7cm(エピローグ)

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「…だァから、悪かったってば」  江ノ島さんが素直に謝るのも珍しいな、とも思ったけど。  さすがにこの霧切さんの表情を前にしては、僕でも謝罪を口走るだろう。  完全な、無表情。  それに、ここまで威圧感が宿るものだろうか。 「す、すまなかった霧切君…! 僕は、こんなことしたくはなかったんだが…」 「はぁ!? 何一人助かろうとしてんのよ、あんたが発案者じゃない!」 「な、何を言うんだ江ノ島君! だいたい、君たちが勉強会を休めというから僕は――」 「――どちらでもいいのよ、そんなこと」  その場にいた全員が戦慄するような、抑揚のない機械のような言葉。 「誰が主犯で、誰が計画者かなんて…私たちにとっては、どうでもいいの」 「主犯とか計画とか、そんな事件みたいな、」 「何?」 「……」  ぎろり、と、見開かれた目に睨まれて、江ノ島さんも押し黙る。 「…とにかく、人をこそこそとストーカーのように付け回して…」  それは、霧切さんが言えたことじゃないんじゃ、と、  かつて同じようなことをされた僕は思ったりするのだが、  今の彼女は、どこに触れても逆鱗。  さわらぬ霧切さんに、祟りなし。  彼らのお陰で仲直りは出来たから、僕としては四人に感謝しているんだけど。  霧切さんは、覗き見られたことへの怒りの方が大きいようだ。  今も、四人全員を地べたに座らせて事情聴取である。 「申し開きがあるなら、今のうちに聞かせてもらおうかしら?」 「……しょうがないじゃないですか」  と、黙っていた舞園さんが口を開く。 「だって二人とも、いつまで経っても進展しないでウジウジウジウジ…」 「確かに、あのネガティブさは見ていて腹立ったよねー」  と、江ノ島さんも同調する。 「相談を受けたこっちとしては、上手くいくかどうか心配だったわけよ」 「うむ、計画を申し出た人間としては、それを最後まで見届ける責任というものがだな」 「おう、そうだ。苗木おめぇ、俺に男らしさがどうとか言ってたけどよ」  今度は大和田君と石丸君まで。 「男ならキスするってなっても、自分でリードするくらいの男気は見せろってんだよ」  その話題が出たところで、僕は恥ずかしくて思わず目をそむけた。  やっぱり、キス、だったんだ。  あの時、霧切さんが僕にしようとしたのは。  まつ毛にゴミが付いていた、とか、そういうギャグみたいな勘違いじゃないんだ。  『嫌なら拒みなさい』と言われた時。  僕は、体が固まってしまって。  拒む、なんて発想は最初からなかったけれど。  じゃあどうすればいいんだろう。  彼女に任せてしまっていいのか。  僕の方が引っ張らなければいけないのか。  けれど、そうやって思い出し恥じるのは僕だけのようで、 「――弁明は以上かしら?」 「「「「……」」」」  次の瞬間、氷の女王が凍えるような声を吐いた。  好き好きにしゃべっていた各々の口が、一斉に閉じたまま凍りつく。  霧切さんが、本気で怒っている。  彼女のいわゆる怒髪天を見たことがある僕は、耐性が付いているけれど。  やっぱり、それでも怖い。  いつかのような、感情を爆発させる寸前の激昂じゃない。  感情を極限まで排除した、絶対零度の理詰めの憤懣。  たぶん、探偵としての彼女の姿なんだろう。 「……あなたたちの、人としての品位を疑うわ」 「ご、ごめんなさい…」 「悪かったってば…」 「すまなかった…!」 「…わりぃ」 「ね、ホラ、霧切さん…みんなも、こうして謝ってくれてるし」  と、特に怒っているわけでもない僕は、彼らの弁護もしてみるが、 「勘違いしないで、謝罪を求めているわけじゃないの。