだ時の、服装の乱れ、でしょ?」 「…」 「…」  霧切さんが、危うく電気ケトルを取り落としそうになる。  僕を見る彼女の目つきが、一気に疲れたものに変わった。 「…そう、そうよね…途中で寝ちゃうし…お酒に弱いって、みんな言っていたもの…覚えているはずないわね」 「え?」 「こっちの話よ。…苗木君、砂糖とミルクは?」 「あ、うん。お願いします」  彼女が二人分のコーヒーを持ってきたので、僕はソファに少しずれて座る。  彼女は少し留まってから、そっと僕の隣に腰を下ろした。 「…大学では、その…上手くやっているの?」  彼女は唐突に、そんなことを尋ねてきた。 「え?あ、まあ、うん。ボチボチ」 「良い人は、出来たの?」 「ううん、全然だよ。そういう霧切さんは?」 「…内緒にさせてもらうわ」 「そっか」 「…徹夜でレポート書いていたらしいわね。根を詰めるのも良いけど、体には気をつけないと」 「うん、ありがと。霧切さんも、飲みすぎには気をつけてね」 「その件については、昨日身を以て、イヤというほど教わったわ」 「誰に?」 「っ…そ、それは、別にいいじゃない」 「あ、そうだ…」 「何?」 「昨日は、迷惑かけてごめんね」  途端に彼女は、口に含んでいたコーヒーを喉に詰まらせた。 「けほッ!!?ゴホゴホッ」 「き、霧切さん、大丈夫!?」  むせかえる霧切さんの背中を、急いでさする。  どうしたんだろう。今日の霧切さん、どこかおかしい。 「ゴホッ…あなた、やっぱり覚えて…!?」 「いや、僕きっと、迷惑かけたよね…多分、アレ飲んだ後、そのまま床に倒れるとかしちゃったのかな、なんて…」  霧切さんは数秒間、驚いたように僕の目を見ると、それから深い溜息を吐いた。 「あなたのそれは、本当は全部わざとやっているんじゃないかと、時々不安になるわ…」 「それ、って何のこと?」 「なんでもないわ」 「そう?じゃあ、僕もう行くね。あまり長く居座っても悪いし…霧切さんも、仕事あるんでしょ」 「…ええ」 『あ、もしもし?…どうだった、苗木のやつ』 「…江ノ島さん。あなたやっぱり、知っていてわざと私に教えた…いえ、教えなかったのね」 『アハハ!ウソはついてないよ。確かに苗木は「酒に弱かった」でしょ?酔ったらどうなるか、なんて聞かれなかったし。  あいつ酔ったらすぐ女の子に絡みだすし、大学でも結構人気あるから、ちゃんと捕まえとかないと、誰かに盗られちゃうよ。  まあ今回は、お互いに気ぃ使って中々進展ないみたいだったから、あたしが善意でちょいとスパイスを…』 「…お気づかい、ありがとう。おかげで酷い目に遭ったわ」 『へえ、どういたしまして。良ければ昨晩の熱々なお二人の御事情の顛末を、お聞かせ願いたいね』 「お断りするわ」 『ふうん、まあいいけど。熱々ってところは否定しないんだ。余程ドランカー苗木に、愛をささやかれたと見るね』 「なっ…!?」 『教えてくれないなら良いや、私の方で勝手に妄想して、みんなと盛り上がるから!じゃーねー』 「ちょっ、待ちなさい江ノ島さん!…江ノ島さん!?」  僕が車を出してすぐに、霧切さんはどこかに電話をかけていた。多分、仕事関連の話だろう。  彼女の言った通り、今日は大学は休みなので、家に帰ってからゆっくりと、悲鳴をあげているこの体を休ませたい。  後日談だけど、その日から一週間しないうちに、彼女からメールが届いた。  内容はいつも通り淡白なもので、絵文字も顔文字もなく、特に最後の文章はよく僕もその意味を理解しかねる。  「 先日は迷惑をかけたわね。ごめんなさい。    それと来週末、私は予定がありません。    たまには食事に誘うくらい、甲斐性みせなさい。いいわね?    p.s.私の前以外で、二度と飲酒はしないこと       」 ----
