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「いい雰囲気のお店ね」
「気に入ってもらえたようでなによりだよ」
10月6日。霧切さんの25歳の誕生日を祝うために、ボクは彼女を食事に誘っていた。
「でも大丈夫なの? ホテル最上階の高級レストランなんて、かなり値が張ると思うのだけれど」
「誕生日のお祝いなんだから気にしなくていいよ。お金もちゃんとあるし」
「そう……なら、いいけど」
「それじゃあ、乾杯しようか」
「ええ」
ワインの注がれたグラスを持って、互いにそれをゆっくりと近づける。
「誕生日おめでとう、霧切さん」
「ありがとう、苗木君」
ボクの言葉に微笑む彼女。小気味いいガラスの音が響くとともに、ボクの心臓も早鐘を打ち始める。
……やっぱり、霧切さんの笑顔は素敵だな。
ボクと彼女は、同じ希望ヶ峰学園の卒業生。1年生の時に出会って少しずつ仲良くなり、3年生の時にボクが告白して付き合い始めた。
卒業後は、ボクは大学に進んで勉学に(それなりに)励んで、どうにか新卒で就職することができた。その間、霧切さんは敏腕探偵として活躍していたようだ。
……交際すること約6年。仕事の方にも慣れてきて、今の職場でやっていく自信もついた。
だから――
「苗木君? 手が止まっているけれど……お腹、すいていないのかしら」
「い、いや、そうじゃなくてさ。こういう雰囲気のところ初めてだから、緊張しちゃって」
「ふうん」
慌てて料理を口に運ぶボクに対して、霧切さんは探るような視線を向けてくる。うう……なんだか考えを見透かされそうで怖いなあ。
「ぼ、ボクちょっとトイレに行ってくるよ」
追及を恐れて、思わず席を外すという行動をとってしまった。一度言った以上取り消すわけにもいかないので、とりあえず男性用トイレまで足を運ぶ。
「……なにやってるんだろう」
手洗い場の鏡には、満足に気持ちを伝えることもできないヘタレの顔が映っていた。
つくづく己の踏ん切りの悪さを痛感する。もっとこう、たとえば大和田クンみたいに男らしくいけないものだろうか。
「すー、はー」
深呼吸して、ひとまず心を落ち着かせる。
……自惚れじゃなければ、ボクたち2人の関係は良好そのものだ。十分に時間をかけてお互いのことを知り、ここまでやってきた。
「今さら尻込みしたってしょうがない」
後戻りはできないと自分に言い聞かせ、男子トイレから通路に出たところ。
「あら、苗木君ではありませんか」
「え?」
いきなり声をかけられたので振り向くと、そこにはボクのよく知る人物が立っていた。
「セレスさん!」
「ごきげんよう」
セレスティア・ルーデンベルク――本名は安広多恵子さん。希望ヶ峰学園時代のクラスメイトで、超高校級のギャンブラーという肩書きを持っていた女性。卒業後も毎年行われている同窓会で顔を合わせてはいたけど、こんなところで出くわすとは思いもしなかった。
「どうしてここに?」
「このレストランはわたくしのお気に入りなのです」
なるほど、そうだったのか。確かにセレスさんが好みそうな雰囲気のお店だけど。
「そういう苗木君は……霧切さんとのお食事中でしょうか」
「えっ……どうしてわかったの!?」
「一番確率の高そうな選択肢を選んだだけですわ。あなたがこのような場所にひとりで来るとも思えませんし」
ボクと霧切さんが恋人関係にあることは、同窓生には周知の事実だ。学生時代から付き合っていたのだから当然かもしれないけど。
「そろそろ婚約してもおかしくない時期かと思いますが」
「あ、あはは……それは、まだなんだよね」
「あら、そうでしたの。ですが、まったく考えていないわけでもなさそうですわね」
「……すごいね、セレスさん。ボクの事情が筒抜けだ」
「エスパーですから」
「それは舞園さんのセリフだよ」
「そうでしたね」
口に手を当てて、上品に笑うセレスさん。成人して月日を重ねたことで、こういった仕草がさらに似あうようになった気がする。
「プロポーズするのなら頑張ってください。元クラスメイトとして応援しますわ」
「ありがとう、セレスさん」
うん、なんだか勇気が湧いてきた。この気持ちが消えないうちに、早く霧切さんのところに戻ろう。
「………」
「セレスさん? どうかしたの?」
「いえ……婚約前ということは、まだ苗木君はフリーということでよろしいのですよね」
「え? まあ、籍も何も入れてないし独身なのは間違いないけど」
「それなら、今のうちにやっておきましょうか」
何を、と聞く前に、ボクはその答えを知ることになった。
「んっ……」
セレスさんの唇が、ボクの頬に触れている。柔らかい感触が、すごく刺激的だった。
「って、ええええっ!!」
あまりに予想外な行動に思考が追いつかず、驚くことができたのは彼女がボクと距離をとってからだった。
「せ、セレスさん? なんで……」
「心配なさらずとも結構です。わたくしは、もうあなたのことは諦めていますから。今のは決別のようなもの……」
それってやっぱり……そういうこと、なんだろうか。
「プロポーズ、うまくいくといいですわね」
そう言って微笑むセレスさんの表情は、なんだかぎこちなくて、どことなく寂しそうに感じられた。
「遅かったわね」
「うん……ちょっとね」
