ボクの好きな人は(後編)

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ボクの好きな人は(後編)」(2011/07/15 (金) 13:21:00) の最新版変更点

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 霧切さんを追いかけなければ、と思った。だけど身体は鉛のように重くて、まるで追うのを拒んでいるかのようだ。  頭の中では先程の霧切さんの言葉が幾重にも響いていた。嫌な汗が全身から吹き出していく。 『苗木君、ここまで言えばわかるわね?』  ――ボクは振られたのか?  頭では分かっているつもりだったが、噛み砕いてみると鈍器で殴られたような衝撃が広がった。  霧切さんに拒絶された事実と、それに対して何も言葉をかけられなかった自分に対しての絶望感。  それでも追わなくちゃ、と思った。  ボクに好意を持っていると言ってくれた霧切さんの言葉と、今にも泣き出しそうだった霧切さんの表情。 「矛盾してる……」  まだ、決まったわけじゃない。  まだ、謎が残っている。 「矛盾してるよ、霧切さん」  ――もしこの矛盾が、霧切さんのついた嘘だとしたら、ボクはそれを論破する。  気がつくと、ボクは走りだしていた。  避けられるとしても、改めて拒絶されるとしても、霧切さんの言葉を聞きたい。ボクの言葉をぶつけたい。  そうしなければ、ボクらは一生後悔するような気がするから。 「あれ、苗木じゃん。アンタ何してんの?  霧切? あたしは見てないね。少なくとも、寄宿舎の方には来てないと思うけど。  ……何したのよ、アンタ。マジで泣きそうな良い顔してんじゃん。  アハハ、まさか霧切に振られたとか? ……もしかして、マジ?  あちゃー、やっちゃったねェ。乙女心も分からずにがっついたんじゃないの?  そっか、でも、霧切はアンタのこと好きだったと思ったんだけどね。  何でってそりゃ、この前そういう話になったからよ。  “同じクラス男子と付き合うなら誰か”? 違う違う。正解は“苗木が好きなのは誰か”って話。  だってアンタってさ、マジ優柔不断じゃん? マジ八方美人じゃん? だから本命は誰かっつー話になったのよ。  そんときは珍しく霧切まで輪に入ってきたからさ。こういう話に入ってこないイメージだから以外じゃん。しかも、妙にソワソワしてるから、ああ、もうこれはあれだなー、と。  だからちょっと、あたしとセレスでからかってみたのよ。舞園を守ってやりたいって言ってたとか、セレスは頼りになるって言ってたとか、実はあたしのファンクラブ入ってるとか。  そんな顔しないでよ、謝るから! うん、後で霧切にも謝るって! あたしが悪かったよ。  そんときに妙に納得した表情してたからさー、これで二人の仲も進展するんじゃないかって思ったんだけど、ミスったなァ。お節介だったね、ごめんごめん。  でも、マジで霧切はアンタのこと好きだよ。これは女の勘ってやつ?  ……うん、アタシから言えるのは以上。じゃ、後はアンタが頑張ってねー!」 (“言弾:江ノ島盾子の証言”を入手しました) 「おや、苗木誠殿ではございませんか。こんなところで如何なされましたかな?  霧切響子殿ですか? ええ、確かに見ましたぞ。  それにこれ、霧切響子殿の鞄なのです。上の階からいきなり走ってきたかと思えば、これを全力で壁に投げ付けておりました。  よっぽどむしゃくしゃすることがあったんでございましょうなぁ……。三次元の女性はこれだから怖い。ぶー子ちゃんマジ天使!  ……声をかけようかとも思ったのですが、そこは持ち前のスルー技術でやり過ごすことにしたわけで。  まあ、結果的に目があって合って睨またんですけどね! あの目は正に僕の死を直視しているとしか思えませんでしたけどね!  