ABC暗号事件

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ABC暗号事件」(2011/07/15 (金) 11:39:09) の最新版変更点

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この日、ボクはセレスさんに誘われて娯楽室でオセロに興じていた。 当然のことながら連戦連敗……。まあ、対戦前からわかっていたけどね……。 盤面がほとんど黒に塗り潰されて五度目の勝負を終えたところで、セレスさんが物憂げに頬杖をついた。 「はあ……。退屈ですわ……」 「ご、ごめん。やっぱりボクといても退屈かな……」 ボクは苦笑した。それが卑屈に見えてしまったのか、セレスさんは表情を和らげて首を横に振る。 「いえ、あなたと一緒にいるのが退屈だというのではありませんわ。 ただ、近頃はこれといった事件も起こりませんし、あまりにも平穏すぎて……。 何か、刺激的なイベントでもあればいいのですが」 実は同じようなやりとりが、ここ数日繰り返されている。確かに最近は平穏すぎるぐらいだ。 学園内には娯楽も少ないし、彼女の気持ちはわかる。 ボクは思い出したように両手を打った。 「そういえば昨日、倉庫で小さな缶に入った高級そうな紅茶を見つけたんだ。良かったら、これからお茶にしない?」 ボクの言葉に、セレスさんの瞳がきらりと輝く。 「まあ……! どうしてそれを早く言いませんの。早速倉庫に寄って、食堂へ向かいましょう」 セレスさんに急かされながら、ボク達は寄宿舎の倉庫へと移動した。 倉庫の中には相変わらず様々な物が雑然と押し込められている。 ボクは目星をつけてあったダンボール箱の所へと足早に向かい、蓋を開けた。 箱の中には、やはり紅茶の缶が…………無い。 「……あれ?」 我ながら間の抜けた声だった。セレスさんが背後から少し苛立ったように声をかけてくる。 「どうしましたの? 早く紅茶を出しなさい」 「無い…。無くなってるよ。昨日は確かに、この箱に入ってたのに」 ボクは軽くなった箱を引き出して、セレスさんに中身を見せた。 「本当にこの箱で間違いありませんの? ……あら、何か入っていますわ」 彼女が眉をひそめながら箱から取り出した物は、一通の白い封筒だった。 差出人の名前があるべき位置には「ABC」の文字が見える。 「苗木君、この封筒に見覚えはありますか?」 「いや、昨日はそんな物、入ってなかったよ」 セレスさんは黙って封筒を開くと、中に入っていた手紙に目を通した。表情は変わらず、感情が読み取れない。 「……何が書いてあるの?」 恐る恐るボクが問いかけると、彼女は押し黙ったまま手紙をボクの方に差し出した。 そこには、こんな風に書かれていた。 『ここに入っていた紅茶は預かった。返して欲しければ一時間以内に<A>の<AA>の所へ行け。 お前達の行動は全て監視している。余計な行動をしたり、時間に間に合わなかった場合は紅茶は廃棄する』 不自然な鋭角の文字は、筆跡を隠す為に定規を使って書かれている。 「こ、これって……脅迫状!?」 「……と言うより、挑戦状でしょう。全く、子供じみた悪戯ですわね」 セレスさんは目を細め、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 「どうしよう?」 「普通なら、こんなお遊びに付き合うわたくしではないのですが、ちょうど退屈していた所ですわ。 さっさとゲームに勝って紅茶を頂きましょう。……ついでに犯人も捕まえて、お仕置きですわね」 そう言って笑みを浮かべた彼女は既に勝利を確信しているようで、ボクは少し身震いした。 「さて、この手紙には<A>の<AA>の所に行け、と書いてありますが……」 セレスさんが手にした「挑戦状」を指差しながら言った。 「意味不明だね。暗号を解いて紅茶を取りに来い、って事かな」 「苗木君、何か思いつきませんか?」 ボクは首を横に振る。 「いや、何も……。でも、この手紙……。何かこれに似たものを知ってるような……」 「まあ、本当ですの? 何ですか、それは」 セレスさんが身を乗り出して尋ねてきた。 「うーん、思い出せないな……」 ボクが首をひねると、セレスさんの表情が冷たいものに変わる。 「今日に限って使えない頭ですわね……。叩けば少しは冴えるでしょうか」 ……冗談に聞こえない。ボクは慌てて言った。 「ああ、そうだ、思い出したよ! 前に図書室で十神クンが読んでた小説の中に出てきたんだった。 外国の作家が書いた有名な推理小説らしいんだけど……」 ボクが挙げたのは、世界的に有名な推理小説、「ABC殺人事件」だった。 名探偵として知られるポワロの元に「ABC」と名乗る人物から手紙が届けられ、その予告に従って殺人事件が起こる。 まずAで始まる名前の町でイニシャルA・Aの人物が殺害され、それがB、C……と続くという内容だ。 アルファベットを三つ並べたり、差出人が「ABC」だったりする辺りが今回の手紙と似ている。 ボクの説明を聞いて、セレスさんは小さく頷いた。 「なるほど。という事は、この手紙は『Aで始まる場所に居るイニシャルA・Aの人物に会え』と言っているのですね?」 「犯人が小説の真似をしてるなら、多分そうだと思うよ」 「まあ、他にあてもありませんし、試してみましょうか。この学園で『Aで始まる場所』と言えば……」 セレスさんが顎に手を当て、考え込む時のいつもの仕草を見せる。ボクはすかさず口を開いた。 「A組の教室かな?」 「それは『Aで始まる場所』、ではないでしょう。おまけにA組の教室はいくつもあって絞り込めませんわ。 それよりアートルーム……つまり、美術室ではないでしょうか?」 ボクはセレスさんの頭の回転の速さに感心しながら頷いた。 「そうだね。