言葉だけなら、なんとでも言えるでしょう」  一度もこちらの方に目をやらず、切り捨てられる。  まったく、容赦ない。  これが『超高校級の探偵』の胆力である。 「……でも、そうね。いつまでも怒っているのも大人げないし」  と、他のみんなを座らせている横で、霧切さんは椅子の上、脚を組みかえる。 「苗木君。どうやって償わせるか、あなたが考えてちょうだい」 「えっ、ぼ、僕!?」  と、予想外の無茶ぶりを受ける。  ホント、僕は別に怒っているわけじゃないんだけどな。  うん、怒っているわけじゃないけど。 「…そうだなぁ」  霧切さんとキス出来なかったのも、やっぱりみんなのせいなわけで。 「うん、決めた」 「あら、早いのね。やっぱり、あなたも相当怒ってるのかしら?」 「そういうわけじゃないけど、さ。ちょっとやりたいことがあったから」  そう伝えて、僕は四人に振り返った。 「――みんなで、海に行こうよ」  今日何度目か、時間が止まった。  僕を見上げる、呆れたような四人分の顔。  いや、僕の隣にいる彼女の分も含めて、五人分か。 「……あなた、私の話を聞いてたかしら? 償ってもらうのに、どうして海に行くの?」  椅子に座ったままの彼女が、ジト目でこちらを見上げてくる。  怒りの矛先が僕にまで向く前に、弁明を。 「みんなで行くんだ。クラスの全員でさ。で、四人にはその準備や計画をしてもらうんだよ」  もうすぐ、夏休みだ。  考えてみれば、クラスで何かイベントをやることは、希望ヶ峰学園ではほとんどない。  運動会や学園祭の真似事のようなことはあったけど、せいぜい授業の一環だ。  ただでさえ、多忙な人材が集う学園。  全員分のスケジュールを合わせるのは、相当難しいことだと思う。  でも、学校って、そういうところじゃないか。  みんなで遊んで、みんなで思い出を残すんだ。  希望ヶ峰学園に入ってよかった、って、卒業してから思い出せるように。  みんなが僕に、そうして勉強会を開いてくれたみたいに。  霧切さんだけにじゃない。  みんなにも、お返しがしたかった。  もちろん、それが僕一人で出来ることじゃないのはわかっている。  手伝ってくれる、人手が必要だ。  だから、この提案。 「……まったく、あなたらしいわね」  呆れかえったような、霧切さんの声。  でも、もう冷たくはない。 「まあ、苗木君がそれでいいと言うのなら…四人には企画・立案をお願いしようかしら」  彼女のその一言を待ち望んでいたかのように、どっ、と空気の緊張が緩む。 「いやぁ、『超高校級の幸運』様様だ!」 「言っとくけど江ノ島さん、移動費とかバーベキュー代も四人持ちだからね」 「……あんた、割としたたかだよね」 「仕方ないですよ、こっちが全面的に悪いんだから。これで手打ちにしてくれるだけ、ありがたいです」 「いいじゃねえか、海! 白い砂浜、青い空!」 「どっちが速く泳げるか勝負だな、兄弟!」 「盛り上がるのは自由だけど…もう夏休みまで、日がないわ。帰ったら早速、全員の日程を聞いて回ってね」 ――――――――――  そうして、私たちは帰路についた。  図書館を出るころには、夕焼けが見事なグラデーションを空に引いていて。  六人で、どんなことがしたい、と、海への思いを馳せながら歩いて。  寮に着くころには、既に日が沈んでしまっていた。 「…ただいま、マコ」  私たちの姿を見ると、マコが勢いよく駆け寄ってくる。  苗木君が受け止めるようにしゃがみ込むと、その腕の中に飛び込んだ。 「うわ、ちょ、くすぐったいって、マコ!」 「ホント、苗木と霧切にはよく懐いてるよね」 「苗木君、僕たちは先に戻っているぞ。みんなの予定を聞いて回るからな」 「あ、うん」 「霧切さんも、行きましょう?」  