その後? そのまま、外にかけ出していきましたよ。こんな雨の中、傘もささずに。  一体、どうしてしまったのでしょうなぁ、霧切響子殿は。なにやら泣いているようでしたし。  ええ、きっと泣いておりましたぞ。珍しかったので記憶に残っております。  あれ、苗木誠殿も行くの? 傘ささないの?  えーっと、お気をつけてー!」 (“言弾:山田一二三の証言”を入手しました) 「……む、苗木か。傘もささずに、ずぶ濡れではないか。  霧切だと? ふっ、今日はつくづく縁のある日だな。  この人形を見ろ。これは霧切の人形なのだが、先ほど見ていたらその橋の上から投げ捨てたのだ。  とても思いつめた表情をしていたので、身投げするのではないかと思ったほどだった。  霧切はこれを捨ててすぐに立ち去ってしまったのだが、あの表情だ、なにか理由があると思ってな。  そうだ。川に飛び込めばすぐに拾えたぞ。視界は悪かったが、心の目で見れば何とでもなる。  我にかかればこの程度の濁流なら造作も無い。過去にナイアガラで滝を登ったときに比べれば、な。  ……苗木よ、これはお前が霧切に届けるがいい。いや、そうしなければならぬ。  我とて一人の女。霧切の表情に何が込められていたかは大体察しがつく。  お主が後悔する道だけは歩まぬことだ」 (“言弾:人形”を入手しました) 「ん、苗木っちじゃねーか。びしょ濡れで何してんだべ。  霧切っち? 見た見た。この先の公園で座ってたべ。  その顔は何かやらかしたんだな、苗木っち。それで霧切っちが怒って追いかけてる、と。  ふふふ、カップルの喧嘩と言ったら、その解決法は占いって相場が決まってるべ。大昔からの理だべ!  苗木っちには世話になってるから、特別出世払いで良いって!  むむ、見えた。苗木っちは霧切っちの手を“握りしめる”と良いべ! 俺の占いは三割当たる!  あれ、苗木っち、ちょっと、聞いてる? おーい……」 (“言弾:握りしめる”を入手しました)  希望ヶ峰学園から少し歩いたところにある公園。  平日の夕方だが、生憎の雨の所為で人影はなかった。彼女――霧切さんを除いては。  霧切さんはまるで捨てられた子犬のように、公園のベンチに座って俯いていた。その顔色を窺い知ることはできないが、彼女の長い銀髪はびしょ濡れで、白い肌は病的なまでに血の気が薄い。 「――霧切さん」  正面に立ったボクの呼びかけに、彼女はびくりと身体を震わせた。それでも俯いたままで、こちらに視線を向けることはない。 「……何かしら、苗木君」  霧切さんの声は震えていた。泣きはらした後で、必死に搾り出した声のようだ。  それはまるで硝子細工のように繊細で、脆い。 「何で、こんなところにいるの?」 「それはこっちの台詞だよ。霧切さんこそ、何で急に逃げ出したのさ」 「逃げ出してなんていないわ。ただ、雨に当たりたい気分だっただけよ」  いつものような強気な言葉だが、今の霧切さんでは説得力に欠ける。  それにその肩の震えを見てしまったら、そんな言葉を鵜呑みになんてできる訳がなかった。 「苗木君は、忙しいんでしょう? 舞園さんの相談にのったり、セレスさんのために買い物に行ったり、江ノ島さんとゲームしたり……」  ごめんなさい、と霧切さんはボクに謝った。 「私はいつの間にか苗木君の優しさに甘えてしまっていたのね。毎日のようにあなたを引きずり回して、危険な場所に連れて行ったりしていたわ」  霧切さんはまるで自分を攻めているようだった。彼女なりにボクのことを想っての言葉なのだろう。 「【あなたの気持ち】も分からないなんて、探偵失格ね」 「(言弾:江ノ島盾子の証言)それは違うよ、霧切さん」  ボクの言葉に、霧切さんが顔を上げる。  彼女は今にも――いや、すでに泣いているのだろう。 