大人ナエギリ 夏の風物詩編【晩夏は残炎、朝夕涼味に、恋を歌う虫の声】

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大人ナエギリ 夏の風物詩編【晩夏は残炎、朝夕涼味に、恋を歌う虫の声】」(2012/09/18 (火) 22:18:31) の最新版変更点

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「……意外な特技もあったものね」  相変わらず正面から褒めてはくれない彼女の、それでも目線が称賛してくれているのを感じた。  頬が赤くなりそうなのを、暗みが隠してくれているように願いながら、篠笛に沿える指を止める。 「特技っていうか…日本なら音楽の授業で、こういうの習うからさ」 「それにしても、よ。初見の楽器でしょう?」 「要領は同じだよ」  指を孔に添えて、歌口から息を吹き込めば、相応の音が響く。  強く吹けば掠れて響くし、弱く吹けば優しく鳴る。そういうものだ。  音階は一通り覚えたので、うろ覚えに楽譜を弾いてみる。  この篠笛も、例によって霧切さんの遊び買いだ。  商店街のちっぽけな縁日で、露店に並んでいたらしい。  本格的なものではなく、イメージとしては百均のオカリナなんかと同じようなものだろう。  漆塗りの竹に、水の中を跳ねるように泳ぐ、一対の金魚が彫られている。  彼女の遊び買うものは、こういうちょっと粋な趣向が凝らされていることが多い。 「それにしても、ちょっと悔しいわ」  カラン、と、ロックアイスの入った氷を傾けて、虚ろ目で月を見上げる。  お気に入りの芋焼酎のお供には、冷ややっこに酒盗を乗せただけのシンプルなもの。  完全に親爺趣味だね、と突っ込むと、問答無用でローキックが入った。酔っていた分加減がないので、ちょっとまだ足首が痺れている。 「私が吹いた時には、かすりとも音は鳴らなかったのに」 「…霧切さん、この笛吹いたの?」 「…私から仕掛けるのは、セクハラとは言わないのよ」  ニヤニヤと僕を見返している、酔って赤くなった蕩け顔。  月を背にしているのは僕の方なので、向かい合う彼女の銀髪が燐光を反射して、まるで幽霊みたいに綺麗な微笑で。 「今更そういうのを意識する仲じゃないでしょう? 何度箸を重ねたと思ってるの」 「う、や、そうだけど…改めて言われると意識しちゃうっていうか…」 「ああ、それにしても良い夜ね。笛の音が合うわ」  と、いじめっ子の笑みで、もっと吹くように言外に催促してくる。  手遅れだと分かっているけど、あえて気付かないフリで、僕はまた篠笛の歌口に唇を落とした。  でも、確かに良い夜だ。  月影が雲を淡い黄金色に透かして、音もない夜風が、昼間の暑さをゆっくりと冷ましていく。  夜陰から響く虫の音も、いっそうの涼味。 「夜笛は蛇を呼ぶ、っていうんだけど」 「あら、無粋な言葉を考えた人もいるものね」  歌うように言った彼女の顔に、ふ、と陰が掛かる。  振り返れば、月の輪郭がまるっと雲に隠れていた。朧、というやつだろう。  自然と、指弾く音符も決まってくる。 「……なのはーなばたけーに、いーりーひうすれー」  と、口ずさむ、鈴の音のような澄んだ声。  驚いて、途端に指を止める。  彼女が僕の弾いた曲に合わせて、歌を乗せたのだ。  蕩けたままの目が、怪訝そうに僕を見る。 「……霧切さん、」 「…何よ。私が日本の歌を知ってるのが、そんなに可笑しいのかしら?」 「いや、……すごく、上手いんだね」  カンマ置いて、再び月明かりが差す。  ぽ、と、酒で酔うのとは別の紅が、彼女の頬を染めていた。 「初めて聞いたよ、霧切さんが歌ってるの」 「そ、んなこと、ないでしょう…というか、どうでもいいじゃない」  僕は例えば、掃除や料理の片手間に、聞き馴染んだポップを口ずさむことはあるけれど。  