超高校級の夫婦【後編】

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超高校級の夫婦【後編】」(2011/07/15 (金) 16:23:00) の最新版変更点

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 ボタンを留め終わってから数分後、ボクらの理性もある程度回復していた。まだ二人ともギクシャクはしていたけれど、どうにか目を見て話せている。  それと同時に直面したのは次なる問題。 「やっぱり、それはできないよ」 「苗木君にはその権利があるわ。私に気を使わないで」 「そ、そんな……だってボク、男だし……」  先程から何回このやり取りを繰り返しているだろうか。  頑固者の霧切さんは頑なに主張を譲らないし、ボクも男としてこればっかりは譲れない。 「泊めてもらった私が床で寝るから、部屋の主である苗木君がベッドで寝るべきよ」 「女の子を床で寝かせて、ボクだけベッドで寝る訳にはいかないよ。男のボクが床で寝るからさ」  問題とは、どっちが一つしかないベッドを使って寝るかということである。  当然女の子である霧切さんに使ってもらうつもりだったのだが、それはできないと彼女は頑なに拒否した。  曰く、自分は床で寝るのも慣れているし、ベッドは部屋の主が使うべきだと。  何故慣れているのか気になったけれど、それよりもこの問題を解決するのが先だった。 「霧切さん、分かってよ。ボクなら一晩くらい平気だから」 「それはできない相談ね。苗木君は床で寝ることを甘く見ているわ」  そう言って、霧切さんはベッドに座ったままびしっと右手の人差し指でボクを差した。  いつもだったら凛々しく感じるその仕草も、黒い手袋、すらりと伸びる綺麗な足、更に白いワイシャツから微かに見える黒い下着まで追加されて何とも艶かしかった。何か新しい癖に目覚めてしまいそうである。 「う、ぐ……」  お互いに全ての弾丸を撃ち尽くしてみても、主張は全くもって平行線。このまま話していても決着がつくとは思えなかった。本当にお互いは意地っ張りだと思う。  そこでボクは強攻策に出ることにした。ベッドと壁に挟まれた布団一枚分よりも狭いスペースの床に、無言でシーツを敷いて毛布を広げる。流石に枕はないがこの際文句なんて言ってられない。 「苗木君?」  霧切さんが訝しげに僕の名前を呼んだけれど、ここは敢えて男らしく無視させて頂く。明日になったら何度でも謝るので今だけは許して欲しい。  そしてボクは素早く部屋の電気を消して、そのまま毛布の中に潜り込んだ。厚い鉄板に塞がれた窓から明かりが入ってくる訳もなく、部屋の中は真っ暗になる。 「ちょ、ちょっと、苗木君!」 「おやすみ、霧切さん!」  有無を言わせずに寝てしまう。これがボクの強攻策だ。きっと話し合いではいつまで経っても解決しないだろうから。  それでも顔を合わせるのが少しだけ怖かったので、ボクはベッドと逆の壁を向いて横になった。これできっと、霧切さんも諦めてくれるだろう。 「……そう、そういうことなら私にも考えがあるわ」  暗闇に響く何処か冷たい声。よく考えれば分かったことだが、あの霧切さんがの程度で諦めてくれるはずもない訳で。  彼女は静かにボクの包まる毛布を捲った。力ずくで毛布を剥がそうとしているのかと思い、しっかりと端を握り締める。  すると霧切さんはそのまま毛布の中に入り込み、ボクの隣りで横になった。  もう一度確認するが、ここはベッドと壁に挟まれた布団一枚分よりも狭いスペースだ。  当然、二人の人間が余裕を持って横になるのは無理がある。つまり、どうやっても二人の身体が触れ合ってしまう。  ボクの背中に感じる温もりは、きっと彼女の背中の温もりだ。 「きっ、霧切さん! 何で――」 「あなたが強攻策をとったから、私も強攻策をとることにしたのよ。嫌ならベッドを使うことね」  ――それは違うよ! 男がこんな状況で嫌な訳ないじゃないか!  流石にそんなことを大声で主張できる筈もなく、曖昧に笑って誤魔化す。  文字通り背中合わせで横になるのは変な緊張感があった。  今更ベッドに移動するなんてことはできなくて。きっと彼女もそう思っていて。  つまるところ、それは今夜一晩このままの状態で過ごすことを意味している。  この奇妙な距離感に高鳴り始めてしまったボクの胸は、中々落ち着いてくれなかった。  そのまま五分、十分、三十分が経っただろうか。お互いに背を向けているために、彼女が眠ってしまったのかも分からない。  このまま眠ってしまうのが少しだけ惜しくも感じていたけど、それは杞憂に終わった。 「苗木君――」  静寂に響く霧切さんの声。先程までの少し怒った声とは違う、いつも通りの穏やかなものだ。 「何? 霧切さん」  それに合わせて言葉を返す。まだ起きていることを知らせるように。 「一つ訊きたいことがあるのだけれど?」  