あとはイニシャルA・Aの人だけど……」 さすがに、これは考えるまでもないだろう。今この学園には、そのイニシャルの人物は一人しかいない。 「アサヒナ・アオイさんですわね。では、美術室の朝日奈さんに会いにいきましょう。 どうして朝日奈さんが美術室に居ることになっているのか気になりますが……」 その疑問はさておき、ボク達は美術室へと向かった。 ボクが美術室の入り口をくぐると、早速、元気のいい声が飛んできた。 「あっ、苗木~! セレスちゃんも。待ってたよ!」 嬉しそうな朝日奈さんを、セレスさんは不審そうな目で見て言った。 「あら…。本当に居ましたわね」 美術室のテーブルに腰掛けた朝日奈さんの周りには、彼女の大好物の「浮き輪ドーナツ」の箱が高く積み上げられている。 どうやら、ひたすらドーナツを食べながらボク達が来るのを待っていたらしい。 ボクは相変わらずのドーナツ好きに苦笑しながら朝日奈さんに話しかけた。 「朝日奈さん、ボク達は……」 「うん、うん。言わなくてもわかってるよ。はい、これ」 彼女は一人で大きく頷きながら、ボクに白い封筒を手渡した。 その封筒の裏には、倉庫で見つけた封筒と同じように差出人「ABC」の名が書かれている。 「朝日奈さん。あなた、ここで何をしていましたの?」 セレスさんが尋ねた。 「ちょっと頼まれたんだよ。ここに苗木とセレスちゃんが来たら、その封筒を渡すようにってね。 あ、誰に頼まれたかは聞かないでね。それは言わない約束だから」 朝日奈さんは少しだけ申し訳なさそうに視線を逸らした。 その視線の先には……ドーナツの山。セレスさんはピンときたようだ。 「あなた……ドーナツで買収されましたわね?」 「えっ? や、やだな~、セレスちゃん。私がドーナツぐらいで釣られるわけないじゃん!」 そう言いながらも、朝日奈さんの手は箱の中のドーナツに伸びる。説得力がない……。 セレスさんは呆れたようにため息をついた。 「……よくわかりましたわ。後はごゆっくりどうぞ」 「あ、あはは、ごめんね。じゃあ遠慮なく……」 幸せそうにドーナツを食べ始めた朝日奈さんを尻目に、ボクはセレスさんの方へと向き直った。 「やっぱり、『ABC殺人事件』の真似みたいだね」 「そうですわね。……それで、その封筒の中身はどうなっていますの?」 ボクはセレスさんに促され、封筒を開いた。やはり、中には手紙が入っている。 『次は<B>の<BB >の所に行け』 書かれているのは、その一文だけだった。 ボクはセレスさんに手紙を渡して言った。 「今度は『B』だね」 「『B』…。でも、この学園にイニシャルB・Bの人物なんて居ましたか?」 ボクは首を横に振る。希望ヶ峰学園には、B・BどころかBのつく人すら居ない。 「先程の手紙と同じパターンならば、これも人物を指しているのでしょうけど……」 「イニシャルとは限らないのかな。『B』に関係あるプロフィールの人っていうのはどう?」 セレスさんはつまらなそうに肩をすくめる。 「さあ。わたくしは、この学園のほとんどの方に興味がありませんので、名前以外はさっぱりです」 「いや、もうちょっとクラスメイトに興味持とうよ……」 セレスさんは考える気もなさそうなので、ボクがこの学園に集められた仲間たちの名前と肩書きを並べることにした。 石丸清多夏…超高校級の風紀委員。 江ノ島盾子…超高校級のギャル。 大神さくら…超高校級の格闘家。 大和田紋土…超高校級の暴走族。 霧切響子…超高校級の???? 桑田怜恩…超高校級の野球選手。 途中まで口に出してみた所で、セレスさんが片手を上げた。 「……そこまで。『B・B』とは、桑田君の事ではありませんか?」 「ああ、野球選手……ベース・ボール・プレイヤーって事だね。でも、大和田クン……暴走族も『B』だよ?」 「ボウソウゾクでは、『B』が一つ足りませんわ。それに、この手紙を見て下さい」 セレスさんが細い指で手紙の文を指し示す。 『次は<B>の<BB >の所に行け』 「<BB>の次に一文字分、不自然なスペースが空いていますわね。 これは、ここにベース・ボール・『プレイヤー』の『P』が入るというヒントではないでしょうか?」 ボクは大きく頷いた。 「うん、きっとそうだよ! それじゃ、『Bの場所』は…」 「先程と同じで、B組の教室ではなさそうですわ。さしずめバスルーム…大浴場辺りでしょうか。 個人の部屋にはシャワーしか付いていませんものね」 ボクたちは次の目的地を定め、移動することにした。 朝日奈さんに別れの声をかけたが、彼女はドーナツに夢中で生返事をよこしただけだった。 どれだけドーナツが好きなんだ……。ある意味羨ましいな……。 濡らさないように靴下を脱いで、脱衣所の奥にある浴場への扉に手をかけた所で、セレスさんが言った。 「わたくしはここで待っていますわ。……桑田君が入浴中でしょうから」 それは失念していた。ボクは苦笑しつつ、扉を開けて浴場に入った。 湯煙の中に、湯船に浸かった桑田クンの姿が見える。彼はボクに気がつくと大きく手を振った。 「おおっ、苗木じゃねーか! 待ちくたびれて、のぼせるかと思ったぜ」 浴場の中では、声がよく響く。ボクは少し声を抑えて桑田クンに言葉を返した。 「別に湯船に浸かって待たなくてもいいんじゃ……」 「ああ? ……お、お前、そういう事は早く言えよアホ!」 そう言って立ち上がろうとする桑田クンをボクは慌てて両手で制した。 「ま、待ってよ桑田クン! 落ち着いて。脱衣所の扉の所にセレスさんもいるんだから」 「ああ…。悪ィ。ま、とりあえず正解オメデトウって事で、コレ渡しとくわ」 彼は濡れた手で、湯船に浮かべた洗面器の中から封筒を取り出した。 受取った封筒の裏には、やはり「ABC」の署名がある。 「それにしても苗木よー。お前、あの女の為によくやるよなー。……なあ、デキてんの? お前らデキてんの?」 