考えてみれば、そういうクセのない人だった。  学園では音楽の授業は別クラスだったし、コレは絶対彼女には言えないけど、僕は別の人の歌を聞いていたから。  カラン、と、彼女の持っていたグラスの氷が揺れる。  うっすらと琥珀に澄んだ液体が、月明かりを映して、ステンドグラスのようなものを机に描く。 「……ねえ、さっきの『無粋な言葉を~』って、どういう意味だったの?」 「……言わない」 「ねえ」 「…忘れて。酔っていると、柄にもない恥ずかしいことが口をついて出るのよ」 「恥ずかしくなんかないってば。言ってみて」 「……笑わない?」 「笑わないから」  グラスを持った手を額に当てて、目を伏せる。  どれだけ恥ずかしそうなそぶりを見せても、飲んでいる時の霧切さんは、いつもよりも心のガードがゆるいので、本音を見せてくれるのだ。  数瞬待つついでに、その手のグラスをそっと貰う。  笑わないよ、と、念を押す。  口をつけて飲めば、アルコールの辛さと独特な風味の中に、うっすらと涼しい甘み。  僕の飲む様をじっと見つめながら、夢に浮かされたような霧切さん。 「……鈴虫なんかは、夜に歌うでしょう」 「…うん?」  そんな詩的な言葉が、まさか彼女の口から返ってくるとは思えなくて、数瞬頭の中で反芻する。  意味を解して目線を戻せば、じっと疑う視線を向けていた。  人里に降りて来た猫みたいな仕草だったので、可愛くて、吹きそうになるのを必死にこらえる。笑いません。 「昔の人たちだって、夜に集って楽器を弾いたり、歌を歌ったりしたでしょう」 「……そうだね」 「歌は、夜の方が映えるのよ」  ロマンチックでしょう、と、自嘲気味に唇を尖らせたまま、グラスを奪い返された。 「虫も人も、夜中に集って、愛しい人への思いを歌うんだね」 「……」  恥ずかしい言葉には、同じく恥ずかしい言葉で返す。  こういう良い夜には、むしろちょっと歯が浮くほどがちょうどいい。  ぶっきらぼうに突き出された照れ隠しのグラスに、黙って芋焼酎を注ぐ。  ロマンチックだね、と、返すと、鼻を鳴らして拗ねてしまった。  机の下で、彼女の足が僕の足を踏む。ちょっと痛い。 「…ねえ、夜に歌うのが恋の歌ならさ。さっきの歌も、」 「それは…分からないわ」  流石に、こじつけだろうか。  歌詞それ自体は、とても単純で、そして深い情景を歌ったものだ。  夕月夜に風薫る風景。  たった数節で、その美しさを歌った歌。 「例えば、歌自体にその意味がなくても…」  けれど。  そうであってほしい、と思うのは、こんな夜だからか。 「演奏する人が、そういう思いを込めて吹いたなら…それを聞く人が、そういう思いを乗せて聞いたなら」 「苗木君…」 「それはもう、恋を歌っているってことには、ならないかな」  りぃん、りぃん、と、羽が鳴っている。  どうも、僕も酔ってしまったみたいだ。  いつもよりも恥ずかしい言葉が、どうにもぽろぽろと零れてしまう。  ああ、また顔が熱くなる。もう夏も過ぎるというのに。朧月夜で、本当に良かった。 「……もう一度、弾いてくれないかしら」  再三、月明かりが雲で陰る。  互いの顔が見えない暗みで、鈴の音のような声が響いた。 「……霧切さんが歌ってくれるなら、いいよ」  篠笛に添えた指が、心なしか震える。  りぃん、と、急かすように、草藪の隙間で歌う鈴虫。  負けないように、と、息を吸う。  良い夜だ。  とても澄んだ夜だ。  鈴虫の声も、篠笛の音も、月明かりも、それを映すグラスの焼酎も、歌う声も。 「さながーらーかすめーる、おーぼーろづき…よ……、…」  少し緊張で張った鈴の音に耳を傾け、その日は晩酌を終えた。 ----

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