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学校の屋上というのは、ドラマや漫画なんかでは割と自由に生徒が入り浸っているけれど、実際には危険を考慮して立ち入り禁止になっている場合も多い。
ボクの母校がそうで、だから高い頻度で青春物語の舞台となるその場所には、今まで一度も足を踏み入れたことはなかった。
この希望ヶ峰学園に来るまでは。
「うわあ、結構高いんだね」
「……」
「見てホラ、あの花壇。上から見るとすっごく綺麗だよ。あれ作った先輩って超高校級の植物学者、だったっけ?」
「……」
「あ、あっちの建物が予備学科かな?行ったことないんだけど、どんな感じなんだろ」
「……」
否。この日までは、だ。
普段から解放されているのは知っていたけれど、風が強い上にベンチ一つ無い無愛想な空間は、お世辞にも居心地の良い場所ではない。
考えることは皆同じ様で、今だってボクらの周りには誰一人いない。
「こうやって見るとさ、ホントに大きいよね、この学校。色んな設備も整ってるし、お店も充実してるし……まあ、流石は政府公認の」
「苗木君」
ボクの言葉を遮って、久々に目の前にいる彼女が口を開く。
今日は幸い風は弱くて、でも彼女の豊かな銀髪は微風に流されてふわふわ揺れている。
柔らかそうなそれとは対照的に、その顔は不本意ながら最近見慣れてしまった浮かない硬い表情。
「あなたはどうして、私をわざわざここへ連れて来たの」
そう。
ボクはその素敵に何もない場所に、彼女を連れ出したのだ。
尤もな疑問だと思う。
「ええと……と、特に深い意味は」
「私を名指しで、場所まで指定しておいて、意味がないわけないわよね」
「……あー、その」
恋人同士とかなら、屋上で二人きりというシチュエーションはとても良く似合うだろう。
或いは天体観測部だとか、はたまた高所愛好家だとか。
だけどボクらはそのどれでもない。
彼女に頼まれた訳でもない。
それでもボクは、どうしても彼女を――霧切さんを、ここに連れて来たかった。
++++++++++
このところ、霧切さんが暗い顔をしていることが多い。
感情を自然に律する人だから、いつも通りの無表情を装ってはいるけれど、普段の凛としたそれではなく、どこか影のある雰囲気で。
思い過ごしかとも思ったけど、何日もそんな調子ではやっぱり気になって。
それとなく理由を訊いても、「別に何もない」とあっさり突っぱねられてしまった。
真剣に理由を訊いてみたら「しつこい」と冷めた態度であしらわれた。
……心に結構なダメージを負った気がする。
洞察力も交渉術も一般人レベルのボクでは推理や誘導尋問なんか出来ないから、早く元気になってほしいと願うだけ。
それなのに日が経つにつれて、彼女の顔はますます沈んでいく。
まあ、彼女は優秀な探偵で、既に多くの事件に関わってきた訳で。
さらに言うと、父親である学園長と何やら確執があるようで。
加えてこの青春真っ只中のお年頃。
そりゃあ、悩みの一つや二つはあるんだろうけど。
あるんだろう、けど。
「なんかさあ…最近、霧切ちゃんって元気ないよね?しょっちゅう溜め息吐いてるし……苗木、何かやったの?」
「いやちょっと何でボクのせいになるのさ」
心外な最後の一言はともかく、あの朝日奈さんにまで心配されるほど感情が表に出ているのは相当だと思う。
「だってさ、霧切ちゃんと一番仲良いのって苗木でしょ?その苗木にも相談できないってことはさ、それはもうズバリ苗木に原因があるからなんだよ!」
「そんなドヤ顔で言われても……別に、何でもかんでも相談してもらえる程親しい訳じゃないよ」
残念ながら。
ボクの方は悩みとか疑問があれば割とすぐ霧切さんに話してしまうんだけど、それはまあ彼女が頭が良くて頼りになる人だからだ。
逆はあまりない。情けないけど、自分が頼りになる人間ではないことはよくわかってる。
「苗木君、気づかないうちに心無い言葉でも言っちゃったんじゃないですか?ダメですよ、女の子は傷つきやすいんですから」
「我はあまり感情の起伏について詳しくはないが…苗木よ、霧切とて女なのだ。年相応の繊細さを忘れて接してはならぬ。だが誠意ある謝罪はきっと届く筈だぞ、健闘を祈る」
「うふふふ…苗木君、こういう場合は殿方の方に責任があると相場は決まっているのです。三行半を叩きつけられるかプライドを捨てて土下座するか、二つに一つですわね。うふふふふ」
「……」
だから何でボクなんだ。
そこから更に腐川さんや江ノ島さんまで現れて、何故か味方が一人もいない状況になっていたので、適当に話を切り上げて帰路についた。
同性なら何かわかるかもと思ったけど、当てが外れた。男子は論外だろうし。
……それにしても、ボクって女子達から嫌われてるのかな。
++++++++++
結局理由はわからないまま。
別に無理矢理悩み事を聞き出したい訳じゃないから、それは構わない。
問題解決する力がボクにあるとも思えないし。
だけど、誰にも話せず、内側に溜め込んでいくだけでは、きっとそのうち限界が来てしまう。
特別親しい訳ではなくとも、霧切さんはボクの大事な友達だから。
だから少しでも軽くしてあげたかった。
得体の知れない何かに沈み込んでる彼女を、少しでも引っ張り上げたかった。
強い人だけど、無理をする人でもあるから。