どうやらベッド云々の話は彼女の中でも一区切りついたようなので安堵する。  ボクが相槌を打って先を促すと、恐る恐るといった感じで言葉を続けた。 「どうして、私を泊めるだなんて言ってくれたの?」  どうして、私のためにみんなを裏切るようなまねをしたの?  それはボクからしても最もな問い。まるで気にしていないように振舞っていても、やっぱり気になっていたのだろう。 「私は自分の身分も明かせないし、その理由を証明することもできない。十神君達の言うことは最もだと思うわ」  それなのに何故と彼女は不思議そうに呟く。  十神くんの質問に、霧切さんの答えは殆ど答えになっていなかった。確かにいくらお人好しなボクでも、そんな人をほいほい信じることはできないだろう。 「うーん……」  ボクは慎重に言葉を選ぶ。何故なら、ボク自身まだその理由を明確な言葉にできていなかったから。  あのときは思わず口を衝いてたわけだけど、その答えはきっと――。 「……嬉しかったから、かな?」 「嬉しかった?」  ボクの言葉はきっと霧切さんの想定から大きく外れたものだったのだろう。暗闇に彼女の驚いた声が響いた。 「ああ、部屋の鍵のことじゃなくて、霧切さんがボクを信頼してくれたことが」  今、この部屋の引き出しに閉まってあるサバイバルナイフ。腐川さんが見つけたそれを、なし崩し的にボクが預かることになったとき。 「あのとき、ナイフはボクが預かればって最初に言ってくれたのは、霧切さんだったから」 「――そう、だったかしら?」  惚けてもダメだよ、霧切さん。そんなに動揺した声だったら、流石のボクでも気づいてしまう。 「十神くんも言ってたように、これをボクが持つことになったのはきっとみんなの信頼の表れで」  十神くん、腐川さん、葉隠くん、朝日奈さん、そして――。 「その中でも霧切さんが、一番ボクのことを信頼してくれているんだと思ったから。だからボクも、一番キミのことを信頼しようと思ったんだ」  例え他のみんなを裏切ることになったとしても、キミを信じたいと思ったんだ。  背中越しに霧切さんが息を飲んだ気がした。  もしかしたら、それは違うと否定されるかもしれないと思っていたけれど、そんなこともなく。  つまりボクの言葉には矛盾なんてなくて――。 「そう……。ありがとう、苗木君」  どうやら彼女の心を貫く弾丸になったようだった。 「う、うん」  そう言いながら、ボクは寝返りを打った。本音とは言え、流石に歯の浮くような台詞が少し恥ずかしかったから。  壁の方を向いていた体勢を変えて天井を見上げる。やはり硬い床で寝るのは慣れなくて、下にしていた右半身が微かに痛い。  再び場を支配し始めた沈黙に耐え切れず、ちらりと霧切さんの方に視線を向ける。すると彼女もボクと同じように天井を見上げる体勢になっていた。  微かに暗闇に慣れた視界で見えたのは、少し物憂げに何かを考えているような表情。  その表情がいつもより感じ易いと思ったのはきっと間違いじゃない。流石に暗闇の中だと得意のポーカーフェイスが緩まってしまうのだろう。 「何を考えているの?」 「……大神さんと、アルターエゴのこと」  霧切さんは視線を動かさずに呟いた。それはつまり、今日一日のことを思い出しているという意味だろう。ボクも同じように天井を見上げて思い返す。  自ら死を選んだ大神さんと、モノクマにおしおきされたアルターエゴ。  二人は悩み、覚悟を決め、行動し、そして死んだ。  辛い現実ではあったけれど、ボクはその想いを――。 「――引きずっていく」 「え?」  思考を言葉にされ、ボクはびっくりして霧切さんの方を見た。それはまるで自分をエスパーだと言っていた舞園さんのようで。  彼女も顔を倒し、ボクの方を見ていた。暗闇の中、静かに見つめ合う。 「苗木君、前に言ったわよね? 死んだみんなの想いを乗り越えたりせずに、引きずったまま前に進んでいく、って」 「あ、ああ、うん」  どうやら先程の言葉はボクの思考を読んだものではなかったようだ。それに安堵のような溜息が漏れる。  それは初めての学級裁判が終わったとき、霧切さんの言葉に対するボクの答え。  ――仲間の死を乗り越えることなく、その想いを引きずっていく。  それはボクの中では固い決意だったけれど、まさか霧切があのときの言葉を憶えていたとは思わなかった。 「私もそうすることにしたわ。大神さんの形見で、絶対に黒幕を追い詰める」  そう言って彼女は眼を細める。その仕草がまるで泣きそうなのを我慢しているように見えて、ボクの心がじんわりと痛んだ。 「……大神さんの形見って?」  霧切さんの呟いた言葉が気になったので訊いてみる。すると少しだけ考えるような間の後に、誤魔化すように彼女は言った。 「この決意ってことよ」  それは苦しい言い訳ではあったけど、この場で話せないのにはきっと理由があるんだろう。  きっと必要なときには話してくれる。ボクは霧切さんを信じて、そのときを待つことに決めた。 「そっか……。