苗木君から霧切さんへ

「はぁ…」

「溜め息を吐くと幸せが逃げるよ?」

何の気なしに溜息を吐くと、彼が呑気な顔で覗きこんできた。
残念ながら、つい今朝方にも、文字通り『幸運』に逃げられた私には、その諺は釈迦に説法である。

「…」

何か言葉を返そうとして彼の方に目をやるが、今朝の光景がフラッシュバックして、私は言葉を失う。
不思議そうに首をかしげる苗木君に背を向け、私は先に教室を後にした。


私は、苗木君が好きだ。

けれど、
苗木君が舞園さんに憧れを抱いているのは、ずっと前から知っていた。
そして、舞園さんが彼に好意を寄せていることも、彼女自身の口から聞いている。

ともすれば私の好意は、その二人の思いをかき乱すだけのもの。
だから気持ちは伝えずに、遠くから見守り、身を引こうと思っていたのに。

どういうわけかあの日、私と苗木君は口づけを交わした。
今でも、夢ではないのかと疑ってしまう記憶。

自分にしては珍しく大胆に、唇でチョコを咥える、なんてアピール。
…思い出すたびに顔が火照る。

そう、キスまでした。

ちゃんと言葉にこそしなかったけれど、私たちは恋人同士になったんだと、そう思っていた。
漠然とした安心感があった。



「待ってよ、霧切さん!」

階段を下りるところで、後ろから駆けてきた苗木君に追いつかれた。
走れば振りきれただろうけど、それをする度胸もない。

自分から彼を拒む勇気なんて、私にはきっとないんだ。

「霧切さん?…なにかあったの?お腹、痛いとか」
心配してくれる彼が、いつもなら愛おしくて溜まらないのに、今は直視できない。
「…なんでもない」
隣を歩く彼に見向きもせずに、私は歩幅を広げた。


あんな気持ちに駆られたのは、初めてだった。
嫉妬、不安、独占欲。呼び方は様々だけど、つまりはそういう気持ちだ。

いくつもの事件の中で、恋愛沙汰が原因で起きた男女間のトラブルも目にしてきた。
探偵とは第三者。主観は捜査の邪魔になる。
そういう事件を目にしてきたことはあっても、自分が同じような気持ちに捕らわれるはなかった。

だから、怖かった。
自分がそういう類の感情を持ってしまうことが。

なぜならそれは、人を惑わす、論理じゃ説明できない未知の感情だから。


舞園さんは、苗木君のことが好きだ。
苗木君もたぶん…


じゃあ、私は?
私はどこにいる?

探偵は、第三者。

私は部外者?


「…霧切さん?」

立ち止まってぐるぐると考え続ける私を、苗木君は心配そうに見ているだけ。

「ホントに大丈夫?なにか悩みごと?」
その原因が自分だとは、つゆとも思っていない。そういう目だ。
「…そんなところよ」
「…そっか」

彼はこう言う時、追及をしない。
私が秘密を隠している時、尋ねられて言い淀んだ時、それを無理に聞き出すことはしない。

それは、私には理解できない行為だ。
だって、探偵は謎を明かす職業なのだから。

彼が追及して来ないということには、悪い気はしなかった。
気楽でいいな、と思っていた。

だけど今だけは、彼が追及して来ないことが、とても不安に思えた。


気にならないのは、興味がないからじゃないだろうか?