「い、いや、別にボク達はそういうんじゃ……」 ボクはひとまず否定しようとしたが、桑田クンはこちらの話を聞こうとしない。 「いいよなー。ちょっと変な奴だけど顔はいいしよ。 まっ、俺はもっとこう……ロングヘアの似合う、可愛い感じの娘が好みなんだけどな。 ……ちくしょー、何で苗木ばっかりモテるんだよ! 羨ましいだろうが、このアホ!」 よくわからない理由をつけて、彼は興奮しだした。 脱衣所に繋がる扉のすぐそばでは、この会話をセレスさんが聞いていることだろう。 これ以上、おかしな事を口走られてはたまらない。 ボクが何とか桑田クンを落ち着かせようと言葉を選んでいたところで、背後からセレスさんの声が響いた。 「苗木君、いつまで待たせますの!? 用事が済んだら早く戻ってきなさい!」 怒気をはらんだ声にボクも桑田クンも一瞬びくりとして、口をつぐんだ。 「ご、ごめん、桑田クン。セレスさんが待ってるから……」 「あ、ああ。悪かったな。引きとめちまって。俺も出るから、早く出てってくれ」 軽く手を振る桑田クンに見送られ、ボクは踵を返した。後ろの方から桑田クンの呟くような声が聞こえる。 「……恐えー。ありゃ尻に敷かれるな……」 浴場から脱衣所に戻ったボクはまず、セレスさんの顔色を伺った。 「お、お待たせ、セレスさん。さっきの話……聞こえてたかな?」 「……いえ、あまり。桑田君の下品な言葉は、聞き取りづらいものですから」 不機嫌そうにそっぽを向いてしまう彼女の頬は、少し赤味が差して見えた。 「それより、桑田君から封筒を受取ったのでしょう。早く開けなさい」 「ああ、うん。でも、ボク達がここにいると桑田クンが出てこられないから……。一旦、食堂に行こうか」 ボクは靴下を履いて、セレスさんと一緒に脱衣所を出た。すると、セレスさんが辺りをキョロキョロと見回す。 「どうしたの?」 彼女はボクの問いに何も答えず、黙って食堂の方へ歩き出した。 中途半端な時間のせいか、食堂には人気がない。 ボクは椅子を引いてセレスさんに勧めると、自分も近くの椅子に腰掛けた。 「さあ、早く手紙を。……最初の手紙に『一時間以内』と書いてありましたわ。 もし、ゲームがアルファベットの終わりまで続くのであれば、のんびりしてはいられません。急ぎましょう」 セレスさんが表情に僅かな焦りの色を滲ませる。 「だ、大丈夫だよ。多分。本家の『ABC殺人事件』だって最後までは……」 ボクはそう言いながら封筒を開けて手紙を取り出した。そこには、たった一言だけが書かれている。 『紅茶は<C>が持っている』 ボクがそれを読み上げると、セレスさんは呆気に取られたように目を見開いた。 「……それだけですか。随分、あっさりしていますわね」 「うん……。『紅茶を持ってる』って事は、これで終わりなのかな」 「しかし、これは厄介ですわね……。あまりにもヒントが少なすぎますわ」 「名前に『C』が入る人なら、不二咲さん……フジサキ・チヒロさんがいるけど?」 ボクの提案に、セレスさんは首を傾げる。 「それは、どうでしょう。不二咲さんなら、今までのパターンでF・CかC・Fと書きそうな気がしますわ。 しかも、これだけでは不二咲さんがどこに居るのかわかりません」 「確かに。今度のは場所がわからないんだよね……。これが場所を示してるって事はないかな?」 「『C』のつく場所ですか。コンピュータールーム……情報処理室……。クラスルーム……教室……」 彼女の言葉に、ボクは閃いたように自分の膝を打った。 「C組の教室とか!?」 セレスさんは呆れ顔で大きなため息をついた。 「苗木君……。この学園にC組の教室はありませんわ。ご自分の通っている学園の教室の数ぐらい、把握しておいて下さい」 ボクは照れ隠しに頭を掻いた。でも、クラスメイトのプロフィールを把握していない人に言われたくないな……。 「どうしよう。とりあえず情報処理室に行ってみる? それとも、教室を一通り回ってみようか? もしかしたら、どこかに不二咲さんがいるかもしれないし」 セレスさんは首を横に振る。 「それでは効率が悪すぎますわ。第一、最初の手紙に『行動は監視している』、『余計な事はするな』と書かれていました。 あれは虱潰しに正解を探せないようにする為に、わざわざ書いたものでしょう。ただの脅しかもしれませんが、危険ですわ」 危険というのは、もちろん紅茶が捨てられてしまう危険だ。 ボクは何か言おうと言葉を探したが、セレスさんの様子を見て……それを止めた。 彼女は真剣な表情で黙り込み、何か考えを巡らせているようだ。邪魔をしてはまずい。 そして待つこと数分……。ふいに沈黙が破られた。 「……なるほど。そういう事でしたか。……全てわかりましたわ」 「わかったの!?」 ゆっくりと頷いたセレスさんの表情には、いつもの優雅な微笑が戻っている。 「今までご丁寧に場所と人物を指定していた犯人が、何故、今回は場所を示さなかったのか……わかりますか、苗木君?」 「さあ。……最後の暗号だから難しくしようとした、とか?」 「それもあるのかもしれませんが、わたくしは思うのです。犯人はある意味、フェアプレーの精神の持ち主ではないのかと」 彼女の口調はあまりにも自信に満ちていて、ボクは少し気おされる。 「そ、それってつまり……どういう事?」 「今、言ったように二つ目までの暗号ではいちいち場所と人物が指定されていましたわ。 しかも余計な記述や嘘はなく、毎回差出人の名前まで入れて、丁寧そのものです。 今回に限って場所が指定されていないのは、場所を指定する必要が無いから……ではないでしょうか?」 「え、えっと……それって、移動する必要が無いって事かな?」 「その通りですわ。犯人には、わたくし達が『C』の人物に会う為に移動しなくてもよい、という確信があったのです。 ……つまり、暗号が示す『C』の人物は、今この食堂の中に居るのです」 ボクは彼女の言葉に従って、食堂を見渡した。