そうだね」  既に見慣れてしまった天井を見上げながら静かに言う。ボクもできる限り霧切さんに協力しようという決意を込めて。  例えその末にどんな結末を迎えようとしても、男であるボクが彼女を守らないと。人工知能であるアルターエゴだって、勇気を持って黒幕に立ち向かったのだから。  アルターエゴ、だって……。 「……ごめんね、霧切さん」 「どうして謝るの?」  思わず口から漏れた謝罪の言葉を彼女は訝しげに返した。  自分でも唐突過ぎると感じたので誤魔化そうかとも思ったけれど、この気持ちに嘘はつきたくない。 「アルターエゴの、こと……」  ボクがアルターエゴの背中を押さなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。もしかしたら、ボクの所為でアルターエゴはおしおきされてしまったのかもしれない。そう思うと謝らずにはいられなかった。  霧切さんはアルターエゴと反芻するように呟く。そしてボクを宥めるように優しく言った。 「あの子は、自分のやるべきことをやって、そして自分の意志であの場所へ行った――」  それはきっと、少しでもボクらを助けたいという強い想い。 「だから、あなたが誰かに謝る必要なんてないわ」  謝ったてしまったら、あの子に、あの子の想いに失礼だから。 「……うん」  その落ち着いた声に、ボクは目頭が熱くなるのを感じた。固く眼を瞑り、涙が溢れるのを我慢する。  涙はアルターエゴの想いを叶えたそのときまでとっておこうと思ったから。  だから今は、ボクらのことを見守っていて欲しい。  心の中でそんなことを祈りながら深く息を吐く。どうやら涙は収まってくれたようだ。 「どうして、私に謝ったの?」  不意に、霧切さんが口を開く。視線を感じたので顔を倒すと、再び彼女と目が合った。  暗闇の中でも鋭い視線。ボクの全てを見通すように。  一方のボクは困った表情をしていただろう。本当に思ったことを話したら、彼女がどんな反応をするのか分からなかったから。 「それは――」 「それは?」  言うのを躊躇していると、問い詰めるように先を促す。  そこまで大それたことでもないのにと苦笑しながら、ボクはその理由を素直に話すことにした。 「霧切さんが、アルターエゴのお母さんみたいだったから」 「……えっ?」 「だから、ボクにはアルターエゴに接する霧切さんがお母さんみたいだなって感じたんだよ。一番アルターエゴの面倒を見てたし、一番心配してたから」  そして一番、アルターエゴも霧切さんを慕っていたから。  アルターエゴに対する彼女の気持ちは、山田くんや石丸くんとはまた違った愛を感じた。  色々考えてみたけれど、ボクにはそれが母性という言葉でしか表現できない。霧切さんがアルターエゴを見つめる瞳は、ボクの母親がボクや妹を見ていた眼差しに似ている気がしたから。 「私が、お母さん……」  見ると、霧切さんは驚いた表情で固まっていた。暗いから顔色までは分からないけれど、何となく真っ赤になっているような気がする。 「突然、何を言うのかしら、苗木君は……」 「き、霧切さんが訊いたんじゃないか!」  霧切さんの何処か照れた表情に当てられて、ボクの方まで気恥ずかしくなってきた。自分の顔に血液が集まっていくのを感じる。  よりにもよって同い年の女の子にお母さんみたいはないだろう。  すると、霧切さんは少し意地悪な微笑を浮かべた。 「私は、アルターエゴにとって苗木君が父親代わりだったと思うわ」 「ええっ?」 「アルターエゴの決意を後押ししたのは苗木君でしょ? 私にはよく分からなかったけど、男の世界って言うのを感じたわ。ああいうとき、女には結局、見守るしかできないのね」  ちょっぴり芝居がかった口調。これは彼女なりの反撃のつもりなのだろうか。  少し恥ずかしそうな様子から察するに、思ってもいない言葉という訳ではなさそうだけど。  確かにボクはアルターエゴの気持ちを後押しした。それはボクの父親が、この学園に入るのを悩んでいたボクを後押ししてくれたのに近いのかもしれない。そういう意味で、いつの間にかボクはアルターエゴを自分の子供のように思っていたのかもしれない。 「そうかも、しれないね」 「ええ、きっとそうよ」  ――いや、待て。 「それじゃあ、まるで――」  ボクを見つめる表情から察するに、霧切さんは気付いていないのだろう。自分の作ってしまった爆弾に。  自分の顔がより赤くなるのを感じたが、一度零れ落ちた言葉は止まらない。 「――ボク達、夫婦みたい、だね」  アルターエゴの母親が霧切さんで、父親がボク。つまりボクと霧切さんは、子供を見守る夫婦のような立ち位置で。 「ふう、ふ……」  余程吃驚したようで、霧切さんは口元に手をやって絶句していた。  当たり前だ。言うに事欠いて、いきなり夫婦だなんて。 「ご、ごめん。ちょっと変なこと言っちゃって」  ボクが焦って訂正しようとすると、霧切さんはいいえと小さく呟く。  いつの間にはボクらはお互いを向き合うような体勢になっていた。  