遅刻先生

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遅刻先生」(2014/12/24 (水) 15:39:20) の最新版変更点

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「――苗木君。本当に、こんな所にいいお店があるのでしょうね?」 学園の授業を終えた放課後。ボクの隣を歩くセレスさんが、微かに眉をひそめながら辺りを見回す。 ここは希望ヶ峰学園にも近い大都会の一等地――その陰に隠れた、少し寂れた商店街。 人通りはまばらで、廃業してシャッターを降ろしてしまった店も少なくない。 改めて聞かれると不安になってくるが……ボクは曖昧に微笑みながら答えた。 「うん……。地元の人の間では結構評判がいいらしいし、きっとセレスさんも気に入ると思うよ。……多分」 ボクがセレスさんをこの場所に連れてきたのは、『ナイトとして』彼女のお眼鏡に適う喫茶店を探すように頼まれたからだ。 リクエストの内容は、『静かで、清潔で、美味しいロイヤルミルクティーを出すお店』―― 正直、無茶振りのような気がしないでもないが、苦労してようやく条件に合いそうなお店を見つける事が出来た。 歩き続けると、周囲の風景に溶け込むような渋い外観の喫茶店が見えてくる。 「あ、あそこだよ。あの白いスーツを着た人がいるお店」 ボクらの10mぐらい先では、ちょうど白スーツの男性客が入り口の扉に手をかけるところだった。が―― 「ぐぅっ!?」 突然、その男性客が悲鳴にも似たうめき声をあげ、お腹のあたりを押さえて、その場にうずくまってしまった。 「だ、大丈夫ですか!?」 驚きながら、慌てて駆け寄るボク。……と、後ろからトコトコついてくるセレスさん。 丸々太った立派な体型のその男性は、額に汗を滲ませ、苦しげに息を吐きながらボクの腕を掴んだ。 ボタンが少々はちきれそうになっているものの、仕立てのいい高級そうなスーツがよく似合っている。 年齢は、ボクより少し上の20歳前後だろうか。細いフレームの眼鏡の下の目は切れ長で、痩せていれば結構な美男子だったかもしれない。 「……頼む、これを……」 彼の左手には紫色の風呂敷に包まれた荷物があった。目の前にそれを差し出されて、ボクは訳もわからず「えっ?」と聞き返す。 「この店、で……今、から……大事な、商談……。……これ、代わり、に渡して…………『先生』に……」 「ちょ、ちょっと待って下さい! それって――」 「……渡す、だけでいいから……。頼む、これを、『先生』に……」 途切れ途切れに話しながら、その目が必死に訴えかけてくる。ボクは思わず、 「わ、わかりました。だから、しっかりして下さい!」 答えた所で遠くからサイレンの音が聞こえてきた。思わず振り返ると、セレスさんが携帯を片手に小さく頷く。 「救急車を呼んで差し上げましたわ。そこで倒れられてはお店に入れませんし……」 それからすぐに到着した救急隊員の手によって、スーツの男性は運ばれていった。 ボクらと数人の野次馬、そして……謎の包みだけをその場に残して……。 「えーっと。じゃあ……お店に入ろうか」 野次馬が散った後、気を取り直して切り出したボクに、セレスさんは呆れ顔で答える。 「『入ろうか』じゃありません。どうしますの、どこの誰とも知らない人から荷物を預かって」 ボクの手には、さっきの騒ぎで受け取った紫色の風呂敷包みがあった。 高さは30㎝ぐらいで、形はほぼ正方形。重さはそれなりで、片手で持つのが苦にならない程度。 風呂敷の下が恐らく『箱』であろう事は容易に想像できるが、その中身まではもちろん全くわからない。 「いや、だって、あんな風に頼まれたら誰だって――」 「全く、わたくしが一緒だというのに……本当に仕方のないお人よしですわね。  相手の方にも、あなたがよほどの善人バk……いえ、人畜無害に見えたのでしょうけど」 「うん……いや、ごめん……」 ボクが苦笑いを返すと、セレスさんは小さなため息をついた。 「こうなっては仕方がありませんわ。さっさとその……『先生』とやらに邪魔な荷物を引き取って頂きましょうか。  