あなたの隣で 5章 探偵 苗木誠

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新たな生活も落ち着き、響子はしばらく休業していた探偵の仕事を再開した。かつてのように誠と二人でこなしていたが、昔と違うのは誠が助手ではなく響子と同じ探偵であること。 しかも、響子が思っている以上に誠は腕の良い探偵となっていた。   初めて一緒に仕事をした日、依頼の内容は密室殺人事件の解決だった。響子は時々調べて分かったことを口に出すものの、それをどういう風に考えて事件を解決に導くかは、 ほとんど誠に任せていた。探偵になって、活動もしていたという誠の実力を見てみたかったのだ。  事件の被害者は男性で、彼は鍵のかかった部屋のベッドの上で胸をナイフで一突きにされて絶命していた。第一発見者は被害者の友人である男性と女性の二人だった。 被害者には家族がなく、二人が一番親しい間柄だったらしい。 彼らが被害者の部屋を訪れた際には鍵はかかっており、事前に連絡を取っていたというのに全く反応が無かった為、二人は不審に思った。そして、アパートの管理人に頼んで鍵を開けてもらい、 二人が部屋に入ったところで被害者の死体は発見された。これが事件の大まかな詳細である。警察は密室の謎が分からずお手上げ状態に陥ってしまった。 そんな警察に我慢ならず、被害者の友人である女性が響子に依頼を出したのだ。しかし、その依頼は響子が今まで受けてきたものと同様に、さほど難しいものではなかった。  ◇◆  誠と響子は殺人現場であるアパートの一室に来ていた。玄関を入ってすぐ廊下が左側と前方の二方向に伸びている。左側へ行けば書斎があり、前方を行けばリビングがあった。 その奥に被害者が殺害されていたベッドのある寝室は位置していた。アパートと言っても全体的にかなり広めで、新築のような印象を受ける。 事件発生からしばらく経っているため、死体こそは無いが現場はその時の状態をほとんど保存されたままだった。また、現場を調べると同時に話を聞くため、 被害者の友人である男性と女性を響子は呼び出していた。 「彼は日本料理が好きでしたか?」    誠はキッチンを調べている際に、珍しいものを見つけて女性に尋ねた。 女性からすれば、その質問は前触れもなく事件にも関係のなさそうな内容だったので彼女は不思議そうな顔を誠に向けつつも丁寧に答えてくれた。 「いいえ、彼はあまり外国のことには詳しくないし……アジア圏は特に、違いもあまりわかってなかったくらいですから、 日本料理が特別好きっていうこともなかったはずです。それが事件に何か関係が?」 「はい。ちょっと気になることがあって。ちなみに彼はアルコールには強かったですか?」 「まったく強くなかったです。お菓子とかに少しでもアルコールが入っているものを食べただけで、必ず寝てしまう程ですよ…… だからアルコールが入ってるか知らずに飲むか食べるか以外には彼がお酒を口にすることは、ほとんどありませんでした」 「そうですか。じゃあ、これについて何か知っていることは?」  誠がキッチンで見つけた珍しいものとは、奈良漬だった。 特別、日本料理が好きなわけでもなく、お酒もかなり弱いという人間の家にあるというのは少々不自然なものだ。 「何ですか? その茶色いものは……ドライフルーツ?」 「いえ、これは日本の昔ながらの食べ物なんです。極微量ですが、アルコール成分も含まれてて」 「そうなんですか。変ですね……彼がそういうものをわざわざ買って食べるとは全く考えられないんですけど…… あ、でもあの人は日本料理が好きですよ。だから彼なら何かわかるかもしれません」  彼女はもう一人の友人である男性の方に目をやった。誠が促されてそちらに視線を移すと、彼はぼんやりと事件のあった寝室の方を見ているようだった。 彼の様子を見て誠は考える――しばらく時間をおいてから彼には話を聞こうかな。女性から一通り話を聞いた誠は礼を言うと、頭を切り替えた。 そして事前に聞いていた死体に関する話を思い出す。その話によると、死体発見時被害者の身体はまだ温かかったらしい。 被害者の死体発見現場のベッドがある寝室へ誠が移動すると、そこには先に響子が居た。   「誠君、死亡推定時刻をずらすための偽装工作でもない限り、時間の経った死体が温かいということはないわ。 聞いた話だとそんなことが出来るような道具とかはなかったらしいし、このベッドを見てもそういうことが出来るとは思えない」 「ちょうど僕もそれについて考えてたところだよ。