正面に横たわる霧切さんは恥ずかしそうに視線を逸らしている。少しはだけた襟元から見える鎖骨がたまらなく艶やかだった。 「別に、変ではないと思うわ」 「でも、ボク達まだ高校生だよ……?」  ――ああ、ボクは一体何を言っているのだろうか。  自分が焦っているのか、逆に落ち着いているのかも分からない。  ひとつだけ確かなのは、だんだんこの熱っぽい場の空気に飲まれていっているということ。互いの吐息が耳障りなほどに荒い。 「ここは希望ヶ峰学園。集められいるのは超高校級の生徒ばかり――」  それはきっと、霧切さんも同じ。 「一緒にあの子を見守った私達は……」  霧切さんはきっと聞いたら赤面してしまうような、凄く恥ずかしい言葉を言おうとしている。  それを聞いたら、ボクの五月蝿いくらいに高鳴っている心臓はどうなってしまうのだろうか。 「そしてこれからも一緒にあの子の想いを引きずっていく私達は……」  霧切さんもそれに気づいたようで、だんだんと声が小さくなっていく。  それでも、彼女の口から聞きたいと思った。そうしないと、きっとボクらは先に進めない。  ボクの思考など知るよしもなく、霧切さんは目を逸らしたまま息を飲んだ。 「な、苗木君、【ここまで言えば――】」 「分からないよ、霧切さん」  ボクは霧切さんの殺し文句を殺した。 「キミの口から教えて欲しいんだ」  キミの思っている、ボクらの関係を。  彼女は一瞬だけ驚いた表情を浮かべると拗ねたように生意気と呟く。そして凄く恥ずかしそうに言葉を続けた。 「その――ちょ、超高校級の夫婦……そう呼べるんじゃ、ないかしら……?」  ちょうこうこうきゅうのふうふ――超高校級の夫婦。  意味は分からなかったけれど、きっとそれはボクらの現状の関係に一番近くて。 「超高校級の夫婦……。うん、何か……しっくりくる気がするよ」 「――そう」  ボク達は毛布の中で見つめ合った。潤った彼女の瞳、毛布の中に漂う熱気、何処か甘い匂い。  自分の鼓動の音が五月蝿いくらいに聞こえたけれど、それはきっと霧切さんも同じで。 「霧切さん」  その音を聞きたいと思った。最早、二人の間にある十数センチの距離ですらもどかしい。 「手を、繋いでもいい?」  ボクが恐る恐る訊くと、彼女は優しく微笑んで頷く。  そしてゆっくりと、彼女の両手がボクの右手を包んだ 「ええ、だって――夫婦なのだから」  ――ああ、これはまずいぞ。 「……苗木君、あれをして欲しいのだけど」 「あれって?」  霧切さんははにかむように視線を逸らす。光のない暗闇の中でも、彼女の一挙一動が伝わってくる。 「うで、まくら……」  してもらったことがないからと、彼女は熱っぽく言う。  ――このネジ曲がった雰囲気の中。 「うん、もちろん。……夫婦だもんね」  ――夫婦という弾丸が、全ての言葉を撃ち抜いてしまう。  ボクが左腕を霧切さんの頭の下に伸ばすと、それにゆっくり頭を乗せる。  いつもの霧切さんからは想像もできないような柔らかな微笑みを見て、ボクにも笑みが零れていた。こんなに可愛い霧切さんを見れるのが、この世界でボクだけだと思うとたまらない気分になる。  ボクは彼女の頭を抱き寄せるように左手の肘を曲げた。 「な、苗木君……」 「違うよ、ボクたちはその……ふ、夫婦なんだから――」  夫婦は、お互いを苗字で呼び合ったりしないから。 「――響子、さん」 「そうね、ま……誠君」  霧切さんはボクの胸に顔を埋めながら言う。その声が幸せそうに聞こえたのは、きっとボクの気の所為ではないはずだ。 「誠君、こんなとき、夫婦だったらどうするのかしら?」 「そんな、結婚なんてしたことないから分からないよ、き、響子さん」 「私だって、したことないわ……」 「もしもボクらが、夫婦だったら――」  まるで熱に浮かされるような場の空気。  それに当てられたかのように、ボクの口から零れ落ちた言葉は――。 「キスを、するんじゃないかな?」 「……うん、夫婦だものね」  彼女もその答えを待っていたのだろう。優しい表情で素直に頷く。  理性が痺れてしまうほど甘い雰囲気の中で、ボクらはゆっくりと口唇を重ねた。  翌朝ボクが目を覚ますと、既に霧切さんはいなかった。時計を見るとまだ七時前で、モノクマの校内放送もまだ流れていない。  横になったまま手探りで毛布の中をまさぐると、まだ仄かに霧切さんの温もりが残っているような気がした。 「……ん?」  指先に何かが触れたので引っ張ってみると、それは霧切さんが寝間着に使ったワイシャツだった。そこに彼女の字が書かれたメモが貼り付けてある。 『ありがとう、誠君』  ――ボクの方こそお礼を言いたいよ、響子さん。  キミに貰ったこの勇気と希望が、ボクを奮い立たせてくれるから。絶対に黒幕にも、超高校級の絶望にも負けやしない。  ボクは、ボクらは独りじゃない。共に戦うキミとボクがいる。  みんなの想いと共に、いつかこの学園を出よう。  そうしたら、ボクはキミに言いたい言葉ができたんだ。  ――超高校級の夫婦が、ただの夫婦になれるその日を願って。 【了】 ----
