エクストラステージ:『ハイスクールは出たけれど』

”卒業”を果たした僕らの前に広がっていたのは果てしない絶望だった。

 そもそもよく考えてみてほしい。”超高校級の”という肩書きは比較対象が同じ高校生だから成立するのであって。卒業してしまえば僕らはただの探偵であり御曹司であり

占い師であり、文学少女であり殺人鬼であり幸運っぽい希望だ。
 霧切さんと葉隠くんはともかく、十神くんと腐川さん、それに僕は相当わけのワカラナイものに仕上がってしまった。普通の希望って一体なんだ。御曹司と文学”少女”にも

相当程度のウィークポイントが見え隠れしている。一番マシなのは朝日奈さんだろう。スイマー。優れたスイマー。朝日奈さんだけ白い文字が流れていくようだ。なんのこと

かよくわからない。
 とは言っても僕ら希望ヶ峰学園78期生、そんなくだらないことを気にしているのは幸運っぽい希望ただ一人で。
 絶望に染まりつつある世界をその”超高校級の”才能と満ち溢れた希望でひっくり返していくことになるのだけど、それはまた違う機会に話そうと思う。


 今日話したいのは、他でもない僕らの学園生活についてだ。




 ――僕は全て知っているはずだ。僕の目的は、ここから出ていくことじゃなくて………

「っ、………夢、かぁ」
 知らずこぼれた言葉に慌てて口元をおさえる。周りを見渡すと、からっぽになったベッドが一つと、そうでないベッドが一つ。枕もとの時計は五時ちょうどを示している。
 窓から差し込む光は柔らかく、それでいて空気はひんやりと冷たい。一番奥のベッドは十神くんだから、今日の葉隠くんはずいぶん早起きのようだ。
「………ふが」
「え? ……あ、落ちてるや」
 違った。葉隠くんはベッドの下でひっくり返っていた。昨日もおとといも同じかっこうだったことを考えると、彼はあまり寝相が良くないのだろう。
 僕は、さっきの独り言で誰も起こしていなかったことをようやく知り、小さくため息をついた。
「……学校に、残ること」
 夢の自分が語りかける声。幾度となく、繰り返し見た光景。
 僕らが”卒業”してはや一週間と二日。学園生活は未だ、僕のもとにない。


 エクストラステージ:『ハイスクールは出たけれど』


「あら、おはよう苗木君。今日は早いのね」
「おはよう、霧切さん。ちょっと、目が覚めちゃって。僕もコーヒー貰っていいかな」
 よろこんで、と涼やかな声がする。卒業してからの霧切さんは、なんというか柔らかくなったと思う。
 それは例えばふとした瞬間に見せるちいさな笑顔だったり、学園の中ではけして緩むことのなかった緊張感のようなものだったり、「苗木君は、角砂糖二つとミルクよね」

あとはそうそう、いつも着ていた制服以外の服を着るようになったりだとか。
 今朝もブラウスにたっぷりとしたバギーパンツを合わせた、なんだかのんびりとした組み合わせで、正直これまでとは全然雰囲気が違う。
 それでも霧切さんによく似合っていると思うし、どんな服を着ても、たとえジト目で見られていたとしてもやっぱり霧切さんかわい、

 …………ジト目?
「……なえぎくん」
 両手にはカップが一つずつ。途切れることなく湯気を吐き出す右手の黒と左手の薄い茶色は、紛うことなきコーヒーだ。
「あれ。霧切さん、今日はカフェオレなの?」
「……寝ぼけている、ということにしておいてあげるわ。ほんとうに今日はずいぶん早いもの、貴方」
 呆れたようにため息をつく霧切さんは、なぜか僕にカフェオレの方を差し出した。いただきますめしあがれ。何の変哲もないやり取りも、僕のせいだろうか、ちょっとした違

和感。なんだか後ろめたい気分になって、僕は霧切さんの斜向かいに腰をおろした。
 口に含んだカフェオレは、ほんのりと甘い。
「あ。これ、いつも僕が飲んでるやつだ」
「角砂糖が二つにミルク。人の話は聞くものね。それとも、きょうはブラックの気分だったかしら?」
「そ、そんなことないよ。ごめんね」
 よくわからないけど、僕は何か失礼なことをしてしまったのだろう。半ば反射的に謝罪の言葉を口にして、カップを傾ける。
「………うん、美味しいや。ありがとう、霧切さん」
 ふうわりと広がる甘い香り。自分で作ったみたいに自然な味。朝の冷たさと今さっきのやり取りとで強張っていただろう僕の顔は、霧切さんお手製カフェオレのお陰であっ

