kk30_800-804

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「苗木っち、俺の相談に乗ってくれ~」  放課後の帰り際、葉隠康弘に頭を下げられて、苗木誠はげんなりした。  きっとろくなことがない。以前に内臓を売ってくれと言われたことがある。今度はどこだろう。眼球あたりだろうか。  なにはともあれ、葉隠の部屋で相談を受けることになってしまった。  宿屋まで歩き、葉隠と別れ、自室へとつづく扉の鍵を差し込んで回す。  かちゃりと音を立てるはずのそれは、手ごたえもなくすんなりと回る。 「……はぁ」  苗木はため息をついてかぶりをふる。  本来なら今朝閉めたはずの鍵が開いていたら焦るところだが、彼は取り乱したりしない。開いている理由がわかっているからだ。 「ただいま」  小さく言って、後ろ手で扉を閉める。すぐに出るのだから鍵は閉めない。部屋の明かりが点いていた。 「……来てたんだね、霧切さん」 「…………ええ」  苗木が呆れた声とともに部屋に入ると、霧切響子は『なにか問題あるかしら?』と言わんばかりの雑な返事をした。  彼女は時折、家主である彼の許可を得ずに勝手に部屋に上がる。始めの内は抗議していたが、なにか悪さをするわけでもなく、おとなしく本を読んでいるだけなので次第になにも言わなくなった。  苗木は鞄をどさっと置いてまたため息をついた。  彼女が部屋に来ること自体は正直うれしい。しかしどうやっているのか勝手に鍵を開け、ベッドに座ってくつろがれるというのは間違っている気がする。  苗木は気がつかれないように霧切の姿を確認する。ラフな私服に、いつもしている手袋をはめ、文庫本に目を通している。  その様子からは、自らがおかしな行動をとっているとはまるで思っていないように見える。  彼女の前方、小さなテーブルの上には、お茶の入ったペットボトルがある。いつも苗木が飲むメーカーのものではない。わざわざ彼女が買ってきたのだろう。  部屋に勝手に上がるくせに冷蔵庫は開けないのか。苗木は霧切の倫理観がどうなっているのか理解できない。  たぶん頭の作りが違うから、考え方の根本の部分から違うのだろう。それで納得することにした。 「ボク、これから葉隠クンの部屋に行かなくちゃいけないんだけど……」 「そう」  ……あれ? おかしいな。家主が家を空けると言っているのに、帰るそぶりも見せないなんて。  霧切が文庫本のページをめくる。文字を目で追っている視線からは迷いが見えない。居座る気満々だ。  苗木は口を尖らせる。自らが軽んじられているようで面白くない。やりたい放題の彼女の行動は、人のいい彼のプライドを刺激した。  彼女が苗木の家にいる時間は長くないはずだ。  苗木は葉隠に話しかけられたせいで少し帰りが遅くなったが、まっすぐ家に帰っている。霧切が放課後すぐに苗木の部屋に向かったとしてもタイムラグは10分ほどだろう。  彼女がいままで無断で侵入したのは、こうしたタイムラグの時間だけだ。さすがに長時間、彼が家を空けるときに居座っていたことはない。そのあたりの常識は持ち合わせているんだな、と苗木も安心していた。  しかし今日は何ということだろう。明確に家を空けると伝えたのに動く素振りも見せない。  ボクらは仲がいいと思う。入学以来二人で何度も探偵の依頼をこなしてきたし、一緒にテスト勉強だってする。……たいていボクが教えてもらうだけなんだけど。  でもね、霧切さん。ボクらは長時間家を預けるような、そんな関係にはなっていないんだよね。  間違いなく、その一線は超えてない。苗木にはその自信があった。  超えているならば、部屋を預けることに躊躇はない。 「ねえ霧切さん」 「なに?」 「さすがに、おかしいと思うよ」 「私があなたの部屋の鍵を持っていることが、かしら」  平然と言ってのけた彼女の言葉に苗木は目を丸くする。 「え、どういうこと?」 「……あなた、気づいてなかったの?」霧切が軽く目を見張って苗木を見る。