食堂内には相変わらず人影は無く、しんと静まりかえっている。 「……それらしい人は、誰もいないみたいだけど?」 「いますわ、わたくしの目の前に。……あなたが『C』です、苗木君。 この学園内にたった一人しかいない、わたくしのナイト……『Cランク』ですものね」 セレスさんはにっこりと笑って、ボクの顔を指差した。 ボクは胸が高鳴るのを感じながら、ポケットに右の手を入れた。指先に硬く冷たい金属の箱が触れる。 そのまま、それを取り出した。出てきたのは、見るからに高級そうなラベルの貼られた小さな紅茶の缶だ。 「ああ、本当だ! こんな所に入ってたよ。いつの間に入れられたんだろう」 精一杯、驚いた表情を浮かべたボクを、セレスさんが見つめる。その顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。 「下手な芝居はおよしなさい。先程、全てわかったと言ったでしょう。 『C』の人物があなたなら、暗号を仕組んだのもあなたです。この事件の犯人……『ABC』はあなたですわ、苗木君」 セレスさんの射抜くような視線に貫かれ、ボクは背中に汗が噴き出してくるのを感じた。 「え、えっと……いつもの冗談だよね、セレスさん?」 何とか発した声も上ずってしまう。 「まあ、白を切りますの? ……いいでしょう。じっくり説明して差し上げますわ」 セレスさんは口元に手を当てると、すらりとした脚を組んだ。 「まず、最初の『挑戦状』の文面ですわ。あれには、『お前達の行動は全て監視している』と書いてありましたわね? わたくしは尾行を警戒していましたが、不審な人物は影も形も見えませんでした。 犯人は一体どこから、わたくし達の行動を監視をしていたのでしょう?」 「か、監視カメラを使えば簡単だよ。この学園は監視カメラだらけなんだから」 ボクの言葉に、セレスさんはゆっくりと首を横に振る。 「いいえ、それは有り得ません。暗号の場所には、カメラが無い大浴場が含まれていますもの」 「……じゃあ、監視なんて、嘘なんじゃない?」 「違います。仮にわたくし達が監視を信じず、虱潰しに学園内を探し回ったら、ゲームは成立しなくなりますわ。 ここまで準備に手間をかけておいて、そんな事になったら犯人は間抜けすぎます。 ですから、常にそばで監視をしていたのです。わたくしと一緒にゲームに参加しているふりをして、ね。 わたくしが予定外の行動を取ろうとしたら、何か適当な理由をつけて止めさせるつもりだったのでしょう」 ……その通りだ。ボクは黙って頷いた。 「次に、大浴場でのあなたと桑田君の会話ですわ。暗号に合わせての事ととは言え、 彼をキャスティングしたのは間違いでしたわね。わたくしが聞いているのを知りながら、妙な事を口走っていましたもの」 ボクはため息をついた。やっぱり、あそこでの会話はしっかり聞かれていたのか。 「『そういう事は早く言え』とか、『あの女の為によくやる』とか、まるでゲームの主催者に言いそうな言葉です」 「……確かに。全部聞こえてたんだね?」 「当たり前ですわ。他にも、あなたとわたくしが『デキてる』だのなんだのと、全く……」 そう言って、セレスさんは顔を少し赤らめた。思い出すと、ボクまで赤くなってしまいそうだ。 「い、いえ、これは事件と関係ありませんわね。その話は置いておきましょう」 彼女は頭を振って話を戻した。ボクもその方がありがたい。 「最後に。これが一番大きいのですが、今日のあなたは全く冴えていませんでしたわね。 わたくしに暗号を解かせようと、わざと間違った事を言ったりヒントを出す事に徹していたのでしょう。 ですが、いつものあなたを知っていれば違和感が強すぎます。……呆れる程に詰めが甘いですわ」 褒められているのか、けなされているのか、よくわからない。ボクは思わず吹き出した。 「うん。全部セレスさんの言う通りだよ。やっぱり、ゲームではセレスさんに敵わないな」 ボクは両手を上げて降参のポーズを取った。セレスさんは得意げに微笑みながら、痩せた胸を張る。 「うふふ、当然ですわ。わたくしは無敗のギャンブラー、セレスティア・ルーデンベルクですわよ?」 彼女はそう言うと、真顔に戻ってボクの顔を覗き込んだ。 「……それにしても、あなたらしくありませんわね。どうしてこんな事をしましたの?」 ボクはその質問に、正直に答えた。 「退屈だって言ってたから」 「……は? 退屈?」 「セレスさん、最近、いつも言ってたよね。平穏過ぎて退屈だって。 だから、倉庫で紅茶を見つけたついでに『刺激的なイベント』を考えてみたんだけど……つまらなかったかな?」 セレスさんは考え込むように俯いて、黙り込んでしまった。 悪戯の度が過ぎて、怒らせてしまったのだろうか。ボクが不安になり始めると、彼女は顔を上げた。 「犯人を捕まえたら、どんなお仕置きをしてやろうかと楽しみにしていましたのに……。 わたくしの為にやったと言われたら、仕方ありませんわね」 口元には、いつもの微笑が戻っている。ボクはお仕置きの件も含めて、ほっと胸を撫で下ろした。 「それに子供じみたゲームでしたが、確かに時間を忘れて楽しませて頂きましたわ」 「そう言ってもらえると、ボクも頑張った甲斐があったよ」 実際、小説を読んで暗号を考えたり、大量のプレゼントを用意して朝日奈さんと桑田クンを買収したりするのは大変だった。 その苦労がどの位、効果的だったのかはともかく……。 ボクが感慨に浸っていると、セレスさんが独り言のように呟いた。 「しかし余計な気を遣わせてしまいましたわね……。退屈だなんて、わたくしは……あなたと一緒にいれば……」 「えっ……?」 ボクが聞き返すと、彼女は驚いたように身を竦ませる。 「な、何でもありませんわ。そんな事より、その紅茶は本物なのでしょう。……早く淹れてきなさい!」 語気を強めたセレスさんの顔が赤いのは、少なくとも怒りのせいではなさそうだ。 ボクは彼女が何を言いかけたのか無性に気になったが、本当に怒られる前に厨房へと向かうことにした。 ----