「き、霧切さん…そんな姿で歩きまわらないでって、何度言ったら…」 「自分の事務所よ。どんな格好をしていたって構わないでしょう?」 「か、構うよ!僕だっているんだから…その…」 「あら、苗木君に見られて、何か困ることがあるのかしら?」  霧切さんはそう言って机に腰かけ、艶めかしく足を組んだ。  話は、事務所に帰り着くなり、彼女がコートやスカートを脱ぎ去って、  下着とワイシャツ一枚というなんともサービス…目のやり場に困る姿になってしまった所から始まる。  先に言っておくけれど、彼女は酔っていた。  事の発端は、彼女が関わった今回の事件。  殺人だの強盗だのといったおよそ凶悪な犯罪の類ではなく、とある女優に付きまとう、たちの悪いストーカー被害に関するものだった。  …とある、女優。数年前には「超高校級のアイドル」とまで呼ばれていた、僕達のクラスメイト。  そう、かつての級友である舞園さんからの依頼。  その依頼を終え、積もる話とともに、二人揃って酒を酌み交わしたらしい。  まあ、僕はそんな酔った彼女たちのタクシー代わりとして呼ばれて、  ついでに彼女の事務所に(ほぼ強制的に)お邪魔させてもらったわけなんだけれど。  酔った霧切さんは、取り立ててひどく乱れたりはしないけれど、 「ふふ、苗木君…どこを見ているの?」  いつもより少しだけ大胆で、少しだけからかいが悪質になる。  僕は急いで目をそらす。 ――だから、そんな服装で歩き回らないで欲しいのに…  目をそらしても、彼女の姿は網膜に焼きついて中々離れようとしない。  健康的な白い肢体。はだけたワイシャツから覗く、黒いレースの下着。 「と、とにかく…事務所に送り届けたんだから、僕はもう帰るよ!」 「あら、私が帰すと思うの?」  僕の前に立ちふさがった霧切さんは、 「あなた、明日大学は休みのはずよね」  女性が持つにはおよそ似合わしくない、 「…アハハ、いや実は、一限から演習の…」  『鬼殺し』の名を冠する酒瓶を握りしめ、 「とぼけても無駄。私の仕事を忘れたの?身辺調査のプロフェッショナルよ」  少しだけ潤んだ目で、ジトリ、と僕を睨んでいた。 「もちろん付き合ってくれるわよね、苗木君。わかっていると思うけど、今夜は帰さないわよ」 「…ソフトドリンク、ある?」  僕は本当にお酒はダメで、大学に入ってから初めての新歓コンパでも、  ビールを一杯飲んだだけでトイレで倒れ込み、挙句記憶を失くして、  気づいたら店の裏に転がっていた。それくらい酒に弱い。  だから、テーブルの上に広げられた、スルメやチー鱈などのおつまみのオンパレードにも、  日本酒やウィスキーのような、一歩間違えれば命に届いてしまうような高い度数のアルコールにも、  本当はとことん縁がないはずなのだ。 「だいたいあなたは、卒業してからほとんど連絡もよこさないで、…ちょっと聞いているの!?」 「はい聞いていますすみません!」  霧切さんは、ダン、と音を立ててコップをテーブルに叩きつける。 「知っているのよ…山田君や江ノ島さんには、頻繁に連絡しているそうじゃない」 「だからなんで知っているのさ…」 「探偵なめんな!」 「すいません!」  本当に、たちがわるい酔っぱらいだ…。 「で、でも山田君や江ノ島さんは同じ大学d「そ・こ・じゃ・ないのよ、問題は!」  彼女の責めるような視線から逃れるように、僕は5杯目のウーロン茶を注ぐ。  彼女は僕の説得もむなしく相変わらずの服装で、ソファーに腰掛け足を組み、ゴボゴボとコップに酒を足した。  在学中は思いもしなかった、彼女がこんな酒豪だなんて。  凡人なら、とっくに酔いつぶれているであろう量を、彼女は同じペースで飲み続けている。 (やっぱり、探偵業ってストレス溜まるのかな…) 「どうして彼らとは何時間も電話して、私には一通のメールもよこさないの?」 「メールならしてるじゃないか…」 「私のメールに返信するだけでしょう!?それも、『うん、そうだね』とか『アハハ』とか…  まともに会話する気がないのは見るに明らかよ!  舞園さんには『月9主演おめでとう!毎週欠かさず見るよ!』なんてメール送っているくせに!  あの文面とドヤ顔を見せられた時、私がどれだけ惨めだったか!!」  