犯人はそこまで考えが回らなかったのかもね。それと、ベッドの上で一突きにされていたらしいけど、 争った形跡が一切ないってことは被害者はその時、寝ていたんだと考えられるよね。奈良漬が関係していることは間違いないかも」 「奈良漬?」  予想の範疇に無い物の名前に響子は顔を上げた。それは、ここロンドンで目にすることはおろか、その単語を耳にすることさえ無いに等しいものだった。 響子が眉を顰めるのも無理はない。誠は奈良漬を見つけたことと女性から聞いた話について淡々と響子に説明する。 「さっき、キッチンで見つけたんだよ。被害者は別に日本料理とか好きってわけでもない上に少しでもアルコールを摂取すれば必ず寝ちゃうらしいから、 ほぼアルコールは口にしなかったらしいよ。だから、知らずに食べた後に寝ちゃって、その間に刺されてしまったんだろうね」 「奈良漬だなんて、意外なものが利用されたのね」  依頼を受けた時点で、争ったり抵抗したりしたと思われる形跡は無いという事前の情報を二人は聞いていた。 その情報を得た時点で誠は、被害者の自由が何らかの形で奪われていた可能性を視野に入れていた。そして実際に現場でベッドの様子と不自然な奈良漬の存在を目にし、 友人の女性の証言を聞いてそれらが確実に事件に関わっていると誠は気づいた。  引き続き、ベッドの状態以外に何か不審な点が無いか調べていく。ベッドの横にある木製の引き出しがついたチェストが誠の目に入った。一見事件には関係なさそうだ。 しかし、それでも一応見ておくのが探偵としてのセオリーだ。そして、それが実は事件に関係があったという証拠らしきものを発見することが出来た。 「響子さん、これ見て。この傷、結構新しいと思うんだけど……それこそ事件が起きた頃に付いたような傷に見えるんだけど。どう思う?」  一番左上の引き出しの中を開けたそこには、落ち着きのある赤茶色の塗装に白く細い直線が目立っていた。それだけじゃない。 他の引き出しには物が入っているのに、その引出しだけは空だった。代わりに見つけたのがその傷である。 「……そうね。あなたの言うとおり、最近できた傷だと思うわ。明らかに不自然ね……それと誠君、あなたの足元」 「え?」 「よく見て。薄くて見づらいけど、足跡があるわよ」  響子に言われて、誠はベッドとチェストの間部分を凝視してみる。確かにうっすらと、足跡があった。もちろん誠や響子のものではない。 「よく見つけられたね、こんなに薄いのに。さすが、響子さんだ。でも、犯人の足跡だとは断定できないよ」 「それはどうかしら。この部屋をよく見てみなさい」  誠は素直に響子の言葉に従う。 寝室のドアから入ってまず、左側にはクローゼットがある。ベッドはその正面、ドアから見ると右奥の方にある。そのベッドの右隣に先程の傷を見つけたチェストがあった。 この部屋の家具と言えばこれだけだ。そして、誠はベッドの下も覗き込んだ。 「あ……そういうことか」 「気づいたかしら?」 「うん。大きな見落としをしてたよ。普通、ベッドに近づくとしたらドアから近い方だよね。その証拠にベッドの左側の方に被害者の靴とスリッパが置いてある。 だから、チェストが置いてある方に足跡が付くことはあまり考えられない。警察がむやみに足跡を付けるなんてこともあり得ないし…… つまりチェスト側のこの足跡を付けた人物といえば犯人である可能性が高いね」  少しだけ助言をしたと言っても、見るべきものを見て考えられるべき可能性をしっかりと導き出した誠に響子は満足した。 嬉しいのか、誇らしいのかほんの少しだけ彼女の口角が上がった。 「犯人はチェスト側に来なければならなかった……そしてこの傷は明らかに刃物で引っ掻いたような傷だ……」  誠は響子の視線に気づかないまま、考えを整理し始めた。その横顔はもう立派な探偵のものだと響子は感じた。 「探偵になったんだ」なんて、彼に聞かされた時は驚いたがこの姿を実際に目にすることで響子は本当に探偵としての苗木誠を受け入れることが出来た気がしていた。 そんなことを考えていると、誠は考えがまとまったようで、パッと顔を上げて響子に歩み寄る。 「まだ、不確定要素はあるけど僕の推理を聞いてくれる?」 「ええ、ぜひ聴かせてちょうだい」 「じゃあ話すね。えっと、まず犯人は、アルコールが弱い被害者を眠らせる為に奈良漬を食べさせて、被害者が気づかないうちにナイフをこのチェストに隠したんだと思う。 