さりと緩む。
 こんなところまで僕は平凡らしい。
「そう? インスタントだもの、誰が作っても同じよ」
 つい、と視線を逸らしてしまう。にべもない動作はやっぱり僕のせいだろう。
「でも、これ。僕の好み、覚えててくれたんだよね? だったら、やっぱりありがとうだよ」
「ぇ、ええ。私は、――探偵だもの。人間観察くらいは、お手の物、だわ」
「そうなんだ」
「ええ、そうなの。だから、苗木君――」
 霧切さんがこちらへと顔を向ける。一見するといつも通りのポーカーフェイスで、少なくとも先ほどまでの不機嫌そうな様子は微塵も感じられない。ただ時折、迷うように天

井と僕の顔とを視線が行ったり来たりしている。
 かちゃ、かちゃ、と小さな音を立てるコーヒーカップ。くるくると際限なくかき混ぜているスプーンの側には、不思議なことに砂糖もなにもなくて。
 というか霧切さんブラック党じゃなかったっけ。
「だから、ね、苗木君。貴方が、そう――」

「――何か悩み事があることぐらい、私にはお見通しなのよ」

 結論から言えば、やはり私は甘いのだろう。

 何が、と問われればこの気の抜けた服装が、と答えるだろうし、誰に、と問われれば、
 ……この気の抜けた、けれども不思議と見るものを安心させる微笑みを浮かべる少年に対して、と答えざるを得ない。
 悪意ない彼の言動は、こちらが言葉の裏を読もうとするのも怠けさせてしまうほどだし、それ故に多少の失言もからかい一つでお釣りがくる。
 生まれた時からの習い性。身の丈に合わない、けれども誇らしい肩書き。私が私であるための最低条件。
 そんな”探偵としての霧切響子”を一瞬でも忘れさせてくれる存在は、後にも先にもこの、苗木誠以外には存在しないだろう。
 まあ、それはさておいて。

「――夢、ですって?」
 今回は私が彼に不意打ちをくらった形になって(彼はいつもそうだ)、苦し紛れの返球になってしまったのだけど。
 これはどうも、随分面白いところに落ちたらしい。霧切さんに隠し事はできないねと、苗木君は困ったような顔で口を開いた。
「うん。あの学園にいた時から時々、夢を見るんだ。霧切さんには一度話したかな」
 夢の中で、苗木君へと語りかける彼自身の声。それは世界の真相。学園中に打ちつけられた鉄板の正体。
 絶望が皆を侵していく真っ只中にあって、学園へ残ることを訴えかける声。――苗木君が持つ、たった一つの学園生活の記憶。
「もちろん、僕は僕の意志で学園を出た。……でも」
 彼は一度言葉を切り、ポケットに手を差し入れた。

「それは、……そう。そういうことなの」
 彼が取り出したのは一枚のスナップ写真だ。見覚えのある教室の中、苗木君を除いた仲間がこちらに向かって笑っている。あの忌々しい姉妹も一緒だ。
「モノクマは言ったよね。この写真は、間違いなくホンモノだって。だからこそ、僕は……うん。ちょっと悩んでるんだ」
 そう言って、苗木君はくるり、と写真を回転させた。写真が私から見て正しい向きになる。
「例えばの話だよ? 僕はどうして、この写真に写ってないのかなって。写真が好きそうじゃない人たちもみんな写ってるし、カメラ役だったのかな。
でもそれだったら、タイマーにすれば済むことだよね。それとも、何かの拍子で見えなくなったとか。ほら、ここ。大神さんと葉隠くんの間、不自然な黒い影があるよね。これが僕だったのかな? それとも、セレスさんの――」
「――随分楽しそうね、苗木君」
 一つずつ、写真を指さしながら楽しそうに解説する苗木君を、私は遮った。
「うん。そうなんだ」
「そうだって、苗木君あなた、」
 彼の声は終始楽しげで、何よりも笑っていて。私自身少しきつい言い方をしてしまったかと、ヒヤリとしたのに。彼は気にする素振りもなく。
 けれど、それでも。
「僕は、楽しくって仕方がないんだ。こうして、みんなとの思い出を想像することができて。……なんにも覚えてないけどね」
 そう、彼は。
 ひどく寂しそうに、――けれども心底楽しそうに、言ったのだった。

 霧切さんは、探偵だ。

 ケレン味たっぷりの接頭語が効果を果たさなくなった今となっても、霧切さんは優秀な探偵だ。
 捜査のプロ、と言うのだろうか。なくしてしまったものを見つけ、隠された真実を暴くことのできる力を持ったひとだ。
 でも、と僕は思う。
 そんな霧切さんでも、記憶というカタチのないものを探しだすのは、困難、いや、正直言って不可能ではないだろうか。
 霧切さんの手を煩わせようとかそんなことは考えてない。どうしても取り返したい記憶でもないと思う。