この日、ボクはセレスさんに誘われて娯楽室でオセロに興じていた。 当然のことながら連戦連敗……。まあ、対戦前からわかっていたけどね……。 盤面がほとんど黒に塗り潰されて五度目の勝負を終えたところで、セレスさんが物憂げに頬杖をついた。 「はあ……。退屈ですわ……」 「ご、ごめん。やっぱりボクといても退屈かな……」 ボクは苦笑した。それが卑屈に見えてしまったのか、セレスさんは表情を和らげて首を横に振る。 「いえ、あなたと一緒にいるのが退屈だというのではありませんわ。 ただ、近頃はこれといった事件も起こりませんし、あまりにも平穏すぎて……。 何か、刺激的なイベントでもあればいいのですが」 実は同じようなやりとりが、ここ数日繰り返されている。確かに最近は平穏すぎるぐらいだ。 学園内には娯楽も少ないし、彼女の気持ちはわかる。 ボクは思い出したように両手を打った。 「そういえば昨日、倉庫で小さな缶に入った高級そうな紅茶を見つけたんだ。良かったら、これからお茶にしない?」 ボクの言葉に、セレスさんの瞳がきらりと輝く。 「まあ……! どうしてそれを早く言いませんの。早速倉庫に寄って、食堂へ向かいましょう」 セレスさんに急かされながら、ボク達は寄宿舎の倉庫へと移動した。 倉庫の中には相変わらず様々な物が雑然と押し込められている。 ボクは目星をつけてあったダンボール箱の所へと足早に向かい、蓋を開けた。 箱の中には、やはり紅茶の缶が…………無い。 「……あれ?」 我ながら間の抜けた声だった。セレスさんが背後から少し苛立ったように声をかけてくる。 「どうしましたの? 早く紅茶を出しなさい」 「無い…。無くなってるよ。昨日は確かに、この箱に入ってたのに」 ボクは軽くなった箱を引き出して、セレスさんに中身を見せた。 「本当にこの箱で間違いありませんの? ……あら、何か入っていますわ」 彼女が眉をひそめながら箱から取り出した物は、一通の白い封筒だった。 差出人の名前があるべき位置には「ABC」の文字が見える。 「苗木君、この封筒に見覚えはありますか?」 「いや、昨日はそんな物、入ってなかったよ」 セレスさんは黙って封筒を開くと、中に入っていた手紙に目を通した。表情は変わらず、感情が読み取れない。 「……何が書いてあるの?」 恐る恐るボクが問いかけると、彼女は押し黙ったまま手紙をボクの方に差し出した。 そこには、こんな風に書かれていた。 『ここに入っていた紅茶は預かった。返して欲しければ一時間以内に<A>の<AA>の所へ行け。 お前達の行動は全て監視している。余計な行動をしたり、時間に間に合わなかった場合は紅茶は廃棄する』 不自然な鋭角の文字は、筆跡を隠す為に定規を使って書かれている。 「こ、これって……脅迫状!?」 「……と言うより、挑戦状でしょう。全く、子供じみた悪戯ですわね」 セレスさんは目を細め、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 「どうしよう?」 「普通なら、こんなお遊びに付き合うわたくしではないのですが、ちょうど退屈していた所ですわ。 さっさとゲームに勝って紅茶を頂きましょう。……ついでに犯人も捕まえて、お仕置きですわね」 そう言って笑みを浮かべた彼女は既に勝利を確信しているようで、ボクは少し身震いした。 「さて、この手紙には<A>の<AA>の所に行け、と書いてありますが……」 セレスさんが手にした「挑戦状」を指差しながら言った。 「意味不明だね。暗号を解いて紅茶を取りに来い、って事かな」 「苗木君、何か思いつきませんか?」 ボクは首を横に振る。 「いや、何も……。でも、この手紙……。何かこれに似たものを知ってるような……」 「まあ、本当ですの? 何ですか、それは」 セレスさんが身を乗り出して尋ねてきた。 「うーん、思い出せないな……」 ボクが首をひねると、セレスさんの表情が冷たいものに変わる。 「今日に限って使えない頭ですわね……。叩けば少しは冴えるでしょうか」 ……冗談に聞こえない。ボクは慌てて言った。 「ああ、そうだ、思い出したよ! 前に図書室で十神クンが読んでた小説の中に出てきたんだった。 外国の作家が書いた有名な推理小説らしいんだけど……」 ボクが挙げたのは、世界的に有名な推理小説、「ABC殺人事件」だった。 名探偵として知られるポワロの元に「ABC」と名乗る人物から手紙が届けられ、その予告に従って殺人事件が起こる。 まずAで始まる名前の町でイニシャルA・Aの人物が殺害され、それがB、C……と続くという内容だ。 アルファベットを三つ並べたり、差出人が「ABC」だったりする辺りが今回の手紙と似ている。 ボクの説明を聞いて、セレスさんは小さく頷いた。 「なるほど。という事は、この手紙は『Aで始まる場所に居るイニシャルA・Aの人物に会え』と言っているのですね?」 「犯人が小説の真似をしてるなら、多分そうだと思うよ」 「まあ、他にあてもありませんし、試してみましょうか。この学園で『Aで始まる場所』と言えば……」 セレスさんが顎に手を当て、考え込む時のいつもの仕草を見せる。ボクはすかさず口を開いた。 「A組の教室かな?」 「それは『Aで始まる場所』、ではないでしょう。おまけにA組の教室はいくつもあって絞り込めませんわ。 それよりアートルーム……つまり、美術室ではないでしょうか?」 ボクはセレスさんの頭の回転の速さに感心しながら頷いた。 「そうだね。あとはイニシャルA・Aの人だけど……」 さすがに、これは考えるまでもないだろう。今この学園には、そのイニシャルの人物は一人しかいない。 「アサヒナ・アオイさんですわね。では、美術室の朝日奈さんに会いにいきましょう。 