kk13_275-285

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カセットコンロの弱火で煮えるすき焼き鍋の音だけが空しく響く。 苗木家の食卓に五人も座っているが、誰一人声を発しない状況が続く。 いや、家に帰ってきても会話らしい会話はあったけど、どこか余所余所しいっていうのか――。 「……このままじゃ肉が焦げてしまうな。さぁ、みんな食べようか?」 「え、えぇ」 「いただきます」 「……いただきます」 そんな雰囲気を打破するために一家の大黒柱である父さんが先陣を切った。 母さんも同意し、僕と霧切さんも目配せで鍋に箸を伸ばす。 「……どうして?」 そして、僕らが家に着てから一言もしゃべらず俯いていた妹がやっと喋った。 "喋った"というよりはつぶやいたという表現が合っていたけど。 「ねぇ、どうして? どうしてお父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも平気な顔していられるの?」 一度噴き出た感情は決壊したダムのように留まることを知らない。 「私は嫌だよ……お兄ちゃんとお姉ちゃんと一生離れ離れになるのって。もっとお姉ちゃんと買い物したり、みんなとカラオケしたりして一緒にはしゃぎたい! ねぇどうして? どうしてなのっ!?」 さすがは我が家の切り込み隊長、相手の都合など知らず欲望街道一直線だ。 わかっていたことだけど、いざ直面すると妹の気迫に押されてしまいそうだ。 「それで、それで……ひっく、えぐっ……」 「……もういいわ」 嗚咽が止められない妹の姿に耐えられず母さんが抱きしめる。 零れる涙を見せないよう頭を胸元に引き寄せ、背中を摩る。 「私だって欲を言えば響子ちゃんにお料理を教えて、苗木家の味っていうのを教えたかったんだけどなぁ……」 「おば様……」 母さんと妹の悲しみに打ちひしがれる姿を見ると揺らいでしまう。 僕が決断した答えが本当に正しいものだったのか不安になってしまう。 霧切さんのように僕もポーカーフェイスを保つことが出来たらよかったのに――。 「……駄目だ。彼らを引き止めてはいけない」 父さんが控えめな声で、けれど厳かに力強く言う。 泣いていた妹もこれには驚いて父さんの方を見る。 「誠からシェルター計画の話を聞かされた時は父さんもどうすればいいのか、夜も眠れなかった……」 「父さん……」 「最初は誠だけでも引きとめようと思ったりもしたさ」 始めて見る父さんの弱音。 しかし、そんな弱気を振り払うかのように父さんは頭を振る。 「……けれどな、誠も響子君も考えに考え抜いて決断したのであれば尊重しなきゃならないって気づいたんだ。それと同時に彼らは自分の足で歩く大人の仲間入りを果たしていたことにもな」 そう言って父さんは腕を伸ばし、僕の頭をくしゃくしゃに撫でる。 「それに今回呼んだのは君たちを引き止めるわけじゃない。君たち二人の門出を祝うつもりで呼んだんだ。……だから誠、響子君。もっと自分に誇りを持ってくれないか」 「おじ様……。えぇ、仰る通りです」 「父さん、ありがとう……」 「子供の成長ってのは、親の目が届かない内にこんなにも大きくなるんだな……」 「……お兄ちゃんの場合、見た目は大きくなってないけどね」 「お前は一言余計なんだよ……!」 空元気だろうけど、僕をからかってくる妹の頭を小突く。 その光景に父さんも母さんも、そして霧切さんも苦笑する。 それでお通夜のような沈んだ雰囲気は払拭されたようだ――。 「それじゃ、改めましていただきます」 『いただきます』 「……って、お前肉取り過ぎだろ!?」 「いやぁ~、さっき思いっきり泣いたせいですっかりお腹ペッコペコでさー」 「太っても知らないぞ」 「大丈夫だいじょーぶ。何せ成長期だし!」 「……前向きなところは兄妹そっくりのようね」 「でしょー?」  「お前の場合は能天気も含まれているかもな」 そんな他愛のない会話をしながらみんなで鍋を突っつき、あっという間に空になった。 食事の次は家族写真の撮影が催される。 「ほらぁ二人とも、もっと真ん中に寄って寄って!」 