「ボクは確かに流されやすい性格だけど、霧切さんと一緒にいて一度も嫌な思いをしたことなんてないよ」  希望ヶ峰学園に入る前は考えられなかった世界。考えられなかった体験。  普通に生きてきただけのボクに、霧切さんが見せてくれたんじゃないか。 「ボクは舞薗さんを守りたいとも言ってないし、セレスさんが頼りになるとも言ってないし、江ノ島さんのファンクラブにも入ってない――」  彼女たちには悪いけれど、ここは否定させてもらおう。  今、ボクが肯定しなければいけないのは、目の前の彼女への気持ち。 「――ボクは霧切さんの助手で、霧切さんを頼りにしていて、霧切さんを守りたいと思ってるんだ」  まだ守るなんてことはできないだろうけど、それでもいつか守れるようになりたいと思っているんだ。  ボクの言葉を聞いて、霧切さんは再び顔を伏せる。彼女は強く自身を抱きしめた。 「……嘘よ」 「嘘をついているのは霧切さんの方じゃないか」 「私は、嘘なんてついていないわ」  それは静かな口調だったが、最早叫びに近かった。霧切さんには珍しく、真っ直ぐな拒絶の意思。 「じゃあ、何で霧切さんはそんなに泣いているのさ?」 「これは……【雨の所為】でそう見えるだけよ……」  でも、その意思を受け入れる訳にはいかない。しつこい男だと思われても、うざい男だと思われても、彼女に拒絶されるよりずっと良い。 「(言弾:山田一二三の証言)嘘だよ、霧切さん。教室を出たときから泣いていたって、知ってるんだ」 「――っ」  霧切さんは息を飲んだ。いつものポーカーフェイスからは想像できないほどに狼狽えているのが見て取れる。 「霧切さん、さっきはちゃんと言えなかったけれど、もう一度、ちゃんと言わせて」  ごくり、とボクは唾を飲んだ。緊張で、呼吸が苦しい。  霧切さんは顔を上げ、ボクの方を見つめる。その視線は、まるで言わないでと訴えているようだった。 「ボクは霧切さんのことが好き、です」  二度目の告白に、霧切さんは表情を歪めた。困ったような、焦っているような表情。  そして小さく、駄目よと言った。 「……私には、そんな資格がないもの」 「誰か、他の人のことが好きなの?」 「いいえ、そういう意味じゃないわ。私は、誰も好きにならないことに決めたの。それは、私が探偵を始めるときに決めた誓い」  もし、好きな人が殺されたら?  もし、好きな人が犯人だったら?  もし、好きな人を信じることができなかったら?  もし、好きな人を裏切らねばならなかったら? 「私は一人の探偵として、【誰も好きにならない】のよ、苗木君」  蚊の鳴くような声で、彼女は言う。  これが、ボクの想いと、彼女自身の想いを拒絶する理由。  自分の信念を貫くために、彼女はボクを拒絶している。  だとしたら、ボクも自分の信念を貫くために、彼女を拒絶しなければならない。  ――矛盾を撃ち抜け、論破しろ!  ボクはポケットから、大神さんに受け取った人形を取り出した。それを霧切さんの方へ差し出す。 「(言弾:人形)これ、霧切さんの人形でしょ?」  霧切さんは人形を見つめて、凄く驚いた表情を浮かべた。濁流の中に投げ捨てたはずの人形が戻ってきたのだから当然だろう。  彼女はボクの手から人形を受け取ると、しっかりと抱きしめた。 「男の子の足が交差したボージョボー人形は、恋愛の願いを叶えるおまじない」  それはいつか、ボクが霧切さんにあげたボージョボー人形だった。  男の子と女の子のペア人形で、その手足を結ぶことで色々なおまじないになるそうだ。購買で当たったものを霧切さんにプレゼントしたのだが、そのとき付いていた解説書にこの結び方も書いてあった。  固く結ばれた男の子の足。それが意味するのは、誰かが好きだということだ。 「【……】」 「霧切さん、ボクのことが好きじゃないなら、そう言ってくれても良いんだ。