ああもうどうしよう。本当に面倒だ。  普段は何を考えているかわからないほど、自分のことを頑なに語ろうとしないのに、  アルコールは人をここまで変えてしまうのか。  彼女が僕への愚痴を始めてから、そろそろ一時間が経とうとしている。  さすがの僕も、これだけけなされ続ければ、イラつきもする。  僕はお人好しでも聞き上手でもない、凡人なんだ。そこまでの寛容さはない。 「ああ、わかったわ。苗木君は私のことが嫌いで、相手をするのが面倒くさいのね。  だから桑田君や舞園さんのように、応援のメールも送ってこないし、  山田君や江ノ島さんのように、親しい話もしようとしないし、  不二咲君やセレスさんのように、食事を誘うこともしないのね」  彼女はそこまで一気に言うと一区切りし、ニヤニヤと笑って僕の反論を待っている。 「…」  僕は返事をしなかった。あえてだ。  いつもならこのタイミングで弁解を入れているけれど、今だけは本当に限界なんだ。  だいたい僕の身辺調査をしたというのなら、大学関連の情報リークは、きっと山田君か江ノ島さんのどちらかだ。  それなら今が期末考査の時期で、僕が昨日徹夜でレポートを仕上げたということだって、当然耳に入っているはずだろう。  だというのに、この仕打ち。  僕にだって、我慢の限界がある。 「…なにか言ったらどうなの、苗木君。反論や弁明があるなら、一応耳を貸してあげるわ」  どうせ何か言っても、相手は高校入学前から世界レベルで活躍するほどの探偵だ。  腐っても鯛、酔っていても霧切さん。論破されてしまうに決まっている。  だから僕は、反論しない。 「…そ、そう。反論はないのね。あなたは私が…嫌い。で、面倒だと思っている。そういうことでいいのね」 「…霧切さんがそう思うなら、それでいいよ」  霧切さんは、目を見開いた。面喰らった、と、表情が語っていた。  一瞬だけどコップを持つ手が震え、つまみに伸ばしかけていた手が止まる。  いつものポーカーフェイスも、さすがに酒が入ると、幾分か、いや、かなり緩むみたいだ。  女の子にこんなこと思うのは、ホントはダメなんだろうけど。 ――どうだ、まいったか 「…生意気ね。苗木君のくせに」  彼女はかなりの不満の表情を顔に浮かべ、またコップに酒を注ぎ足した。 「…ちょ、ちょっと、それ何杯目?いい加減にしないと、本当に体壊すよ」  僕が注意すると、彼女は例の潤んだジト目で僕を睨みつける。 「何よ、私が嫌いで、面倒なんでしょう?放っておけばいいじゃない」  ああ、デジャヴ。拗ねてる拗ねてる。  高校の時に同じようなことを言っていた、文学少女がいたっけ。  実は、酔った霧切さんを相手にするのは、これが初めてじゃない。  一対一で、というのはあまりなかったけれど、今でも時々行われる高校の同窓会に、僕も彼女も顔を出すから。  酔った霧切さんは、いつもより少し冷静さを失う、というか、感情的になる、というか、  わかりやすくいえば、わかりやすくなる、とでも言うべきか。  拗ねた霧切さんは、酒を飲もうとする。  僕がそれを止めようとすれば、無理やりにでも飲もうとする。  僕は立ち上がり、更に酒を煽ろうとする霧切さんの腕を掴んだ。 「心配だから言ってるんだよ」 「は、離しなさい…っ」 「ダメだよ。霧切さんの体に何かあったら、困るからね」 「……あ、あなたって人は、ホント…無自覚のくせして…」  途端に霧切さんが真っ赤になってうつむく。  具合でも悪くなったのだろうか。  そのまま彼女は少し抵抗を試みたけれど、さすがに酔っぱらった上に僕の腕を振りきるほどの力は残されておらず、  観念してコップをテーブルの上においた。  そして、彼女が再び顔を挙げて一言。 「…じゃあ、苗木君」  この一連の言動が、 「代わりに、飲みなさい」  悲劇を招いてしまうと、この時の僕はまだ知らない。 「な、なんでそうなるのさ」 「一度注がれたお酒は、必ず空にしないといけないのが社会のルールよ。  