チラ、と、マコの小屋を覗き見た。  水飲み皿が、もう空になってしまっている。 「マコに水をあげたら、私も戻るわ。今日は暑かったし、喉も乾いているみたいだから」 「そうですか?じゃ、私たちも戻りますね」  楽しそうにじゃれあう二人…訂正、一匹と一人をよそ目に、私は皿を抱えた。  みんなで、海へ。  ホント、苗木君らしい提案だ。  平和に、そして、みんなが納得できる答えを導いた。  けれど、やっぱり。  個人的には、それだけじゃ気持ちがおさまらないわけで。  本当に、勇気を出したんだ。  あの時を逃したら次はいつ、というくらいのタイミングだった。  彼らさえ、現れなければ。  メリ、と、プラスチックの皿が音を立てた。  いつの間にか、力を入れて握りしめていたらしい。  いけない。  物に当たるのはダメだ。  ダメ、だけど…。  はぁあ、と、深いため息が漏れ出た。  きっと今もう一度彼に迫っても、今度は引かれてしまうだろう。  苗木君が自分を意気地無しと評したのは言いすぎだけれど、思い当たる節がないわけじゃない。  そして、私自身も。  もう一度、迫る勇気なんてない。  あの場で雰囲気に押し流されて、ようやく一歩踏みきったのに。 「あ、お帰り」 「ええ…」  水入りの皿を持って帰ると、既にマコは自分の小屋に戻っていた。  ゴロンと横になって、眠そうに目をパチパチさせている。 「…たぶん、僕たちを待って、起きていてくれたんじゃないかな」 「…そう。マコにも、心配かけてしまったわね」  最近目元が、飼い主の誰かさんに似てきた犬を、わしわしと撫でてやる。  気持ち良さそうに目を細めて、小さくウォン、と吠えた。 「んー…楽しみだな、海」 「…そうね」  少しだけ、また仄暗い気持ちが戻ってくる。 「あれ、霧切さん、あまり楽しみじゃなかった?」 「そんなことないわ。あ、ただ…水着は持っていなかったわね」 「……また何か、思い悩んでるんでしょ」 「また、という言い方…引っかかるわね」 「そう言えば」  と、思い出したように呟いて、苗木君が振り向く。 「結局最初は、どうして霧切さん、機嫌が悪かったの?」  ギクリ。 「…もう、その話は良いじゃない」 「ううん、ちゃんと聞いておかないと…また、霧切さんに嫌な思いさせちゃうからさ」  ホント、気が利く男の子だ。  余計なところまで。  まっすぐな瞳が、こちらを見つめてくる。  そんな目をされても… 「…言えない、わ」 「…やっぱり、僕が嫌な思いをさせたんだね」 「いえ、そうじゃなくて…あなたが悪いわけじゃなくて」  言えるわけない。  嫉妬してました、だなんて。  本当に、面倒な女だと思われてしまう。 「そう言うってことは、やっぱり僕が何かしたんだね」 「……」 「ねえ、霧切さん」  ちょ、近、 「お願いだよ。言いたいことは言うって、お互いに約束したでしょ」 「っ…自分はちっとも守らない癖に、よく言うわね…」 「うん、霧切さんとは僕とは違うから、ちゃんと約束を守ってくれるよね?」  ほら、また。  また、この距離だ。  手を伸ばせば、触れる距離。  一歩踏み出せば、届く距離。  何のためらいもなく、彼は今、踏み込んできた。  少しだけ、悔しく思う。 「…あなたは、少しも意に介していないのね」 「え?」  図書館で、私がキスしようとしたことを。  意識の片隅にでもあれば、この距離まで迫ることはないだろう。  また、今の私みたいに、意識してしまうんだから。 「…どうせ私は、江ノ島さんのようにスタイルが良いわけじゃないわ」  もうどうにでもなれ、と、どこかで思ってしまったんだろう。  口に出して、しまった、と思ってからも。  