「十分フレーム内に収まっているだろ、なに言ってんだ」 「お兄ちゃんとお姉ちゃんが主役なんだから文句言わない! ……何だったらチューしてもいいんだよ?」 「しないよ!」 僕と霧切さんがソファに座り、その後ろに父さんと母さんが立つ。 「はい、チーズ!」 妹の掛け声のすぐ後にデジカメのフラッシュが光る。 早速デジカメに記録されたプレビュー画像を見てみることにする。 「あははっ、お兄ちゃんだけガチガチに緊張してるー」 「うわっ、格好悪い……」 「そう? 苗木君らしくて私はいいと思うけど?」 「それじゃ次はあなた達3人でね?」 そう言って母さんがデジカメを持ち撮影係となる。 霧切さんをソファの真ん中に座らせ、妹がその右隣に座る。 僕は空いている左隣に座ると妹が霧切さんに抱きついている。 「えへへ。お姉ちゃん……大好き」 「……ありがとう」 「ついでにお兄ちゃんも」 「僕はおまけかよ」 「うそうそ。どっちも同じくらい大好きだよ」 そして母さんの"はい、チーズ"と共にフラッシュがたかれる。 またプレビュー画像を見てみることに。 「"大好き"って言われてご満悦のようね、苗木君?」 「口元緩みすぎでしょ、お兄ちゃん……」 「あははっ……」 これには僕も苦笑い。 最後はセルフタイマーにして5人で撮影。 「……これでよしっ!」 「お兄ちゃん! 早く早くっ!」 「わかって……うわっ!」 「あぶない……!」 あわや転倒するという直前で霧切さんが僕を受け止める。 その瞬間にフラッシュがたかれて撮影は完了していた。 「……ごめん、霧切さん」 「いいの。苗木君も怪我はない?」 「うん。おかげさまで」 僕が先に起き上がり、霧切さんが差し出す腕を掴んで起き上がらせる。 さて、問題のデジカメにはどんな光景が撮影されたのやら―― 「うわっ、お兄ちゃん大胆」 「誠もここまで成長しているなんて……」 画像には僕が霧切さんに抱きついているというより、押し倒している瞬間が記録されていた。 他の3人は一様に僕らを見て驚いている。 ――うん、できれば消去したい画像だ。 「せっかくだしさ、撮り直さない?」 「え~? 面白いからいいじゃん?」 「お前はよくても僕や霧切さんにとっては恥ずかしい1枚なの。……それに、霧切さんの下着だってチラっと見えちゃっているし」 「たかが下着じゃない。靴下に手を入れた訳じゃないから問題ないでしょう?」 「相変わらずその基準がわからない……」 「……誠君。仲良しの秘訣は相手の価値観をきちんと受け入れることが重要なのよ?」 僕を諭すようにポン、と肩に手を添える母さんだった。 ――結局、その写真はお蔵入りされることはなかった。 「よーし、撮影も終わったことだしお風呂にごあんなーい!」 すると妹が霧切さんの右腕をガッチリ掴んだ。 続いて母さんも左腕をそっと掴む。 「ちょっと……!?」 「ほら、家族3人水入らずと行きましょう?」 「洗うよー! 超洗うよーっ!!」 そう言ってズルズルと霧切さんを捕獲した宇宙人のように浴室へ連行していく母さんと妹だった――。 その光景に僕らは苦笑せざるを得ない。 「さて、母さんの目も行き届かなくなったことだし……」 そう言って父さんは食器棚からコップを二つ取り出し、冷蔵庫の中を物色し出した。 そして取り出したるは一本の缶飲料。 「母さんには内緒にしような」 「父さん……僕、まだ未成年だけどいいの?」 プルタブを引き起こし、黄金色の液体がコップに注がれる。 コップを斜めに傾けながら注ぐことでビールと泡の比率が7:3くらいに注がれ、その一つが僕の前に差し出される。 「ちょびっとくらいなら問題ないだろ……多分。それに、こうやって我が子と一緒に酒を飲むのって、父さんの夢だったりするんだ」 「……わかった。一杯だけだよ」 「その意気だ。それじゃ、乾杯」 「乾杯」 コップの飲み口同士を軽く叩き、ビールを口に運ぶ。 一口飲み込んだところで口中に広がる苦味に目を見開く。 「……うぇ、苦っ!」 「その内この苦味の虜になったりするんだよなぁ、これまた」 「苦いのだったらコーヒーで十分だよ……」 「そう言うな。人生の苦味に比べたらビールやコーヒーの苦味なんて些細なものに過ぎないさ」 「そうだけどさ……」 少しでも味覚を誤魔化すつもりで、鼻を摘みチビチビと飲んでみる。 