kk28_925-929

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用事が終わり、僕は家路についていた。すっかり冬めいた風にぶる、と震えながら、 学園近くのショッピング街に差し掛かる。幅の広い歩道を挟むように、両側にさまざまな 店が並んでいる。休日ということもあって、人通りはまあまあ多い。ふと前を見ると、 数十メートル先、歩道の左側にある雑貨店から、同級生の女の子、霧切響子が出てきた。 彼女はそのまま学園の方へと歩いていく。買い物に来ていたのだろう、僕は声を掛けようと小走りで近づく。と、不意に霧切さんの斜め後ろ、建物の隙間から人影が飛び出し、素早く彼女に近づいた。そして背後に迫ると、その人影は彼女に手を伸ばし― 「霧切さ…!」 僕が名前を呼ぶ前に、霧切さんは背後の人物の腕を取り、捻り上げていた。 「痛い痛いっ!」 「私が気付かないとでも思ったの、お姉さま?」 「わ、わかったから離して!前より痛い!」 悲鳴をあげる女性と、彼女を組み伏せる霧切さん。僕はしばらく呆気にとられていたが、道行く人たちが何事かと集まりだしたので、慌てて止めに入った。 * 「ちょっと驚かせようとしただけなのに…」 五月雨結と名乗ったその女性は、しきりに腕をさすりながら抗議した。なかなか容赦ない攻撃だったようだ。 「身の危険を感じたから。大体そんな子どもじみた手に引っかかるわけがないでしょう」 霧切さんがコーヒーを飲みながら一蹴する。 五月雨さんは「久しぶりに会ったのに冷たいな」と肩を落とし、僕の方を見た。 「苗木君もごめんね。なんか巻き込んじゃって」 「そんな、僕は全然…」 二人の戦い(?)を止めた後、ひとまず僕らは喫茶店に移動した。雑貨店の向かいの建物の二階だ。簡単に自己紹介をして、彼女が霧切さんと同じく探偵であること、二人で共に事件に挑んだ過去があることを知った。 「でもおかげで助かったよ。もう少しで腕一本持っていかれるところだった」 「そこまでしないわ」 すかさず霧切さんが否定した。なんとなくだけど、会話の間合いから二人の親密さが窺える。 「それにしても、二人とも希望ヶ峰学園の生徒なんだよね」 五月雨さんが僕らを交互に見て言った。 「ねえ、実際のところ希望ヶ峰ってどう?君たちのほかにどんな人がいるの?」 彼女は興味津々といった顔で聞いてきた。僕の正面に座る霧切さんは、どう説明したものかと迷っているようだった。僕もしばし考え込む。 「言葉で説明するのは難しいかも…写真ならありますけど、見ますか?」 「うん、見てみたいな」 僕は携帯電話を取り出した。クラスのみんなや学園の風景を撮った写真がいくつか収まっている。 それらを分類したフォルダを開き、テーブルの真ん中に置いた。二人が覗き込んだのは、教室で撮った集合写真だ。 「わあ、ほんとにアイドルの子とか水泳の子とかいるんだね」 希望ヶ峰学園の生徒はたいていが有名人だ。五月雨さんもある程度知っているらしい。 「教室は普通の学校とあんまり変わらないな」 「何もかもが違っているというわけではないわ」 霧切さんが補足しつつ、次の写真を表示させる。ごく自然に僕の携帯を操作しているけど、何も言わないでおく。 「えっ、なにこれ霧切ちゃんかっこいい!」 映しだされたのは、野球のユニフォームを着た霧切さん、朝日奈さん、石丸君の写真だ。 「これは…77期の人たちと野球をした時のものね」 秋ごろに、僕たち78期生と、一つ上の77期生で野球対決があった。レクリエーション活動の一環だ。 「霧切ちゃん、野球やったことあるの?」 「いいえ、このときが初めて」 「そのわりに、結構ヒット打ってたよね」 もともとの身体能力が高いのか、霧切さんは初心者組の中ではかなり上手かった。ちなみにこのときの戦いは、78期の大勝だった。なんといってもこちらには超高校級の野球選手・桑田怜恩君がいるし、打線には大神さんや朝日奈さんといった面々が並ぶのだ。77期の先輩たちは口をそろえて「勝てるわけないだろ」と言っていた。 「そういう行事もあるんだね。…うん、ユニフォーム姿の君もありだね」 「お姉さまも似合うんじゃない?」 「そう?じゃあ今度飛び入り参加しようかな」 冗談めかして笑う五月雨さんに、霧切さんも笑顔を見せる。楽しそうに話す二人は、本当の姉妹のようだった。こうやって写真を見ながら3人で話すうちに、すっかり時間は過ぎていった。 * 店を出ると、空はうっすら暗くなり始めていた。外の時計を見ると、午後四時をまわっている。 「四時過ぎか」と隣の五月雨さんも呟く。 「学校の門限はある?…って、さすがにまだ大丈夫か」 「はい。そもそも門限自体、ほとんど形だけかも」 僕は校則を思い出しながら言った。門限は確かに存在するが、破ってペナルティを受けたという話は聞いたことがない。 