ずっとため込んでいた嫉妬が、汚く零れる。 「朝日奈さんみたいに明るく元気なわけじゃない。舞園さんみたいに清楚な可愛らしさもない」  止めればいいのに。  せっかく昼間は、良い雰囲気になっていたのに。  これで、台無しだ。 「…苗木君も、彼女たちみたいな女の子の方が魅力的だと思うでしょう」 ―――――  そう言って、彼女が拗ねるように顔を背けたのが、子どもの仕草のようで。  いつも大人っぽい霧切さんがそんなことをしたのだと思うと、思わず吹き出してしまった。 「なっ…」 「や、ゴメン…霧切さん、可愛くてさ」  僕がそうフォローすると、暗がりでもわかるくらいに、彼女が真っ赤になる。 「馬鹿にして…意地悪ね、あなたは」  そう言って、本当にそっぽを向いてしまった。 「いえ、本当に馬鹿みたい…昼間だって、一人で勝手に舞い上がって…」  そんなことないよ、と、言葉でフォローしそうになって、思い留まる。  言葉では、昼間に散々語り合った。  今はそれよりも、もっと効果的な行動があるはずだ。  大和田君にも、言われたことだし。  男なら、自分がリードして上げるくらいの気概を見せろ、と。  白い肌。銀の髪。  夜が良く似合う人だ、月の光に照らされて。  いきなりしたら、さすがに怒るかな。  怒られても、いいか。 「ねえ、霧切さん」 「……何よ」 「ちょっと、こっち向いて」 「……また、馬鹿にするんでしょう」 「あのさ。僕にとって、すごく都合のいい解釈をするから…だから、えっと」 「……」 「嫌だったら、拒んでね。あ、あと目も閉じてくれると嬉しいかな」 「……優しくしないと、唇を噛みちぎるわよ」  真っ赤になった彼女に、そう脅されて。  瞳の向こうの僕も、真っ赤になったまま、笑う。  そうして、僕たち二人は。  7cmなんて、とても小さな距離だということを、もう一度確かめあった。 ----
「…だァから、悪かったってば」  江ノ島さんが素直に謝るのも珍しいな、とも思ったけど。  さすがにこの霧切さんの表情を前にしては、僕でも謝罪を口走るだろう。  完全な、無表情。  それに、ここまで威圧感が宿るものだろうか。 「す、すまなかった霧切君…! 僕は、こんなことしたくはなかったんだが…」 「はぁ!? 何一人助かろうとしてんのよ、あんたが発案者じゃない!」 「な、何を言うんだ江ノ島君! だいたい、君たちが勉強会を休めというから僕は――」 「――どちらでもいいのよ、そんなこと」  その場にいた全員が戦慄するような、抑揚のない機械のような言葉。 「誰が主犯で、誰が計画者かなんて…私たちにとっては、どうでもいいの」 「主犯とか計画とか、そんな事件みたいな、」 「何?」 「……」  ぎろり、と、見開かれた目に睨まれて、江ノ島さんも押し黙る。 「…とにかく、人をこそこそとストーカーのように付け回して…」  それは、霧切さんが言えたことじゃないんじゃ、と、  かつて同じようなことをされた僕は思ったりするのだが、  今の彼女は、どこに触れても逆鱗。  さわらぬ霧切さんに、祟りなし。  彼らのお陰で仲直りは出来たから、僕としては四人に感謝しているんだけど。  霧切さんは、覗き見られたことへの怒りの方が大きいようだ。  今も、四人全員を地べたに座らせて事情聴取である。 「申し開きがあるなら、今のうちに聞かせてもらおうかしら?」 「……しょうがないじゃないですか」  と、黙っていた舞園さんが口を開く。 「だって二人とも、いつまで経っても進展しないでウジウジウジウジ…」 「確かに、あのネガティブさは見ていて腹立ったよねー」  と、江ノ島さんも同調する。 「相談を受けたこっちとしては、上手くいくかどうか心配だったわけよ」 「うむ、計画を申し出た人間としては、それを最後まで見届ける責任というものがだな」 「おう、そうだ。