kk15_32-37

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 ― ― ― ― ― 「はい、えーと、ただ今担当の者に繋ぐので…」 「苗木、それ終わったら昼休憩、行こ?」  朝日奈さんに了解のサインを送り、内線を繋いで受話器を置く。  ちょうど区切ったかのように、コール音がひっきりなしに響いていた部署内に、ようやく平穏が訪れる。  朝日奈さんに頭を下げられ、僕は現在彼女の部署に助っ人として臨時配属されていた。  食糧配給の輸送でトラブルがあったらしく、今週の分の食料がまるまる届かない地域が出てしまったらしい。  誤情報の発見が早かったため、今日の午後には無事届くことになっている。  それでも午前のほとんどは、ひっきりなしにかかってくる苦情の電話の対応に追われてしまった。  思いっきり伸びをすると、背骨が景気よくポキポキと鳴る。  ずっと電話口に頭を下げ続けていたせいで、上半身が悲鳴を上げていた。 「いやー、お腹減ったなぁ。今日の日替わりランチはー、っと…」  僕を尻拭いに巻きこんだ張本人の朝日奈さんは、そんな僕を他所に、快活な笑みを浮かべている。 「こんな大変な事になってたなら、前以て教えておいてくれても…」 「まーまーいいじゃん! それよりご飯だよ、ご飯! あ、お金借りてもいい?」 「…僕、今日は非番だったはずなんだけど」  彼女の眼は、日替わりの焼き肉定食に釘付けになっていた。  最近厚さの心許ない財布を取り出す。  給料日は今週の末。  彼女に貸すのであれば、今日も僕の昼食は素うどん一杯になりそうだ。  はあ、と、彼女に聞こえないように溜息を零す。  いや、そりゃあ断ったって良かった件だし、恩を着せるつもりもないんだけれど。  もう少し罰が悪そうにしてくれても、罰は当たらないと思う。罰は当たらないと思うんだ…! 「ほら、困った時はお互い様でしょ」 「それ、こっちが言う台詞じゃないかな…っていうか、朝日奈さんがこっち手伝ってくれたこと、あったっけ」 「あ、あはは…」  乾いた笑いを浮かべて、朝日奈さんは目を泳がせる。 「そこは、ホラ…霧切ちゃんとデートさせてあげたってことで、ちょっとオマケしといて、ね?」  心臓が嫌な跳ね方をした。  つい先日、喧嘩別れしてしまったばかりの相手の名前だった。  霧切さんは、あの絶望の学園を乗り越えてきた仲間の中でも、僕にとっては特に大きな存在となっている。  幾度も裁判で助けられ、仲違いもして、お互いの心の傷をさらけ出した、そんな相手だ。  自惚れかも知れないけど、彼女にとっての僕も、けっして小さな存在ではないと思っている。  そんな霧切さんが、誰かを誘って遊びに行く―――気になってしまったのは、野次馬根性の好奇心のせいだけじゃない。  そうして必要以上に詮索を入れてしまった結果、その機嫌を損ねてしまったのだ。  いつか怒らせてしまったように、完全に無視されるということはなかった。  ただ、例えば目が合ってもすぐに視線を逸らされ、話しかけてもそっけない返事ばかり返される。  会話の続けようがない分、ある意味無視されるよりも虚しさを感じてしまった。  そういえばあのチケットは、朝日奈さんから貰ったと言っていたっけ。  だとしても、霧切さんが誘った相手は僕では無い。  チケットの予約日は、いずれかの日曜になっていたはずだ。  霧切さんは他の誰かを誘って、デートしていたということになる。 「…苗木?」  ふと我に返る。思索に耽って、ぼーっとしてしまっていたようだ。  見れば、朝日奈さんが心配そうな目で、顔を覗き込んでいた。  ちょっと、いや、かなりその距離は近い。  健康的なその肢体が、なんというか、無防備な位置に。  ふわり、と鼻に石鹸の香りが届いて、思わず身じろいでしまう。 「考え事? …なんか、難しい顔してたけど」 「いや、何でもないんだ…ゴメン。えっと、千円札でいいかな」  そう誤魔化して、ポケットから財布を取り出そうとしたところで、 「……」  無言の圧に気が付いて、咄嗟に振りかえった。  僕に続いて、朝日奈さんも振り返る。  般若の如く顔をしかめた、スーツ姿の霧切さんが、そこに立っていた。 「あ、霧切ちゃん! 一緒にお昼食べない?」  モノクマ顔負けの殺気に気が付いていないのか、朝日奈さんは朗らかに提案する。  清涼剤の如き彼女に、霧切さんは背筋も寒くなるような作り笑顔を向けた。 「…申し訳ないけれど、朝日奈さん。苗木君を借りていいかしら」  悔いの残る人生だった。  「え? い、いいけど…あ、待って、やっぱりダメ! 苗木に焼肉定食のお金を…!」  この時ばかりは、彼女の食い意地にも感謝する。  けれども霧切さんは朝日奈さんの制止を意に介さず、コートの内に手を入れる。 