だけど――」  ボクは、霧切さんの手を握りしめた。 「(言弾:握りしめる)霧切さんは一人の探偵の前に、一人の女の子じゃないか。誰も好きにならないなんて、言わないでよ」  彼女のしている手袋の所為で、霧切さんの体温を感じることはできなかった。感じ取れたとしても、それは雨の所為でボクと同じくらい冷たいだろう。  それでもその下で、霧切さんの手がボクの手を握り返してくれるのを感じた。  霧切さんは再び俯いた。肩が震え、呼吸に嗚咽が交じる。  ボクは何も言わなかった。ただ、辺りに降る雨音だけが響く。  どの位そうしていただろうか。  沈黙を破ったのは、霧切さんの言葉だった。 「……苗木君は、私の誓いすら守らせてくれないのね」 「ごめんね、霧切さん」  謝らないで、と彼女は微笑んだ。  まだ歪なところはあるけれど、それでも確かに微笑んでくれた。 「私は、真実を求めるためならあなたを裏切ってしまうかもしれない。そんな女よ?」 「ボクは霧切さんのためなら殺されたって文句を言わないよ。そりゃ、死なないほうが良いけどさ」 「きっと隠しごとも一杯するわ」 「全部話して欲しいけど、好きだから我慢する」 「でも、あなたが隠しごとなんかしたら怒ると思う」 「それは酷いけど、好きだからなるべくしないようにする」  いつも霧切さんとの会話。  冗談なのか本気なのかボクには分からなかったけれど、きっと彼女はそうするだろうし、きっとボクはそう思うだろう。 「霧切さんは、ボクのことをどう思っているの?」 「……この期に及んで、よくそんなことが訊けたものね」  霧切さんは呆れたようにため息を吐く。  先ほどからずっと繋いだままの手を、彼女は一層握りしめた。 「私の手を明日まで離さないって約束できる?」 「え? うん、もちろんだよ!」 「私もよ。今はあなたと少しでも近くにいたいし、あなたに触れていたい」  霧切さんは、くすりと意地悪そうに微笑んだ。 「苗木君、ここまで言えば分かるわね?」 【了】 ----
 霧切さんを追いかけなければ、と思った。だけど身体は鉛のように重くて、まるで追うのを拒んでいるかのようだ。  頭の中では先程の霧切さんの言葉が幾重にも響いていた。嫌な汗が全身から吹き出していく。 『苗木君、ここまで言えばわかるわね?』  ――ボクは振られたのか?  頭では分かっているつもりだったが、噛み砕いてみると鈍器で殴られたような衝撃が広がった。  霧切さんに拒絶された事実と、それに対して何も言葉をかけられなかった自分に対しての絶望感。  それでも追わなくちゃ、と思った。  ボクに好意を持っていると言ってくれた霧切さんの言葉と、今にも泣き出しそうだった霧切さんの表情。 「矛盾してる……」  まだ、決まったわけじゃない。  まだ、謎が残っている。 「矛盾してるよ、霧切さん」  ――もしこの矛盾が、霧切さんのついた嘘だとしたら、ボクはそれを論破する。  気がつくと、ボクは走りだしていた。  避けられるとしても、改めて拒絶されるとしても、霧切さんの言葉を聞きたい。ボクの言葉をぶつけたい。  そうしなければ、ボクらは一生後悔するような気がするから。 「あれ、苗木じゃん。アンタ何してんの?  霧切? あたしは見てないね。少なくとも、寄宿舎の方には来てないと思うけど。  ……何したのよ、アンタ。マジで泣きそうな良い顔してんじゃん。  アハハ、まさか霧切に振られたとか? ……もしかして、マジ?  あちゃー、やっちゃったねェ。乙女心も分からずにがっついたんじゃないの?  そっか、でも、霧切はアンタのこと好きだったと思ったんだけどね。  何でってそりゃ、この前そういう話になったからよ。  “同じクラス男子と付き合うなら誰か”? 違う違う。正解は“苗木が好きなのは誰か”って話。  