こちら苗木誠探偵事務所5

「えーと……霧切さん」
「なに」
「その、えっと、ごめん」

 苗木誠探偵事務所は、開設以来最大の危機に……ってそんなこと言ってる場合じゃない。

 居心地が悪かった。
「どうして謝るの。何か悪いことでもしたのかしら」
「いや、それはその」
「していないのかしら。ならどうして謝るの。謝るのが趣味なの? 面白いわね。面白くもなんともないけど」
「……」
 いつもの探偵事務所。いつもの椅子にいつもの二人。いつものように窓から差す夕日が今日はひどく眩しくて、僕は顔を伏せた。
 週明けの探偵事務所の仕事は、預かっていた猫を返すことから始まった。申し訳なさそうに、しかし嬉しそうな様子でかきょう(黒猫。メス)を受け取る依頼人には半ば追

い返すような形でお帰り願った。
 依頼人の学園生がいる間から霧切さんは一言も喋らずに黙々と文庫本を読んでいて、沈黙に耐えきれなくなった僕が口を開いて今に至る。
 霧切さんの機嫌が悪い理由――猫と僕だ。昨日おとといと二日考えて何となくは原因に辿り着いている。
「(……きょうちゃん、か)」
 僕がおととい黒猫につけたあだ名。そして不機嫌そうに僕の向かいで読書している女の子は、……霧切、響子さん。
 まったくもって迂闊すぎた。
「(自分の名前を猫に付けられたのが気に入らなかった? まさか)」
 何か違う。着眼点がズレている気がする。それに、きっと原因はそれだけじゃない。
 件の黒猫を思い出す。初対面なのに懐いてきて、僕の膝の上から降りなくて。なのに霧切さんが事務所を飛び出していったらつまらなそうに飛び降りた。
それまでは当て付けのように、
「(……誰に対する、当て付けだ?)」
 霧切さんしかいない。いや待て苗木誠。お前は何の行動を指針にして推理を組み立ててるんだ。どうして猫の行動なんかに意味を求めてる?
「(けれどあんな意味ありげな行動、霧切さんがいなくなった途端意味がなくなったように――)」
 違う違うそうじゃない。猫の行動に意味なんか求められない。そっちじゃない、逆に考えるんだ。猫の行動に意味があるんじゃない、霧切さんには意味があるように見えた

んだ。
「(僕が猫をきょうちゃんって呼んだ。猫が膝の上から離れなかった)」
 言葉にすればただそれだけのことだ。けれど霧切さんはそうは思わなかった。ならどう思った? 僕には当て付けに見えた。それで、僕らの週末はどうなった?
「(……事務所、は。苗木誠探偵事務所は、土日は)」
 用事がなければ、僕らはそこで日がな一日。それは気まずい時間? ――いいや。
「(そう、か。僕らは、……霧切さんは、毎週、楽しみに)」
「霧切さん」
「なに」
 先程と全く同じ反応。続く僕の言葉もそう変わらなくて。けれど僕は決意を込めて。
「ごめん。ごめん、霧切さん。せっかくの週末、台無しにしちゃって。……僕が猫にばっかり構うから、霧切さんを怒らせて――、」

 決意を込めて――盛大に失敗した。


 これは……ない。この言い方はない。これじゃあまるで、霧切さんが。

「――へえ」
「ひっ?」
 地の底から響いてくるような声。ゆらりと霧切さんが立ち上がる。
「それでは貴方はこう云いたい訳ね。私が貴方に、か、構ってもらえなかったから怒って事務所を飛び出したと。そう。そうなの」
「いや、その」「黙りなさい」「はいッ!」
 つかつかと僕に歩み寄ってくる。その顔は真っ赤で目元は引きつっていて、それでも何とか無表情に努めようとしているのが何よりも怖かった。
 立ち上がろうとして失敗した。そうこうしている間に霧切さんは目前に迫っていて、僕は目をつぶって次に来るであろう衝撃に備えた。
「苗木君――」「ご、ごめんなさいっ!」

 ――ぽすん。

「……へ?」
 覚悟していた衝撃はいつまでたっても来ない。その代わり、膝の上になにか圧迫感。
 恐る恐る目を開けると――眼前いっぱいに、銀色が飛び込んできた。
「……正解よ」
「せ……なに?」
「だから、正解。……拗ねてたのよ。あの畜生に貴方を取られた気になって。貴方がアレの名前を呼ぶ度に憎々しいわ苛々するわで。
挙句の果てに事務所を飛び出して、気まずくて戻るに戻れないし、そのせいで次の日も話なんかできないし」
「……」
 霧切さんの表情をうかがうことはできない。彼女の背中が夕日を遮って、けれども僕はまだ目を細めて。

「苗木君……ごめんなさい」
「私が謝らないといけないのに、……本当にごめんなさい」
「ううん、僕の方こそ」
「いいえ、貴方は悪くないわ。……だけど苗木君、お願いがあるの。この事務所の所長である貴方に」
「何かな。僕にできることだったら何でもするよ」
「……最後まで話も聞かずに。そういう言い方、身を滅ぼすわよ。無茶なことだったらどうするの」
 今以上の無茶なんてないよとは、勿論言わない。
「まあいいわ。これはお願いだけど、拒否なんてさせないから。あのね、苗木君――」
 そう言って、霧切さんは静かに振り返り――


 苗木誠探偵事務所は部室棟二階、階段を上がって左側の奥から二つ目にある。

 扉には事務所の名前が入った銀色のプレートが掛けられているだけだったが、最近そこに一枚の張り紙が増えた。
 そこにはマジックペンで「生き物、預かりません」と無愛想に書かれている。
 ついでに言ってしまうと、部屋の中にも二つほど備品が増えた。一つ目は窓を覆うブラインド。そもそもなんで無かったのかわからない、とは霧切さんの弁だ。
 そしてもう一つは、椅子。革張りの立派なもので、長時間座っても疲れない高級品。僕らの椅子……というか、僕の椅子だ。以前山田君たちに
もらった回転椅子は部屋の隅に追いやられている。
『苗木誠探偵事務所は貴方が所長なのよ? これぐらいでないと格好がつかないわ』と言ったのはやっぱり霧切さんだけど、それがただの建前であることは、
二人とも知っている。僕は相変わらず、扉に背を向けるようにして座っているしね。

 それで、霧切さんは時々、奇妙な行動をとるようになった。文庫本を読んでいたかと思うと急に立ちあがり、ブラインドを全部おろして。
 扉の前まで歩いて行って、内側からカギをそっと掛けて。電気まで消して。

 そうすると――そうすると、うん。僕は、……本が読めなくなるんだ。

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