セレスさんと別れ、心が落ち着かないまま、ひとまずテーブルまで戻ってきた。あまり霧切さんを待たせるわけにもいかないからだ。
「顔が赤いわ。大丈夫?」
「そ、そうかな? 特になんともないんだけど」
「ひょっとして、女性に口説かれでもした?」
彼女としては、なんでもない冗談のつもりで放った一言だったのだろう。
ただ、その微妙に的を射ているようで射ていないような言葉は、もともと揺らいでいるボクの心を刺激するには十分すぎた。
「………」
いろんな感情がないまぜになって、言葉が出てこない。そんなボクの沈黙を妙だと感じたのか、霧切さんの目がすっと細められる。
「……顔が赤いのは、女の人に迫られて興奮したから?」
「え!? いや、その、あの」
「何があったのか話してくれるかしら」
「べ、別に何かあったというわけじゃ……」
「ねえ、苗木君。私はあなたの正直な性格をとても評価しているの。だから……ね?」
張り付いた笑顔がとても怖い。霧切さんのこんな表情を見たのは、学生時代に部屋の中に隠してあった『男のロマン』を片っ端から発掘された時以来だろうか。
……よく見ると、霧切さんの顔も少し赤い。おそらくワインによるアルコールがまわってきているのだろう。ぐいぐい問い詰めてくるのは酔っていることと関係しているのかも。
なんにせよ、ここは正直に話すしかなさそうだ。
「……トイレからの帰りに、セレスさんに会ったんだ」
「セレスさんに?」
意外な人物の登場に、霧切さんは少し驚いた様子を見せた。
「うん。たまたまこの店に来てたんだってさ。それで、ちょっと話して」
「話して?」
「別れ際に……頬にキスされたんだ」
「……っ!」
大きく開かれる彼女の目を見て、ボクもあの時こんな顔をしてたのかな、なんてことを考えた。
「でも、セレスさんはボクのことをもう諦めたって言ったんだ」
「……そう。そういうこと」
「これって、やっぱり……」
「あなたの考えている通りだと思うわ。事実、彼女は在学中にもそういう素振りを見せていたし」
「そうなの?」
「ええ。あくまで私の推測だけれど」
そこまで言って、霧切さんはグラスに残っていたワインを飲み干した。
「……キスされて、うれしかった?」
「え?」
「セレスさん、美人だから」
そう尋ねる彼女の声はいつもより弱々しく、顔もうつむき気味だった。
「ボクは、霧切さんとのキスが一番好きだよ」
だから、ボクはその問いに対してきっぱりと答えてやった。
彼女がハッと顔をあげ、続いて申し訳なさそうな表情になる。
「……ごめんなさい。変なことを聞いたわ。せっかくあなたが誕生日を祝ってくれているのに、こんなムードにしてしまって……馬鹿ね、私」
「そんなことは――」
「私はね、苗木君。あなたと一緒に過ごす時間が、とても心地良いのよ。だから、あなたのことになると欲張りになってしまう。ちょっとしたことで嫉妬してしまう。……まるで子供ね」
自嘲的な笑みを浮かべる霧切さん。彼女がこういった弱い部分を見せることは滅多にない。
滅多にないからこそ、きちんとフォローするのが彼氏の役目だ。
「でもボクは、そういうところを含めて君のことが好きなんだ。いや、そういうところがあるからこそ、かな」
「……どういう意味?」
「もし霧切さんがクールなだけの完璧な人だったら、多分ボクはここまで君のことを好きになっていなかったと思う。意外な弱点があったり、たまに子供っぽいところを見せたり……そういう可愛らしいところも、好きになった大きな要因な気がするんだよね」
こういうことを本人の目の前で語るのは、なかなか恥ずかしいし勇気もいる。
なので、勇気を出したついでにやるべきことをやり切ってしまおう。
セレスさんも応援してくれたんだ。ここで決めなきゃ男じゃない。
「霧切さん。これ」
背広のポケットから、小さな青いケースを取り出す。
「受け取ってほしいんだ」
蓋を開けて中身を見せた瞬間、彼女は息を呑んだ。
「これは……!」
「びっくりした?」
「……ええ。レストランに入ってからのあなたの様子を見て、何かあるとは思っていたけれど……完全に、予想外」
そう語りながら、銀色に輝く指輪を見つめる霧切さん。ここまで来たら、ボクにできることはただひとつ。
「ボクと、結婚してください。幸せにします」
いろんなセリフを考えたけど、結局はシンプルなところに落ち着いた。ボクと彼女の間で、気持ちを言葉で着飾る必要はないと思ったから。
「……うれしい」
そして彼女の返事も、素朴で純朴で、だからこそ感情が伝わってくる、そんな言葉だった。
「すごくうれしい。あなたにそう言ってもらえて、幸せよ。だから……喜んで、受け取らせてもらうわ」
「ありがとう」
受け入れてもらえて、本当によかった。正直今、ものすごくほっとしている。
「手袋のサイズ、少しだけ調整しなくちゃいけないわね」
「別にずっと着けてなくてもいいんだよ? たまに2人きりの時だけ見せてくれれば」
「心遣いはありがたいけれど、私はずっと嵌めておくつもりよ。これは、私があなたのものであり、あなたが私のものであるという証だから」
満面の笑みを浮かべる彼女につられて、ボクもどうしようもなく頬が緩んでしまう。
「式の段取りとか、いろいろ決めなくちゃいけないね」
「そうね。親族への挨拶も必要だし――」
……必ず2人で幸せになろう。そう誓った夜だった。