そう大きなお店ではありませんし、中に入ればすぐにどなたかわかるでしょう」 ドアベルを鳴らしながら扉を開けると、カウンターの奥から落ち着いた「いらっしゃいませ」の声がかかる。 真っ先にコーヒーのいい香りが鼻先に漂ってくるが、この店では紅茶の方がウリなのは下調べ済みだ。 ボリュームを絞った上品なクラシック音楽を聞き流しつつ軽く客席に目をやって……ボクは小さく「あっ」と声をあげた。 「……とりあえず、座りましょうか」 セレスさんに促され、店内を見渡せる一番入り口に近いテーブル席に向かい合わせに腰かける。 注文を聞きに来た店員にとりあえず「後で」と告げると、おもむろにセレスさんが口を開いた。 「ふん……妙な偶然もあったものですわね。これもあなたの“幸運”の賜物でしょうか」 ボクは曖昧に微笑んで、もう一度ゆっくりと店内を見渡した。 確かに……妙な偶然だ。今、店にいる他の客――知ってる顔ばかりじゃないか! この店は4人掛けのテーブル席が4つ、カウンター席は6つ。奥に見える扉は男女兼用のトイレか。 テーブル席のうち3つは(ボクらの他に)1組と1人の客で埋まっていて、カウンター席には離れた位置で2人の客が座っていた。 その全てが、学園のクラスメイトや、一度は校内で見かけた事のある生徒だ。 希望ヶ峰学園に近い立地のせいだろうか? 前に来たときは知り合いは一人もいなかったのに……。 まず、ボクらのテーブルから一つ飛ばした席に、クラスメイトの腐川冬子さん。 彼女は“超高校級の文学少女”と呼ばれるベストセラー作家だ。 窓の向こうを睨みながら神経質そうに爪を噛んでいて、こちらに気づく気配はない。 その隣のテーブル席には、1期上の九頭龍冬彦先輩と辺古山ペコ先輩。 “超高校級の極道”と“超高校級の剣道家”の組み合わせになる。 彼らは――何か食べながら談笑しているようだ。今の所はこちらに気づいていない。 一方、カウンター席。巨体を小さなカウンター席に預けるのが窮屈そうなクラスメイト、“超高校級の同人作家”山田一二三クン。 彼はこちらに背を向けて、夢中で食事――オムライスか何かか?――に、がっついている。 残るカウンター席のもう一人は…………えーっと………… 「確か、松田――……そう、松田夜助さんですわ。一期先輩で、“超高校級の神経学者”……」 ああ、そうか。直接話した事はないが、やはり超一流の才能を持った有名人だ。 それにしても、フルネームや肩書まできっちり覚えているセレスさんには感心した。素直にそう口にする。 「なかなかの容姿と頭脳をお持ちですので、下僕候補に一応チェックを入れておいたのです。  もっとも、性格にずいぶん難がありそうですので、早々に除外しましたが。  全く……十神君といい、どうして容姿と才能を兼ね備えた人間は、ああも性格が悪くなるのでしょうね。  口は悪いし、とにかく自分勝手で――……どうかしましたか、苗木君?」 「い、いや。……でも、自分を強く持ってるっていうのは、いい所でもあると思うよ。  グイグイ引っ張っていってくれるし、一緒にいると退屈しないし……」 「ふぅん。そういうものですか。まあ、いいでしょう。それより、この中に見つかりそうですか。問題の『先生』が……」 そうだ。『先生』と言われて漠然と学校の教師を想像していたのだが、この面子では該当しない。と、なると…… 「ちょうど知ってる人ばかりだし、声をかけて回ろうかな。『この荷物に心当たりは?』って」 預かった紫色の包みを手に聞いたが、セレスさんの反応は鈍い。 「……それで、よろしいので? 相手が何かを勘違いしたり、悪意を持っていたら、大事な預かり物を盗られてしまいますわよ。  可能な限りターゲットを絞り込んだ方が……いえ、わたくしにとってはどうでもいい事ですけど」 ああ、そうか……。考えすぎのような気がしないでもないが、セレスさんの意見にも一理ある。 ボクにこの包みを託したあの太った男性……彼の様子からして、相当大切な物には違いないし、慎重になって損はない。 ボクはセレスさんにお礼を言って、もう一度よく考えてみる事にした。 まずは向こうのテーブル席。イライラした様子で、じっと窓の向こうを見つめている腐川さんだ。 