k2_226-230

「一緒にお風呂に入りましょう、苗木君」

 ……と言われて脱衣所にやってきたのはいいものの。
「いいお湯ね……」
 なんで僕は、霧切さんと一緒に本当にお風呂に入ってるんだ!?

* *


 いや、ほら、さ? これまでの文脈から推測するに、まず間違いなくアルターエゴについての話だと
思うでしょ? そうだよね?
 ええと、もちろん、脱衣所でアルターエゴの話はしたよ。したんだ。それはいいんだけど。
 だけどその後、霧切さんが突然服を脱ぎ始めたんだ。
 困惑する僕に彼女は、
「さっきの会話――私が苗木君を誘った言葉は、当然監視カメラで聞かれているはずだわ。だから、怪
しまれないように、ちゃんとお風呂に入ったほうがいいでしょう?」
 とのこと。
「いやその理屈はおかしい」
「……急にモノクマみたいな喋りになったわね」
 やれやれ、と霧切さんは半脱ぎ状態で肩をすくめて、
「いい、苗木君。アルターエゴの扱いは慎重に扱わなければいけないの。それは分かるでしょう? だ
けど、隠し場所はこの脱衣所だけ。これから私は、苗木君にアルターエゴについて相談するつもりだけど、
何度も二人で脱衣所に行ったら怪しまれるでしょう? 最悪、アルターエゴを回収されてしまう可能性
だってあるわ」
 まあ、それは確かに。
「だから、私と苗木君を、“よく一緒にお風呂に入る人たち”と黒幕に誤認させておけばいいのよ」
「……そっか、なるほど」
 僕は頷いた。確かに、筋は通って――
「――ないよ! だいぶおかしいよ!」
 霧切さんの台詞には言弾が通るウィークポイントしか見えないよ!
「先に入ってるわよ」
「無視っ!?」
 霧切さんはいつの間にか服を全部脱いで、バスタオルを体に巻き付けていた。ガラガラと浴場へ続く引
き戸を開けて、中に入っていく。
「……う、うう……」
 どうする、僕。
 ……霧切さんってミステリアスな人だとは思っていたけれど、意外と、その、非常識なんだろうか? 
少なくとも、男性に肌を見せる恥じらいはないらしい。僕が男として意識されてないだけかもしれないけ
れど。
 しかし、と精神集中して冷静に考えてみる。
 これはチャンスではないだろうか?
 一応僕とて男だ。女性の裸がカラープリントされている、アダルトな本の貯蔵はしていた。
 そして、霧切さんは美少女だ。裸を見たくないと言えば嘘になる。
 いや……でも、据え膳喰わぬは男の恥と言うけど、こんな状況で喰ってしまっていいものか。霧切さん
の論理はまあ頷けるものがあるし、彼女のことだから多分真面目に言ったんだろう。それなのに、不真面
目で不健全な理由でご相伴にあずかっていいものなのだろうか。
 どうしよう。どうしよう……
 と、そのとき、脱衣所の外で人の足音と話し声が聞こえた。あれは……朝比奈さんと、大神さんの声だ!
 しかもそのまま脱衣所の前で留まって、立ち話を始めてしまったようだ……!
 まずい。脱衣所から出て行ったところを見つかって、万が一浴場に霧切さんが入っていることが分かった
ら……
 おそらく大神さんは嬉々として――もとい、鬼気として僕に瞬獄殺を食らわせてくれるだろう。そうでな
くとも、朝比奈さんがみんなに言い聞かせて回り、即座に学級裁判を開催し――僕は瞬時に“おしおき”行
きだろう。
 ええい、ままよ!
 僕はちゃっちゃと服を脱ぎ、手ぬぐいで局部を隠しながら、浴場の引き戸を開けた――

* *


 で、こんな状況になっているわけです。
「ふぅ……気持ちいいわね」
 僕と霧切さんは大きな浴槽に浸かっている。彼女との距離は五メートルほど。僕は必死に霧切さんのほう
を見ないように努力している。善処はしている。
 生まれてこのかた女性と付き合ったことのない僕だから、当然女性と一緒に風呂に入ることも初めてだ。
 綺麗な女の子とお湯に浸かっているだけで、何だかこの浴槽が神聖なものに思えてくるから不思議だ。
 浴場はなかなか広い。七メートルはあろうかという広い天井に、六個並んだシャワーつきカラン。浴槽は
小型のプールほどもあり、泳ごうと思えば伸び伸びと泳げるだろう。右手の奥にはドアがあり、おそらくは
サウナであろう部屋へと続いている。
 なんだか、夢心地だ。この学校で殺し合いなんてしているのが嘘みたいだ。ひょっとしたらここは竜宮城
なのではないだろうか。霧切さんが乙姫で――亀は誰だろうか。モノクマ?
「……さて、と」
 浴槽に大きく波が立ち、乙姫……ではなく霧切さんが立ち上がった。僕は驚いて、張り付くバスタオルで
綺麗なラインが描き出された、彼女の背中と腰を見てしまった。
「……っ」
 慌てて目をそらす。
 霧切さんは浴槽からあがって、カランの前に座り、椅子に腰掛けた。
 そして、体を洗うためだろう、バスタオルを体からとって――
「……ねえ、苗木君」
「はっ、はい、何でしょうか!?」
 思わず敬語になってしまった。
「よかったら、私の背中を流してくれない?」