「霧切さん…ホントに大丈夫?顔、真っ青だよ」
「…」

覗きこまれるのに耐えられず、私は再び早足で歩きだす。
彼の顔を見るたびに、今朝の光景がちらついて、胸が締め付けられる思いだ。

「あ、待ってよ…」

後ろからかけられる彼の声が寂しげで、いっそう心が締め付けられる。
捨てられた犬を無視して通り過ぎようとして、後ろから悲しげに鳴かれている。そんな気分だ。

どうすればいいか、わからなくなる。

彼から遠ざかるべきなのか、このまま傍にいてもいいのか。

「…」
「…」

私が無言で早歩きすると、彼も隣にとことこと付いてくる。
時折顔色を伺っては来るものの、追及はしようとしない。
まるでホントに子犬を相手にしているような愛おしさ。

「…どうしてついてくるの?」
「あ、……迷惑、かな」

頼むから、そんな悲しげな顔をしないでほしい。

「…そんなこと、ないけど」
「…ホント?」

ウソだ。
迷惑ではないけれど、傍に来てほしくはない。
あなたが優しくしてくれたら、私はそれに甘えてしまう。

けれどあなたには、他に好きな人がいるのでしょう?
なら、私たちは傍にいてはいけない。

「あの…なんでついてきたかっていうと、その…渡したいものがあって」


きた。

彼のためを思うなら、今こそ勇気を振り絞って、

「…なにかしら」

拒まなければならない。


「ほら、バレンタインに、さ…霧切さん、チョコくれたでしょ?」

反射的に足を止めてしまう。
彼は鞄の中を漁り、紙袋を取り出した。

「そのお返しっていうか…あの、たいしたものじゃなくて」
「…ない」
「え?」

「…いらない、わ…」

身を削る様にして出した言葉は、彼にはどう響いたのか。
苗木君は袋を差し出したまま固まって、呆然と私を見ている。

「い、いらないって…」
「…」
「でも、あの…」

おろおろと苗木君が焦っている。
まさか受け取ってもらえないとは思ってみなかったんだろう。
私だって、素直に受け取れたらどれだけ幸せか。

「えっと…霧切さん、もしかして…怒ってる?」
「…」

怒っているわけじゃない。
けれど、そんなことない、と否定することも憚られる。
大人になれない。拗ねているんだろうか。

「僕、なにか酷いことしちゃったのかな…」
「っ…」

違う、苗木君は何も悪くない。
彼は律義に、プレゼントのお返しをしただけだ。
そういうマメで気がきく所だって、彼の魅力の一つじゃないか。
頭では、わかっているのに。
こんなの、私らしくない。


「そっか…霧切さんに受け取ってもらえないなら…」

苗木君はおもむろに、道端の屑かごに目を向けた。
私の目の前でやや大げさに、袋を持った手を振りかぶって、


――捨てる気!?


「待って!!」

と、咄嗟に叫んでしまった。


苗木君があくまで優しげに、してやったり、と微笑む。

――しまった…

考えるよりも先に叫んでしまう、自分の迂闊さに腹が立つ。
それだけ、心から彼のプレゼントを欲しがっているんだろう…浅ましくも。

お陰でまんまと彼に乗せられた形になってしまった。
いつもと立場がまるで逆だ。

「…話してくれないかな」
「う…」
「僕に原因があるなら、知りたいし謝りたい。こんな風に気まずいままなんて、やだよ…」

捨てるのを止めた手前、理由を話すのが筋だ、と、彼の眼は語っていた。

理由ははっきりしている。
けれど、それを苗木君本人に直接言うなんて、恥ずかしすぎる。
もしかして彼も、わかっていてわざと言わせようとしているんじゃないだろうか、なんて勘繰ってしまう。

「霧切さん…?」

こうなったら、

「…あ、あなたがっ…」

居直ってやる。

「あなたが…皆にプレゼントを返しているのを見て…不安になったのよっ…!」
「…へ?」

苗木君は呆然としている。そりゃそうだろう。
口にして改めて、自分がどれだけ大人げない理由で拗ねているか再確認させられる。
けれど、ここで引き退がっては、ますます恥ずかしいだけ。

「随分モテるのね、あなたは!…私たちのクラスだけでも、朝日奈さんに、舞園さんに!
 …あなたの魅力を知っている人がたくさんいることは、素晴らしいことだと思う。
 でも、他の女の子があなたと仲良くしているのを見ると、切なくなって…
 私なんかより他の人と付き合った方がいいんじゃないかって、不安になるの…っ!
 大人げない嫉妬だって自分でもわかってる!笑っていいわよ、さあどうぞ!」