それでも一向に苦味は変わらず、苦さで顔を顰める度に父さんが笑う。 そうやって何とかコップの中身を空にすることは出来た。 「……うぅ、まだ口の中にビールが残っている感じだ」 「残りは父さんの方で飲んでおくよ」 「お願い」 「風呂は……明日になってからで良さそうだな」 「そうするよ。顔中がなんか熱い」 「それじゃ、少し早い気もするがおやすみ」 「おやすみなさい……」 フラフラとした足取りで自室に向かう。 リビングを出る間際、チラリと父さんの様子を伺うと気分良くビールを傾けていた。 ――よかった。少しでも父さんの夢を叶えることが出来て。 ――――― フラつく体でベッドの隣に布団を敷く。 敷いた途端に体は限界のようで、受け身も取れないままうつ伏せに倒れてしまう。 父さんのジャイアントスイングをされたわけじゃないけど、フラフラする感覚に襲われ起き上がれそうにない。 「……苗木君、大丈夫?」 気づいたらお風呂上りの霧切さんが心配そうに僕を見ている。 「ん、なんとか」 「……何があったの?」 「その、さっきまで父さんとお酒飲んでいて……」 「どれくらい?」 「コップ1杯。なーんか頭がフラフラして起き上がれそうにないかも……」 「その状態で入浴は……危険そうね」 「うん。明日の朝に入るよ」 「一人で着替えられる?」 「……無理そう」 「仕方ないわね、手伝うわ……」 そう言って霧切さんはファンヒーターの設定温度を2度ほど上げる。 部屋の中が暑くなり、頭どころか全身が熱くなる感覚に浸っていると体が引っ張られた。 霧切さんがうつ伏せの体勢から仰向けに変えてくれたようで、彼女の顔が蛍光灯の眩しさを遮ってくれる。 パーカーのジッパーを外し、右袖と左袖を抜かれる。 次は僕に馬乗りの体勢をしたまま背中に腕を回す。そして腹筋をさせる要領で上半身のみを引き起こす。 肩に掛かったようなパーカーを外すとTシャツだけとなり、体が涼しく感じる。 「ほら、シャツを脱がせるから両腕を上げて」 「はい、バンザーイ……!」 天井まで真っ直ぐに伸ばした両腕を追いかけるように霧切さんはシャツを脱がせる。 間髪置かず僕の体にTシャツが被せられる。 「腕を横に伸ばして……」 「うん」 「じっとしてて」 霧切さんの言うとおりに従うと、右腕と左腕の順にパジャマの袖が通された。 袖を通したらボタンを一つ一つ閉めてくれる。 ふと、霧切さんの髪が僕の顔に当たる。 くすぐったさに混じってシャンプーの香りが充満する。 母さんと同じ匂いのシャンプーの筈なのに、とてもいい匂いがする。 霧切さんは僕のボタンを閉めることに集中しているのか、僕がクンクンと犬のように髪の匂いを嗅いでいることに気づいていないようだ。 もっと嗅ぎたい――。そう思って顔を伸ばすと同時に霧切さんの顔が離れる。 すると彼女は僕の腰部分に顔を寄せ、ベルトをカチャカチャと外しだした。 「ま、待って霧切さん!」 「? ……どうして?」 「下は自分で穿けるからさっ!」 「そう……? さっきよりも顔が真っ赤だけど大丈夫?」 「へ、平気だってば!」 霧切さんが僕の体が離れると同時に下半身へ掛け布団を掛ける。 ――ふぅ、あぶなかったなぁ。 危うく興奮状態の息子とご対面させるところだったよ。 冷や汗を掻きながらファスナーを下ろしてズボンを脱ぎ、パジャマと穿きかえる。 後は別のことでも考えて昂ぶった息子を鎮めることにしよう――。 「……どうしてビールってあんなに不味いんだろう?」 「あら、そう思うの?」 「うん。コマーシャルとかで美味しそうに見えるけど、実際に飲んでみるとあんなのを一気飲みする人の気が知れないよ……」 「そう頭ごなしに否定しないの……。苗木君、あなたはビールのどこが嫌だと感じたの?」 「そりゃあ苦いから……」 「だったら苦味を抑えるようにすれば苦手も克服できるはずよ」 「例えば?」 「ジンジャーエールと半分で割る"シャンディ・ガフ"やトマトジュースで割る"レッドアイ"っていうカクテルの飲み方もあるの」 「へぇ、物知りだねぇ……って、霧切さんも飲んだことがあるの?」 「えぇ……あまり大事にはできないけど、お爺様の晩酌に付き合わされたことがあって」 「そうなんだ。