「…これで足りるわね。返さなくていいから」  数枚の紙幣を、彼女の胸元に迷いなく押し付けた。  僕も朝日奈さんも、言葉を失う。 「え、あの、霧切ちゃん…」 「そういうことだから、借りていくわよ」  問答無用、といった感じで、彼女は僕の袖を力強く引っ張る。  どうやら僕本人の意思は尊重されないようだ。  かといって、今の霧切さんに逆らうことも出来ず、僕は半ば引きずられるように食堂から遠ざかる。  思い切りの良さは彼女の魅力の一つだけれど、今はただそれが恐ろしかった。 「…霧切ちゃん、男前だなぁ…」  ― ― ― ― ―  使われていない簡易会議室に僕を押し込めると、霧切さんは後ろ手にその鍵を閉めた。  扉を背に立たれたことで、僕は逃げ場を失う。  霧切さんは明らかに苛立っている。  苦々しげに眉をひそめ、服の裾を握りしめて、忙しなくどこかを睨み据えているのである。  きっと先日の、僕が彼女のプライベートを嗅ぎまわるようにしてしまった件を怒っているに違いない。 「霧切さん、その…ごめn」 「―――随分と、朝日奈さんに鼻の下を伸ばしていたわね」  先手必勝、とばかりに繰り出した謝罪は、その前に想像だにしていなかった言葉で遮られる。  何を、と顔を上げると、霧切さんはふいと目を逸らした。 「苗木君って、女の子だったら誰でもいいのかしら…?」 「…あの、霧切さん?」  何のことか、と尋ねようとした僕の意図をくみ取ったのか、キッと眉を吊り上げる。 「…詳しく解説して欲しいの? 貴方はさっき、近づいてきた朝日奈さんの胸部を…」 「うわぁああ! い、い、いらないです! 詳しい解説、止めて!」  学級裁判中は幾度もお世話になった、探偵の観察眼というやつだった。  慌てて遮る。  鍵を閉めてはいるけれども、朝日奈さん本人に聞かれたら漏れなくビンタをお見舞いされるだろう。  違うんだ。違くはないけれど、違うんだ。  アレはいわゆる男の本能という奴で、近くに大きなものがあればそれを見てしまう心理というか。  とにかく、邪な気持ちで朝日奈さんを見ていたワケじゃ、けっしてないんだ…! 「もしも、次にあんなセクハラ紛いの行いを見かけたら…」 「み、見かけたら?」 「……、…もれなく、課の女性全員にバラすから」  考え得る限りで、最も恐ろしい罰だった。  つまり氷の女王は、僕のセクハラを糾弾しに来たということらしい。  用事というのは、それだったのか。  久しぶりに彼女と話すことができて、その内容がこれか、と、僕は二重に落ち込んだ。  それでも少なくとも、今回は見逃してもらえるらしい。  その温情だけでも良しと捉えよう。  どんな時でも前向きであることは、僕の数少ない長所なんだから。 「…でも、苗木君」 「…なんでしょうか」 「……女の子なら誰でもいいというのなら、…私でも、いいのかしら」  突拍子もない質問だった。  いや、別に女の子なら誰でもいい、だなんて思ったことはないんだけれど、そんな突っ込みどころは置いといて。  軽蔑の視線か侮蔑の言葉か、とにかく追い打ちを覚悟していた僕は、言葉の意味が分からず顔を上げる。  霧切さんは相変わらず、僕から視線を逸らしていた。  ただ、僕はそこでようやく気付いた。  顔を背けて、僅かに露わになった彼女の耳元が、熱でもあるかのように真っ赤だったことに。 「…答えなさい」 「…その、質問の意味がよく分からないんだけど」  じとり、と睨まれる。こちらの非を追求するような視線。  いや、そんな目で睨まれても、分からないものは分からないのだ。  しばらく視線が交差して、先に根負けしたのは霧切さんだった。  軽く息を吐いて、彼女は髪をふわりと散らす。 「……そうね。貴方相手に、変化球は悪手だったわ」 「いや、あの…?」 「そもそも私の方も、回りくどいのは苦手だったのに……、苗木君」  意を決したかのように、改めて僕を呼んだ。  彼女に名前を呼ばれると、どうも背筋に緊張が走ってしまう。  それは例え彼女がじと目で僕を睨んでいても、耳が真っ赤になっていようとも、同じことだ。  困惑しながら緊張する、という器用な真似をしている僕の眼前に、  霧切さんは、見覚えのある二枚のチケットを突きつけた。 「…次の日曜日、私と一緒に、…ここに行ってくれないかしら」  緊張は解ける。代わりに、困惑は深まるばかり。  チケットは、確かに彼女が朝日奈さんから貰ったと言っていたものだった。  彼女が日曜にデートをしていたのなら、これはもう使用済みのはずじゃないのか。  それ以前に、この状況。  セクハラを糾弾されたかと思ったら、いつの間にか遊びに誘われていた。  何を言っているのか分からないと思う。僕にもよく分からない。 「…えっと」 「言っておくけど、拒否権は無いわよ。