 真綿で首が締められるような気分だった。
 ひょっとしたらからかわれているのかもしれない。
 僕は霧切さんの後ろに座り、手にボディソープのついたハンドタオルを持っていた。
「遠慮することはないわ、苗木君」
「は、はい……」
 霧切さんの声が楽しげに聞こえるのは気のせいだろうか?
 僕はおそるおそる手を伸ばす。
 ……ハンドタオル越しだというのに、霧切さんの肌の柔らかさが分かるようだった。まるで、最高級品の
シルクを触っているかのようだ。処女雪のような白い肌が、大粒の水滴を弾いている。
 背中のラインはひたすらに美しい。彫像品もかくやというほどだ。すらりとしたラインに、きゅっとくぼ
んだ腰のくびれ。下腹部にあるお尻は控えめだが、肉が締まっていて、よい形をしている。
 お湯に濡れた彼女のロングヘアーは、今はポニーテールに結い上げられている。間から覗くうなじが艶め
かしい。
 ……こんな光景を目の前にして、生唾を飲み込まない男性が世の中にいるだろうか?
 十神君にいびられてもくじけない腐川さんの気持ちが分かるかもしれない。
「ん……苗木君、少しくすぐったいわ」
「あ、ご、ごめん……」
「別に、謝らないでいいわよ」
 とは言うけれど。
 僕は震える手でタオルを上下させてゆく。背中をゆっくりと、さするように。
 もっと強いほうがいいのかもしれないけれど、彼女の背中は、万が一爪でも立てたら一生痕が残りそうな
ほどきめ細やかなのだ。下手なことなんてできない。
 僕は心の中で、目の前のコレは大神さん目の前のコレは大神さん目の前のコレは大神さんッッッ! と唱
えながら霧切さんの背中を流した。大神さん引き合いに出してゴメン。
「ありがとう、苗木君」
 数分後、霧切さんがそう言ってくれて、僕は安心七割悔恨三割という溜息を深々とついた。
「それじゃ、今度は私が苗木君の背中を流してあげるわ」

「え゛っ」
 霧切さんは傍らに置かれたバスタオルをもう一度体に巻くと、今度は椅子を持って僕の背中に回った。
「ちょっ、ちょっ、ちょっとっ!?」
「錬金術の基本は等価交換よ。これは人間関係にも応用できるとは思わない?」
「知らないよそんなのっ!?」
 いいから、と霧切さんは、僕の手に持ったハンドタオルを奪い取ると、それをそのまま僕の背中にあてた。
 そして、ゆっくりと手を上下させた。
 ――とても、優しく。
 ハンドタオルの凹凸ではなく。直接霧切さんの手で撫でられているような、そんな感触。
 体を洗われながら、まるで母親に背中をさすられているような錯覚がして。
 それと同時に、温かな家族のことも思い出して、
 ……モノクマにもらったDVDのことも思い出して。
 何だか、とても、泣きたくなった。
「霧切さん」
 そんな恥ずかしい感傷を悟られたくなくて、僕は霧切さんに話しかけた。
「なに?」
「……お風呂でも手袋、つけてるんだね」
 先ほど、霧切さんが僕の背中に回るときに、ちらりと見えてしまった。彼女の両手を覆う、黒い手袋――
 本当は浴槽のときから分かっていたけれど、今は霧切さんの肉体がよく見えるから、余計に意識してしまっ
た。
「…………」
 霧切さんの手がぴたりと止まった。けれどそれは一瞬のことで、すぐにまた動き出した。
「……ごめんなさい。不愉快だったかしら?」
「あ、違うんだ、そういうことじゃなくて……お風呂でもとらないんだなって」
「……そうね。これは“誓い”だから。とらないんじゃなくて、とれないのよ」
「そっか」
 霧切さんはそれっきり口を閉ざした。
 手袋の下には、一体何があるんだろうか。霧切さんは以前、手袋のことを聞いたときに、どこか辛そうな顔
をしていた。
 手袋をしてまで隠したいもの――例えば、消えない傷、とかだろうか。
「そうね。正解よ」
 霧切さんが突然そう言った。
「……え? どっ、どうして……」
「苗木君の神妙な顔が、鏡に映ってたから。あなたの馬鹿正直さから鑑みて、思考を推測してみただけよ」
 といって、霧切さんは、半分曇った鏡越しに僕を指さしてきた。
「……その。ゴメン」
 霧切さんだって女の子だ。やっぱり、傷があるなんて思われて、いい気分はしないだろう。
「実を、言えばね」
 僕の背中を流すタオルが、背中を上って――霧切さんの両手が、そのまま僕の肩を掴んだ。
 直に感じる、手袋の布地。けれど、それでも霧切さんの手の温もりは、ちゃんと伝わってきた。
「苗木君には、手袋の下を見せてもいいって思ってるの。あなたは馬鹿正直だから、見せても何の影響もない
でしょうし」
 馬鹿正直という言い草は複雑な気分だったが、でもね、と霧切さんは言葉を続けた。
「だけど同時に、絶対見せたくない、って気分でもあるのよ。……この手袋の下は、とても醜いから」
 ぽつりと、霧切さんは言った。
 それがどういう意味かは分からなかったけれど、少なくとも、嫌味で言われたわけでは決してなさそうだった。
 だから、僕は言った。
「大丈夫だよ」
「え?」
「傷があっても、なくても、霧切さんは霧切さんだ。僕は、それで霧切さんをどうこう思ったりはしないよ」
「…………」
 既に、僕たちの目の前にある鏡は曇ってしまっていたから、霧切さんの表情は分からなかった。
 だけど、
「ありがとう」
 ……そのときの顔を見られなかったことを、僕はしばらく後悔した。
 ありがとうと言った霧切さんの声は、とても穏やかで――とても嬉しそうだったから。