でも美味しそうだね、霧切さんとなら楽しくお酒が飲めそう」 「そういうのはきちんと成人してからにしましょう。仮にシェルター生活を送ったとしても節度ある飲み方を心がけて」 「はーい」 きっとクラスのみんなと成人式で飲むとしたらドンちゃん騒ぎになりそうだけど――。 そんな風に霧切さんとお酒の話をしていたら幾分か落ち着いてきたので肘枕をして、霧切さんの方を見る。 「ところで霧切さん……」 「なに?」 「妹と母さんの3人でお風呂に入ったってことはさ、見せたの? その手……」 「……えぇ、見せたわ」 「そっか……」 「恐らくこれが最初で最後の機会だと思っていたし、見せることに迷いはなかったわ……」 「それで、二人の反応は?」 「怯えるどころか躊躇なく触ってきたわ。それで指と指の間も念入りに洗われて……。それと、お風呂上りにおじ様にも見せたわ」 「酔っ払って暴言とか吐かなかった?」 「いいえ。"見せてくれてありがとう"って姿勢を正して挨拶されたわ」 「ははっ、父さんらしいや」 ベッドに座っていた霧切さんが僕の隣にうつ伏せで寝転がってくる。 そっと右の手袋を外して、火傷で爛れた地肌の手を晒す。 「……ホントあなた達って不思議な人ね。私の傷痕を見ても臆するどころか感謝の言葉を述べるなんて」 「それは……霧切さんが僕らに心を開いてくれたことを証明してくれたからだよ」 「おかげでこの先何年、何十年とこの手を見せないって意固地になっていた自分が遠い昔の存在に思えるわ」 「その価値観を変えてしまって迷惑だったりする……?」 「まさか」 そう言って霧切さんはふるふると首を横に振り、外した手袋を身に付ける。 「あなた達のおかげで忘れていた家族の温もりを思い出すことが出来たんですもの。私の方こそ感謝の気持ちでいっぱいだわ……」 「霧切さん……」 「お母さんが生きていた頃みたいな家族3人で過ごしていた日々は二度と味わえないと思っていたのよ?」 「そんな大袈裟な……。僕らみたいな家族は世間一般にありふれた存在だと思うよ?」 「そのありふれた家族像を私でも築くことが出来るのかって不安だったりするけど……」 「何言っているのさ霧切さん。難しく考える必要はないよ」 「えっ?」 「ありったけの愛を捧げればいいんだよ。そうすれば旦那さんも子供も同じか、それ以上の気持ちで応えてくれる」 「なるほど……」 顎に手を当てて一人うんうんと納得している霧切さんだった。 僕より頭のほうは断然いいのに、こういうシンプルなことでも知恵熱を働かせる彼女の姿に苦笑してしまう。 すると、何か閃いたかのように僕の方を見ておもむろに提案してきた。 「苗木君。私、気になるの。私でも苗木家のような家族を本当に築けるのかって」 「えっ!?」 これにはびっくり仰天だ。 「仮にも私と苗木君は幼少時に将来を誓い合った仲でもあるし、仮想の夫婦を演じても支障はないはず」 「僕の頭の中では状況整理するのに支障が出まくっているよ……」 「それくらい平気でしょ? 男子なんだから」 「あぁ、もう! わかったよ! 不束者ですがよろしくお願いしますぅ! ……で、何からやればいいの?」 「そうね……。まずは夫婦なんだから別々の布団で眠るのは冷め切った関係のようで不味いわ。一緒に寝ることにしましょう」 「真実はいつも一つ、ついでに布団も一つ……ふぉめん、いふぁいてふ(※ごめん、痛いです)」 「……私の口癖を悪用しないの」 抓られた頬っぺたを擦っていると霧切さんが枕を隣に並べて布団を捲り、中に入ってくる。 横寝になった状態で見つめ合うと、改めて僕らはすごいシチュエーションの真っ只中にいるんだと実感してしまう。 「次は呼び方ね……。まことちゃん、ダーリン、旦那様……苗木君、どの呼び方がいいかしら?」  「どれもしっくり来ないような……」 「あなたね、真面目に「それだ。"あなた"の呼び方にグッときたよ」……わかったわ、あなた」 二人称の言葉なのにこんなにも意味合いが違うものになるなんて。恐るべし、夫婦――! 「今度は私の呼び方ね。候補はきょうこちゃん、ハニーってところかしら? 個人的には生前お母さんが呼ばれていたみたいに"ハニー"を希望するわ」 「……家の父さんみたいに"母さん"って呼んでダメ?」 