こちら苗木誠探偵事務所6

「――はい。……はい。……それでは、失礼します」
「…………霧切さん」
「……苗木君。待っていてくれたのね」
「うん。……えっと、」
「とりあえず、事務所に戻りましょうか」
「そう、だね」


 苗木誠探偵事務所は、いや、希望ヶ峰学園は……、えっと、どこから話せばいいかな。


「ただいま……あ」
「苗木君の家は、ここなのかしら?」
「ちょっと間違えただけだよ」
「それが一回や二回なら、私も貴方の言葉を信用したのにね。……ふふ」
「勘弁してよ、もう」
 霧切さんがうっすらと微笑む。重く沈んでいた空気が、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。
 勝手知ったるボクらの探偵事務所。目を瞑ったってボクは自分の椅子まで辿り着けるだろうし、霧切さんならきっとコーヒーまで淹れて見せる。
それほどまでに慣れ親しんだ事務所にいるのに、ちっとも落ち着かなかった。
「このブラインドも、外さないといけないかな」
「必要無いと思うわ。どうせ全部覆ってしまうのでしょう?」
「そうだね。……良かった」
「一つづつ外していたらキリがないものね」
「そういうことじゃなくてさ。………あはは。やっぱいいや、恥ずかしい」
「? ………、…………………ばか」
 興味なさげにそっぽを向く霧切さん。その仕草が照れ隠しであることと、顔がほんのりと朱に染まっていることにボクは気付いている。
 それがわからないほどボクらの付き合いはそんなに短くないし、わざわざ指摘するほどに間抜けでもない。
 軽く目を閉じて、開く。いつも通りの会話にまた少し事務所の空気が軽くなった。……さて、

 気は進まないけど、そろそろ話さなければいけないだろう。
 世界が終わった日、そしてボクらの探偵事務所が閉鎖した日のことを。

 ――世界は、終わる。

 伝統ある希望ヶ峰学園の学園長がそう切りだしたのは、今日の朝九時ジャスト、たった十六人を前にした全校集会のことだった。
 不二咲君は何故か昔みたいに女子の制服を着て、十神君は憔悴しきった表情であちこちに電話をかけていて。
 石丸君はボタンを掛け違えていたし、珍しいことに腐川さんは”眠って”いて、代わりに翔が興味なさそうに愛用のハサミをいじっていた。
 大体皆似たような状態だった。
 学園長は落ち着かないボクらを意に介さず、言葉を続けた。

 ――しかし。キミ達がいれば。

 超高校級のキミ達がいれば、世界は何度だってやり直せる。その才能はただの才能じゃない。この広い世界の中で、たったひとつ残った希望の原石。
 それがキミ達、希望ヶ峰学園78期生だ――そう、学園長は締めくくった。今までで一番短いスピーチだったべと葉隠君が呟いた。誰も笑わなかった。

 それから、ボクらは一人ずつ学園長と面接をした。世界に希望が取り戻せるその時まで、生涯をこの学園で過ごすことに同意した。
 この巨大な学園でたった十七人。たった十七人の共同生活が始まったのだった。


「まことに勝手ではありますが、本日をもちまして苗木誠探偵事務所は、営業を、終了いたしました、っと」
「……何を書いてるのよ」
「事務所の閉鎖のお知らせを、ちょっと。もう誰も来ないだろうけど、いちおうね」
「これ以上張り紙を増やしてどうするというの、貴方」
「突っ込みどころはそこなんだ?」
 学校を完全に封鎖してしまう手前、のんびりと部活動というわけにもいかなくなる。
 朝日奈さんや大神さんなんかは個人的にトレーニングは欠かさないようにするみたいだけど、ボクらにはさして続ける理由もない。
 なにより依頼人が見知った顔だけというのも張り合いがないし、ボクらは一応の閉鎖を決めていた。

「荷物とか、全部置きっぱなしでいいよね?」
「いつも使ってるものだけ持っていきましょうか。明日からは寄宿舎が生活の中心になるでしょうけど、二度と来ないというわけでもないのだし」
 霧切さんが文庫本片手にボクを見やる。どうやらどの推理小説を持って戻るか悩んでいるようで、しかしどれもお気に召さなかったのか全て棚に戻していた。
「一冊も持っていかないの? レーンとか、霧切さん読みかけじゃなかった?」
「何度か読んでるもの、いいわ。苗木君こそ何かないの? いくつかあったら部屋で退屈せずに済むでしょう」
「この椅子とか持っていきたいんだけどなあ。かさばるよね」
「そろそろ私も怒るわよ」
「ごめんね。からかってるつもりはないんだけどさ」
 余計に性質が悪いわと霧切さんが呟く。ボクは上手い返答が思いつかなくて黙り込んだ。