目の前のテーブルの上にはコーヒーカップが一つだけ乗せられている。 視線の向こう――窓の外は人通りの少ない商店街でしかないはずだが…… 「腐川さんは“超高校級の文学少女”――プロの小説家だよね。まさに『先生』って感じだけど……」 おまけにあの様子は人に待たされてイライラしているようにも見える。 もしかすると、ボクに荷物を託したあの太った男性こそが待ち人じゃないだろうか。 そう思って意見を求めてみたが、セレスさんは無表情で首を傾げた。 「腐川さんが……『先生』ですか。しかし、彼女の陰気で神経質なキャラクターからすると違和感を覚えますわね」 「そ、そうかな……」 「そうですわよ。だって、『先生』とは“教えを乞う相手”や“権威のある職業”などに対する呼び方でしょう。  いえ、腐川さんの作品が多くの人々に称賛されている……そこにはわたくしも異論はありませんわ。  ですが、彼女の事を『先生』なんて言うのはファンや出版業界の方ぐらいではありませんか?」 ボクは無意識に頭を掻いて「うーん……」と唸ってしまった。 そう言われると、そんな気もする。確かに、荷物を持ってきたあの人……若すぎて“業界人”って感じじゃない。 人気作家――ましてやあの気難しい腐川さんがファンと喫茶店で待ち合わせっていうのも妙な話だ。 そういえば、荷物を預かった時、『商談』……とか言ってたような……。 ボクの思考が否定に大きく傾いた時、ふいにがちゃっとコーヒーカップが鳴る音がした。 腐川さんの席の方だ。いつの間にボクらに気づいたのか、彼女は席を立ち、憮然とした表情でこちらに向かって歩いてくる。 「あ、あんた達、何なのよ一体! い、いつからいるのか知らないけど、私を見てヒソヒソヒソヒソ……。  ど、どうせ一人ぼっちで寂しくコーヒー飲んでる私を笑いに来たんでしょ!? そうなんでしょ!?」 開口一番、いつものヒステリックな調子でこちらに突っかかってきた。ボクは慌てて首を横に振る。 「い、いや、そんなつもりじゃ――」 「じゃ、じゃあ、創作が煮詰まって喫茶店に来たものの、ちっともいいアイディアが出なくて苦しんでる私を肴にお茶を飲むつもりね!?  フ、フン! 冗談じゃないわ! あんた達みたいなツキまくってる連中にだけ、これ以上いい思いをさせないわよ……!」 一人で興奮しながら、引きつった笑みを浮かべる腐川さん。唖然とするボクらに、 「私はもう帰るから! 暗く閉ざされた自分の部屋で、執筆という孤独な戦いを続けるわ! ……どうぞお幸せに、さようなら!」 一方的に捨て台詞のような言葉を吐いた後、さっさとレジで会計を済ませて店を出て行ってしまった。 ……な、何だったんだ、一体……。 「……ともかく。やはり腐川さんは『先生』ではなかったようですわね」 「うん……。ここには小説のネタ出しに来てただけ……かな。それで機嫌も悪くて――いや、いつもあんな風か」 気を取り直して、『先生』探しを続けよう。 次は、腐川さんの隣のテーブル……九頭龍先輩と辺古山先輩について考えてみよう。 彼らのうち、どちらかが『先生』……だとしたら―― 「……用心棒?」 呟いたボクに、セレスさんは怪訝な表情を見せる。 「いや、今ちょっと思いついたんだけど、時代劇なんかで用心棒が『先生』って呼ばれるよね。  辺古山先輩は“超高校級の剣道家”だから、腕を買われる事もあるかもしれない。  『商談』って言葉も……報酬を渡して先輩を雇おうとしてたとか……」 「ふぅん……今時、用心棒ね……。絶対にないとは言いませんが、別の疑問が出てきますわよ。  辺古山さんは見ての通り、いつも九頭龍さんのそばにいて、忠実なボディーガード役を務めています。  その彼女が金品で雇われて、他の人間に力を貸したりするでしょうか?」 ボク自身、用心棒説にそこまでリアリティを感じていなかったので、あっさりとセレスさんの反論に頷く。 ただ、その場合はボクが預かった荷物の正体が、謝礼の品物だと説明がついたのだが……やはり、苦しい。 それ以上の仮説は思いつかないまま、何となく先輩達の方を眺めていると、奥の席の九頭龍先輩と目が合った。 軽く頭を下げると、先輩は何を思ったのか一瞬、顔をしかめて席を立つ。 