「そこまで私達は老いているわけではないし、違和感があるわね……」 「だったらさ、きょ、響子さんでいいかな?」 「それにしましょう。ねぇ、あなた……」 「ん、なぁに?」 「これから家族と離れ離れになるけれど、あなたは寂しくないの?」 アメジストの瞳が僕を捉えて離さない。 「寂しくないって言えばもちろん嘘になるよ。けれど、離れ離れになっても心は繋がっているって確信が持てたから怖くはないさ。それに……」 「それに?」 「家族なら響子さんや学園長のお義父さんがいるじゃないか。嬉しいことも悲しいことも分かち合っていくつもりだよ」 「私たちが立ち向かうのは天災に匹敵するのよ?」 「それでも僕は前に歩き出せるよ、隣に大切な君がいるから」 「……夫のクセに生意気ね」 「手厳しいなぁ……。それで、どうすれば機嫌を直してくれるのかな?」 若干頬を膨らませている姿に苦笑していると、掛け布団を鼻のところまで引っ張り出した。 そして何やらモジモジとしながら何かを言っているがうまく聞き取れない。 なので、顔を寄せてみると――。 「……して」 「えっ?」 「……だから、キス、して。……まことちゃんの方から」 「キ、キスゥゥゥ!?」 「してくれたら許してあげる……」 謝罪の要求っていうより"おねだり"って言った方がしっくり来るような仕草。 そう考えると仮想の夫婦っていう表現も、子供の頃にやったママゴトの延長じゃないのかなって思った。 きっと霧切さんはあの頃の気持ちが本物だったのかを確かめたくてこんなことを――。 「いいよ……」 だから、僕に出来ることはとことん付き合ってあげるくらいしかできないから――。 そっと彼女の両頬に手を添えて引き寄せる。 力を入れて引っ張ったわけではないけど、磁石が引き寄せられるように僕らの顔が近づく。 そして――。 「……っ」 霧切さんの額にそっと唇を押し付けて離す。 様子を伺うと"これだけなの?"とジッと見つめて首を傾げてくる。 あぁ、もう――! 「……んっ、んんっ……!」 左右の両頬に唇を押し当てる。 触れる瞬間、わざと吸い付くようにして音を出す。 "これで満足かな――?"って唇を離し見つめていると今度は僕の両頬が掴まれる。 すると――。 「んっ、ん……ふ」 「ん、んぅ……んんっ!」 霧切さんが僕の唇を吸い付くというより貪ってくる。 果たして目の前の光景が本当に現実なのか信じられず、野暮だとわかりつつも目を見開いてしまう。  「……ぷはっ!」 「ふふっ、おやすみ。まことちゃん……」 僕の心臓の音でも聞くかのように僕の胸に顔を押し当ててくる霧切さん。 そのすぐ後に規則正しい呼吸が僕の胸をくすぐる。 何だか耳の穴から蒸気が噴出しそうなくらい顔が真っ赤だと思う。 でも、それくらい興奮していると同時に不思議とすごく安心っていうか、落ち着く気持ちになる。 今まで一度も味わったことのない感覚に戸惑いながら僕も無理矢理目を閉じて眠ることにした。 明日は学園長との最終面談があるっていうから寝坊も出来ないし――。 ――――― 玄関で靴を履いている時だった。 「響子ちゃん。はい、これ」 「これは……?」 「誠君の好きな献立のレシピ。シェルター生活だから自炊も必要でしょう? 何かの足しになるといいけど……?」 「いえ、とても参考になります。ありがとうございます……!」 霧切さんが母さんからA6サイズのノートを受け取り、大事そうに胸に抱える。 すると母さんが霧切さんにそっと耳打ちしている。 はて、何を吹き込んでいるんだろうと疑問に思っていたら父さんからも何かを差し出された。 「ほら、昨日撮ったやつをプリントしておいたぞ。持っていきなさい」 「ん、ありがとう……」 「学園長の仁さんにもよろしく言っといてくれ」 「もちろんだよ」 ショルダーバックに仕舞うと今度は妹が霧切さんと抱き合っている。 30秒くらいが過ぎるとお互いゆっくりと離れた。 「それじゃ、しばらくのお別れになるかもしれないけど……」 『いってきます』 『いってらっしゃい』 僕らはいつものように挨拶をして家を出る。 いつ"ただいま"って言えるのかわからないけれど――。 玄関のドアを閉めて空を見上げる。 