 空虚な会話。放っておいてもいつもと同じやりとりが口をついて出てくるのだけど、ボクらはどこか上の空で。
 しばらくこの部屋に入ることもなくなるのだと思うと、寂しさがこみ上げてくる。
「あのさ、霧切さん」
「何かしら」
「………寂しいね」
「……そうね」
 なんとなく見つめ合う。霧切さんとこうしている時は大抵謝るか照れるかしていたボクだけど、今日ばかりはそんなことにはならなかった。
 ふたり向かい合って腰掛けて。そうしていると、今まで過ごした日々が蘇ってくるようだった。霧切さんもボクを通して過去を振り返っているように見えた。

「……苗木君」
「……え。あ、うん。なに?」
 霧切さんは何か言いたげに口を開いて――閉じた。何事もなかったかのようにボクをぼうっと見つめている。
「苗木、苗木誠……苗木所長」
「また、珍しい呼び方をするね」
 首を傾げる霧切さんである。その拍子に銀色が揺れて、夕日にきらめいた。
「おかしいことは何もないわ。貴方が所長だもの」
「そういうことになってたね……。それで、どうしたの?」
「あのね、苗木所長、……ええ、折角だから」
 そう言って霧切さんは立ち上がり、ブラインドのストッパーに手をかけた。するするとおろされるブラインドが夕日を遮る。


「――言葉を、貰えないかしら?」
 ブラインドがかたん、と窓枠にぶつかった。


「……言葉、を?」
 そう言葉、と霧切さんは繰り返した。
「訓辞、挨拶、終わりの言葉。呼び方はなんでも良いわ。ままごとみたいな探偵事務所だったけど、最後ぐらいはきちんと幕を下ろしたい。
……なんて、少し感傷的かしら」
「そんなことないよ。多分、ボクも同じ気持ちだから」
 突然学園がその機能を停止して、ボクらもそれに引きずられる形になった。
 学園への残留も事務所の閉鎖も自分たちで選んだこととはいえ、気持ちの整理なんてつける時間も余裕もなかった。冷静なようで内心混乱していたのだ。
 だからボクらは、なにかひとつ区切りが欲しかったのだろう。自分たちの手でおろすことのできる幕が欲しかったのだろう。
「わかったよ、霧切さん。話すのはあんまり得意じゃないけど。それでも良いなら、なにか言葉を贈るよ」
「ええ、是非」
 いつまでも座っていたくなる誘惑を振り払って、ボクは霧切さんの傍へと歩み寄る。
 二人の間に障害物はなくなって、咳払いを一つ。それだけでごっこ遊びの延長みたいな探偵事務所が、なにか神聖な場所になったように思えた。

「えー、……そうだね。ボクら二人、ずっとこの事務所にいたよね。あるかもわからない依頼を待ち続けて、一日ボーッとしていたこともあったっけ」
 部活動という名目で始まった探偵事務所は物珍しさこそあったものの、依頼を受けるまでには至らず。
 探偵小説やコーヒーメーカーを事務所に置き始めたのもこの頃だったと思う。とにかく退屈だったのだ。
「そしたら、クラスの皆がなんとなく気にかけてくれるようになって。ちょっとずつ依頼が増えて。霧切さんが持ってきた小説に出てくる売れない探偵事務所みたいに
なったよね、ウチ」
 苗木誠探偵事務所の得意分野は迷い猫捜し。しかし霧切さんはどんな些細なことにも手を抜かない人で、その姿勢が後々の依頼にもつながったのだろう。
「いつも二人で行動して、依頼が入ったら事務所を閉めて。ちょっと不便かな? と思うこともあったけど、その態勢にもすぐに慣れた。
そもそもそんなに依頼は多くなかったし、それに、」
「……それに?」
「……霧切さんと二人でする”探偵ごっこ”は、すごく楽しかったんだ。キミは超高校級の探偵で、ボクはそのサポートで。名前だけの所長だったけど、
ワトソン役はだれにも渡したくなかった。最初は不思議で仕方なかった”苗木誠探偵事務所”の看板が、……最近は嬉しかった」
 今思えば、ボクは本当に幸運だった。こんなに素敵なホームズは、本棚の中のどこを探したっていないだろう。
「苗木君、ちょっと」
「ねえ、霧切さん。楽しかった苗木誠探偵事務所はこれでおしまい。それは仕方ないよ。でもボクには一つ心残りがあるんだ。
一つだけ、どうしても諦められないことが」


