「別に良いのに…お返しなんか」
「いや、そういうわけにはいかない!」
「あんなチョコ渡しておいて…正直こっちとしては、受け取るのも心苦しいというか…」
なんて、一応遠慮はしてみるものの、さっきから頬が緩むのが止まらない。
渡したあの日には、まさかこんな関係になるって思ってもみなかったから。
石丸は私に合わせて、男女の仲でなくてもいい、相棒でいい、そう言ってくれたけれど、
私の方がとっくに、彼にべた惚れというか。
もちろん、正式な恋人の仲じゃない。
キスはおろか、手を繋いだことだってない。
この距離感が心地いい時だってあるけれど、やっぱり、もっとずっといちゃいちゃしたい。
二人で一緒に、トレーニングと称したデートを繰り返し、
一人では沈黙のまま、淡々とこなしていたランニングや筋トレが、
彼と二人だと、驚くほど速く進んで行くわけで。
ホワイトデーの一週間前から、気が緩めばニタニタと笑いだしてしまい、
『お姉ちゃん、絶望的に気持ち悪いんだけど…』
と、盾子が口癖のように言ってしまうほどだ。
そして、
そんな浮かれている私にも、今日も絶望は憑きまとってくるわけで。
「…これなんだが」
彼が神妙な面持ちで、自分の鞄から取り出したのは、
「…」
コーヒー豆を入れるような、なかなかの大きさの缶だった。
ラベルには、なにやらよくわからない文字がずらりと書かれている。
緩んでいた頬が、すー…っと、引き締まっていく。
「プロテインだ」
そうですか。
「…あ、気に入らなかったか?」
「あ、いや、そうじゃなくて…ほら、缶だから! 一瞬何か分からなくて…」
彼が心配そうな顔を覗き込むので、私はとっさに笑顔を取り繕う。
こういうの、盾子当たりなら得意なんだろうけど、おそらく今の私の顔は、相当いびつに歪んでいる。
「そ、そうか、よかった…」
私の笑顔がどう彼の眼に映ったのか、とにかく彼は安堵の息を吐いた。
いやいや、おかしい。
私が残念がるのは、筋違いだ。
だって私の方が言ったんだから。男女としての付き合いは苦手だって。
それを鑑みれば、私とこいつはただの相棒、むしろトレーニング仲間なわけで。
プロテインだって、最高のプレゼントじゃないか。
それに、石丸が選んでくれた、それだけで…
「実はそれ…ただのプロテインじゃないんだ」
「…?」
「僕はあまり、プロテインは詳しくなくて…朝日奈君と大神君に相談して、二人に選んでもらったんだ。
だからそれは、世界に一つだけの配合だ。いわば『超高校級のプロテイン』……戦刃君?」
…だから。
おかしいんだ、私がこんな気持ちになるのは。
どれだけめんどくさい女なんだ。
「あ…りがとう、早速今日から…飲んで……っ」
気を使ってくれたんじゃないか、石丸は。
私に合うものを、必死で探してくれた。自分で分からないから、他の女子に聞いてくれた。
他の、女子に…
「悪い、今日はちょっと…体調が」
「…戦刃君?」
今度は上手く笑えただろうか。彼に心配をかけないように。
石丸がくれたプレゼントを手に、私は彼に背を向ける。
「ま、待ちたまえ、戦刃君!」
石丸が手を掴んだ。男らしいゴツゴツした手だ。
ああ、いつか手を繋いでもらえたら、と思っていたのに。
こんな形で、その機会を迎えるなんて。
「何か僕の方に不備があったか?お願いだ、教えてくれ!」
「…ないよ」
不備だらけなのは私の方だ。
なんか、情けなくなってきた。
石丸が手を離そうとしないので、私は背を向けたまま、文字通り後ろ手を引かれている。
変な体勢だけど、こんなグシャグシャな顔、こいつに見せるわけにはいかないから。
私が『普通の女子高生』に憧れをもっていることは他でもない事実なわけで。
彼にもそのことを、それとなく伝えていた。
だから、ちょっと期待してしまったんだ。年頃のカップル然としたイベントに。
高価なものじゃなくていいから。
形に残るものじゃなくていいから。
「本当のことを言ってくれ、戦刃君!」
「嘘じゃないって…」
「じゃあなんで、あんなに辛そうに笑うんだ!」
どこの二流学園ドラマか、と、私は涙をこぼしながら笑う。
廊下を通りすがる生徒が、怪訝な目をしてこっちを見ている。
もう、大げさなんだ。こいつも、私も。
「僕は何か、君を傷つけるようなことをしたんだな?けど僕は愚かだから、その答えに気づけない…