だってアンタってさ、マジ優柔不断じゃん? マジ八方美人じゃん? だから本命は誰かっつー話になったのよ。  そんときは珍しく霧切まで輪に入ってきたからさ。こういう話に入ってこないイメージだから以外じゃん。しかも、妙にソワソワしてるから、ああ、もうこれはあれだなー、と。  だからちょっと、あたしとセレスでからかってみたのよ。舞園を守ってやりたいって言ってたとか、セレスは頼りになるって言ってたとか、実はあたしのファンクラブ入ってるとか。  そんな顔しないでよ、謝るから! うん、後で霧切にも謝るって! あたしが悪かったよ。  そんときに妙に納得した表情してたからさー、これで二人の仲も進展するんじゃないかって思ったんだけど、ミスったなァ。お節介だったね、ごめんごめん。  でも、マジで霧切はアンタのこと好きだよ。これは女の勘ってやつ?  ……うん、アタシから言えるのは以上。じゃ、後はアンタが頑張ってねー!」 (“言弾:江ノ島盾子の証言”を入手しました) 「おや、苗木誠殿ではございませんか。こんなところで如何なされましたかな?  霧切響子殿ですか? ええ、確かに見ましたぞ。  それにこれ、霧切響子殿の鞄なのです。上の階からいきなり走ってきたかと思えば、これを全力で壁に投げ付けておりました。  よっぽどむしゃくしゃすることがあったんでございましょうなぁ……。三次元の女性はこれだから怖い。ぶー子ちゃんマジ天使!  ……声をかけようかとも思ったのですが、そこは持ち前のスルー技術でやり過ごすことにしたわけで。  まあ、結果的に目があって合って睨またんですけどね! あの目は正に僕の死を直視しているとしか思えませんでしたけどね!  その後? そのまま、外にかけ出していきましたよ。こんな雨の中、傘もささずに。  一体、どうしてしまったのでしょうなぁ、霧切響子殿は。なにやら泣いているようでしたし。  ええ、きっと泣いておりましたぞ。珍しかったので記憶に残っております。  あれ、苗木誠殿も行くの? 傘ささないの?  えーっと、お気をつけてー!」 (“言弾:山田一二三の証言”を入手しました) 「……む、苗木か。傘もささずに、ずぶ濡れではないか。  霧切だと? ふっ、今日はつくづく縁のある日だな。  この人形を見ろ。これは霧切の人形なのだが、先ほど見ていたらその橋の上から投げ捨てたのだ。  とても思いつめた表情をしていたので、身投げするのではないかと思ったほどだった。  霧切はこれを捨ててすぐに立ち去ってしまったのだが、あの表情だ、なにか理由があると思ってな。  そうだ。川に飛び込めばすぐに拾えたぞ。視界は悪かったが、心の目で見れば何とでもなる。  我にかかればこの程度の濁流なら造作も無い。過去にナイアガラで滝を登ったときに比べれば、な。  ……苗木よ、これはお前が霧切に届けるがいい。いや、そうしなければならぬ。  我とて一人の女。霧切の表情に何が込められていたかは大体察しがつく。  お主が後悔する道だけは歩まぬことだ」 (“言弾:人形”を入手しました) 「ん、苗木っちじゃねーか。びしょ濡れで何してんだべ。  霧切っち? 見た見た。この先の公園で座ってたべ。  その顔は何かやらかしたんだな、苗木っち。それで霧切っちが怒って追いかけてる、と。  ふふふ、カップルの喧嘩と言ったら、その解決法は占いって相場が決まってるべ。大昔からの理だべ!  苗木っちには世話になってるから、特別出世払いで良いって!  むむ、見えた。苗木っちは霧切っちの手を“握りしめる”と良いべ! 俺の占いは三割当たる!  あれ、苗木っち、ちょっと、聞いてる? おーい……」 (“言弾:握りしめる”を入手しました)  希望ヶ峰学園から少し歩いたところにある公園。  平日の夕方だが、生憎の雨の所為で人影はなかった。彼女――霧切さんを除いては。  