すぐに冷静さを取り戻すように息を吐いて、「じゃああなたはどうやって私があなたの部屋に入っていると思っていたの?」  霧切の呆れたような言い方に、苗木は思わず身を引いた。怒られているわけではないのだが、『これぐらいはわかっていると思ってた』と言われている気がして情けなくなってくる。  考えてみれば、鍵の閉まっている扉を開けて中に入るには鍵を開けるしかない。鍵を開けるのに必要なのは、鍵だ。 「……いつの間に複製していたの?」 「よく覚えていないわ」  確定。霧切さんは、ボクの部屋の鍵を持っている。  彼がそう思ったとき、霧切が苗木に向かって何かをふんわりと投げた。「わっ」と両手で包むように受け取る。 「……これは?」 「私の部屋の鍵よ」霧切はバツの悪そうに目をそむける。「……いつかは渡さないといけないと思っていたのよ」 「えっと、なんで?」 「不平等だから」 「……それって、ボクが霧切さんの部屋に勝手に上がってもいいってこと?」 「そうよ」  期待していた返事とは違うものが帰ってきて、苗木は半笑いしてしまう。  それは違うんじゃないかなあ。普通嫌がるでしょ。 「……晩ご飯は出ないけど」 「はい?」 「晩ご飯は出ないといったのよ」  聞こえなかったわけじゃない。苗木は霧切がなぜそんなことを伝えてくるのか理解できないのだ。 「仮にボクが霧切さんの部屋に行ったとしても、晩ご飯はいらないよ」 「……そうでしょうね。あれだけ料理ができるのだもの。私の手料理なんて比較にならないわ」  霧切は苗木の部屋に侵入すると、なんだかんだ理由をつけて夜まで居座る。  苗木はそんな彼女に晩御飯を毎回ふるまっている。頼まれたわけでもないのに、自発的に。彼はだれかと囲む食卓が好きで、自分の分のついでにもう一人分作ることを苦に思わない。 「もしかして、霧切さんって料理できないの?」 「…………」  どっちだろう。苗木は判断がつけられなかった。なんとなくそつなくこなす気もするし、カップラーメンが精いっぱいでもおかしくない気もする。 「霧切さんがボクの部屋に入ってくるのは、晩ご飯が目的だったり?」 「あなたから見た私は、そんな卑しい女に見えるのね」 「えっ? いや、違うよ。ひょっとしたらそうなかって……」 「……違うわ。いつも言っているように、私があなたの部屋に行くのは依頼の話をするためよ」  どうやら本当の理由を答えるつもりはないらしい。  依頼の話をするだけなら無断侵入などせずに、堂々とその旨を伝えればいい。  そうしないのはなにか別の理由があるはずなんだけど……。   「結構時間が経っているけど、葉隠君の部屋に行かなくていいのかしら?」 「……そうだった。それでね霧切さん、ボクは部屋を空けるから、自分の部屋に戻らない?」 「どうして?」 「どうしてって……。いつボクが戻るのかわからないのに、霧切さんがここにいるのは変じゃない?」  霧切は瞳に悲しみの光を宿らせて「あなたはそう思うのね」と小さくつぶやくように言った。  予想外の彼女の対応に、苗木は「霧切さん?」と困ったように頬を掻く。 「いいえ、なんでもないわ」霧切はかぶりをふった。挑発的に笑って苗木を見る。「私をここにいさせてくれるのなら、ボーナスをあげるわ」 「ボーナス?」 「依頼を手伝ってもらっているし、晩御飯だって何度もごちそうになっているのに、私はあなたに何もしてあげられていないもの」  苗木からすればそんなことはないのだが、彼女は後ろめたいところがあるらしい。  後ろめたいところは、不法侵入のところで持っていてほしかった。 「ボーナスなんていらないけど、なにをくれるつもりなの?」 「なんでもいいわよ」霧切がにっと笑う。「本棚の奥に隠してある本のようにしてもらってもね」  苗木はバッと本棚を見る。彼の部屋の本棚は奥行きが二冊分もある。その部分にエロ本を置き、前方から見える部分に普通の本を置いて隠している。  彼は気まずそうに彼女を見る。 「ばれていないとでも思っていたのかしら」 「なんでわかったの? 表紙まで変えていたのに」 「それは隠し方の定番よ。