どうして朝日奈さんが美術室に居ることになっているのか気になりますが……」 その疑問はさておき、ボク達は美術室へと向かった。 ボクが美術室の入り口をくぐると、早速、元気のいい声が飛んできた。 「あっ、苗木~! セレスちゃんも。待ってたよ!」 嬉しそうな朝日奈さんを、セレスさんは不審そうな目で見て言った。 「あら…。本当に居ましたわね」 美術室のテーブルに腰掛けた朝日奈さんの周りには、彼女の大好物の「浮き輪ドーナツ」の箱が高く積み上げられている。 どうやら、ひたすらドーナツを食べながらボク達が来るのを待っていたらしい。 ボクは相変わらずのドーナツ好きに苦笑しながら朝日奈さんに話しかけた。 「朝日奈さん、ボク達は……」 「うん、うん。言わなくてもわかってるよ。はい、これ」 彼女は一人で大きく頷きながら、ボクに白い封筒を手渡した。 その封筒の裏には、倉庫で見つけた封筒と同じように差出人「ABC」の名が書かれている。 「朝日奈さん。あなた、ここで何をしていましたの?」 セレスさんが尋ねた。 「ちょっと頼まれたんだよ。ここに苗木とセレスちゃんが来たら、その封筒を渡すようにってね。 あ、誰に頼まれたかは聞かないでね。それは言わない約束だから」 朝日奈さんは少しだけ申し訳なさそうに視線を逸らした。 その視線の先には……ドーナツの山。セレスさんはピンときたようだ。 「あなた……ドーナツで買収されましたわね?」 「えっ? や、やだな~、セレスちゃん。私がドーナツぐらいで釣られるわけないじゃん!」 そう言いながらも、朝日奈さんの手は箱の中のドーナツに伸びる。説得力がない……。 セレスさんは呆れたようにため息をついた。 「……よくわかりましたわ。後はごゆっくりどうぞ」 「あ、あはは、ごめんね。じゃあ遠慮なく……」 幸せそうにドーナツを食べ始めた朝日奈さんを尻目に、ボクはセレスさんの方へと向き直った。 「やっぱり、『ABC殺人事件』の真似みたいだね」 「そうですわね。……それで、その封筒の中身はどうなっていますの?」 ボクはセレスさんに促され、封筒を開いた。やはり、中には手紙が入っている。 『次は<B>の<BB >の所に行け』 書かれているのは、その一文だけだった。 ボクはセレスさんに手紙を渡して言った。 「今度は『B』だね」 「『B』…。でも、この学園にイニシャルB・Bの人物なんて居ましたか?」 ボクは首を横に振る。希望ヶ峰学園には、B・BどころかBのつく人すら居ない。 「先程の手紙と同じパターンならば、これも人物を指しているのでしょうけど……」 「イニシャルとは限らないのかな。『B』に関係あるプロフィールの人っていうのはどう?」 セレスさんはつまらなそうに肩をすくめる。 「さあ。わたくしは、この学園のほとんどの方に興味がありませんので、名前以外はさっぱりです」 「いや、もうちょっとクラスメイトに興味持とうよ……」 セレスさんは考える気もなさそうなので、ボクがこの学園に集められた仲間たちの名前と肩書きを並べることにした。 石丸清多夏…超高校級の風紀委員。 江ノ島盾子…超高校級のギャル。 大神さくら…超高校級の格闘家。 大和田紋土…超高校級の暴走族。 霧切響子…超高校級の???? 桑田怜恩…超高校級の野球選手。 途中まで口に出してみた所で、セレスさんが片手を上げた。 「……そこまで。『B・B』とは、桑田君の事ではありませんか?」 「ああ、野球選手……ベース・ボール・プレイヤーって事だね。でも、大和田クン……暴走族も『B』だよ?」 「ボウソウゾクでは、『B』が一つ足りませんわ。それに、この手紙を見て下さい」 セレスさんが細い指で手紙の文を指し示す。 『次は<B>の<BB >の所に行け』 「<BB>の次に一文字分、不自然なスペースが空いていますわね。 これは、ここにベース・ボール・『プレイヤー』の『P』が入るというヒントではないでしょうか?」 ボクは大きく頷いた。 「うん、きっとそうだよ! それじゃ、『Bの場所』は…」 「先程と同じで、B組の教室ではなさそうですわ。さしずめバスルーム…大浴場辺りでしょうか。 個人の部屋にはシャワーしか付いていませんものね」 ボクたちは次の目的地を定め、移動することにした。 朝日奈さんに別れの声をかけたが、彼女はドーナツに夢中で生返事をよこしただけだった。 どれだけドーナツが好きなんだ……。ある意味羨ましいな……。 濡らさないように靴下を脱いで、脱衣所の奥にある浴場への扉に手をかけた所で、セレスさんが言った。 「わたくしはここで待っていますわ。……桑田君が入浴中でしょうから」 それは失念していた。ボクは苦笑しつつ、扉を開けて浴場に入った。 湯煙の中に、湯船に浸かった桑田クンの姿が見える。彼はボクに気がつくと大きく手を振った。 「おおっ、苗木じゃねーか! 待ちくたびれて、のぼせるかと思ったぜ」 浴場の中では、声がよく響く。ボクは少し声を抑えて桑田クンに言葉を返した。 「別に湯船に浸かって待たなくてもいいんじゃ……」 「ああ? ……お、お前、そういう事は早く言えよアホ!」 そう言って立ち上がろうとする桑田クンをボクは慌てて両手で制した。 「ま、待ってよ桑田クン! 落ち着いて。脱衣所の扉の所にセレスさんもいるんだから」 「ああ…。悪ィ。ま、とりあえず正解オメデトウって事で、コレ渡しとくわ」 彼は濡れた手で、湯船に浮かべた洗面器の中から封筒を取り出した。 受取った封筒の裏には、やはり「ABC」の署名がある。 「それにしても苗木よー。お前、あの女の為によくやるよなー。……なあ、デキてんの? お前らデキてんの?」 「い、いや、別にボク達はそういうんじゃ……」 ボクはひとまず否定しようとしたが、桑田クンはこちらの話を聞こうとしない。 「いいよなー。ちょっと変な奴だけど顔はいいしよ。 まっ、俺はもっとこう……ロングヘアの似合う、可愛い感じの娘が好みなんだけどな。 ……ちくしょー、何で苗木ばっかりモテるんだよ! 羨ましいだろうが、このアホ!」 よくわからない理由をつけて、彼は興奮しだした。 脱衣所に繋がる扉のすぐそばでは、この会話をセレスさんが聞いていることだろう。 これ以上、おかしな事を口走られてはたまらない。 ボクが何とか桑田クンを落ち着かせようと言葉を選んでいたところで、背後からセレスさんの声が響いた。 「苗木君、いつまで待たせますの!? 用事が済んだら早く戻ってきなさい!」 怒気をはらんだ声にボクも桑田クンも一瞬びくりとして、口をつぐんだ。 「ご、ごめん、桑田クン。セレスさんが待ってるから……」 「あ、ああ。悪かったな。引きとめちまって。俺も出るから、早く出てってくれ」 軽く手を振る桑田クンに見送られ、ボクは踵を返した。後ろの方から桑田クンの呟くような声が聞こえる。 「……恐えー。ありゃ尻に敷かれるな……」 浴場から脱衣所に戻ったボクはまず、セレスさんの顔色を伺った。 「お、お待たせ、セレスさん。さっきの話……聞こえてたかな?」 「……いえ、あまり。桑田君の下品な言葉は、聞き取りづらいものですから」 不機嫌そうにそっぽを向いてしまう彼女の頬は、少し赤味が差して見えた。 「それより、桑田君から封筒を受取ったのでしょう。早く開けなさい」 「ああ、うん。でも、ボク達がここにいると桑田クンが出てこられないから……。一旦、食堂に行こうか」 ボクは靴下を履いて、セレスさんと一緒に脱衣所を出た。すると、セレスさんが辺りをキョロキョロと見回す。 「どうしたの?」 彼女はボクの問いに何も答えず、黙って食堂の方へ歩き出した。 中途半端な時間のせいか、食堂には人気がない。 ボクは椅子を引いてセレスさんに勧めると、自分も近くの椅子に腰掛けた。 「さあ、早く手紙を。……最初の手紙に『一時間以内』と書いてありましたわ。 もし、ゲームがアルファベットの終わりまで続くのであれば、のんびりしてはいられません。急ぎましょう」 セレスさんが表情に僅かな焦りの色を滲ませる。 「だ、大丈夫だよ。多分。本家の『ABC殺人事件』だって最後までは……」 ボクはそう言いながら封筒を開けて手紙を取り出した。そこには、たった一言だけが書かれている。 『紅茶は<C>が持っている』 ボクがそれを読み上げると、セレスさんは呆気に取られたように目を見開いた。 「……それだけですか。随分、あっさりしていますわね」 「うん……。『紅茶を持ってる』って事は、これで終わりなのかな」 「しかし、これは厄介ですわね……。あまりにもヒントが少なすぎますわ」 「名前に『C』が入る人なら、不二咲さん……フジサキ・チヒロさんがいるけど?」 ボクの提案に、セレスさんは首を傾げる。 「それは、どうでしょう。不二咲さんなら、今までのパターンでF・CかC・Fと書きそうな気がしますわ。 しかも、これだけでは不二咲さんがどこに居るのかわかりません」 「確かに。今度のは場所がわからないんだよね……。これが場所を示してるって事はないかな?」 「『C』のつく場所ですか。コンピュータールーム……情報処理室……。クラスルーム……教室……」 彼女の言葉に、ボクは閃いたように自分の膝を打った。 「C組の教室とか!?」 セレスさんは呆れ顔で大きなため息をついた。 「苗木君……。この学園にC組の教室はありませんわ。ご自分の通っている学園の教室の数ぐらい、把握しておいて下さい」 ボクは照れ隠しに頭を掻いた。でも、クラスメイトのプロフィールを把握していない人に言われたくないな……。 「どうしよう。とりあえず情報処理室に行ってみる? それとも、教室を一通り回ってみようか? もしかしたら、どこかに不二咲さんがいるかもしれないし」 セレスさんは首を横に振る。 「それでは効率が悪すぎますわ。第一、最初の手紙に『行動は監視している』、『余計な事はするな』と書かれていました。 あれは虱潰しに正解を探せないようにする為に、わざわざ書いたものでしょう。ただの脅しかもしれませんが、危険ですわ」 危険というのは、もちろん紅茶が捨てられてしまう危険だ。 ボクは何か言おうと言葉を探したが、セレスさんの様子を見て……それを止めた。 彼女は真剣な表情で黙り込み、何か考えを巡らせているようだ。邪魔をしてはまずい。 そして待つこと数分……。ふいに沈黙が破られた。 「……なるほど。そういう事でしたか。……全てわかりましたわ」 「わかったの!?」 ゆっくりと頷いたセレスさんの表情には、いつもの優雅な微笑が戻っている。 「今までご丁寧に場所と人物を指定していた犯人が、何故、今回は場所を示さなかったのか……わかりますか、苗木君?」 「さあ。……最後の暗号だから難しくしようとした、とか?」 「それもあるのかもしれませんが、わたくしは思うのです。犯人はある意味、フェアプレーの精神の持ち主ではないのかと」 彼女の口調はあまりにも自信に満ちていて、ボクは少し気おされる。 「そ、それってつまり……どういう事?」 「今、言ったように二つ目までの暗号ではいちいち場所と人物が指定されていましたわ。 しかも余計な記述や嘘はなく、毎回差出人の名前まで入れて、丁寧そのものです。 今回に限って場所が指定されていないのは、場所を指定する必要が無いから……ではないでしょうか?」 「え、えっと……それって、移動する必要が無いって事かな?」 「その通りですわ。犯人には、わたくし達が『C』の人物に会う為に移動しなくてもよい、という確信があったのです。 ……つまり、暗号が示す『C』の人物は、今この食堂の中に居るのです」 ボクは彼女の言葉に従って、食堂を見渡した。食堂内には相変わらず人影は無く、しんと静まりかえっている。 「……それらしい人は、誰もいないみたいだけど?」 「いますわ、わたくしの目の前に。……あなたが『C』です、苗木君。 