「おい、コラ! か、勘違いしてんじゃねーぞ!?」 目の前までやってきた“超高校級の極道”に因縁をつけられたのかと思い、びくりとするボク。 「勘違いとは……どういう意味でしょうか?」 ボクが口を開くより早く、冷静に聞き返すセレスさんに、九頭龍先輩は今度はバツの悪そうな顔をした。 「あぁ? ……だからその、決まってんだろ? オレは別に、ちょっと喉が渇いたからサテンに入っただけで、  ペコの奴が『一人で注文するのは恥ずかしい』とか言いやがるから、それに付き合ってだな――」 ――……?? しどろもどろの彼が何を言いたいのかわからず戸惑っていると、 後から近づいてきた辺古山先輩が助け船を出すように口を開く。 「――いや、すまんな。私がガラにもなくパフェを食べたくなったので、ぼっちゃんに付き合って貰ったんだ。  ぼっちゃんは確かに甘党だが、一番好きなのは『かりんとう』だ。そういう事で理解して欲しい」 「ああ……なるほど。わかりました……」 平然と話す辺古山先輩に、ボクは気が抜けた返事をする事しかできない。 確かに彼らのテーブルには、パフェが入っていたらしいガラスの容器が2つ乗っている。 「余計な事言うんじゃねーよ! もういい、行くぞ!」 九頭龍先輩は照れを隠すように顔を背け、辺古山先輩を伴って足早にレジへと向かった。 「……大変ですわね。自分のキャラを守るというのも」 「うん……。そうみたい、だね……」 こうして、二組目の客も『先生』じゃない事がわかった。 さて、次はカウンター席の山田クンだ。 相変わらずの巨体を窮屈そうに座らせている彼が、今までの騒ぎに気付かなかったのは、どうやらイヤホンで音楽を聴いているからのようだ。 食事をしながらも、背中は小さく前後に揺れている。勝手な想像だが、曲はオタク業界で流行ってるアニソン……かな。 「ない。アレはないですわ」 検討するまでもなくバッサリ斬って捨てるセレスさん。ボクは慌てて、 「いや、山田クンは“超高校級の同人作家”で、漫画家の卵みたいなもの……でしょ。彼が『先生』って可能性も」 「ふん。オタク仲間が『先生』と呼んだという事ですか。それにしては例のスーツの男性……あまり“らしく”なかったですわね」 ……確かに。あの人は服装からして洗練されていて、オタクというよりはお坊ちゃん風だ。 「そこに目を瞑っても、山田君が待ち合わせの相手だとは思えません。だって、非常識でしょう。  大事な用事があるのに音楽を聴きながら食事まで……おまけに、あの席。  山田君だけでも狭くて暑苦しいカウンター席の隣に、もう一人ブタが増えたらと思うと寒気がしますわ」 しっかり毒まで吐かれて、ボクは苦笑するしかなかった。 あの山田クンに常識を求めるのはちょっと間違ってる気もするけど……やっぱりわざわざカウンター席に座るわけないか。 ……あれ? じゃあ、今座っているのは―― 「おお~、これは苗木誠殿にセレス殿! 奇遇ですなぁ!」 いつの間にか食事を終えていた山田クンがイヤホンを外して振り返り、機嫌良く手を振った。 ……この様子だと、さっきまでのボクらの会話は聞こえていないようだ。 「や、やあ、山田クン。偶然だね」 取り繕うように笑いかけたボクに、山田クンは人懐っこい笑みを返してくれる。 「まったくですな。……いや、もしかして、拙者が知らないだけで今日はクラス会でも……?  さっきもあちらの方に腐川冬子殿たちが――あら、いない。皆々様、もうお帰りで……?」 「腐川さんなら、少し前にお帰りになられましたわ。という事ですので山田君も、御機嫌よう。さようなら」 露骨に面倒くさそうに会話を切り上げようとするセレスさんに、山田クンは小さく首を振って、 「は、はあ。いや、まあ帰りますけど」と、ため息をついた。 帰る――となると、彼は『先生』ではないようだが、一応確認はしておこう。 「じゃあ、山田クンはここにはご飯を食べに来ただけなんだね?」 「ええ。寮の食事にも飽きたし、今日はいきつけのメイド喫茶も定休日でしたので。  メイドさんの“美味しくな~る魔法”がかかっていないオムライスも、たまには悪くないですなあ。むふん」 ドヤ顔でウインクされても、ボクにはよくわからない話だ……。 