「でも。山田君やセレスさん、大和田君に不二咲さん。石田君に桑田君、大神さん。……それに、舞園さんも。もう会えないみんなとは、たった数週間の思い出しかないんだ。僕は、それが寂しいんだ」
 少しだけ、ほんの少しだけ、目頭が熱くなる。すぐに顔を伏せた。学園の中ではこんなことなかったのに、やっぱり僕は弱い。学園の中ではあんなに威勢のいいことを言っていたのに。
 話し方も愚痴っぽくなってしまったし、きっと霧切さんも呆れているだろう。
 折角の朝だ。今日は霧切さんがコーヒーも淹れてくれたんだ。笑ってなきゃバチがあたる。
「なんて。はは、ちょっと僕、なんか――」
 そう思って、軽くおどけて。勢いよく顔をあげた。あげたのだけど。
「――霧切、さん?」
 そこで、僕は。
 不可解なものを目の当たりにする。
「霧切さん、どうして、」
 どうして、そんなに悲しそうな顔をしてるの?



「悲しいのは貴方よ、苗木君」
 思えば、彼は最初からそうだった。

「私は、あの学園を出る時、貴方に言ったわ。絶望が世界を覆っていたとしても、貴方と共に歩んでいけるのなら、悪くないと」
 彼が憧憬の目でもって見つめていた女性は早々にいなくなり、それでも忘れることなく自分はすべて引きずっていくと言い切って見せた。

「けれど、貴方は。……貴方は、まだ後ろを向いているのね。それも、自分の為じゃない。もういない皆の為に」
 人間は忘れることができると、あの時彼に言ったのは私だ。けれども私たちが本当に忘れてしまっているなんて、一体誰が推理し得ただろう。
 彼の傷は一体如何ほどだろう。

「――優しすぎるわ、苗木君。貴方は、優しすぎる」
 それでも彼は言うのだ。きっと。
 そう、

「――それは違うよ、霧切さん」
 僕はゆるゆると首を振った。霧切さんはまだ悲しそうな顔をしている。こんな顔の霧切さんなんて、初めてだ。
 困惑しながらも、僕は言葉を紡ぐ。

「僕は、優しくなんかないよ。ただ、忘れるのも、捨ててしまうのも怖くて、失くしてしまったものがあるかもしれないってだけで、寂しくて」

「引きずっていくことしかできない。……僕は、弱いんだ」

「――それは違うわ、苗木君」
 すぐに僕の言葉が砕かれた。斜向かいに座った霧切さんの顔は微笑がプラスされて、泣き笑いのような顔になっていた。
「貴方は弱くなんかない。強くて、優しくて、……やっぱり貴方は希望なのね」
「そう、なのかな。自分ではよくわからないけど」
 そう言えば僕のことを”超高校級の希望”と呼んだのも霧切さんだった。自覚なんてないけども、霧切さんが言うのならそうなのかもしれない。

「ねえ、苗木君? そんな希望の貴方にお願いがあるのだけど」
「え? 何かな、霧切さん」
 そう言って、霧切さんはこちらに手を伸ばした。小さなテーブルだ。僕の手はあっさりと霧切さんに捕まってしまった。何をするつもりだろうか。

「貴方が全て引きずっていくのも、全て忘れてしまったことを悲しむのも構わないわ。けれど、それなら、もう一つだけ覚えておいて。
苗木君、貴方は失うばかりではなかったということ。貴方と一緒に、未来を歩んでいく人間が、ここに一人いるということ」
 僕の手が、そっと霧切さんの頬に押し付けられる。うつむいてしまった霧切さんの表情は、僕の方からは見ることができなかった。

「……後ろばっかり見られたら、私だって寂しいのよ」

「え? なんて言ったの、霧切さん」
「なんでもないわ。それよりも苗木君、貴方って手が冷たいのね」
「霧切さんの顔が熱いからだよ」
「何言ってるの。苗木君のくせに生意気ね」
「答えになってないよ」
「知らないわ。……ああ、そうそう、苗木君。貴方、何も覚えてないって言ったけど。それがどういうことなのか、わかる?」
「どういうことも何も。何言ってるのさ」

 霧切さんは僕の手を開放して、身を乗り出すようにしてきた。ほんのりと目が赤いのは気付かなかったことにしよう。僕って目は良いんだ。

「そう。なら教えてあげるわ。何もないということは、そこに何があったのかを、推理することができるという意味よ。そう、例えばこんな苗木君の写ってない、
しかも愛想のない写真だけじゃなくて、もっと、例えば、私たちが――」
 そこから先は聞こえなかったけど、霧切さんが言いたいことはわかった。閃くなんてものじゃない。こんな近くで、口が動くのを見れば、誰だって。

「――ここまで言えばわかるわね、誠君?」


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