あなたが飲まないのなら私が飲む、私に飲ませたくないのならあなたが飲む」 「男の前でそんな格好してる霧切さんに、社会のルール、なんて言われたくないよ」 「女に勧められた酒すら飲めない苗木君に、男女間の倫理を語られたくはないわ」  屁理屈も屁理屈で返されては、なすすべがないと思う。 「それに…あなたの前でなければ、こんな恰好はしないわよ…」 「え?なんて?」 「……~~~っ、女の子が注いだ酒も飲めない朴念仁なんか、男としてカウントしないと言ったのよ!」  もう、どれが地雷かすらわからない。  ただでさえ酔っぱらって、怒りの沸点が低くなっているのに。  けれど、やっぱり飲むのは出来るだけ避けたい。そうすればまた意識を失い、彼女に迷惑をかけるのだ。 「ほら、飲まないのなら私が…」  僕の手元まで寄せられたコップを取ろうと、彼女が身を乗り出した。  けれども、やはり酔いは回っていたのだろう。  ふらり、と彼女の体が、不自然な方向へ傾く。 「危ない!」  僕はとっさに立ち上がり、彼女の肩を支えた。  思わず、その細さに、ドキっとする。  彼女が前のめりに倒れたから、僕達は自然と、互いの距離を縮めていた。  酒臭いのに混じって、ほのかに鼻に届く、石鹸のような清潔感のある良い香り。  ワイシャツの下の黒い下着が、薄く透けて見える… ――何を考えているんだ、僕は!  咄嗟に目をそらして、霧切さんの肩から手を離した。 「ご、ごめん!」  霧切さんは少しだけ、呆けたような顔をしてから、 「…ふーん」  すぐにいつもの、人をからかう時の意地の悪い笑顔に戻った。 「苗木君…どこを見て、何を考えていたの?」 「いや、あの…僕はそんなつもりじゃ…」  攻めるような口調の霧切さんは、やけに挑発的な笑顔で、僕の顔を覗き込んだ。  赤みが差した頬。すごく、色っぽい。 「そうだ、良いことを考えたわ、苗木君」  彼女は自分の椅子に腰をかけると、その手をゆっくりと自分のワイシャツに伸ばした。  そして、一つ。  胸のボタンをはずす。  黒い下着が、露わになる。 「わわわわ、何してるんだよ!」 「あなたが飲むまで、私はワイシャツのボタンを外していく…これならあなたも飲まざるを得ないでしょう?  ワイシャツを外し終えたら、そうね…ブラのホックでもいいわ。  ああ、もちろん、あなたが酔った女の子を脱がせて楽しむ趣味のある、最低な鬼畜だというのなら、  飲まずに楽しんでいても良いわ。ただし、明日になってからみんなに伝えるけれど」  そんなの、卑怯だ。  そう思いつつも僕の目は、ボタンに手をかける霧切さんに囚われていた。 ――でも、霧切さんの体、ホントに綺麗だなぁ…  そんな最低な考えが浮かび、僕はぶんぶんと首を振った。  これじゃ彼女の言うとおり、女の子を脱がせて楽しむ変態だ。  けれど、そう思う理性の片隅で、彼女に見とれている僕がいるのも事実だった。 ――飲めよ苗木誠、男だろ? ――飲むなよ苗木誠、男だろ?  矛盾する、頭の中の二つの声。  結局僕は、 「わ、わかったよ、飲むから!飲むから、手を止めて…」 「ちゃんと飲み終わるまで、信用できないわ。ほら、もうワイシャツを脱ぎ終わるわよ…」  ああ、もう、どうにでもなれ。  僕は腰に手を回すと、一気にその液体を喉の奥に流し込んだ。 「…ふふふ、男らしかったわよ、一気飲み」 「…うぇ」 「江ノ島さんたちも、苗木君は『すぐ酔うから』って全然飲まないって言ってたけれど、本当だったのね」 「…」 「でもこれで、情報を提供してくれた彼女たちへの、良い報酬ができたわ」 「…」 「ほら、まだ飲むわよ苗木君。夜は長いんだから…」 「さんざん好き勝手ストーカーしといてそれかよ…」 「は…?」 「レポート徹夜明けだって言っているのにタクシー代わりに呼んで、僕を何だと思ってるのかなー…」 「…あ……そ、れは、私の助手として…」 「はっ、助手だって。どうせ心の中では、便利で暇つぶしには持って来いの雑用、くらいに思ってるんでしょ」 「そ、そんなことない…」 「挙句に、嫌がるのを引きとめて延々と愚痴り始めるし。