霧切さんはまるで捨てられた子犬のように、公園のベンチに座って俯いていた。その顔色を窺い知ることはできないが、彼女の長い銀髪はびしょ濡れで、白い肌は病的なまでに血の気が薄い。 「――霧切さん」  正面に立ったボクの呼びかけに、彼女はびくりと身体を震わせた。それでも俯いたままで、こちらに視線を向けることはない。 「……何かしら、苗木君」  霧切さんの声は震えていた。泣きはらした後で、必死に搾り出した声のようだ。  それはまるで硝子細工のように繊細で、脆い。 「何で、こんなところにいるの?」 「それはこっちの台詞だよ。霧切さんこそ、何で急に逃げ出したのさ」 「逃げ出してなんていないわ。ただ、雨に当たりたい気分だっただけよ」  いつものような強気な言葉だが、今の霧切さんでは説得力に欠ける。  それにその肩の震えを見てしまったら、そんな言葉を鵜呑みになんてできる訳がなかった。 「苗木君は、忙しいんでしょう? 舞園さんの相談にのったり、セレスさんのために買い物に行ったり、江ノ島さんとゲームしたり……」  ごめんなさい、と霧切さんはボクに謝った。 「私はいつの間にか苗木君の優しさに甘えてしまっていたのね。毎日のようにあなたを引きずり回して、危険な場所に連れて行ったりしていたわ」  霧切さんはまるで自分を攻めているようだった。彼女なりにボクのことを想っての言葉なのだろう。 「【あなたの気持ち】も分からないなんて、探偵失格ね」 「(言弾:江ノ島盾子の証言)それは違うよ、霧切さん」  ボクの言葉に、霧切さんが顔を上げる。  彼女は今にも――いや、すでに泣いているのだろう。 「ボクは確かに流されやすい性格だけど、霧切さんと一緒にいて一度も嫌な思いをしたことなんてないよ」  希望ヶ峰学園に入る前は考えられなかった世界。考えられなかった体験。  普通に生きてきただけのボクに、霧切さんが見せてくれたんじゃないか。 「ボクは舞薗さんを守りたいとも言ってないし、セレスさんが頼りになるとも言ってないし、江ノ島さんのファンクラブにも入ってない――」  彼女たちには悪いけれど、ここは否定させてもらおう。  今、ボクが肯定しなければいけないのは、目の前の彼女への気持ち。 「――ボクは霧切さんの助手で、霧切さんを頼りにしていて、霧切さんを守りたいと思ってるんだ」  まだ守るなんてことはできないだろうけど、それでもいつか守れるようになりたいと思っているんだ。  ボクの言葉を聞いて、霧切さんは再び顔を伏せる。彼女は強く自身を抱きしめた。 「……嘘よ」 「嘘をついているのは霧切さんの方じゃないか」 「私は、嘘なんてついていないわ」  それは静かな口調だったが、最早叫びに近かった。霧切さんには珍しく、真っ直ぐな拒絶の意思。 「じゃあ、何で霧切さんはそんなに泣いているのさ?」 「これは……【雨の所為】でそう見えるだけよ……」  でも、その意思を受け入れる訳にはいかない。しつこい男だと思われても、うざい男だと思われても、彼女に拒絶されるよりずっと良い。 「(言弾:山田一二三の証言)嘘だよ、霧切さん。教室を出たときから泣いていたって、知ってるんだ」 「――っ」  霧切さんは息を飲んだ。いつものポーカーフェイスからは想像できないほどに狼狽えているのが見て取れる。 「霧切さん、さっきはちゃんと言えなかったけれど、もう一度、ちゃんと言わせて」  ごくり、とボクは唾を飲んだ。緊張で、呼吸が苦しい。  霧切さんは顔を上げ、ボクの方を見つめる。その視線は、まるで言わないでと訴えているようだった。 「ボクは霧切さんのことが好き、です」  二度目の告白に、霧切さんは表情を歪めた。困ったような、焦っているような表情。  そして小さく、駄目よと言った。 「……私には、そんな資格がないもの」 「誰か、他の人のことが好きなの?」 