苗木おめぇ、俺に男らしさがどうとか言ってたけどよ」  今度は大和田君と石丸君まで。 「男ならキスするってなっても、自分でリードするくらいの男気は見せろってんだよ」  その話題が出たところで、僕は恥ずかしくて思わず目をそむけた。  やっぱり、キス、だったんだ。  あの時、霧切さんが僕にしようとしたのは。  まつ毛にゴミが付いていた、とか、そういうギャグみたいな勘違いじゃないんだ。  『嫌なら拒みなさい』と言われた時。  僕は、体が固まってしまって。  拒む、なんて発想は最初からなかったけれど。  じゃあどうすればいいんだろう。  彼女に任せてしまっていいのか。  僕の方が引っ張らなければいけないのか。  けれど、そうやって思い出し恥じるのは僕だけのようで、 「――弁明は以上かしら?」 「「「「……」」」」  次の瞬間、氷の女王が凍えるような声を吐いた。  好き好きにしゃべっていた各々の口が、一斉に閉じたまま凍りつく。  霧切さんが、本気で怒っている。  彼女のいわゆる怒髪天を見たことがある僕は、耐性が付いているけれど。  やっぱり、それでも怖い。  いつかのような、感情を爆発させる寸前の激昂じゃない。  感情を極限まで排除した、絶対零度の理詰めの憤懣。  たぶん、探偵としての彼女の姿なんだろう。 「……あなたたちの、人としての品位を疑うわ」 「ご、ごめんなさい…」 「悪かったってば…」 「すまなかった…!」 「…わりぃ」 「ね、ホラ、霧切さん…みんなも、こうして謝ってくれてるし」  と、特に怒っているわけでもない僕は、彼らの弁護もしてみるが、 「勘違いしないで、謝罪を求めているわけじゃないの。言葉だけなら、なんとでも言えるでしょう」  一度もこちらの方に目をやらず、切り捨てられる。  まったく、容赦ない。  これが『超高校級の探偵』の胆力である。 「……でも、そうね。いつまでも怒っているのも大人げないし」  と、他のみんなを座らせている横で、霧切さんは椅子の上、脚を組みかえる。 「苗木君。どうやって償わせるか、あなたが考えてちょうだい」 「えっ、ぼ、僕!?」  と、予想外の無茶ぶりを受ける。  ホント、僕は別に怒っているわけじゃないんだけどな。  うん、怒っているわけじゃないけど。 「…そうだなぁ」  霧切さんとキス出来なかったのも、やっぱりみんなのせいなわけで。 「うん、決めた」 「あら、早いのね。やっぱり、あなたも相当怒ってるのかしら?」 「そういうわけじゃないけど、さ。ちょっとやりたいことがあったから」  そう伝えて、僕は四人に振り返った。 「――みんなで、海に行こうよ」  今日何度目か、時間が止まった。  僕を見上げる、呆れたような四人分の顔。  いや、僕の隣にいる彼女の分も含めて、五人分か。 「……あなた、私の話を聞いてたかしら? 償ってもらうのに、どうして海に行くの?」  椅子に座ったままの彼女が、ジト目でこちらを見上げてくる。  怒りの矛先が僕にまで向く前に、弁明を。 「みんなで行くんだ。クラスの全員でさ。で、四人にはその準備や計画をしてもらうんだよ」  もうすぐ、夏休みだ。  考えてみれば、クラスで何かイベントをやることは、希望ヶ峰学園ではほとんどない。  運動会や学園祭の真似事のようなことはあったけど、せいぜい授業の一環だ。  ただでさえ、多忙な人材が集う学園。  全員分のスケジュールを合わせるのは、相当難しいことだと思う。  でも、学校って、そういうところじゃないか。  みんなで遊んで、みんなで思い出を残すんだ。  希望ヶ峰学園に入ってよかった、って、卒業してから思い出せるように。  