おかえりなさい

「うー、寒い寒い」
 今、暖を求めて全力疾走している僕は、希望ヶ峰学園に通うごく一般的な男の子。
 強いて違うところをあげると超高校級の幸運の持ち主ってとこかな。
 名前は苗木誠。

 事の始まりは昨日の夕方から降り始めた雪。それはそのまま夜になっても降り続け、明けた今日には一面の銀世界が広がっていた。
 この街に雪が降ることは珍しい。この冬でもこんなに降ったのは初めてだ。
 逆に言えば、僕を含めてこの街の人間は雪に不慣れだと言える。
 それは僕たち希望ヶ峰学園第78期生も例外ではなく、日曜日だというのに誰も寄宿舎から出ようとしなかった。みんな寒いのは嫌いだし、こんな大雪の中で外に行ったら風邪を引いてしまうかもしれない。
 一月中旬の日曜日。新学期も始まって、高校生の僕たちには何かと入用な季節。買い物にいくつもりだった人も多いようだった。
 折角の休みなのに買い物にも行けない、と食堂で誰かが呟くと、じゃんけんで負けたやつが買出しに行くことにしよう、と誰かが言った。
 ここまで言えばもうお分かりだろう。
 僕は一回のジャンケンで15人に負けた。

「えーっと、次は朝比奈さんと大神さんのプロテインを……」
 既に両手には大量の袋を抱えながら、街の中心にある商店街を歩きまわる。
 一歩一歩、歩を進める度に雪を踏みしめる音が静かな街に響いていった。街の人たちが雪掃きをしてくれているとは言え、僕の靴はすっかり濡れて冷たい。
 本当に風邪を引いてはたまったものではないので、僕は少しずつ足を速める。
 ――それにしても、よくもまぁ降るもんだよ。
 見上げた空は曇天。雪は現在進行形でちらちらと舞い落ちてきている。
 気温は今年の最低気温を更新するかの如く寒いので、地面に落ちても溶けずに積もり続けていく。明日にはどうなっていることか。
「さっさと買って帰ろうっと」
 頼まれた買い物は歯磨き粉や単三電池なんかの日用品。
 漫画やお菓子などの嗜好品。
 プロテイン、ダンベル、原稿用紙といった個性的なもの。
 神社のお守り、ダルマといった何故必要なのか分からない物。
 そして女性用の下着やフェチな本という半ば嫌がらせのようなものまで様々だ。
「みんな、僕が行くからって適当過ぎじゃないかな……」
 白いため息を一つ吐いて、僕は次の店に向かった。

「大体買ったかな」
 最後に向かったドラッグストアを出て、もう一度荷物を確認してみる。どうやら買い逃しはなさそうだった。
 葉隠くんや山田くんのだったらまだ良いけど、十神くんや江ノ島さんのものを買い逃していたら何を言われるか。
「でも、誰が頼んだのか分からないけど、どこにもレーションは売ってなかったなぁ」
 一個だけ売り切れとは、残念な人もいたものだ。
 結局、両手いっぱいになった荷物を持って、僕は希望ヶ峰学園への帰路についた。
 荷物が重いので、行きと違ってゆっくりと商店街を歩く。
 雪の勢いは大分弱まっていたけれど、両手が塞がっている僕にはちょっと辛い。
 そんなこんなで商店街の外れ、あるお店のショーウィンドウで僕はあるものを見つけた。
「あ、これ……」
 そう言えば、これがすぐなくなってしまうって、あの人が言っていた気がする。
 柄でもない(?)けど、僕からプレゼントしたら喜んでくれるだろうか。デザインはちょっと渋いけど、あの人に似合いそうだし。
 それよりも僕の心を引いたのは、これを買っておくべきだという直感。きっといつか、これがあの人を助けてくれるような気がした。
 ……葉隠くんと同類視されたら嫌なので、その点は黙っておこう。
 値段を見てみると、普通の高校生には結構高額な値段だ。
 超高校級の御曹司や超高校級のギャンブラーが周りに居るので、話の中の金銭感覚が馬鹿に成りがちではあるのだが、生憎僕は普通の高校生である。
 普段ならそんなにお金は持ちあわせていないが、丁度一月でお年玉というの臨時収入もあり、今なら僕にも買うことができた。
「思い立ったが吉日、かな」
 僕はそのお店に立ち寄ることにした。