「いいえ、そういう意味じゃないわ。私は、誰も好きにならないことに決めたの。それは、私が探偵を始めるときに決めた誓い」  もし、好きな人が殺されたら?  もし、好きな人が犯人だったら?  もし、好きな人を信じることができなかったら?  もし、好きな人を裏切らねばならなかったら? 「私は一人の探偵として、【誰も好きにならない】のよ、苗木君」  蚊の鳴くような声で、彼女は言う。  これが、ボクの想いと、彼女自身の想いを拒絶する理由。  自分の信念を貫くために、彼女はボクを拒絶している。  だとしたら、ボクも自分の信念を貫くために、彼女を拒絶しなければならない。  ――矛盾を撃ち抜け、論破しろ!  ボクはポケットから、大神さんに受け取った人形を取り出した。それを霧切さんの方へ差し出す。 「(言弾:人形)これ、霧切さんの人形でしょ?」  霧切さんは人形を見つめて、凄く驚いた表情を浮かべた。濁流の中に投げ捨てたはずの人形が戻ってきたのだから当然だろう。  彼女はボクの手から人形を受け取ると、しっかりと抱きしめた。 「男の子の足が交差したボージョボー人形は、恋愛の願いを叶えるおまじない」  それはいつか、ボクが霧切さんにあげたボージョボー人形だった。  男の子と女の子のペア人形で、その手足を結ぶことで色々なおまじないになるそうだ。購買で当たったものを霧切さんにプレゼントしたのだが、そのとき付いていた解説書にこの結び方も書いてあった。  固く結ばれた男の子の足。それが意味するのは、誰かが好きだということだ。 「【……】」 「霧切さん、ボクのことが好きじゃないなら、そう言ってくれても良いんだ。だけど――」  ボクは、霧切さんの手を握りしめた。 「(言弾:握りしめる)霧切さんは一人の探偵の前に、一人の女の子じゃないか。誰も好きにならないなんて、言わないでよ」  彼女のしている手袋の所為で、霧切さんの体温を感じることはできなかった。感じ取れたとしても、それは雨の所為でボクと同じくらい冷たいだろう。  それでもその下で、霧切さんの手がボクの手を握り返してくれるのを感じた。  霧切さんは再び俯いた。肩が震え、呼吸に嗚咽が交じる。  ボクは何も言わなかった。ただ、辺りに降る雨音だけが響く。  どの位そうしていただろうか。  沈黙を破ったのは、霧切さんの言葉だった。 「……苗木君は、私の誓いすら守らせてくれないのね」 「ごめんね、霧切さん」  謝らないで、と彼女は微笑んだ。  まだ歪なところはあるけれど、それでも確かに微笑んでくれた。 「私は、真実を求めるためならあなたを裏切ってしまうかもしれない。そんな女よ?」 「ボクは霧切さんのためなら殺されたって文句を言わないよ。そりゃ、死なないほうが良いけどさ」 「きっと隠しごとも一杯するわ」 「全部話して欲しいけど、好きだから我慢する」 「でも、あなたが隠しごとなんかしたら怒ると思う」 「それは酷いけど、好きだからなるべくしないようにする」  いつも霧切さんとの会話。  冗談なのか本気なのかボクには分からなかったけれど、きっと彼女はそうするだろうし、きっとボクはそう思うだろう。 「霧切さんは、ボクのことをどう思っているの?」 「……この期に及んで、よくそんなことが訊けたものね」  霧切さんは呆れたようにため息を吐く。  先ほどからずっと繋いだままの手を、彼女は一層握りしめた。 「私の手を明日まで離さないって約束できる?」 「え? うん、もちろんだよ!」 「私もよ。今はあなたと少しでも近くにいたいし、あなたに触れていたい」  霧切さんは、くすりと意地悪そうに微笑んだ。 「苗木君、ここまで言えば分かるわね?」 【了】 ----

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