kk8_332-338

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 がたん、ごとん。  日付も変わろうかという時刻のローカル線に、乗客は驚くほど少なかった。  広い車内に僕ともう一人だけの、ただ二人きり。  他に人影を探そうとすれば、スライドドアを開けて隣の車両へ行かなければならない。  そして、周囲に響き渡るのは電車の走行音のみ。  こんな時間まで外を出歩くなんて生活とはとんと無縁だった僕からすれば、それは極めて奇異な光景である。  物珍しいものを目にすれば、まぁ大抵の人は、大なり小なりそこに何がしかの感慨を覚えるものだと思う。  無論、平凡中の平凡を自認する僕も例外ではない。  ――本来なら。  視覚が捉えた眼前の光景を『奇異なもの』として認識することはできる。  だが、その後が続かない。  思考が『ああ、なんだかおかしな感じだな』というところで止まってしまう。  目下のところ、僕にはそんなことに思いを巡らせている余裕はないのだ。  なぜなら、そう。  僕のすぐ隣で起きていることに比べれば、その程度の奇異さはまるで取るに足らないことなのだから。  肩に感じる、僅かな重み。  その重みの主は、僕以外でこの車両に乗っている唯一の人間にして僕の大切な――大切なクラスメートであり、友人だ。  そしてまた、ごく一般的な高校生であるところの僕が、こんな時間にローカル線に揺られている理由の主でもある。  霧切響子さん。  彼女が僕の肩に寄り掛かって、眠っている。  つまりは、それが僕の置かれている現状だ。  ----------  ちょっとしたきっかけから僕が霧切さんの『仕事』の手伝いをするようになって、もう二ヶ月ほどになるだろうか。  彼女の下に舞い込む依頼は様々だ。  時にはクラスメートからのごく身近なレベルの頼まれ事。  時には彼女の敬愛する祖父を仲介として、警察をはじめ思わず身構えてしまいそうなところから持ち込まれた仕事。  また時には――彼女とは複雑な間柄である、希望ヶ峰学園長直々の特命。  誰からのどんな依頼であろうと、ひとたびそれを受諾すれば彼女はすぐさまに捜査を開始し、そしてどこへでも飛んでいく。  学園から遠く離れたところまで足を運ぶことも、そう珍しいことではない。  しかしながら、ここまで帰宅が遅れたのは今日が初めてだ。  今回の依頼は人探し。  霧切さんにとっては至極簡単な仕事だろうとタカを括っていたけれど、そんな僕の読みは甘かったと言わざるをえない。  探し人の足跡は思った以上に少なく、じきに捜査は行き詰ってしまった。  ようやく突破口が開けたのは、もう夕方に差しかかろうかという頃。  手持ちの情報を整理しながら今後の方針を話し合っていた最中、突如として彼女に天啓が降りてきたのだ。  思い立ったが即断即決。  彼女に先導されるまま、気がつけば僕らは聞いたこともないような名前のローカル線に乗車していた。  それから片道二時間の道程を経てやって来た山中深くの集落で、ようやく確たる手掛かりを掴むことができたのである。  ――が、なにしろそこに至るまでが長かった。  どうにか帰りの電車に駆け込んだ時には僕はもうクタクタで、それは彼女も同じ様子だった。  証拠を手にした時の静かな興奮は陰を潜め、いつものように今後の捜査の展望について意見を交わすこともなく。  僕らは言葉少なに、ただ電車に揺られていた。  そうして、二駅ほど過ぎたあたりだっただろうか。  不意に、自分の肩に誰かが寄り掛かってきたのは。  他に乗客なんていないというのに、それを霧切さんだと認識するまでにしばしの時間を要したことを、やけにはっきりと覚えている。  ----------  そして、今に至る。    密室の中で、綺麗な女の子と二人きり。  それも、頭と肩と腕だけとはいえ、体が密着している。  