 窓の外では雪が降っていた。
 もう何センチほど積もったのだろうか。その高さはゆうに踝を超えているように見える。
 この中を歩く羽目になったとしたら一苦労だ。
「苗木君、大丈夫かしら」
 そう呟いて、私――霧切響子はため息を吐いた。その吐息が窓ガラスを白く曇らせる。
 ――超高校級の探偵も、甘くなったものね。
 この希望ヶ峰学園に集められた16人の超高校級の高校生たち。当初はお互いに牽制してばかりだったのが、いつの間にかすっかり打ち解けてしまった。
 それもこれも超高校級の幸運である苗木君が走りまわってくれた所為だ。
 ただ一人、ごく普通の高校生だった彼は、ごく普通に我々と喋り始めた。
 おはよう。こんにちは。さよなら。また明日。
 会話というのは恐ろしいもので、繰り返されると慣れてしまう。いつの間には私たちは、普通に挨拶を交わすようになっていた。
 表情は次第に明るく温和なものになり、今では寄宿舎の雰囲気も良い。
 私自身、その雰囲気に感化されていないと言ったら嘘になる。
 昔の私だったら、こんな寒い寄宿舎の玄関で彼の帰りを待つこともなかっただろう。
「私をこんな寒いところに待たせるなんて、苗木君が帰ったら説教ね」
 まあ、実際のところ勝手に待っているだけなのだが。
 珍しく今は抱えている事件もなく、正直なところ暇を持て余していた。街に出ようかとも考えていたのだが、外は生憎の雪模様。
 こんな時は大概、苗木君で暇を潰すに限るのだが、その彼はジャンケンに負けて買出しに出掛けてしまったのだ。
 何もやることもない私は、外の景色を見ているうちに、寄宿舎の玄関に落ち着いたのだった。
 ――あくまで外の景色を眺めているだけで、決して苗木君の帰りを待っている訳じゃないわ。
 確かに苗木君は素敵な人だ。
 この学園には似つかわしくないほど普通の彼。
 ある意味異常であるこの学園で、普通を保つのは難しいことだ。それどころか彼は、私たちを普通の高校生に近づけた。
 才能、という言葉が当てはまるか分からないけれど、彼は不思議な力を持っているのかもしれない。
「その謎は、いつか解かなければいけないわね」
「何か事件でも起きたの?」
「いいえ、私が解くのは苗木君の――」
 いつの間にか、隣りに苗木君本人が立っていた。
 寄宿舎の中に入ってきたばっかりなのであろう。全身粉雪まみれだ。
「僕の、謎?」
 独り言を聞かれ、玄関の開閉にすら気付かなかった自分の迂闊さを呪う。
 兎に角、この話題はこれ以上広げないことにする。
「……苗木君、外から帰ったらまず最初になんて言うのか知らないのかしら」
「あ、ただいま、霧切さん」
「おかえりなさい、苗木君」
 そう言いながら、苗木君の身体に積もった雪を手で払う。肩から頭まで、結構な量だ。
「ありがとう、霧切さん。全く、酷い目にあったよ」
 彼が両手に持っていた荷物を置くと、どさりという音がした。重たそうだが、流石は男の子といったところか。
「やっぱり、結構な荷物になったのね」
「うん、みんな自分で運ばないからって、無茶言い過ぎだよ」
 ほら、と彼が差し出した手のひらには、無数の紐の痕が残っていた。
 余程長い時間、重たい荷物を持って歩きまわったのだろう。見ているだけでも痛々しい。
「もう少し買い物の手を抜いても、誰も怒らなかったと思うわ」
「そうかもね。でも、そんなことしたら買わなかった人に悪くってさ……」
 そう言って、苗木君は優しく笑った。
 ――本当に、お人好しね。
 それを見て、私も少し笑ってしまった。
「じゃあ、みんな苗木くんが負けたことに感謝しないといけないわね」
「それはちょっと酷いな。外寒いんだよ?」

 ほら、と言いながら、苗木君は私の両頬を両手で包んだ。

「ひゃんっ!」
 冷たさと驚きから、思わず間抜けな声が漏れた。
 苗木君の顔が近い。表情はさっきの笑顔のままで、私の方をじっと見ている。
「ほらね、冷たいでしょ?」
 彼には深い意味などないのだろう。いつも通り、家族と子供が戯れるような、そんな行動だと推測できる。
 でも、私は彼の家族でもないし、私と彼は年頃の男女だ。こんな状況だったら、誰だって平常心を保つことができないだろう。私だってそれは例外ではない。
「え、ええ、そうね……」
 私は自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
「霧切さん、熱でもあるの? ちょっと熱っぽい気がするけど」
 そう言って苗木君は、覗き込むようにより顔を近づけた。
 互いの吐息がかかるほどの距離。あと数センチで唇が触れ合う。
「だ、大丈夫よ。あなたの手の方が冷た過ぎるんじゃないかしら」
「そっか、ごめんね」
 叱られた子犬のような表情で、彼は手を離した。同時に、すぐそこまで近づいていた顔も遠ざかる。
 私の中で安心した気持ちと、少しだけ残念に思う気持ちが交差していた。
 ――全部分かってやっているなら、相当の男の子ね。そうでないなら、最低の男の子だわ。
「ごめんね、霧切さん」
「いいわ、気にしてないから」
 果たして、私は今、上手く嘘が吐けているだろうか。
 顔はいまだに真っ赤で、手は微かに震え、心臓が下手なダンスを踊っている。
 苗木君の前だと、何故か気持ちが舞い上がってしまう。彼と出会うまで一度も経験したことのない感情に、私は大きな戸惑いを感じていた。
 この感情の正体を突き止めたい。江ノ島さんはこれを恋だと言っていたけど、今までそれと無縁の人生を送ってきた私には理解ができなかった。
 ――まさかそれを、苗木君に相談するわけにもいかないわね。
「あ、そうだ。お詫びの印、ってわけじゃないんだけど」
 そう言って、苗木君は一つの箱を差し出した。
 カラフルな包装紙に包まれた四角形の薄い箱に、真っ赤なリボンが巻かれている。誰が見ても、これはプレゼント箱と答えるだろう。
「これは?」
「えーっと、いつも霧切さんにはお世話になってるから、感謝の気持ちっていうか……」
 私はゆっくりと、その箱に手を伸ばした。
 予想外の出来事が続いたせいで、状況を上手く把握出来ていない。
 私の顔はどんな表情をしているだろうか。苗木君の顔は心なしか赤らんでいるように見える。
「あ、ありがとう……」
 何と返事しようかと考えてみたが、上手く言葉が纏まらない。
 口を衝いて出た素っ気ない返事にも、彼は笑顔を浮かべてくれた。
「開けても良いかしら?」
 彼が頷くのを確認して、そっと包装を解いていく。