「ずっと、……ずっとキミの傍にいたいんだ。――大好きだよ、霧切さん」

 とす、と。ボクの肩に何かがぶつかった。



「………………………ばか」
「ごめん。色々思い出してたら止まらなくなって」
「誰が告白しろと言ったのよ、ばか。………ばか」

 そうっと霧切さんの背中に手を回す。一瞬肩が震えたけど、それ以上の抵抗もなくボクの腕の中におさまった。
 肩口がひどく熱い。霧切さんは何かぶつぶつと言っているようだったけど、声が小さすぎて何一つ聞き取れなかった。
 こういう時に必要以上の仕事をする心臓は驚くほどに穏やかで、心は静かに凪いでいる。
 霧切さんは思っていた以上に華奢だとか、土足禁止にしておいて良かったとか、そんなことを考える余裕さえボクにはあった。
「良かったら、返事をきかせてほしいな」
「……喋るのは貴方の役目じゃない。どうして私が、そんなこと」
「ボクだって言葉が欲しいよ。ねえ、ダメかな、霧切さん」
「し、仕方ないわね……あの、苗木君。それなら、せめて、」

 恥ずかしいから、このままで。……顔を見ていられないの。

 霧切さんがボクのシャツをぎゅっと掴む。耳元で息を吸い込む音がして、ボクの心臓がどきりと跳ねた。

「――苗木君。苗木君?」
「…………え? あ、霧切さん。どうしたの?」
「どうしたのじゃないわ。ほら、扉を開けるわよ」
 前方にはボクらを威圧するように鉄の扉。学園の出口だ。そう、ボクらは”卒業”するのだ。
 どうやら少しぼうっとしていたらしい。頭を振って、ぱちりと顔を叩いて……うん。もう大丈夫。
「おい、何をやってる。何があるかわからんのだぞ」
「ほんと、苗木って結構図太いよねえ。学級裁判でもずっとリーダーみたいだったしー」
「だべ。もしかすっと、クラス委員長とかやってたかもしんねえな!」
「そ、そんなことどうでもいいわよ………アンタが白夜様を待たせてんのよ、グズグズしてるんじゃないわよ」
「ご、ごめん、みんな」
 葉隠君と朝日奈さんがしょうがないなあ、という風に笑う。十神君と腐川さんはフンと鼻を鳴らした。
「……何か、思い出したの?」
「ううん。なんにも。でも、……うーん?」
「随分と煮え切らないのね」
 霧切さんが肩を竦める。実際に忘れているのだから仕方ないと思う。彼女はまだボクの方を見ていて、何か思い出そうとしているようだった。
 他の皆はやれ外に出たら占ってやるだのなんだのと言っていて、ボクらの様子には気付いていないようだ。
 視線を合わせる。ボクの方が背が低いから、少し見上げるような形になって。

 ――ふと、ここが土足禁止だったらよかったのにと、意味のわからないことが脳裏を掠めた。

「…………」
 相変わらず何も思い出せないけれど、確かにボクらはこの学園で、大切な日々を過ごしたのだろう。

 たった十五人のクラスメイト。きっと授業も賑やかだったろう。昼休みは誰かと机を寄せ合って、時々は学食に行ったりして。
 放課後には部活動とかして。朝日奈さんは当然水泳部で、腐川さんや十神君はそんなのくだらないって言ったかもしれない。
 葉隠君はオカルトは嫌いなんだっけ。それで、霧切さん、は。……ボクは。
「苗木君、開けましょう」
「うん。……あのさ、霧切さん」

 扉の上部に取り付けられた物騒な銃が天井へ納まる。派手な音が鳴り響き、二度と開くことはないように思えた扉が少しずつ動いている。
「なに? 十神君じゃないけれど、何があるかわからないわよ」
 もう霧切さんはボクを見ておらず。扉の向こうにあるものに目を向けていた。
 ボクもそれに倣う。
「霧切さんは、ここを出たら何を……いや、」
 激しい音と光の奔流。扉はもう半分開いている。ボクは前方を見据えたまま、半ば叫ぶようにして残りの言葉を吐きだした。


「――ボクと二人で、探偵事務所、やらない?」

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