みんなが僕に、そうして勉強会を開いてくれたみたいに。  霧切さんだけにじゃない。  みんなにも、お返しがしたかった。  もちろん、それが僕一人で出来ることじゃないのはわかっている。  手伝ってくれる、人手が必要だ。  だから、この提案。 「……まったく、あなたらしいわね」  呆れかえったような、霧切さんの声。  でも、もう冷たくはない。 「まあ、苗木君がそれでいいと言うのなら…四人には企画・立案をお願いしようかしら」  彼女のその一言を待ち望んでいたかのように、どっ、と空気の緊張が緩む。 「いやぁ、『超高校級の幸運』様様だ!」 「言っとくけど江ノ島さん、移動費とかバーベキュー代も四人持ちだからね」 「……あんた、割としたたかだよね」 「仕方ないですよ、こっちが全面的に悪いんだから。これで手打ちにしてくれるだけ、ありがたいです」 「いいじゃねえか、海! 白い砂浜、青い空!」 「どっちが速く泳げるか勝負だな、兄弟!」 「盛り上がるのは自由だけど…もう夏休みまで、日がないわ。帰ったら早速、全員の日程を聞いて回ってね」 ――――――――――  そうして、私たちは帰路についた。  図書館を出るころには、夕焼けが見事なグラデーションを空に引いていて。  六人で、どんなことがしたい、と、海への思いを馳せながら歩いて。  寮に着くころには、既に日が沈んでしまっていた。 「…ただいま、マコ」  私たちの姿を見ると、マコが勢いよく駆け寄ってくる。  苗木君が受け止めるようにしゃがみ込むと、その腕の中に飛び込んだ。 「うわ、ちょ、くすぐったいって、マコ!」 「ホント、苗木と霧切にはよく懐いてるよね」 「苗木君、僕たちは先に戻っているぞ。みんなの予定を聞いて回るからな」 「あ、うん」 「霧切さんも、行きましょう?」  チラ、と、マコの小屋を覗き見た。  水飲み皿が、もう空になってしまっている。 「マコに水をあげたら、私も戻るわ。今日は暑かったし、喉も乾いているみたいだから」 「そうですか?じゃ、私たちも戻りますね」  楽しそうにじゃれあう二人…訂正、一匹と一人をよそ目に、私は皿を抱えた。  みんなで、海へ。  ホント、苗木君らしい提案だ。  平和に、そして、みんなが納得できる答えを導いた。  けれど、やっぱり。  個人的には、それだけじゃ気持ちがおさまらないわけで。  本当に、勇気を出したんだ。  あの時を逃したら次はいつ、というくらいのタイミングだった。  彼らさえ、現れなければ。  メリ、と、プラスチックの皿が音を立てた。  いつの間にか、力を入れて握りしめていたらしい。  いけない。  物に当たるのはダメだ。  ダメ、だけど…。  はぁあ、と、深いため息が漏れ出た。  きっと今もう一度彼に迫っても、今度は引かれてしまうだろう。  苗木君が自分を意気地無しと評したのは言いすぎだけれど、思い当たる節がないわけじゃない。  そして、私自身も。  もう一度、迫る勇気なんてない。  あの場で雰囲気に押し流されて、ようやく一歩踏みきったのに。 「あ、お帰り」 「ええ…」  水入りの皿を持って帰ると、既にマコは自分の小屋に戻っていた。  ゴロンと横になって、眠そうに目をパチパチさせている。 「…たぶん、僕たちを待って、起きていてくれたんじゃないかな」 「…そう。マコにも、心配かけてしまったわね」  最近目元が、飼い主の誰かさんに似てきた犬を、わしわしと撫でてやる。  気持ち良さそうに目を細めて、小さくウォン、と吠えた。 「んー…楽しみだな、海」 「…そうね」  少しだけ、また仄暗い気持ちが戻ってくる。 「あれ、霧切さん、あまり楽しみじゃなかった?」 「そんなことないわ。