ボクはそこそこに山田クンとの会話を終えて、別れを告げた。 さて……これでこの場に残ったのは松田先輩だけだ。彼が、ボクに荷物を託した男性の言う『先生』……。 「松田夜助さんは、“超高校級の神経学者”ですわ。脳や記憶の仕組みを研究している方で、  ある“難病”の治療法を探す為に、この分野を志したのだとか。つまり、あのスーツの男性は……」 「患者本人か、家族の人……だったのかな。ボクが預かった包みは、治療の報酬って事か」 ボクらの視線の先で、松田先輩は無言のまま一心に本を読みふけっている。 周囲の雑音なんてまるで耳に入らないくらい集中して――……どんな難しい学術書を読んでいるのかと思ったら、 彼の手元からチラリと覗くのは子供向けの漫画雑誌のようだ。クールな表情とのギャップがすごい……。 「さあ、苗木君。早く声をかけて下さい。その余計な荷物を渡して、さっさと楽になってしまいましょう」 セレスさんに促され、ボクは包みを手にゆっくりと立ち上がった。 何だかとても近寄りがたい雰囲気だが、覚悟を決めるしかない。 「あの……すみません。松田先輩、ですよね?」 恐る恐る話しかけたボクに、先輩は僅かに顔を向けて、 「……うるさい。邪魔するな、チビ」 それだけ言って、すぐに漫画に目を落としてしまう。半ば唖然としながらセレスさんの方を振り向くと、 彼女は『ほら、性格に難ありでしょう?』とでも言いたげに冷めた表情で首を傾けて見せた。 ……よくわかったが、この程度で挫けていられない。ボクは再び口を開いた。 「大事な話なんです。どうしても、松田先輩……いや、『先生』に渡してくれ、って頼まれて」 ここでようやく松田先輩は分厚い雑誌を閉じ、長い息を吐いて顔を上げた。 「先生だと……? どういう事だ。説明しろ」 ボクがこれまでの経緯を簡単に説明するのを、先輩は無表情のまま聞いていた。 そしてこちらが口を閉じるのを待って、静かな声で聞き返す。 「……それで終わりか?」 ボクは黙って頷き、持っていた紫色の風呂敷包みを松田先輩に向けて差し出した。 「どうぞ。これがその荷物――」 ところが先輩はそれを遮って、意外な事を口にする。 「いいや、それは受け取れない。……何故なら、俺はお前らの探す『先生』なんかじゃないからだ」 は……? そんなはず――思わずセレスさんの方を振り返るが、彼女も黙って首を横に振る。 「……一応、心当たりがないか考えてみたんだがな。俺はそんな患者を診てないし、治療の依頼も聞いてない。  ここに来たのは、うるさい奴に邪魔されずに、ゆっくり漫画を読みたかっただけなんだ。――そういう訳だから、他を当たってくれ」 「そんな。でも、このお店には……」 さほど広くもない店内は、簡単に見渡せる。今、この場にいるのはボクとセレスさんと松田先輩だけだ。 先輩もつられたように辺りを見渡して、それからゆっくり頭をぽりぽりと掻く。 「ふーん……そうか。じゃあ、あのテーブルかもな」 「え……?」 意味深な言葉に反射的に聞き返すが、先輩はそれを無視するように目を閉じて席を立った。 「まあ、どっちにしろ俺には関係ない。……じゃあな」 先輩は足元のサンダル――いや、便所スリッパか? をカラカラ鳴らして店を出ようとする。 手には愛読の漫画だけを持って……。ボクらにはそれを、黙って見送る事しか出来なかった。 「そして、誰もいなくなった。……という所ですわね。これは一体、どういう事でしょうか?」 「うーん……まず考えられるのは、そもそも待ち合わせの相手が来てない、とか」 セレスさんの問いに答えたものの、どうにもしっくりこない。 あのスーツの男性は、『大事な商談』と言っていた。それは恐らく相手にとっても……。 相手に渡す品物まで持ってきているんだ。そんな約束に遅れたり、すっぽかしたりするだろうか? 「では…………まさか。取引の相手は客ではなく、店主――……でも無さそうですわね」 カウンターの向こうで、白髪頭のマスターが黙々と洗い物を続けている。 誰かを待っているようには見えないし、何も営業中の店内で『商談』をしなくてもいいだろう。 それなら……他の可能性は…… 「……もう、いいのではありませんか? 一応相手は探しましたし、十分義理は果たしましたわ。  