 ボタンを留め終わってから数分後、ボクらの理性もある程度回復していた。まだ二人ともギクシャクはしていたけれど、どうにか目を見て話せている。  それと同時に直面したのは次なる問題。 「やっぱり、それはできないよ」 「苗木君にはその権利があるわ。私に気を使わないで」 「そ、そんな……だってボク、男だし……」  先程から何回このやり取りを繰り返しているだろうか。  頑固者の霧切さんは頑なに主張を譲らないし、ボクも男としてこればっかりは譲れない。 「泊めてもらった私が床で寝るから、部屋の主である苗木君がベッドで寝るべきよ」 「女の子を床で寝かせて、ボクだけベッドで寝る訳にはいかないよ。男のボクが床で寝るからさ」  問題とは、どっちが一つしかないベッドを使って寝るかということである。  当然女の子である霧切さんに使ってもらうつもりだったのだが、それはできないと彼女は頑なに拒否した。  曰く、自分は床で寝るのも慣れているし、ベッドは部屋の主が使うべきだと。  何故慣れているのか気になったけれど、それよりもこの問題を解決するのが先だった。 「霧切さん、分かってよ。ボクなら一晩くらい平気だから」 「それはできない相談ね。苗木君は床で寝ることを甘く見ているわ」  そう言って、霧切さんはベッドに座ったままびしっと右手の人差し指でボクを差した。  いつもだったら凛々しく感じるその仕草も、黒い手袋、すらりと伸びる綺麗な足、更に白いワイシャツから微かに見える黒い下着まで追加されて何とも艶かしかった。何か新しい癖に目覚めてしまいそうである。 「う、ぐ……」  お互いに全ての弾丸を撃ち尽くしてみても、主張は全くもって平行線。このまま話していても決着がつくとは思えなかった。本当にお互いは意地っ張りだと思う。  そこでボクは強攻策に出ることにした。ベッドと壁に挟まれた布団一枚分よりも狭いスペースの床に、無言でシーツを敷いて毛布を広げる。流石に枕はないがこの際文句なんて言ってられない。 「苗木君?」  霧切さんが訝しげに僕の名前を呼んだけれど、ここは敢えて男らしく無視させて頂く。明日になったら何度でも謝るので今だけは許して欲しい。  そしてボクは素早く部屋の電気を消して、そのまま毛布の中に潜り込んだ。厚い鉄板に塞がれた窓から明かりが入ってくる訳もなく、部屋の中は真っ暗になる。 「ちょ、ちょっと、苗木君!」 「おやすみ、霧切さん!」  有無を言わせずに寝てしまう。これがボクの強攻策だ。きっと話し合いではいつまで経っても解決しないだろうから。  それでも顔を合わせるのが少しだけ怖かったので、ボクはベッドと逆の壁を向いて横になった。これできっと、霧切さんも諦めてくれるだろう。 「……そう、そういうことなら私にも考えがあるわ」  暗闇に響く何処か冷たい声。よく考えれば分かったことだが、あの霧切さんがの程度で諦めてくれるはずもない訳で。  彼女は静かにボクの包まる毛布を捲った。力ずくで毛布を剥がそうとしているのかと思い、しっかりと端を握り締める。  すると霧切さんはそのまま毛布の中に入り込み、ボクの隣りで横になった。  もう一度確認するが、ここはベッドと壁に挟まれた布団一枚分よりも狭いスペースだ。  当然、二人の人間が余裕を持って横になるのは無理がある。つまり、どうやっても二人の身体が触れ合ってしまう。  ボクの背中に感じる温もりは、きっと彼女の背中の温もりだ。 「きっ、霧切さん! 何で――」 「あなたが強攻策をとったから、私も強攻策をとることにしたのよ。嫌ならベッドを使うことね」  ――それは違うよ! 男がこんな状況で嫌な訳ないじゃないか!  流石にそんなことを大声で主張できる筈もなく、曖昧に笑って誤魔化す。  文字通り背中合わせで横になるのは変な緊張感があった。  今更ベッドに移動するなんてことはできなくて。きっと彼女もそう思っていて。  つまるところ、それは今夜一晩このままの状態で過ごすことを意味している。  この奇妙な距離感に高鳴り始めてしまったボクの胸は、中々落ち着いてくれなかった。  そのまま五分、十分、三十分が経っただろうか。お互いに背を向けているために、彼女が眠ってしまったのかも分からない。  このまま眠ってしまうのが少しだけ惜しくも感じていたけど、それは杞憂に終わった。 「苗木君――」  静寂に響く霧切さんの声。先程までの少し怒った声とは違う、いつも通りの穏やかなものだ。 「何? 霧切さん」  それに合わせて言葉を返す。まだ起きていることを知らせるように。 「一つ訊きたいことがあるのだけれど?」  どうやらベッド云々の話は彼女の中でも一区切りついたようなので安堵する。  ボクが相槌を打って先を促すと、恐る恐るといった感じで言葉を続けた。 「どうして、私を泊めるだなんて言ってくれたの?」  どうして、私のためにみんなを裏切るようなまねをしたの?  