そして、何らかの口実で被害者自身にこの部屋の鍵を閉めさせベッドへ行くように仕向けたんだ。どうやって仕向けたのかはまだ分からないけどね…… それで被害者が眠ってる間に今度は他の人と訪れて、その時に思惑通りベッドで寝ていた被害者をチェストに隠していたナイフで刺殺。 恐らくナイフを取り出したときに、引き出しに刃が当たって傷が出来たんじゃないかな。あと、この足跡もその時に付けてしまったもの。 大きさから男性の可能性が高いし、考えらえる犯人っていったら彼しか居ないと思うんだけど、どうかな?」 「その推理で良いと思うわ。私も同じように考えていたから」  誠と響子が意見を確かめ合いながら寝室を出ると、誠はふと視線を感じてその方向を見た。被害者の友人である男性が不安そうに見つめていたのだ。 彼は最初、誠と響子のことを凄腕の探偵、と女性から聞かされていたらしく、頭に描いていたイメージに反して誠達があまりに若かったことに驚いていた。 その二人が日本語で話していたのが聞こえて、何を話しているのか気になったのだろう。 「顔色が悪いようだけど大丈夫ですか?」 「あ、ああ……友人を殺されたショックで最近寝付けなくてね。そうだ。悪いんだけど僕はこれから用事があってさ、もう行かなきゃならないんだ。 だから死体発見時とか他の詳しいこととかは、あとは彼女に聞いてくれるかい?」 「えーと……わかりました。じゃあ最後に一つだけ聞かせてください」 「何かな?」 「日本の漬物がここのキッチンにあったんですが、それについて何か知りませんか?」 「え、奈良漬が何か関係あるのかい? 何故聞くのかわからないけど、どうせあいつが生前に興味本位で買ったものだと思うよ。珍しいものはすぐに買いたがる節があったからね」 「わかりました。変なこと聞いてすみません」 「いや良いんだよ。早くあいつを殺したやつを見つけてくれればそれで……あの日は彼女の誕生日だったから、二人でサプライズを考えてたのに……ちくしょうっ……!」 「そうだったんですね……かならずご期待に応えますよ」  相変わらず顔色の悪いままで足早に部屋を出て行った男性の背中を見つめ、誠は呆れたような顔をしていた。 「ねぇ、響子さん」 「何?」 「彼の足見た?」 「当然よ」 「それとさ、僕は漬物としか言ってないのに彼、”奈良漬”って言ってた……ずいぶん迂闊な人だね。それにしてもここの警察ってちょっと頼りないんじゃない?」 「否定はしないわ……それで、どうするの?」 「あとは一応ここの管理人さんと彼女に確認しようと思うよ」  誠は管理人から事件発生以前に男性の姿を見たかどうかを確認し、女性には死体発見は男性と同時に発見したのかを確認した。 いずれも、すでに予想していた通りの回答を得ることができ、最後に誠は依頼主である女性に一言かけた。 「あなたの気持ちを考えると、この事件の真相はつらいと思うのですが……それでも良いですか?」 「……わかりました。構いません。私よりも、殺されてしまった彼の気持ちの方が大事ですから」  その後、あっさりと事件は解決へと至り犯人も警察に引き渡されることになった。 依頼主である女性は、短期間に二度の悲しみに襲われることとなったが、それを必死に隠しながら誠と響子に感謝の気持ちを伝えた。 探偵である二人に、悲しみを帯びた笑顔を向けたところで隠せるわけがないと承知していながらも「ありがとう」と笑って伝えたのだ。   ◇◆ 「本当に探偵として活動してたのね」 「急にどうしたの?」  事件解決後、事務所へ戻って報告書や資料整理など仕事に関することを一通り終えた響子がソファへ座って独り言のように呟いた。 当然誠は不思議そうにしながら、響子の言葉に耳を傾ける。 「あなたが”探偵になった”なんて、言葉だけじゃ信じられなかったのよ。正直似合わないし」 「ははっ……似合わないのは僕も自覚してるよ」 「誠君は教員とか保育士とかしながら子供にもみくちゃにされて、へらへら笑っている方が似合うわ」 「へらへらって……僕そんなイメージなの?」  少し誠が複雑に思いながら尋ねると、響子はクスリと笑って「冗談よ」と目を細める。その横に誠も腰を下ろして一息つく。 ――子供、ね。保育士とかが似合うかどうかはともかく、確かに僕に探偵は似合ってないよな。  響子は隣に座った誠の方に少し体を向けて話しだした。 「今回の事件は……というか依頼のほとんどはそこまで難しいものは滅多に来ないけど、あなたの探偵としての実力を見るには充分だったと思う。 