「……とは言え、どうすればいいのかなあ」
ボクが超高校級のセラピストとかだったら良かったんだけどな。
幸運なんて才能は、こんな時に何の役にも立たない。……そもそもボクはどっちかっていうと不運よりだし。
思わず溜息。
妹から悩みを相談された時も、こんなには真剣に考えなかったのに。
他のクラスメイトだってそうだ。ただ、霧切さんは何と言うか、放っておけないんだ。
何か、力になりたい。
大それた方法じゃなくていいから、何かないだろうか。
「どーうしたんだべ、苗木っち?」
ランドリーで洗濯を待ちながら考え込んでいると、胡散臭さと金汚さに定評のあるクラスメイトが入ってきた。
「なんか悩み事でもあんのか?俺らの仲だ、遠慮はいらんから話してみるべ」
「はは……占いに頼るのはもうちょっと後にしたいかな」
そうなったとしても葉隠クンにだけは頼らないけど。
「まあまあそう言わず……とりあえずこの雑誌を読んでみてくれや!悩みを一斉に解決する素晴らしい占い道具がたくさん載ってっからよ、欲しくなったらいつでも言ってほしいべ!」
そう言って胡散臭い笑みを浮かべながら葉隠クンは出て行った。もう占い関係ないんじゃないかな……。
再び溜息をつきながらぼんやりとテーブルに残された雑誌を見ていると、ふとある写真が目についた。
怪しげな水晶玉を持って生身で宇宙に浮かんでいる人間。
ただの合成だろうけど、重力から解放されて身軽そうなその姿に、なんとなく思いついたことがあった。
十神クンあたりに知られたら鼻で笑われそうだけど。
少しでも、軽くしてあげられたら――
そうして翌日の放課後、ボクは霧切さんを屋上に誘ったのだった。
++++++++++
「希望ヶ峰学園の屋上は特に見るべきものはないでしょう」
「景色は割と綺麗だと思うよ」
「わざわざ見に来る程ではないわ」
「でも気分転換にはなるんじゃない?」
「それなら一人で来ればいいじゃない」
「それもちょっと虚しいし」
そして冒頭からの会話だ。
やや低めの声音で理由を問い質してくる彼女は、ちょっと恐い。探偵っぽいと言うか。
ボクの態度が煮え切らないので、少し苛ついてもいるのだろう。
「……まさか、本当に気分転換の為に連れて来たの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……」
「……」
いよいよもって意味がわからない、という顔。
眉間に軽く皺を寄せて、怪訝そうにこっちを見てくる。
まあ、わかる訳もないだろう。理知的な考察が得意な彼女は、尚更。
そのまま何も言わなかったら心証を悪くしただけで帰ってしまいそうだったので、観念して話すことにする。
まあ、話さなきゃ伝わらないし。
……バカにされそうだから、あんまり言いたくなかったんだけどな。
「……軽くなるかな、と思ってさ」
「……え?」
「最近、霧切さんって何か沈んでるって言うか……元気なかったでしょ?……否定されたけど」
「……」
「それで、えっと……笑わないで欲しいんだけど。……高いところに行けば、重力が弱まって、体が軽くなるらしいから」
「……?」
「心も少しは軽くなるんじゃないかな、って」
きょとん、と。
そんな擬音が似合う顔で、珍しく呆けている彼女。
そりゃそうだ。こんな子供騙しのような発想、思いついた自分でも恥ずかしい。顔が少し火照ってる。
それでも、せめて。
心配してるって気持ちが、少しでも伝わってくれたらいいと思う。
「……何よ、それ」
ぽつりと彼女が呟く。
呆れて脱力した声で、でも何かを堪えたような複雑な顔で。
「……重力が弱くなって軽くなるのは、物理的な重さよ。精神的なものではないわ」
「あはは……うん」
「大体、高いと言っても……ここは大した高さじゃないし」
「そうだね」
「軽くなるなんて言ったって、本当に微々たるものよ」
「地面よりはマシかなあ、と思って」
「……いっそ宇宙に連れて行くくらいの気概は見せなさい」
「さすがに無理だよ!もっと未来ならともかく……そりゃ、行けるものなら行きたいけどさ。月に行ったら六分の一になるんだっけ?」
「苗木君の考えなら、悩みや辛いことも六分の一になるのかしらね。……良い感情まで六分の一になりそうだけれど」
「だ、大丈夫だよ。軽くなるのは物理的な重さだけだから」
「清々しいほど言ってることが矛盾してるわよ」
内容は辛辣だけど、話してるうちに少しだけ表情が柔らかくなって、いつもの霧切さんっぽくなってきた気がする。
悩みは何も解決してないけど、多少は軽く出来たんだろうか。そうだといいな。
「何にしても、そんな気遣い……」
「『苗木君の癖に生意気ね』?」
「……」
「いたっ!ちょ、痛い痛いですごめんなさい!」
「……本当に生意気よ」
ああ、やっぱり霧切さんはこうじゃないとな――なんて涙目になりつつ思ったりして。
どこぞのガキ大将が言いそうなその言葉が、意地っ張りな彼女にとっての精一杯の謝意だと知っているから、つい頬が緩む。
いつかは、何でも話してくれるほど親しい存在になれたらと思うけど。
今のボクには、気休め程度のこんな励ましの方が、平凡らしくていいのかもしれない。
彼女を救い上げる権利を貰えたのなら、ボクの曖昧な『超高校級の幸運』も、捨てたもんじゃないなと思った。
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