自分の中の不快な感情をごまかすように、早口でまくしたてて怒鳴り散らす。

これは、なんというか、もう。

想像以上に情けない。何を逆切れしているんだ、私は。

羞恥心で、頭も顔も沸騰してしまいそうだ。
取り返しのつかないことを言ってしまったかもしれない。


顔を伏せていると、苗木君の足が一歩、また一歩とこっちに近づいてくるのが見えた。

「え…」

と、顔をあげようとして、目に入ってきたのは、彼の肩越しの景色。
一瞬だけ見えた彼の顔は、ちょっと涙ぐんでいて。
抱きしめられていると理解するまでに、少し時間がかかった。

「え、え?」

今度は別のベクトルの羞恥心が、頭の中でショートを起こす。

「な、苗木君!?ちょっと、こんな…っ、人も通る往来で…」
「よかった…」
「な、なに…?」

耳のすぐ近くで、彼の声が響く。

「『いらない』なんて言われたから…」
「あ…」

濡れた鼻声を聞いて、自分が彼に酷い言葉をぶつけてしまったことに、ようやく気付く。

「僕をまるごと『いらない』って言われた気がして…あんなことしたけど、ホントはすごく怖くて…」

「…ゴメン、なさい…」

「謝らないで。僕の方にも原因があるみたいだし」
「そんなこと、ない…私のヒステリじみたワガママだってわかってるから…わかってるんだけど…」

ふ、と苗木君が離れた。
今年の春は寝坊気味で、三月とはいえ幾分肌寒い。
なのに、彼の体はとても温かくて、どうもその熱が私にも移ってしまったみたいで。

「プレゼント、受け取ってくれる?」
「…ええ、喜んで」
「ありがとう。似合ってるよ」

苗木君の足もとに、空の紙袋。
彼の目線が私の胸の当たりに落ちて、私もその視線を追う。

いつの間にやったのか、おそらくプレゼントだと思われるそれが、私の胸元に捧げられていた。

「…なるほど。さっき抱きしめた時、ね」
「ちょっと、キザだったかな」
「そうね。良い演出家か、手品師になれると思うわ。センスは古臭いけれど」

はは、と、苗木君は恥ずかしそうに頬を掻く。
確かに普段の彼からすれば「らしくない」行動で、私もつられてクスリと笑ってしまった。

それは、シックなデザインのネックレス。細い銀色の紐の先に、綺麗な石の細工が括りつけられている。
いかにも可愛いと呼べる造形ではなく、少し無骨な感がある。
けれどそういう、「いかにも女の子」な装身具が苦手な私にとっては、ちょうど好みを突いたプレゼント。


「ちょっと地味かな、とも思ったんだけどさ…あまり派手すぎても、霧切さんの好みに合わないかな、って」

そういえば彼は、こういう贈り物を選ぶのが得意だっけ。
よく気が回る、マメな性格なんだ。

「え、と…どうかな…気に入らなかったら、その…」

それでこんな自信なさげにフォローを入れるんだから、もう計算でやっているとしか思えない。

「ねえ、もしかしてこの石…これ、私の…」「うん、誕生石なんだ」
「…良いデザインね。ありがとう。嬉しいわ、とても」「ホント?」
「ウソは言わないわよ」「よ、よかった…」「ふふ…」


「それで、ね…」

仕切りなおすように、私は苗木君を見つめた。

「その…プレゼントまでもらっておいて、こんなこと言うのは…失礼だとわかっているんだけど」
「うん?」

けれど、これは今聞かなければならない。
誤魔化すことはできない。
モヤモヤを抱えたまま、素直には喜べないから。

すぅ、と、気を引き締めるように息を吸った。


「苗木君…舞園さんのこと、どう思ってる?」
「え?」
「…」
「なんで、舞園さん…?」

また苗木君の顔が困惑に歪んだ。
しばしばと目を瞬かせ、それから考え込むようにして目を伏せる。

「うーん…優しいし、明るいし…アイドルってことを鼻にかけたりしないし…良い人だと、思う?」
「なんで疑問形なのかしら?」
「や…質問の意図がわからないというか、どう答えていいのか…」