頼む、正直に話してくれ!僕達は、相棒じゃないか!」
相棒、だから。
恋人じゃ、ないから。
言えるか、そんなこと。
女の子らしい、お前が自分で選んだモノが欲しかった、なんて。
あーあ、このまま家に帰れば、盾子に笑われるんだろうな。
「…プレゼントがまずかったんだな!?」
石丸の手が汗ばんでいる。
ホント、むさくるしいほどアツいやつだ。
「…そんなことないよ。嬉しいよ」
「ちょっと、待っててくれ」
衣擦れの音が後ろで聞こえた。ポケットをまさぐっているようだった。
「後ろは向かなくていい…これを、手に取ってくれないか」
掴まれている手と逆の手に、包み紙を押し付けられる。
器用な体勢でそれを受け取り、いったい何なのか、と私は片手でその包装を解いた。
「これ…」
包装の中に入っていたのは、小さなイヤリング。
三日月を象った綺麗な石の欠片が、銀色の枠にはめ込まれている。
それはまさに私が望んでいた、『女の子らしい』『カップルらしい』プレゼント。
「最初はそっちを渡そうとしていたんだ…」
石丸はようやく手を離し、私の正面に立とうとする。
それも私は拒み、顔をそむけた。
「けれど君は女であることに抵抗があるようだし、そういう装身具は、逆に傷つけてしまうんじゃないかと思って…
それに、その…僕自身の下心を押し付けている気がして… ぐふっ」
彼が言い終わる前に、私は勢いよく振り向き、
その胸板に向けて、思いっ切り頭を押し付けた。
「…い、戦刃君?」
「…ちょっと胸貸せ、馬鹿」
手は無意識に、彼がくれたイヤリングの袋を握り締めていた。
「今度はどうした?…や、やはり気に入らないか?」
「…こっちでいい。こっちがいい」
泣きながら笑う、というみっともない顔を見られないように、胸板に額を押し付ける。
見せてたまるか、こんな姿。
「…プロテインも貰うけど…こっちの方が嬉しい。お前が自分の手で選んでくれたプレゼントの方が」
「そうか…よかった」
頭の上から声が響き、そっと肩を抱かれる。
肩を抱かれる、なんて、少し昔の私じゃ、きっと怖気を抱いていただろう。
今は、どうだ。こんなに安心感に包まれている。
変われるだろうか、私も。
普通の女子高生に。
「それより下心って、お前…」
鼻声になっているのも気にせず、私は照れ隠しに石丸をからかう。
「それは…最初に言ったではないか、女性としての君に惹かれている、と…」
「…しかも女に渡すプレゼントを、他の女に選ばせて、挙句それを本人に明かすとか」
「す、すまない…君が傷つくと思ったんだ」
「もういいよ、お前になら…」
お前になら、女扱いされたいよ、私は。
「…戦刃君」
下校時刻を知らせるチャイムが鳴っても、私は石丸の胸に顔をうずめていた。
もう涙は乾いていたけど、なんとなくこうしてもたれかかるのが、心地いいから。
「何」
「その…なんだ…良い匂いがする」
らしくない発言に、ちょっと面喰らいながらも、私は尋ね返す。
「硝煙の匂いでもすると思ったのか?」
悪戯っぽく、上目遣いで石丸を見上げてみる。
「そういうわけじゃない!のだが…」
「あのな、私だって毎晩ちゃんと風呂に入っているんだから…というか、急に何?」
「い、いや…女扱いされたいと、君が言うからだな、その…」
「それならもっと…ほ、ほら、胸が当たっている、とか」
「胸?…今は、当たっているのか?」
「…」
「ぐほっ…!」
鍛え抜かれた拳で以って、石丸の鳩尾を穿つ。
「す、すまない、気がつかなかったんだ…」
「気が、つか…!?」
紡いだ二の句も、私の残り少ない胸をえぐり、私は石丸の首を締め上げた。
「ぐ、うぉおおお…な、にを、する…」
「無いわけじゃない!人よりちょっと小さいだけだ!」
「な、何を言っているんだ!?」
「花も恥じらう女子高生に、そんな失礼な事言うな!」
「何が恥じらうんだ!人前で脱ぎ出す痴女のくせに…」
「お前…仮にも乙女に向かって…!」
「お、乙女なんてキャラじゃないだろう!」
「うううううるさい!良いだろ、憧れてるんだから!」
自分でも、どうしてこんなやつを好きになってしまったのかと思う。
空気読めないし、頑固だし、無駄に明るいし、熱血だし、真っすぐすぎるし、私の素肌を見ても綺麗だとか言ってしまうし、
もう、ホント、馬鹿。大好きだ。
最終更新:2011年07月14日 22:44