世の平均的男子高校生ならば、きっとドキドキせずにはいられないシチュエーションだと思う。  そして平均的男子高校生の代表選手たるこの僕が、例外であろうはずもない。  さて、僕はどうするべきなのだろうか。  疲れきった女の子のひとときの休息を妨げるのは少々気が引ける、というのも事実だ。  いろいろな意味で僕よりずっとタフな霧切さんが、今日ほど疲れた様子を表に出していたのは珍しい。  だから、尚更そう思えてくる。  だけど、このまま身体が密着した体勢を維持し続けるのはどうなのか。  僕らはまだ恋人だとか、そういう関係じゃあない。  クラスメート、もしくは探偵と助手の間柄でしかないのだ。  にも関わらずこんなピッタリと――って、待て。  ちょっと待て苗木誠。  今の『まだ』ってのは一体何だ、『まだ』ってのは?  お前は一体彼女に何を期待しているんだ?  ――いや、今はその話は置いておこう。  というか、あれだ。  考えてみれば、下車するまでのどこかの時点で、遅かれ早かれ彼女には目を覚ましてもらわなければならないのだ。  身体が密着しているのを分かっていながら下車ギリギリまで起こさなかったりしたら、霧切さんはどう思うだろう?  ジト目で睨まれるくらいで済めばいい。  が、下手をすればしばらく口も利いてくれなくなるなんてこともあり得るかもしれない。  とすれば、今起こしてあげるのが最善と考えることもできるんじゃないだろうか?  よし、決めた。  腹を固め、僕は霧切さんの方へと視線を動かす。  僕の肩に寄り掛かる銀色の頭。  角度のために、その表情を窺い知ることはできない。  果たして彼女はどんな寝顔をしているのだろう。  甘ったるくない、さっぱりとした清涼感のあるいい匂いが鼻腔をくすぐる。  これほど近くで彼女の香りを感じるのは初めてのことだ。  響き渡る電車の走行音と震動の中に、彼女の小さな寝息が聞こえてくる。  ささやかな、ほんのささやかな息づかいなのに、驚くほどはっきりと感じられるのは距離が近すぎることだけが理由だろうか。  垂れ落ちた彼女の長い髪の一房が、膝の上にある僕の手の甲をそろりと撫でる。  もっと、触れてみたい――そう思わないといえば嘘になる。  取り留めない思いが頭を巡るうちに、僕の意識は寄り掛かる彼女の身体の存在へと傾いていく。  直に触れる彼女の肩は、僕がイメージしていたよりずっと小さかった。  そして腕の感触はとても柔らかい。  いや、別に『筋張ってごつごつしてそう』だとか思っていたわけではないけれど。  ただ、僕が彼女に対して抱いていたシャープな印象にそぐわないその感触に、多少の意外さを覚えたのは事実だ。  女の子の身体の柔らかさ。  これもまた、僕にとっては初めて味わうものだ。  そしてこの腕を隔てた向こう側にはきっと、もっと柔らかい――  ごくり。  我知らず、僕は唾を飲み下していた。  待て。  待て待て待て待て!  何を考えているんだ僕は!?  つい先刻、彼女を起こすことを決めたばかりじゃないか。  確かに、その、今のこの状況を手離すのは惜しいという気持ちもある。  それは否定できない……というかこの期に及んで否定しても白々しいだけだ。  だけれど、それは置いといて。  何よりまず、霧切さんは僕の大切な――大切なクラスメートであり、友人なのだ。  決断を先延ばしにして、あるいは判断を誤って、その為に今の彼女との関係を損なうようなことは、僕の望むところじゃあない。  なら、どう行動すべきかは自明のはずだ。  煩悩に惑わされるんじゃない。  行け。  行くんだ僕。 「き、きり……」  決意を新たに声をかけようとした、その時。 「ん……うぅ……」  霧切さんの口から、彼女らしからぬ不明瞭な声が漏れる。  いつだってハキハキとした声で歯切れよい物言いをする彼女にはとても似つかわしくない、可愛らしい呻き声。  