「いいなあ。私も高校は寮だったんだ。門限を過ぎたら怒られるから、そういうときはこっそり窓から部屋に入ってたよ」 五月雨さんは懐かしむように笑った。 「あっ」 階段を下りて数歩進んだところで、霧切さんが立ち止まった。 「どうしたの?」 五月雨さんが振り返る。 「忘れ物。取ってくる」 「じゃあ、ここで待ってるよ」 霧切さんは頷いて、再び階段を上っていく。 僕と五月雨さんは歩道の端の方に寄って、霧切さんを待つ。 さすがに人通りも減ってきたな…と、僕は往来をぼんやり見つめていた。 「一つ聞いてもいい?」 不意に五月雨さんが口を開いた。 「何ですか?」 一呼吸置いて。 「苗木君は霧切ちゃんが好きなの?」 「ぬぁっ―!?」 いきなりとんでもない爆弾が飛んできた。思わず変な声が出る。 「ど、どうして…」 どうして分かったのか。どうしてそう思ったのか。僕の言葉をどちらに解釈したのか分からないが、彼女が続けた。 「さっき見せてもらった写真、心なしか霧切ちゃんが写ってるものが多い気がしたんだ。もちろん不自然な程ではないから、それだけでは何ともいえなかった。でも、彼女と話す君の目を見て確信したよ。間違いなく恋をしている目だった」 五月雨さんがこちらを向いた。僕はなにも言うことが出来ず、ただ顔に熱が集まるのを感じていた。彼女の観察眼が正しいことを証明するには十分すぎる反応だった。 「ふむ、そっかそっか」 彼女は、やはりそうか、というふうに頷いている。 「あの、このことは…」 動揺してうまく言葉が紡げなかったが、五月雨さんは僕を安心させるように微笑んだ。 「もちろん誰にも言わないよ。本人にもね。約束する」 その言葉に、僕はホッとして長い息を吐いた。出会ったばかりだが、五月雨さんは嘘をつく人とは思えない。 「それに、私、ちょっと嬉しいんだ」 「え?」 ポツリと五月雨さんが呟いた。彼女は青黒くなった空を見上げている。 「私の知ってる霧切ちゃんは…探偵であることがすべてのように見えたんだ。彼女自身も『生きているという ことと同じ』って言っていたし、なにより周囲の環境がそれを強いているようにしか思えなかった」 僕は言葉の続きを待った。体の熱は少し引いている。 「きっとこの先も、それはずっと変わらないと思った。運命みたいなものなんだって。でも今は、霧切ちゃんの ことを好きになる子がいるくらいには、彼女も普通の女の子として学校のみんなと過ごしているんだなって。そう思うと嬉しくて」 そう言って彼女は笑った。すごく優しい笑顔だった。 きっと霧切さんは、僕には想像もできないようなものを背負っているのだろう。それが何かは分からないけど、僕はきっと、そんな彼女の凛とした姿に惹かれたのだ。今は全然だけれど、これから先、霧切さんのことをもっと知ることができたら― 「ごめんなさい、お待たせ」 そう考えているうちに、霧切さんが戻ってきた。せっかく治まっていたのに、再び顔が熱くなる。もっと知りたいとは言ったけど、とりあえず今はダメだ。まず彼女の方を見られる気がしない。 「お姉さま、どうしたの?ずいぶん嬉しそうだけれど」 「ん、なんでもないよ」 五月雨さんはニコニコしながら僕の方を見た。お願いだからやめてほしい。 霧切さんは僕たちの様子に少し首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。 三人で揃って歩き出す。五月雨さんは霧切さんとアドレスの交換をしているみたいだった。一方の僕は、先ほどの五月雨さんとのやりとりが頭の中をぐるぐると巡っていて、話をする余裕なんてなくなっていた。 やがてショッピング街を抜け、交差点に来たところで、五月雨さんと別れる。 「それじゃ、私はここで。二人とも今日はありがとう」 「私も、会えて嬉しかったわ」 霧切さんはふっと笑った。 「でも、次は普通に声を掛けて」 「も、もちろん」 最後はやや目が泳いでいたが、五月雨さんは僕らに手を振って、駅の方へと歩いていった。 さて、学園までもう少し。ここから先は霧切さんと二人きりになってしまうわけだけど。 「苗木君」 なんとか霧切さんに、僕の様子がおかしいことを悟られないようにしなければ。 「苗木君?」 「は、はい!」 呼ばれていることに気づいて、素っ頓狂な返事をしてしまう。我ながら、明らかに挙動がおかしい。 決意した傍からボロが出そうだ。霧切さんを窺うと、訝しげな顔でこちらを見ている。 「私たちも帰りましょう」 彼女はそう言ってくるりと背を向け、スタスタと歩いていく。 「あ、待ってよ!」 僕は慌ててその後ろを追った。 陽が落ちてすっかり寒いはずなのに、学園に帰るまでの間、僕の体はずっと熱いままだった。 -----

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