朝日奈さんへのセクハラをバラされたくなければ…」 「いや、断るつもりはなくって」  口早に詰める彼女に、その意図が無いことを伝える。  それよりも先ず、僕と彼女の間に在る情報の齟齬を確認しなければ。 「その…僕でいいの? せっかくのペアチケットなのに」  もっと良い人と行っても、と続けようとしたのだが、霧切さんはそれを柔らかい拒絶と受け取ったらしい。  目に少しだけ、悔しそうな色を浮かべた。 「じゃあ、どうすればいいの…?」 「え?」  小さな声で、ぼそりと漏らす。 「だから、その…」  耳だけじゃなく、霧切さんは頬まで真っ赤になった。  心なしか、目も潤んでいるように見える。  ずっとスーツの裾を握っている手は、苛立ちではなく不安の表れなのだと、その表情が語っていた。  しばらく言葉を探すように逡巡していたけれど、上手く見つけられなかったようで。  半ばやけっぱちになったかのように、霧切さんは赤い顔のまま、囁くような小さい声で、 「…苗木君と仲直りするには……私は、どうすればいいのかしら…」  そんなことを、言ったのだ。  今度は僕が赤面する番だった。  普段の、というか先程までの冷たい表情とのギャップもあって、それは凄まじい破壊力だった。  ようやく理解する。  彼女が顔を赤らめていたのは、怒りや熱ではなかった。恥ずかしがっていたのだ。  だってこれは、あの学園生活から通して初めての、彼女からの仲直りとデートの誘いだったのだから。 「…お、怒ってないの?」 「私が何を怒るというの?」 「いや、だって、…僕が霧切さんのプライベートを漁るような真似をしたから」  頬を染めたまま、む、と霧切さんが顔をしかめる。 「…それは、私の稼業への皮肉と捉えていいの…?」 「ああ、ゴメン、そうじゃなくって…!」  だとするなら、と僕は推理する。  もしかして、彼女は最初から僕を誘おうとしてくれていたんじゃないだろうか。  最初から怒っていたわけではなくて、僕を誘うタイミングを逃して、それでずっと不機嫌だったのか。  それならば、朝日奈さんのあの発言も頷けた。  朝日奈さんが送ったペアチケットは、最初から僕と霧切さんに宛てられたものだったのだ。  そんな僕の納得を他所に、霧切さんは俯く。 「…喧嘩するほどの仲になった相手なんて、あまりいなかったから」  勝手が分からないのよ、と、霧切さんは微かな声で続ける。  ペアチケットを差し出した手が、微かに震えている。  怖いのだろうか。  初めての仲直りだ、だとすれば、もし僕が許さなかったらという怖さがそこに在るはずだ。  いや、そもそも僕は怒っているわけじゃないから、許す許さないの選択肢なんてないのだけれど。  そう考えると、その震える手が可愛く思えてしまう。  恐怖を感じないわけではなく、それを表に出さないのが上手いだけ。  いつか彼女がそう言っていたのを思い出した。  表に出さないのが上手いんじゃなくて、表に出すのが下手なんじゃないだろうか。  等身大の少女の一面を見て、不意に温かい気持ちになった。 「じゃあ、その…お願いします」 「ええ…こちらこそ」  差し出されたチケットを手に取る。  そこでようやく安心したのか、霧切さんは小さく息を吐いた。  こうして、僕と霧切さんの何度目かの仲違いは、彼女の初めての仲直りとともに幕を下ろした。 「……けどさ」  一つだけ、疑問というほどには小さすぎる違和感が残っている。  朝日奈さんへのセクハラ事件のくだりは、すなわち僕に仲直りを切りだすためのクッションだったということになる。  ともすれば、あの時の霧切さんの般若の如き殺気は何だったのか。  けっして、僕の行為だけに向けられる怒りには収まっていなかった気がする。 「…別に、何でもないわ」  僕が追及すると、霧切さんは気まずそうに俯いた。 「……ただ」 「ただ、何?」 「…少し、柄にもなく焦っただけよ…朝日奈さんと…」 「焦ったって、何が…?」  ごにょごにょと口籠り、要領を得ない彼女の問いに、更に僕は詰め寄って、それからすぐ後悔した。  結果的に誤解だったとはいえ、こうやって詮索する癖のせいで、僕も彼女も嫌な思いをしたはずなのに。  そんな僕の内心を知ってか知らずか、霧切さんは再三のじと目。 「……苗木君のクセに、ナマイキよ」 「え?」 「…集合は現地、朝の十時。繰り返すけれど、拒否権は無いわ。…用は、これだけだから」  断ち切るように口早に、霧切さんは言い捨て、顔を隠すように背を向けた。  そうして扉を開け、廊下に出ると、まだ僕が残っているというのに外側から鍵を掛けてしまった。  取り残された会議室で、それが彼女なりの照れ隠しだったのか、惚気た頭で僕はしばし考えていた。

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