聞かされている僕の身にもなってくれないかなぁ」 「…っ」 「この際だから言わせてもらうけれどぉ、高校の頃からずっとそうだよね、霧切さんて。  なにかにつけて、何の説明もしないで僕をおもちゃみたいに振り回して。僕の都合なんてまるで無視!  卒業すればいくらかは解放されるかと思ったら、今度は単位返上で雑用だしさぁ…いい加減うんざりだ」 「……それが、っ…本音なの…?」 「そうだよ…こっちは、探偵業で疲れてるだろうと思って、メール一文返信するのにも気を使ってるのに」 「え」 「ホントは『お疲れ様、事件どうだった?よかったら今度一緒に食事でも…』くらい書きたいのにさぁ。  そうやって気を使って送ったメールすらもダメ出しされちゃー、もうどうしようもないよね…  ところで、霧切さん」 「は、はい…」 「ここまでいろいろ頑張って我慢してきた僕には、何の報酬もないのかな?」 「ほ、報酬って…」 「ねえ、ホントに僕を助手って思ってくれているなら、労をねぎらうくらいはあっても良いんじゃないかな」 「ちょ、苗木君、近…」 「こんなに綺麗な体を見せつけられても、ずっと手を出さずに我慢してきたわけなんだけど…」 「ひぁっ!…ちょ、ちょっと、どこに手を…っ!!」 「このまま報酬がないのが続くのなら、もう助手なんて止めちゃおっかなー…」 「そっ…!それは…」 「嫌?はい、それじゃあ交渉成立ねー」 「や、あの…で、でも…」 「ふふ…かあわいいなぁ、霧切さん…」 「えっ!?……やっ、待って苗木く――――」  ガバッ、と、僕は飛び起きた。 「…あれ、ここは…」  幾度か見たことのある、小さな個室。  泊まり込みで霧切さんの探偵業の手伝いをした時に借りた、事務所の客室兼寝室だ。  そうだ、僕はあの時、結局酒を飲んで… 「っ!!…つー…」  キィン、と、嫌な痛みが頭に走り、続けて異様な胃のムカつきと、体中のだるさが僕を襲う。  きっと、そのまま眠りこけてしまったのだろう。やっぱり、迷惑をかけてしまったのだ。  それにしても、嫌に背徳的な夢を見た気がする。  飛び起きたのは、その夢の内容が原因だったはずだ。  なにか、触れてはいけない禁忌に触れたような悪寒。  内容を思い出そうとしても、そのたびに頭痛がその邪魔をするので、僕は諦めてベッドから降りた。  ガチャ、とドアを開ける。  まず目をやったのは、柱の上の時計。もうそろそろ昼飯時、それくらい僕が眠りこけていたことになる。  奥の備え付けの簡易キッチンで、霧切さんがコーヒーの準備をしているところだった。  カリカリ、小気味良い音をさせて、豆を挽いていたけど、 「…… っ!!な、苗木君…」  僕に気づくと、彼女はその手を止めて、どうにも僕の反応を待っているかのようなそぶりを見せる。 「? おはよう、霧切さん」 「あ、…ええ、おはよう…」  なんだろう、今の間。  僕の顔を見るなり、真っ赤に顔を染めてそっぽを向いてしまった。  ああ、今になってやっと、昨日の服装のことを思い出して、恥ずかしがっているのかも。 「…苗木君、その…昨日のことは…」  霧切さんがコーヒーを作る間、僕はソファに腰をかけ、テレビなんか見ながら新聞を広げる。  彼女はずっと落ち着かない様子で、チラチラと僕の方に目線を投げかける。 「? ああ、大丈夫。誰にも言わないから」 「あ、いや、それもあるのだけれど…」 「っていうか霧切さんも、いくらお酒の席だからって節操を見極めないとダメだよ?他の男の人の前で同じような…」 「他の人の前で、あんなことするわけないじゃない!というか、アレはあなたが…」 「僕?」 「…っ…なんでも、ないわ」 「そう?でもホント、周りの人にも迷惑をかけるからね。僕もよく飲み会の席で、先輩が同じような事するけど――」 「あっ、あなた、学校の先輩にもあんな…!?」 「うーん、みんながみんな、ってわけじゃないけどね。人の目もあるんだから、気をつけてほしいっていつも注意して…」 「…ちょっと待って、苗木君。