誠君は本当に探偵になったんだって実感できたと言えるくらいには、認めてあげるわ」 「まぁ、君には足元にも及ばないけどね。せいぜい探偵の中でもの平均的な能力って所かな」  いつでも自分を凡人扱いしたがるのは誠の悪い癖だと響子は思った。すでに十神の協力で様々な技能を身に付けた誠は凡人の域をとっくに超えているが、今度は『探偵』としては凡人だと言う。 そんな誠に響子は少し呆れてしまう。そして、今回の誠の働きぶりを思い返しながら反論した。 「そんなことはないと思うけど。捜査の手際も良かったし、小さな手がかりを事件と結びつけられるのも早い方だと思うわよ。誠君はもっと自信を持ちなさい」 「うーん、そうかな? まぁ、そもそも響子さん以外の探偵を知らないから平均自体分からないけどね」 「私が言うのだから信じなさい。それと、相手を気遣いながら聞き込みをする所とかは誠君らしくて良いと思うわ。私は、あまりそういうのは気にしたことがないから…… だから、あなたと私は二人でちょうどいいのかもしれないわね」 「響子さんは、気にしないというわけでもないでしょ。ただ真相の解明の方を優先させるだけで」 「……相手を傷つけるようなことも平気で言うのだから気にしないのと一緒よ」  溜息交じりに言う響子は、まるで誠のようになりたいと言っているようだった。変わらないようでいて、考え方や感じ方など響子もいろいろ変わったということだろう。 実際、昔の彼女と比べればかなり柔らかい性格になったといえるかもしれない。それには少なからず、誠が影響していることは間違いなかった。 「僕が居るから、大丈夫。二人なら大丈夫だよ」 「そうね。頼りにしているわ」  ニコリと笑う誠につられて響子も目を伏せて微笑む。すると無意識だろうか、響子がソファに置いていた左手に誠が右手を乗せて軽く握る。 少しだけ驚きつつ誠を見ると、相変わらず無邪気に笑っている。 「ところでさ、僕って子供に囲まれてるのが似合うの?」 「そうね……なんとなくだけど、問題児とかを手懐けるのが得意そうだわ。実際学園に居た頃はあの人たちと上手く付き合っていたし」  自分でそう言いながら響子の思考が少し過去へ飛ぶ。最悪な学園生活だったが、それさえなければ良い仲間たちだった。 そして個性の強すぎる彼ら全員が、苗木誠という人間に信頼を寄せていたのだから、彼女の言うことはあながち間違いではないだろう。 「ははっ。それだと、みんなが問題児みたいな言い方だね」 「それは違うわ。あなたが素敵な人ってことよ」  その時誠は響子の言葉よりも、目の前の光景に息を呑んだ。一瞬、響子の手を握っていた右手に力が入る。 ふわり、という表現がぴったりなくらいの響子の柔らかい笑顔がそうさせたのだ。毎日一緒に居ても、不意に向けられる彼女の笑顔には誠の耐性が一向に付く気配はなく、 それを目にする度に彼はドキリとさせられていた。 「……響子さんって心臓に悪いや」 「どういうこと?」  響子は誠の言う意味がわからず首を傾げた。それを見て誠は口元がニヤつきそうになるのを抑えながら彼女に迫るように身体を近づける。 そして、かつて響子から忠告された時の状況を再現するかのように、彼女の耳元に口を寄せた。 「響子さんが綺麗で可愛いってことだよ……僕、響子さん似の子供になら囲まれてもみくちゃにされてもいいんだけど……ねぇ響子さん、ここまで言えばわかるでしょ?」 「――っ! な、何を急に変なことを言ってるのよ……まだ籍も入れてないのに」 「あっ、忘れてた。じゃあ、今日の僕の初仕事を労って一つお願い聞いてよ」 「……今度は何かしら」 「子供とか関係なくさ、いつだって僕は響子さんが欲しいんだけど……ダメ?」 「…………」 「響子さん?」 「…………」 「うわ! 響子さん凄く顔真っ赤だよ、大丈夫?」  響子は誰のせいでこんなことになっているのかと、誠を睨みつけるが、耳まで真っ赤にして震えながらの状態では何の効果もなかった。 つい先日、誠のことを「ヘタレのまま」だと響子が思ったのは間違いだったようだ。 「…………バカ」  やっと口を開いた響子が彼から目を逸らしながら放った言葉は、いつも強気な彼女には珍しく、消え入りそうなくらい小さな文句だったが誠にはそれで充分だった。   ――離したくない、離れたくない……愛しいこの人とずっと一緒に居られますように  二人の願いに危機が訪れることなど、まだ誰も知らなかった。 -----

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