あ、ただ…水着は持っていなかったわね」 「……また何か、思い悩んでるんでしょ」 「また、という言い方…引っかかるわね」 「そう言えば」  と、思い出したように呟いて、苗木君が振り向く。 「結局最初は、どうして霧切さん、機嫌が悪かったの?」  ギクリ。 「…もう、その話は良いじゃない」 「ううん、ちゃんと聞いておかないと…また、霧切さんに嫌な思いさせちゃうからさ」  ホント、気が利く男の子だ。  余計なところまで。  まっすぐな瞳が、こちらを見つめてくる。  そんな目をされても… 「…言えない、わ」 「…やっぱり、僕が嫌な思いをさせたんだね」 「いえ、そうじゃなくて…あなたが悪いわけじゃなくて」  言えるわけない。  嫉妬してました、だなんて。  本当に、面倒な女だと思われてしまう。 「そう言うってことは、やっぱり僕が何かしたんだね」 「……」 「ねえ、霧切さん」  ちょ、近、 「お願いだよ。言いたいことは言うって、お互いに約束したでしょ」 「っ…自分はちっとも守らない癖に、よく言うわね…」 「うん、霧切さんとは僕とは違うから、ちゃんと約束を守ってくれるよね?」  ほら、また。  また、この距離だ。  手を伸ばせば、触れる距離。  一歩踏み出せば、届く距離。  何のためらいもなく、彼は今、踏み込んできた。  少しだけ、悔しく思う。 「…あなたは、少しも意に介していないのね」 「え?」  図書館で、私がキスしようとしたことを。  意識の片隅にでもあれば、この距離まで迫ることはないだろう。  また、今の私みたいに、意識してしまうんだから。 「…どうせ私は、江ノ島さんのようにスタイルが良いわけじゃないわ」  もうどうにでもなれ、と、どこかで思ってしまったんだろう。  口に出して、しまった、と思ってからも。  ずっとため込んでいた嫉妬が、汚く零れる。 「朝日奈さんみたいに明るく元気なわけじゃない。舞園さんみたいに清楚な可愛らしさもない」  止めればいいのに。  せっかく昼間は、良い雰囲気になっていたのに。  これで、台無しだ。 「…苗木君も、彼女たちみたいな女の子の方が魅力的だと思うでしょう」 ―――――  そう言って、彼女が拗ねるように顔を背けたのが、子どもの仕草のようで。  いつも大人っぽい霧切さんがそんなことをしたのだと思うと、思わず吹き出してしまった。 「なっ…」 「や、ゴメン…霧切さん、可愛くてさ」  僕がそうフォローすると、暗がりでもわかるくらいに、彼女が真っ赤になる。 「馬鹿にして…意地悪ね、あなたは」  そう言って、本当にそっぽを向いてしまった。 「いえ、本当に馬鹿みたい…昼間だって、一人で勝手に舞い上がって…」  そんなことないよ、と、言葉でフォローしそうになって、思い留まる。  言葉では、昼間に散々語り合った。  今はそれよりも、もっと効果的な行動があるはずだ。  大和田君にも、言われたことだし。  男なら、自分がリードして上げるくらいの気概を見せろ、と。  白い肌。銀の髪。  夜が良く似合う人だ、月の光に照らされて。  いきなりしたら、さすがに怒るかな。  怒られても、いいか。 「ねえ、霧切さん」 「……何よ」 「ちょっと、こっち向いて」 「……また、馬鹿にするんでしょう」 「あのさ。僕にとって、すごく都合のいい解釈をするから…だから、えっと」 「……」 「嫌だったら、拒んでね。あ、あと目も閉じてくれると嬉しいかな」 「……優しくしないと、唇を噛みちぎるわよ」  真っ赤になった彼女に、そう脅されて。  瞳の向こうの僕も、真っ赤になったまま、笑う。  そうして、僕たち二人は。  7cmなんて、とても小さな距離だということを、もう一度確かめあった。 ----

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