暗雲が立ち込めるって表現がピッタリのような曇り空が広がっている。 「……どうしたの?」 「込み上げてく思いに泣きそうな自分と必死に戦っているんだ」 「そう、負けないで……」 強く目蓋を閉じる。 そしてカッと目を見開くと同時に一歩を踏み出す。 もう動き出した以上、立ち止まってなんかいられないんだ僕らは――。 ――――― 学園長がリモコンのボタンを押すと三脚に固定されたカメラの録画ランプが点灯する。 「苗木君。前回と同様、先に言っておくがこの面談の様子は録画させてもらうよ」 「はい……」 「この映像はある意味、契約書代わりだが……君らを信用してない訳じゃない。ただの保険だ、だから気にしないでくれ」 「そのつもりです」 「では、さっそく本題に入ろうか。苗木君、君はこれからの一生を、この学園内だけで過ごす事になるかもしれない。……それを了承してくれるか?」 「……はい」 「すまんな、こんな思いをさせて」 「いいえ、後悔はしません」 「だが、君がこの学園にいる限りは私が全力で守ってみせる。希望ヶ峰学園の学園長として、それだけは約束しよう……」 そう言って学園長はもう一度リモコンのボタンを押すと、カメラの録画ランプが消えた。 「……ありがとう。君が同意してくれて本当に助かる」 「そんな大袈裟な」 「本当に、ありがとう」 「あ、頭を上げてくださいよ学園長……」 「さっきのは希望ヶ峰学園の学園長としてだったが、これからは一個人。霧切仁としてこのメッセージを聞いてほしい……」 ――――― 学園長室の扉を開けると壁にもたれ掛かるように霧切さんが立っていた。 「……遅かったわね」 「あれ、先に面談を終わらせた筈だよね?」 「あなたを待っていたの」 「そっか……。それで、僕に何の用かな?」 「おば様から貰ったレシピで料理をしてみたけど、その味見をしてほしくて……」 「いいよ。それじゃ行こっか」 そう言って霧切さんの隣を歩き、寄宿舎へと戻る。 彼女の横顔を何となく眺めていると先ほどの学園長との話を思い出す――。 『元・父親として言えた身分ではないが、娘の響子をよろしく頼むよ』 『学園長……』 『あの娘を守ってくれ、とまでは言わない。支えてやってほしい』 『……そのつもりです』 『ありがとう。私も君みたいな子と娘が巡り合えたことにすごく感謝しているよ』 『そんな……』 『どうしてもあの娘は家の"誇り"にこだわり過ぎるところがあった。私の父が"誇り"を守ることを教えても、"絆"を守ることは教えてなかったから心配だったんだ……』 『"絆"を守る、ですか?』 『そうだ。入学当初は探偵であることにこだわり過ぎて私もあの娘が家族を持てるのか悩みの種だったんだ』 『あ、それわかります。出会った頃は氷の壁を張っているような近寄りがたいイメージがありましたし』 『けれど苗木君。君と一緒にいるようになってからあの娘は自然に笑えるようになり、人の温かさを思い出すことが出来た』 『そうなんですか……』 『あの娘のアイデンティティにまで影響を及ぼす君なら、娘を託しても大丈夫かなって思ったりもしたんだ。幼い頃に出会っていたのも、学園に入学出来たのも偶然じゃなく、運命だったりしてな……?』 そうかもしれません、なんて二人で苦笑していたけど「……君。苗木君?」うぉっ!? びっくりした――! 「? どうしたの? 私の顔をジッと見ていて……」 「いや、その、母さんが出発前に霧切さんに何を吹き込んでいるのが気になってさ……」 「あぁ、あの時の……」 「それで? 母さんは何て言ったの?」 「……苗木君をよろしくお願いします、って」 「えっ!?」 「これから長い付き合いになるんだからしっかりしてね、ま・こ・と・ちゃん?」 「あっ、待ってよ!」 霧切さんは嬉しそうに競歩で僕を追い抜いて前を行く。 僕も遅れないよう駆け足で彼女の後を追った――。 こうして人から人へ託されていく。 思いも、夢も、そして希望も――。 だから僕らはこの先に幾多の困難や絶望が待っていようと、決して屈してはいけないんだ。 For Faith――.

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