それと同時に彼女の頭がもぞもぞと動き、僕の肩からずり落ちる。  ずり落ちた先は――僕の二の腕の上。  頭が動いた拍子にか、彼女の香りがふわりと周囲を舞う。 「あ、え……?」  彼女に掛けるべき台詞の代わりに、意味を成さない間抜けな声が漏れる。  完全に出鼻を挫かれた形だ。  その間にも彼女の身体は重力に引っ張られ、ずるずるとずり下がっていく。  重みが、存在が、肩の上にあった時よりも一段とはっきりしたものとなって伝わってくる。  そして終着点――それ以上ずり下がりようのないところで、ようやく彼女の頭は移動を止める。  すなわち、僕の膝の上で。  膝の上……膝の上? 「え……えぇ!?」  えっと、ちょっと待て。  なんだこれ。  なんだこれ。  これはつまり、その、俗に言うところの膝枕というやつなのか。  何で? どうして僕が霧切さんに膝枕?  いや、何でかといえば今この目で見た通りなんだけれども、そういうことではなく。  ……本当になんだこれ。  客観的に見れば、先刻から彼女の姿勢が幾分変わったというただそれだけなのに。  その些細な変化に、僕はどうしようもなく動転させられている。  彼女は相変わらず、小さく寝息をたてるのみだ……僕の膝を枕代わりに。  というか、位置がヤバい。  膝の上の彼女の頭から然程離れていない僕の足の付け根には、その、アレがあるわけで――って、おい。  また何を考えているんだ僕は。  ――落ち着け。  落ち着くんだ、苗木誠。  そう、状況はさして変わっていないんだ。  膝枕という言葉の甘い響きに惑わされるんじゃない。  何も慌てる必要なんてないし、僕のやるべきことも変わらない……そうだろう?  三度目の正直、というか何というか。  気を取り直し、僕は改めて霧切さんに声をかけようとする。 「あの、きりぎ……」  が。  またしても。  僕は機先を制されることになる。 「なえ、ぎ……くぅん……」  名前を呼ばれた瞬間。  どくん、と心臓が一際高く鳴る。  寝言、なのだろうか。  先ほどの呻きと同じ、可愛らしいトーンの声がひどく艶っぽく聞こえてしまう。  この状況に当てられて、僕の耳までもがおかしくなっているのだろうか。  早くも気勢を削がれつつある僕をよそに。  霧切さんの攻勢は尚も止まらない。 「うぅ……ん……」  僕の膝に頭を乗せたまま、彼女が小さく身をよじる。  その結果――まるで猫が頬ずりするかのように、彼女の顔が僕の膝に擦り付けられる。  そして、さらに。 「ここまで……すれば……わかる、わね……?」 「……へ? えぇ!?」  僕の身体も思考も、そこで完全に停止した。  ---------- 『間もなく~△△~。△△~』  あれから、どのくらい経った頃だろうか。   車内アナウンスが僕らの下車駅の名を告げたのは。  結局それまで、僕はずっと硬直したまま、ただ自分の心臓の鼓動を聞いていた。  そして、ようやく。 「んん……」  うたた寝の最中でも、駅の名前は聞き逃さなかったのだろうか。  ようやく、霧切さんが僕の上からのそりと起き上がる。 「あ……霧切さん」 「……眠ってしまっていたのね、私」 「お、おはよう……」  寝起きであることを感じさせない、明瞭な声。  僕のよく知る、聞き慣れたトーンの彼女の声だ。 「どうも迷惑をかけてしまったみたいね……ごめんなさい」 「え……? いや、迷惑なんてことはなかったけどさ……霧切さんの方は、その……」 「何?」  深く澄んだ薄紫色の瞳が僕を見返す。  一切の揺らぎの無いポーカーフェイス。  いつも通りの、まったくいつも通りの彼女の顔。 「い、いや……ゴメン。何でもないよ」 「……そう。なら、私もいいわ」 『△△~。△△です~。○○線にお乗換の方は三番乗り場~。□□線へは……』  気がつけば電車は既に停車しており、そして間を置かずホームへと続くドアが開かれる。 