「そういえば、霧切さん」
 僕たちは互いに背中を流し終わり、再び浴槽に入っていた。
 いくらか会話をしたからか、僕の緊張感は先ほどより薄らいでいた。さすがに霧切さんのほうは見られなか
ったけれど。
「なに?」
「確か、“この手を見せる事になるのは、私の家族になるような人だけ”って言ってたよね?」
「ええ、確かに言ったわね」
「それ、立候補してもいいかな?」
「――――――は?」
 素っ頓狂な声が聞こえて、僕は霧切さんのほうを見た。彼女は素っ頓狂な声にふさわしい、まん丸な目をして
僕を見ていた。
「それは、その、どういう……?」
「え? だから、霧切さんの家族になれないかなって。僕、霧切さんともっと仲良くなりたいから」
「え、つまり、それは……」
 珍しく、霧切さんが混乱しているようだった。
「ちょっと待って、苗木君、あなた本気で……? で、でも、嘘をついてる顔じゃ……」
 でも、何をそんなに慌てているのだろうか。家族になるって、文字通りの意味で、別におかしな言葉じゃない
と思うんだけど。単に、もっともっと仲良くなって、垣根のない、家族みたいな付き合いになれたらいいねって
意味だったんだけど――
「さ、先に出るわ、苗木君!」
「あ、うん……」
 霧切さんは、いきなり立ち上がると、さっさと浴槽から出て行ってしまった。
 ……よく分からないけど、怒らせてしまったんだろうか?
 僕がそう不安に思っていると、
「きゃっ!」
 と意外にも可愛らしい叫び声を上げ、霧切さんが床に倒れた。どうやら転がっていた石けんで滑ってしまった
らしい。
 それだけならよかったのだが、嫌な滑り方をしたようで、彼女は顔から床に突っ込んでいた。
「い、たた……」
「き、霧切さんっ! 大丈夫!?」
 僕も慌てて浴槽から出て、霧切さんのもとへと駆け寄ろうとして――
「うわわっ!?」
 霧切さんを躓かせた張本人である石けんが、何の因果か僕の足元へ転がってきていた。
 慌てていた僕もそれに足を取られてしまって、
「とっとっとっと、わわわっ!?」
「え、苗木く……きゃああっ!?」
 起き上がろうとしていた霧切さんに覆い被さるようにして、転んでしまった。

「ふー! ランニングのあとはやっぱりお風呂だよねさくらちゃん!」
「うむ……特にこの大浴場は格別だ」
 そんな声がした後、
 がらり、と浴場の引き戸が開いて。

「あっ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」

 四つの声が交差した。
 浴場の入り口に呆然と立つ、朝比奈さんと大神さん。
 その視線の先には、バスタオルのはだけた霧切さんを押し倒す、これまた手ぬぐいのはだけた苗木誠――
つまり僕。
 うん。
 死のう。
 僕はそっと目を閉じた。

* *


 ……その後の顛末。
 大神さんに瞬獄殺を半殺しになるまで決められた僕だったが、霧切さんの必死の説明により、何とか全殺しは
免れた。
 朝比奈さんは学級裁判だよー! と叫んでいたが、モノクマの「面白いから許す」との言葉で却下。ありがと
うモノクマ……。

 霧切さんは、不慮の事故ということもあり、全裸を見てしまったことも押し倒してしまったことも、咎めはし
なかった。
 だが。
「背中を流しなさい、苗木君」
「……はい」
 その代わりとして、たびたび一緒にお風呂に入ることになってしまった。もちろん、名目は“アルターエゴの
保護”のため。
 だけど――
「私の家族になるんでしょう? 黙って従いなさい、苗木……誠、君」
 僕に背中を流される霧切さんの声は、顔は見えないけれど、なんだか嬉しそうで。
 だから、まあ。
 よかったんじゃないかって、僕は思うのだ。


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最終更新:2011年07月15日 13:13
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