そんな荷物は交番かこちらのマスターにでも預けて、早く紅茶を頂きましょう。  せっかく、他の皆さんがお帰りになって、静かに――」 セレスさんの言葉を途中まで聞いたところで、ふいにある考えが頭に閃いた。 同時に、店の奥の扉ががちゃりと鳴って、その向こうからまた見知った顔が現れる。 やっぱり、トイレに入ってたのか……! ボクらのクラスメイトの一人――“彼”こそが『先生』に違いない。 「おっ、苗木っちにセレスっちじゃねーか。オメーらも来てたんか。  いや~、今日はいい日になりそうだな。ハッハッハ!」 「葉隠君……なるほど。占い師――でしたか……」 ようやく現れた待ち人は、葉隠康比呂クン。“超高校級の占い師”だ。 教師でも芸術家でも医者でもなく、『先生』と呼ばれる職業の人物。 トイレに入っていたのは、よく考えてみればごく単純な事だが、 松田先輩や山田クンは彼が来ている事を知っていたに違いない。 先輩が言っていたテーブルは、葉隠クンが待ち合わせに使うつもりで一旦座った空きテーブルで、 山田クンが『腐川冬子殿たち』だの『クラス会』だの言っていたのは葉隠クンも居たからだ。 妙に上機嫌の葉隠クンに、セレスさんはつまらなそうな目を向けて黙り込んでいる。 ともあれ、これでようやく約束を果たせそうだ。ボクは咳払いをして紫色の風呂敷包みを葉隠クンに差し出した。 「あの、葉隠クン。これ、君のだよね。実は、今そこで……」 事情を話すと、彼はますます機嫌よく、豪快に笑ってそれを受け取る。 「そうか、そうか。そりゃありがとな! 苗木っちのおかげで助かったべ。  なんせこいつは随分値が張った代物だからな。他の奴ならネコババしたかもしれねー」 仲間にこんなに喜んでもらえて、何だかこっちも嬉しくなってきた。 ついでに、ずっと気になっていた事を尋ねてみる。 「ねえ、ところで……その荷物って、一体なんなの? すごく、大事な物なんだよね?」 「おう、聞いて驚け! こいつは俺の商売道具、『水晶玉』だべ!  天然ものの水晶で、全然“濁り”が入ってねー奴はすっげえ貴重でよ。  前に占った客のツテで、1億円払ってやっと手に入れたんだべ!」 「え……? 1億……円?」 一瞬耳を疑ったが、セレスさんの方を見ると彼女も大きな目を見開いて驚いている。 そんなボクらの反応をよそに、葉隠クンはそばのテーブルに包みを降ろして中を見せてくれた。 紫色の風呂敷の下から現れたのは、意味ありげな焼印が押された木の箱。 そしてその中から彼が取り出したのは、一点の曇りもない完璧な――――ガラス玉だ。 ……うん、素人目にはガラス玉にしか見えない。あまりに無色透明すぎて、作り物らしすぎる。 ボクに荷物を預けたあの白スーツの太った男性は、まさか“詐欺師”だったのか……? 「いや、正確にゃ金を払ったのは半金の5千万だけどな。  後の5千万は今日、こいつを受け取ってから振り込みの約束で――」 「ちょ、ちょっと待って! それって、もしかしてサg」 言いかけて、セレスさんに腕を掴まれた。さらに耳元で静かに囁く。 「……世の中には、知らない方がいい事もありますわ。もう半金はお払いになったのでしょう。  それに……もしかして、本当にもしかすると、ですが……あるいは本物の天然水晶なのかも……。  そうとでも思わなければ、あまりにお気の毒じゃありませんか……」 そう言われると、言葉に詰まる。確かに、葉隠クンのこの喜びよう……。 彼が本物だと信じて1億という値段に納得しているのなら、それでいいのかもしれない。……でも、1億か……。 「よし、じゃあ俺は早速残りの代金を振り込んでくるぜ!   苗木っちは今度特別に“割引”で占ってやるからな! ハッハッハ!」 軽快にゲタを鳴らして去っていく葉隠クンの背中を複雑な思いで見送る。 「……ふぅ。ともあれ、今度こそ静かになりましたわね。  邪魔な荷物ともお別れして――……これでやっと、落ち着いて“審査”ができますわ」 気持ちを切り替えて……ここからが本来の目的。ボクにとっては緊張の一瞬だ。 ボクに課せられたミッションは『セレスさんのお眼鏡に適う喫茶店を探す事』。 