「行きましょうか」  霧切さんが、これまた普段通りのしなやかな所作で立ち上がる。 「あ、う……うん」  ワンテンポ遅れで、僕も彼女の後を追う。  腑に落ちないというほどではないけれど、なんだかモヤモヤしたものを胸に抱えながら。  ジト目で睨まれることも、口を利いてくれなくなることもなかったのは……ラッキーと言うべきか。  だけれど、彼女の立ち居振る舞いが、本当に何事もなかったかのようで。  まるで先刻のことが夢か何かだったのではと思えてきてしまう。  肩に、腕に、そして膝の上にあった彼女の感触は、はっきりと思い出すことができるというのに。  いつも通りに見えて、実は寝ぼけていたりするのだろうか。  それとも、僕が全く異性として見られていないということか。  あるいは……うたた寝していたのは彼女ではなく僕の方だったのか。 「それにしても……」  並んでホームに降り立ったところで、不意に彼女が呟く。  そして僕は更なる困惑に陥ることとなる。 「結局……自分から指一本触れようとしなかったわね、あなた。まあ、紳士なのは悪いことじゃあないけれど」 「……へ?」 「なんでもないわ……独り言よ。忘れてちょうだい」  それだけを口にすると、彼女は改札へ続く階段へと歩を進めていく。  カツカツとブーツの踵を鳴らしながら、立ち尽くす僕を尻目に。  ええっと、あの。  今のは――一体どういうことだ?  僕が自分からは彼女に触れようとしなかったのは、その通りだけれど。  なぜ霧切さんは、自分が眠っている間のことを知っているんだ?  それはつまり――。  いや、仮にそうだとして。  僕でも簡単に分かるような矛盾に、あの霧切さんが気付かないなんてことがあるのか?  もしかしたら、彼女はそれと知ったうえで、あえて矛盾のある台詞を口にしたんじゃないだろうか?  そして、独り言だと言っていたけれど……本当にそうなのか?  僕にはそんな風には聞こえなかった。  ならば――。 「どうしたの? ここで野宿でもする気?」  数メートル先から僕を振り返る彼女の瞳は、やはり深く澄んだ薄紫色。  その瞳に、僕は、 「あの、霧切さん。さっきの……」  問い掛けようとして、僕は慌ててそれを中断する。  今はまだ、彼女に僕の言葉の弾をぶつける時ではない。  すんでの所で、そのことに思い至ったからだ。 『ここまで……すれば……わかる、わね……?』  先刻、彼女が僕の膝の上で発した言葉がリフレインする。  僕の推測が正しかったとして、では何故彼女は『あんなこと』をしたのか?  その問いに答える――いや、応えるための弾丸は、今しがた彼女が僕に渡したものでは足りない。  多分、僕が僕自身の中から見つけ出さなければならないものこそが、それにふさわしいはずだ。  実を言えば、僕にはその弾丸が僕の胸の内の何処にあるかはもう見当がついている。  けれど、それを取り出して装填するには、まだ少々の時間と、そして少々の勇気が必要だと思う。  ついでに言えば――シチュエーションも、もうちょっとばかり相応のものを選びたい。 「何かしら?」 「……や、ごめん。何でもないよ」 「さっきも同じ台詞を聞いたわね。別にいいけれど」  くるりと身を返し、霧切さんが再び歩き出す。  僕も急いでそれを追い、そして彼女に並ぶ。  忘れて、と彼女は言った。  きっと彼女も僕と同じように考えているのだ――と思う。  だから今、この場は彼女の言う通りにしよう。  いずれ、その時はやって来るはずだ。  ――いや、その時を作り出さなければならないのは僕だ。  遠くないうちに、必ず。  それまでは僕の胸の内にしまっておこう。  彼女が僕に提示した矛盾点も、それを貫く弾丸も。 「……意気地なし」 「え? 霧切さん、今何か言った?」 「別に。独り言よ」

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