バカ正直な苗木君」  いまにも「ふふん」と聞こえてきそうなしたり顔。苗木はその表情をどうにかして余裕のないものに変えてやろうと思った。負けっぱなしは癪だ。 「本当に霧切さんにできる? あの本のように」  霧切は苗木の反応に驚いたのか、意外そうな顔色を見せる。それでもすぐさまましたり顔を見せて、「ええ、もちろんよ」と元から短いスカートをたくし上げだした。  苗木は思わずスカートの動きを注視する。徐々に徐々に、いじらしくいじらしく上がっていくスカートは彼の理性をはがしていく。 「ま、待って!」苗木は手を前に突き出す。「わかったから! ボクが悪かったよ!」 「あら?」霧切は面白がっているような愉快な声を上げた。苗木に近づいて彼の手首を握る。「なにが悪いのかしら。苗木君が女性の身体に興味を持っていても悪いことなんてないわ」  苗木は妖艶ともいえるいまの彼女の迫力に押されて、なにも言い返すことができなかった。  その様子を面白がったのか、霧切がさらに彼を刺激する。 「ほら、触ってもいいのよ」  霧切によって苗木の手が彼女の胸に近づいていく。 「あ、あの。ちょっと……」 「ボーナスよ。遠慮しないで」  胸に当たる。想像していた以上に弾力のあるそれに、ゆっくりと苗木の手のひらが吸い込まれていく。  彼は自分のなかにあるなにかが、生唾を飲んだ衝撃で崩れ去るのを感じた気がした。 「あ……」  霧切が小さくこぼす。苗木によってベッドに押し込まれた彼女の顔は赤くなっている。 「あの、苗木君……?」  押し倒され、上に彼が自分の顔を見下ろしている状況は、彼女にとって想像していなかった事態なのかもしれない。  苗木はそう思った。彼女の顔が炒め物ができそうなほどに熱そうだったからだ。 「霧切さんが、悪いんだよ」  苗木は霧切のTシャツの裾に手をかけて胸の上まで押し上げる。 「ま、待って……」  抵抗にならない抵抗の声を霧切が上げるが、苗木はその口を自らの口でふさぐ。  すぐに離して彼女と目を合わせ、また押し付ける。彼女の身体からは力が抜け、抵抗は完全になくなった。  その体制のまま、ブラジャーをずらして乳房を掴んだそのとき、部屋の扉がいきなり開いた。 「苗木っち、見捨てないでくれよ~」  葉隠の声だった。  苗木は身体を即座に起こして彼を見る。  気まずい気まずい、胸がごわごわするような沈黙が場を支配する。 「……すまん」  やがて葉隠が声を絞り出して逃げ出した。 「あの、葉隠クン。これは違うんだ」  呼び止める声はむなしく部屋に響いただけで、効力を持たなかった。 「違うってどういうこと?」 「え?」  霧切の言葉から怒りを感じて苗木は彼女に目を向けた。  じろりとのぞき込むような瞳で見つめられ、心臓が高鳴る。 「ここまでさせておいて、ここまでしておいて、なにが違うというのかしら」 「あ、あの、これはその、なんというか、勢いで」 「勢いで……?」霧切が息をのみ、ぽかんと口を開ける。 「そうなんだ。悪気はなかったんだ。ごめん、霧切さん」  苗木は両手を合わせて頭を下げる。 「ひ、ひどいっ!」  苗木がびっくりして彼女を見ると、鼻の頭が赤くなっており、涙が小さなあごまでつたっていた。 「私は本気だったのに……!」  涙声をあげながら、霧切は苗木から逃げていく。  慌ただしく揺れる髪の毛が見えなくなるそのときまで、苗木は声を出すことも動くこともできなかった。脳みそがショートしていた。  少しの間、呆然と座っていたが、やがて立ち上がり扉をけ破るように部屋を飛び出した。  霧切の部屋の前まで行き、扉を叩く。 「霧切さん! 霧切さん! 話を聞いて!」  なかなか部屋に入れてもらえなかったが、長い時間粘っていた甲斐もあって招いてもらい、話し合い、素直な思いをぶつけあって、二人は恋仲になった。  翌日は一日中、クラスの全員から奇異の目で見られ、居心地が悪いようなむずがゆいような気分で過ごすことになった。

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