それはボクからしても最もな問い。まるで気にしていないように振舞っていても、やっぱり気になっていたのだろう。 「私は自分の身分も明かせないし、その理由を証明することもできない。十神君達の言うことは最もだと思うわ」  それなのに何故と彼女は不思議そうに呟く。  十神くんの質問に、霧切さんの答えは殆ど答えになっていなかった。確かにいくらお人好しなボクでも、そんな人をほいほい信じることはできないだろう。 「うーん……」  ボクは慎重に言葉を選ぶ。何故なら、ボク自身まだその理由を明確な言葉にできていなかったから。  あのときは思わず口を衝いてたわけだけど、その答えはきっと――。 「……嬉しかったから、かな?」 「嬉しかった?」  ボクの言葉はきっと霧切さんの想定から大きく外れたものだったのだろう。暗闇に彼女の驚いた声が響いた。 「ああ、部屋の鍵のことじゃなくて、霧切さんがボクを信頼してくれたことが」  今、この部屋の引き出しに閉まってあるサバイバルナイフ。腐川さんが見つけたそれを、なし崩し的にボクが預かることになったとき。 「あのとき、ナイフはボクが預かればって最初に言ってくれたのは、霧切さんだったから」 「――そう、だったかしら?」  惚けてもダメだよ、霧切さん。そんなに動揺した声だったら、流石のボクでも気づいてしまう。 「十神くんも言ってたように、これをボクが持つことになったのはきっとみんなの信頼の表れで」  十神くん、腐川さん、葉隠くん、朝日奈さん、そして――。 「その中でも霧切さんが、一番ボクのことを信頼してくれているんだと思ったから。だからボクも、一番キミのことを信頼しようと思ったんだ」  例え他のみんなを裏切ることになったとしても、キミを信じたいと思ったんだ。  背中越しに霧切さんが息を飲んだ気がした。  もしかしたら、それは違うと否定されるかもしれないと思っていたけれど、そんなこともなく。  つまりボクの言葉には矛盾なんてなくて――。 「そう……。ありがとう、苗木君」  どうやら彼女の心を貫く弾丸になったようだった。 「う、うん」  そう言いながら、ボクは寝返りを打った。本音とは言え、流石に歯の浮くような台詞が少し恥ずかしかったから。  壁の方を向いていた体勢を変えて天井を見上げる。やはり硬い床で寝るのは慣れなくて、下にしていた右半身が微かに痛い。  再び場を支配し始めた沈黙に耐え切れず、ちらりと霧切さんの方に視線を向ける。すると彼女もボクと同じように天井を見上げる体勢になっていた。  微かに暗闇に慣れた視界で見えたのは、少し物憂げに何かを考えているような表情。  その表情がいつもより感じ易いと思ったのはきっと間違いじゃない。流石に暗闇の中だと得意のポーカーフェイスが緩まってしまうのだろう。 「何を考えているの?」 「……大神さんと、アルターエゴのこと」  霧切さんは視線を動かさずに呟いた。それはつまり、今日一日のことを思い出しているという意味だろう。ボクも同じように天井を見上げて思い返す。  自ら死を選んだ大神さんと、モノクマにおしおきされたアルターエゴ。  二人は悩み、覚悟を決め、行動し、そして死んだ。  辛い現実ではあったけれど、ボクはその想いを――。 「――引きずっていく」 「え?」  思考を言葉にされ、ボクはびっくりして霧切さんの方を見た。それはまるで自分をエスパーだと言っていた舞園さんのようで。  彼女も顔を倒し、ボクの方を見ていた。暗闇の中、静かに見つめ合う。 「苗木君、前に言ったわよね? 死んだみんなの想いを乗り越えたりせずに、引きずったまま前に進んでいく、って」 「あ、ああ、うん」  どうやら先程の言葉はボクの思考を読んだものではなかったようだ。それに安堵のような溜息が漏れる。  それは初めての学級裁判が終わったとき、霧切さんの言葉に対するボクの答え。  ――仲間の死を乗り越えることなく、その想いを引きずっていく。  それはボクの中では固い決意だったけれど、まさか霧切があのときの言葉を憶えていたとは思わなかった。 「私もそうすることにしたわ。大神さんの形見で、絶対に黒幕を追い詰める」  そう言って彼女は眼を細める。その仕草がまるで泣きそうなのを我慢しているように見えて、ボクの心がじんわりと痛んだ。 「……大神さんの形見って?」  霧切さんの呟いた言葉が気になったので訊いてみる。すると少しだけ考えるような間の後に、誤魔化すように彼女は言った。 「この決意ってことよ」  それは苦しい言い訳ではあったけど、この場で話せないのにはきっと理由があるんだろう。  きっと必要なときには話してくれる。ボクは霧切さんを信じて、そのときを待つことに決めた。 「そっか……。そうだね」  既に見慣れてしまった天井を見上げながら静かに言う。ボクもできる限り霧切さんに協力しようという決意を込めて。  例えその末にどんな結末を迎えようとしても、男であるボクが彼女を守らないと。人工知能であるアルターエゴだって、勇気を持って黒幕に立ち向かったのだから。  