あなた、何の話をしているの?」 「え?お酒を飲んだ時の、服装の乱れ、でしょ?」 「…」 「…」  霧切さんが、危うく電気ケトルを取り落としそうになる。  僕を見る彼女の目つきが、一気に疲れたものに変わった。 「…そう、そうよね…途中で寝ちゃうし…お酒に弱いって、みんな言っていたもの…覚えているはずないわね」 「え?」 「こっちの話よ。…苗木君、砂糖とミルクは?」 「あ、うん。お願いします」  彼女が二人分のコーヒーを持ってきたので、僕はソファに少しずれて座る。  彼女は少し留まってから、そっと僕の隣に腰を下ろした。 「…大学では、その…上手くやっているの?」  彼女は唐突に、そんなことを尋ねてきた。 「え?あ、まあ、うん。ボチボチ」 「良い人は、出来たの?」 「ううん、全然だよ。そういう霧切さんは?」 「…内緒にさせてもらうわ」 「そっか」 「…徹夜でレポート書いていたらしいわね。根を詰めるのも良いけど、体には気をつけないと」 「うん、ありがと。霧切さんも、飲みすぎには気をつけてね」 「その件については、昨日身を以て、イヤというほど教わったわ」 「誰に?」 「っ…そ、それは、別にいいじゃない」 「あ、そうだ…」 「何?」 「昨日は、迷惑かけてごめんね」  途端に彼女は、口に含んでいたコーヒーを喉に詰まらせた。 「けほッ!!?ゴホゴホッ」 「き、霧切さん、大丈夫!?」  むせかえる霧切さんの背中を、急いでさする。  どうしたんだろう。今日の霧切さん、どこかおかしい。 「ゴホッ…あなた、やっぱり覚えて…!?」 「いや、僕きっと、迷惑かけたよね…多分、アレ飲んだ後、そのまま床に倒れるとかしちゃったのかな、なんて…」  霧切さんは数秒間、驚いたように僕の目を見ると、それから深い溜息を吐いた。 「あなたのそれは、本当は全部わざとやっているんじゃないかと、時々不安になるわ…」 「それ、って何のこと?」 「なんでもないわ」 「そう?じゃあ、僕もう行くね。あまり長く居座っても悪いし…霧切さんも、仕事あるんでしょ」 「…ええ」 『あ、もしもし?…どうだった、苗木のやつ』 「…江ノ島さん。あなたやっぱり、知っていてわざと私に教えた…いえ、教えなかったのね」 『アハハ!ウソはついてないよ。確かに苗木は「酒に弱かった」でしょ?酔ったらどうなるか、なんて聞かれなかったし。  あいつ酔ったらすぐ女の子に絡みだすし、大学でも結構人気あるから、ちゃんと捕まえとかないと、誰かに盗られちゃうよ。  まあ今回は、お互いに気ぃ使って中々進展ないみたいだったから、あたしが善意でちょいとスパイスを…』 「…お気づかい、ありがとう。おかげで酷い目に遭ったわ」 『へえ、どういたしまして。良ければ昨晩の熱々なお二人の御事情の顛末を、お聞かせ願いたいね』 「お断りするわ」 『ふうん、まあいいけど。熱々ってところは否定しないんだ。余程ドランカー苗木に、愛をささやかれたと見るね』 「なっ…!?」 『教えてくれないなら良いや、私の方で勝手に妄想して、みんなと盛り上がるから!じゃーねー』 「ちょっ、待ちなさい江ノ島さん!…江ノ島さん!?」  僕が車を出してすぐに、霧切さんはどこかに電話をかけていた。多分、仕事関連の話だろう。  彼女の言った通り、今日は大学は休みなので、家に帰ってからゆっくりと、悲鳴をあげているこの体を休ませたい。  後日談だけど、その日から一週間しないうちに、彼女からメールが届いた。  内容はいつも通り淡白なもので、絵文字も顔文字もなく、特に最後の文章はよく僕もその意味を理解しかねる。  「 先日は迷惑をかけたわね。ごめんなさい。    それと来週末、私は予定がありません。    たまには食事に誘うくらい、甲斐性みせなさい。いいわね?    p.s.私の前以外で、二度と飲酒はしないこと       」 ----

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