この学園内にたった一人しかいない、わたくしのナイト……『Cランク』ですものね」 セレスさんはにっこりと笑って、ボクの顔を指差した。 ボクは胸が高鳴るのを感じながら、ポケットに右の手を入れた。指先に硬く冷たい金属の箱が触れる。 そのまま、それを取り出した。出てきたのは、見るからに高級そうなラベルの貼られた小さな紅茶の缶だ。 「ああ、本当だ! こんな所に入ってたよ。いつの間に入れられたんだろう」 精一杯、驚いた表情を浮かべたボクを、セレスさんが見つめる。その顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。 「下手な芝居はおよしなさい。先程、全てわかったと言ったでしょう。 『C』の人物があなたなら、暗号を仕組んだのもあなたです。この事件の犯人……『ABC』はあなたですわ、苗木君」 セレスさんの射抜くような視線に貫かれ、ボクは背中に汗が噴き出してくるのを感じた。 「え、えっと……いつもの冗談だよね、セレスさん?」 何とか発した声も上ずってしまう。 「まあ、白を切りますの? ……いいでしょう。じっくり説明して差し上げますわ」 セレスさんは口元に手を当てると、すらりとした脚を組んだ。 「まず、最初の『挑戦状』の文面ですわ。あれには、『お前達の行動は全て監視している』と書いてありましたわね? わたくしは尾行を警戒していましたが、不審な人物は影も形も見えませんでした。 犯人は一体どこから、わたくし達の行動を監視をしていたのでしょう?」 「か、監視カメラを使えば簡単だよ。この学園は監視カメラだらけなんだから」 ボクの言葉に、セレスさんはゆっくりと首を横に振る。 「いいえ、それは有り得ません。暗号の場所には、カメラが無い大浴場が含まれていますもの」 「……じゃあ、監視なんて、嘘なんじゃない?」 「違います。仮にわたくし達が監視を信じず、虱潰しに学園内を探し回ったら、ゲームは成立しなくなりますわ。 ここまで準備に手間をかけておいて、そんな事になったら犯人は間抜けすぎます。 ですから、常にそばで監視をしていたのです。わたくしと一緒にゲームに参加しているふりをして、ね。 わたくしが予定外の行動を取ろうとしたら、何か適当な理由をつけて止めさせるつもりだったのでしょう」 ……その通りだ。ボクは黙って頷いた。 「次に、大浴場でのあなたと桑田君の会話ですわ。暗号に合わせての事ととは言え、 彼をキャスティングしたのは間違いでしたわね。わたくしが聞いているのを知りながら、妙な事を口走っていましたもの」 ボクはため息をついた。やっぱり、あそこでの会話はしっかり聞かれていたのか。 「『そういう事は早く言え』とか、『あの女の為によくやる』とか、まるでゲームの主催者に言いそうな言葉です」 「……確かに。全部聞こえてたんだね?」 「当たり前ですわ。他にも、あなたとわたくしが『デキてる』だのなんだのと、全く……」 そう言って、セレスさんは顔を少し赤らめた。思い出すと、ボクまで赤くなってしまいそうだ。 「い、いえ、これは事件と関係ありませんわね。その話は置いておきましょう」 彼女は頭を振って話を戻した。ボクもその方がありがたい。 「最後に。これが一番大きいのですが、今日のあなたは全く冴えていませんでしたわね。 わたくしに暗号を解かせようと、わざと間違った事を言ったりヒントを出す事に徹していたのでしょう。 ですが、いつものあなたを知っていれば違和感が強すぎます。……呆れる程に詰めが甘いですわ」 褒められているのか、けなされているのか、よくわからない。ボクは思わず吹き出した。 「うん。全部セレスさんの言う通りだよ。やっぱり、ゲームではセレスさんに敵わないな」 ボクは両手を上げて降参のポーズを取った。セレスさんは得意げに微笑みながら、痩せた胸を張る。 「うふふ、当然ですわ。わたくしは無敗のギャンブラー、セレスティア・ルーデンベルクですわよ?」 彼女はそう言うと、真顔に戻ってボクの顔を覗き込んだ。 「……それにしても、あなたらしくありませんわね。どうしてこんな事をしましたの?」 ボクはその質問に、正直に答えた。 「退屈だって言ってたから」 「……は? 退屈?」 「セレスさん、最近、いつも言ってたよね。平穏過ぎて退屈だって。 だから、倉庫で紅茶を見つけたついでに『刺激的なイベント』を考えてみたんだけど……つまらなかったかな?」 セレスさんは考え込むように俯いて、黙り込んでしまった。 悪戯の度が過ぎて、怒らせてしまったのだろうか。ボクが不安になり始めると、彼女は顔を上げた。 「犯人を捕まえたら、どんなお仕置きをしてやろうかと楽しみにしていましたのに……。 わたくしの為にやったと言われたら、仕方ありませんわね」 口元には、いつもの微笑が戻っている。ボクはお仕置きの件も含めて、ほっと胸を撫で下ろした。 「それに子供じみたゲームでしたが、確かに時間を忘れて楽しませて頂きましたわ」 「そう言ってもらえると、ボクも頑張った甲斐があったよ」 実際、小説を読んで暗号を考えたり、大量のプレゼントを用意して朝日奈さんと桑田クンを買収したりするのは大変だった。 その苦労がどの位、効果的だったのかはともかく……。 ボクが感慨に浸っていると、セレスさんが独り言のように呟いた。 「しかし余計な気を遣わせてしまいましたわね……。退屈だなんて、わたくしは……あなたと一緒にいれば……」 「えっ……?」 ボクが聞き返すと、彼女は驚いたように身を竦ませる。 「な、何でもありませんわ。そんな事より、その紅茶は本物なのでしょう。……早く淹れてきなさい!」 語気を強めたセレスさんの顔が赤いのは、少なくとも怒りのせいではなさそうだ。 ボクは彼女が何を言いかけたのか無性に気になったが、本当に怒られる前に厨房へと向かうことにした。 ----

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