アルターエゴ、だって……。 「……ごめんね、霧切さん」 「どうして謝るの?」  思わず口から漏れた謝罪の言葉を彼女は訝しげに返した。  自分でも唐突過ぎると感じたので誤魔化そうかとも思ったけれど、この気持ちに嘘はつきたくない。 「アルターエゴの、こと……」  ボクがアルターエゴの背中を押さなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。もしかしたら、ボクの所為でアルターエゴはおしおきされてしまったのかもしれない。そう思うと謝らずにはいられなかった。  霧切さんはアルターエゴと反芻するように呟く。そしてボクを宥めるように優しく言った。 「あの子は、自分のやるべきことをやって、そして自分の意志であの場所へ行った――」  それはきっと、少しでもボクらを助けたいという強い想い。 「だから、あなたが誰かに謝る必要なんてないわ」  謝ったてしまったら、あの子に、あの子の想いに失礼だから。 「……うん」  その落ち着いた声に、ボクは目頭が熱くなるのを感じた。固く眼を瞑り、涙が溢れるのを我慢する。  涙はアルターエゴの想いを叶えたそのときまでとっておこうと思ったから。  だから今は、ボクらのことを見守っていて欲しい。  心の中でそんなことを祈りながら深く息を吐く。どうやら涙は収まってくれたようだ。 「どうして、私に謝ったの?」  不意に、霧切さんが口を開く。視線を感じたので顔を倒すと、再び彼女と目が合った。  暗闇の中でも鋭い視線。ボクの全てを見通すように。  一方のボクは困った表情をしていただろう。本当に思ったことを話したら、彼女がどんな反応をするのか分からなかったから。 「それは――」 「それは?」  言うのを躊躇していると、問い詰めるように先を促す。  そこまで大それたことでもないのにと苦笑しながら、ボクはその理由を素直に話すことにした。 「霧切さんが、アルターエゴのお母さんみたいだったから」 「……えっ?」 「だから、ボクにはアルターエゴに接する霧切さんがお母さんみたいだなって感じたんだよ。一番アルターエゴの面倒を見てたし、一番心配してたから」  そして一番、アルターエゴも霧切さんを慕っていたから。  アルターエゴに対する彼女の気持ちは、山田くんや石丸くんとはまた違った愛を感じた。  色々考えてみたけれど、ボクにはそれが母性という言葉でしか表現できない。霧切さんがアルターエゴを見つめる瞳は、ボクの母親がボクや妹を見ていた眼差しに似ている気がしたから。 「私が、お母さん……」  見ると、霧切さんは驚いた表情で固まっていた。暗いから顔色までは分からないけれど、何となく真っ赤になっているような気がする。 「突然、何を言うのかしら、苗木君は……」 「き、霧切さんが訊いたんじゃないか!」  霧切さんの何処か照れた表情に当てられて、ボクの方まで気恥ずかしくなってきた。自分の顔に血液が集まっていくのを感じる。  よりにもよって同い年の女の子にお母さんみたいはないだろう。  すると、霧切さんは少し意地悪な微笑を浮かべた。 「私は、アルターエゴにとって苗木君が父親代わりだったと思うわ」 「ええっ?」 「アルターエゴの決意を後押ししたのは苗木君でしょ? 私にはよく分からなかったけど、男の世界って言うのを感じたわ。ああいうとき、女には結局、見守るしかできないのね」  ちょっぴり芝居がかった口調。これは彼女なりの反撃のつもりなのだろうか。  少し恥ずかしそうな様子から察するに、思ってもいない言葉という訳ではなさそうだけど。  確かにボクはアルターエゴの気持ちを後押しした。それはボクの父親が、この学園に入るのを悩んでいたボクを後押ししてくれたのに近いのかもしれない。そういう意味で、いつの間にかボクはアルターエゴを自分の子供のように思っていたのかもしれない。 「そうかも、しれないね」 「ええ、きっとそうよ」  ――いや、待て。 「それじゃあ、まるで――」  ボクを見つめる表情から察するに、霧切さんは気付いていないのだろう。自分の作ってしまった爆弾に。  自分の顔がより赤くなるのを感じたが、一度零れ落ちた言葉は止まらない。 「――ボク達、夫婦みたい、だね」  アルターエゴの母親が霧切さんで、父親がボク。つまりボクと霧切さんは、子供を見守る夫婦のような立ち位置で。 「ふう、ふ……」  余程吃驚したようで、霧切さんは口元に手をやって絶句していた。  当たり前だ。言うに事欠いて、いきなり夫婦だなんて。 「ご、ごめん。ちょっと変なこと言っちゃって」  ボクが焦って訂正しようとすると、霧切さんはいいえと小さく呟く。  いつの間にはボクらはお互いを向き合うような体勢になっていた。  正面に横たわる霧切さんは恥ずかしそうに視線を逸らしている。少しはだけた襟元から見える鎖骨がたまらなく艶やかだった。 「別に、変ではないと思うわ」 「でも、ボク達まだ高校生だよ……?」  ――ああ、ボクは一体何を言っているのだろうか。  自分が焦っているのか、逆に落ち着いているのかも分からない。  ひとつだけ確かなのは、だんだんこの熱っぽい場の空気に飲まれていっているということ。互いの吐息が耳障りなほどに荒い。 「ここは希望ヶ峰学園。集められいるのは超高校級の生徒ばかり――」  それはきっと、霧切さんも同じ。 「一緒にあの子を見守った私達は……」  霧切さんはきっと聞いたら赤面してしまうような、凄く恥ずかしい言葉を言おうとしている。  それを聞いたら、ボクの五月蝿いくらいに高鳴っている心臓はどうなってしまうのだろうか。 「そしてこれからも一緒にあの子の想いを引きずっていく私達は……」  霧切さんもそれに気づいたようで、だんだんと声が小さくなっていく。  それでも、彼女の口から聞きたいと思った。そうしないと、きっとボクらは先に進めない。  ボクの思考など知るよしもなく、霧切さんは目を逸らしたまま息を飲んだ。 「な、苗木君、【ここまで言えば――】」 「分からないよ、霧切さん」  ボクは霧切さんの殺し文句を殺した。 「キミの口から教えて欲しいんだ」  キミの思っている、ボクらの関係を。  彼女は一瞬だけ驚いた表情を浮かべると拗ねたように生意気と呟く。そして凄く恥ずかしそうに言葉を続けた。 「その――ちょ、超高校級の夫婦……そう呼べるんじゃ、ないかしら……?」  ちょうこうこうきゅうのふうふ――超高校級の夫婦。  意味は分からなかったけれど、きっとそれはボクらの現状の関係に一番近くて。 「超高校級の夫婦……。うん、何か……しっくりくる気がするよ」 「――そう」  ボク達は毛布の中で見つめ合った。潤った彼女の瞳、毛布の中に漂う熱気、何処か甘い匂い。  自分の鼓動の音が五月蝿いくらいに聞こえたけれど、それはきっと霧切さんも同じで。 「霧切さん」  その音を聞きたいと思った。最早、二人の間にある十数センチの距離ですらもどかしい。 「手を、繋いでもいい?」  ボクが恐る恐る訊くと、彼女は優しく微笑んで頷く。  そしてゆっくりと、彼女の両手がボクの右手を包んだ 「ええ、だって――夫婦なのだから」  ――ああ、これはまずいぞ。 「……苗木君、あれをして欲しいのだけど」 「あれって?」  霧切さんははにかむように視線を逸らす。光のない暗闇の中でも、彼女の一挙一動が伝わってくる。 「うで、まくら……」  してもらったことがないからと、彼女は熱っぽく言う。  ――このネジ曲がった雰囲気の中。 「うん、もちろん。……夫婦だもんね」  ――夫婦という弾丸が、全ての言葉を撃ち抜いてしまう。  ボクが左腕を霧切さんの頭の下に伸ばすと、それにゆっくり頭を乗せる。  いつもの霧切さんからは想像もできないような柔らかな微笑みを見て、ボクにも笑みが零れていた。こんなに可愛い霧切さんを見れるのが、この世界でボクだけだと思うとたまらない気分になる。  ボクは彼女の頭を抱き寄せるように左手の肘を曲げた。 「な、苗木君……」 「違うよ、ボクたちはその……ふ、夫婦なんだから――」  夫婦は、お互いを苗字で呼び合ったりしないから。 「――響子、さん」 「そうね、ま……誠君」  霧切さんはボクの胸に顔を埋めながら言う。その声が幸せそうに聞こえたのは、きっとボクの気の所為ではないはずだ。 「誠君、こんなとき、夫婦だったらどうするのかしら?」 「そんな、結婚なんてしたことないから分からないよ、き、響子さん」 「私だって、したことないわ……」 「もしもボクらが、夫婦だったら――」  まるで熱に浮かされるような場の空気。  それに当てられたかのように、ボクの口から零れ落ちた言葉は――。 「キスを、するんじゃないかな?」 「……うん、夫婦だものね」  彼女もその答えを待っていたのだろう。優しい表情で素直に頷く。  理性が痺れてしまうほど甘い雰囲気の中で、ボクらはゆっくりと口唇を重ねた。  翌朝ボクが目を覚ますと、既に霧切さんはいなかった。時計を見るとまだ七時前で、モノクマの校内放送もまだ流れていない。  横になったまま手探りで毛布の中をまさぐると、まだ仄かに霧切さんの温もりが残っているような気がした。 「……ん?」  指先に何かが触れたので引っ張ってみると、それは霧切さんが寝間着に使ったワイシャツだった。そこに彼女の字が書かれたメモが貼り付けてある。 『ありがとう、誠君』  ――ボクの方こそお礼を言いたいよ、響子さん。  キミに貰ったこの勇気と希望が、ボクを奮い立たせてくれるから。絶対に黒幕にも、超高校級の絶望にも負けやしない。  ボクは、ボクらは独りじゃない。共に戦うキミとボクがいる。  みんなの想いと共に、いつかこの学園を出よう。  そうしたら、ボクはキミに言いたい言葉ができたんだ。  ――超高校級の夫婦が、ただの夫婦になれるその日を願って。 【了】 ----

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