見つけたお店が本当にセレスさん好みの基準に達しているか、審査をしてもらわなくてはならない。 「お店の雰囲気は……いいですわね。外観、内装、音楽、マスターの外見……。  いずれも及第点ですわ。しっかりと予習できていたようですので、ここまではポイントを差し上げましょう」 以前、セレスさんと学園を散策した時の会話が役に立ったようだ。ひとまず、ほっとする。 ポイントっていうのは……今もよくわからないけど……貰えるものは貰っておこう。 「続いては、これが最も重要な……お飲物の審査です。  わたくし……ことミルクティーに関しては、絶対に妥協できませんもの……」 セレスさんの声が静かながらも凄みを帯び、ボクはごくりと喉を鳴らした。 ……ここでタイミング良く、注文の品が運ばれてくる。 たっぷりとした湯気と香りを纏った2人分のロイヤルミルクティー……――『ご注文は以上でお揃いですか?』『ごゆっくりどうぞ』 お決まりの文句を添えて、店員さんは素早くボクらのテーブルから離れていった。 「ふん……確かにこちらは『ロイヤルミルクティー』……ミルクで茶葉を煮出してありますわね。  ティーカップも少々個性には欠けますが、良い物を使っているようです。マスターのこだわりを感じますわ」 セレスさんはそう言ってにっこり笑う。おお……好感触だ。さあ、問題は―― 「では、お味の審査に移りましょう。……苗木君も、見てばかりいないで、どうぞ。  せっかくのミルクティーですもの。冷めてしまっては元も子もありませんわ」 促され、ボクはセレスさんと同時にカップを口に運ぶ。 ……まず、口の中に広がるのは豊かなミルクの風味。続いてそれに負けないくらいにはっきりとした茶葉の香りが一気に鼻に抜ける。 じんわりとした甘味と、温かさが喉から胸に広がって…………うん、美味しい……! ボクには専門的な事はさっぱりわからないけど、これは理屈抜きに美味しいと思う。これなら、セレスさんも…… 期待を込めて彼女の方を見ると、余韻を味わうように目を閉じていた。そして目を開き、一言、 「美味しいですわ」 にっこり、優しく微笑んだ。……やった! これで……! 心の中で大きくガッツポーズをしたボクだが、次にセレスさんが口を開いて凍りついた。 「ですが……総合的には不合格ですわね」 「……な、何でっ? ふ……不合格?」 相変わらず穏やかな表情のセレスさんに、些か混乱しながら聞き返す。 「いえ、お店そのものには不満は全くありませんわ。……ですが、客層がいけません。  何ですの、あの下品で騒がしい連中は。あんな方々と同じ空間でゆっくり紅茶が味わえる訳がないでしょう。  おまけに、妙なトラブルにも巻き込まれましたし……」 ……トラブルはともかく、要するに、客層に知り合いが多いと落ち着かない、って事か……。 「ううん……気持ちはわからないでもないけど……そのくらいは……」 とは言っても、ボクが言って聞くような人じゃない。 今回は自信があっただけに気落ちして、ボクはがっくりと肩を落とした。 そんなボクに、セレスさんは語気を強めて声をかける。 「……やはり、あなただけに任せたのは間違いだったかもしれませんわね。  ……次からは、わたくしも一緒にお店を回りましょう。わたくしの理想、完璧な喫茶店を探して、ね……」 「え……」 思わず聞き返すと、彼女は微かに頬を染め、少し怒ったような顔をした。 「ですから、これからは一緒に喫茶店巡りをしましょう、と言ったのです。  二人で、落ち着いて美味しいお茶を飲めるお店を探すのです。……何か問題でも?」<●><●> テーブルに身を乗り出して、詰め寄るセレスさん。ボクは反射的に同意を示して首を振る。 「うふふ、決まりですわね。では、後学の為にもまずはこちらのミルクティーを美味しく頂きましょう。  ……ふぅ。やはりいいですわね。本当に、これだけでも合格にして差し上げたいくらいですわ……」 セレスさんはご機嫌で何度も頷く。 うーん……まあ、いいか。それでセレスさんが喜んでくれるなら……。 ボクは不思議と納得しながら、またミルクティーを一口飲んだ。 -----

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