 中から出てきたのは、茶色いキルト地の手帳だった。

「霧切さん、前に言ってたよね? 事件が続くと手帳も買いに行く暇がないって。だからもし良かったら使ってくれると、嬉しいなー、なんて……」
 苗木君はそう言って頬を掻いた。彼もまた緊張しているであろうことは手に取るように分かる。
 私がそのことを言ったのは、数日前に挑んでいた事件の時。ただ口を衝いて出た何気ない呟きであって、彼がそのことを憶えているなんて思わなかった。
「街で見つけたんだけど、霧切さんに似合いそうだな、と思ったんだ。ちょっと地味だったかもしれないけど……」
 確かに年頃の女子高生が持つには地味な部類だろう。しかし、元々可愛いものを持つタチではない私には好みだ。
「そんなことないわ。ありがとう、苗木君……」
 私は嬉しかった。
 誰かにプレゼントを貰う機会は今まであまりなかったし、それが同い年の男の子だとしたら初めてだ。
 しかもそれが苗木君からだなんて、考えもしなかった。
 受け取って貰えて良かった、と彼は笑った。私も笑みがこぼれるのを止められない。
 ――私をこんなに喜ばせるなんて、苗木君のくせに生意気だわ。

「苗木君、苗木君の気持ちは本当に嬉しいわ」
「そんな、お世話になってるしさ」
「霧切が代々探偵を生業にしている家系だってことは話したわよね?」
「うん、前に言ってたね」
「霧切では相手に茶色い手帳を送るというのは、“一生あなたの助手でいます”って誓いの証なのよ」
「……え?」
「それ以外にも“私と結婚して下さい”とか、“あなたのためなら死ねます”って誓う時に茶色い手帳を送るわ」
「ええっ! そんなの初耳……」
「苗木君の事は嫌いじゃないけど、そんなに私のことを想っていてくれたなんて嬉しい。真剣に考えてみることにするわ」
「ああ、ちょっと! 霧切さん待ってよ!」

 この手帳は大切にしよう。
 例えば、私が一生を掛けて追うような事件を捜査するとき。
 そうすればこの手帳と一生一緒にいれる。
 そして、私もこの思い出と共に、事件に立ち向かう勇気を、希望を持ち続けられるから。

「ここね……」
 寄宿舎二階のロッカールーム。所々に鉄板が打ち付けられ、一部のロッカーは扉が変形して使い物にならなくなってしまっている。
 苗木君の言っていた通り、奥のロッカーはまだ確かに動いていた。
 私が無言で生徒手帳をかざすと、ピッという電子音と共にロッカーのロックが外れる。ここまでは私の推理通りだ。
 このロッカーは間違いなく、私の個人ロッカーだったのだろう。
 中身を確認するために、ゆっくりと扉を開く。

 中から出てきたのは、茶色いキルト地の手帳だった。

「――っ!」
 私は思わず息を飲んだ。
 私は、この手帳を知っている。これは間違いなく私の手帳だ。
 しかし、記憶がない。何故これが私の手帳だと確信できるのかが分からない。

 でも、これはとても大切なもので。
 これを送ってくれたのは大切な人で。

 その手帳を手に取ると、私は無意識にそれを抱きしめていた。

「良かった……」

 自然にこぼれた言葉の意味は全く理解ができなかったけれど。

「こんな所にあったのね」

 その手帳が私にくれたのは、一握りの勇気と希望。

「おかえりなさい」

 そして、苗木君の笑顔の記憶だった。


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