む、確かに。
こんな漠然とした問いかけでは、望む答えを得る方が難しい。

「えっと、霧切さん…?」
「質問を変えるわ」
「は、はい」


「舞園さんのこと、好き?」



直球も直球、遠回りをしないストレート。
の、はずなんだけれど、苗木君はさらに困惑したように眉をひそめた。

「えっと…よくわからない…です」
「好きか嫌いか、よ。簡単でしょう」
「そりゃ、好きか嫌いかで言われれば…好きだけど」
「…どれくらい?人として?友達として?女の子として?」

好き、という言葉の難しさを、改めて知る。
そして、一番口にするのに勇気が必要な、その一つの意味を、私は呟いた。


「私、よりも…?」


苗木君はそこで、ようやく質問の意図がわかったようだった。
憤慨したような、今にも泣き出しそうな、そんな顔つき。

この質問のせいでそんな表情にさせてしまっている。その事実が、私の心を責める。
けれど次の瞬間、苗木君は許すように微笑んでくれて。

「…そういうこと、だったんだね。ずっと機嫌が悪かったのも」
「…不機嫌だったわけじゃない。言ったでしょう、不安だったの」

「他の女の子にプレゼントを渡したってことが、不安の理由だと思っていたけど、違ったんだね。
本当は僕は、舞園さんのことが好きなんじゃないか…そう思っちゃったんだ」

「…お願いだから、口に出して確認しないで。自分の幼稚さが改めて恥ずかしいわ」
「わかった。じゃあ、口じゃなくて、態度で示すよ」

そこで苗木君は、ぐ、と私に詰め寄った。

「いや、ある意味「口で示す」ってことになるのかな」
「っ…!!」

苗木君が両肩に手をおいたところで、やっと私はその意味を理解した。
いや、理解してしまった。自分の観察眼が、これ以上になく憎い。

「苗木君、あの、私が悪かったのは謝るから…その…いくら人通りが少ないとはいえ…」
「目、閉じて」

言われて、条件反射のようにまぶたが閉じる。
何をされるかわかっているのに抵抗できないということは、私も心の底では、それを望んでいるのだろうか。
こんなに、恥ずかしいのに。

ああ、私はもうダメだ。
だって、例えどれほど恥ずかしいことでも、私からあなたを拒むことなんて出来ないんだから。


「んっ…」

耳元に手を添えられて、周りの音が遮断された。
視覚も聴覚も奪われて、浮き彫りになるのは羞恥心。

「なえ、ぎ、く…」

自分の呼吸の音が、拍動の音が、深く響く。

そして、
彼の唇が、一か月ぶりに私に触れた。

「ん…ふ…」
「……」


一か月前は、あんなに恥ずかしいキスを私の方から仕掛けたくせに、
同じことをしているのに、こんなに恥ずかしいなんて。
主導権を握られると、私は弱いのかもしれない。

「んぅ…っ!?」

ぬるり、と、温かい何かが唇を這う。
そのあまりの感覚に背筋が震え、その正体が彼の舌だとわかってまた震え。

びっくりしたけど、恥ずかしいけど。

いやじゃないから拒めない。

おそるおそる自分の舌を差し出すと、彼の舌に絡め取られ、弄ばれる。
目も耳も塞がれて、口の中は異様に敏感になっていて。

膝が笑いだす。
真っすぐ立っていられない。

たまらず目を開けて、

「ん…!?」

驚愕。
すぐ隣に、おそらく下校途中の小学生の一団がいた。
全員が一様に、私たちのキスシーンに呆気に取られている。

――見られて…!?

「ちょ、苗木く…んむっ!?」

知らせようと唇を離したのに、その口を塞ぐように、また彼が強引に唇をかぶせた。
そう、強引に。普段の彼からは想像もつかない行為だ。
そしてたぶん、彼も子どもたちに気づいている。気づいていて、わざとやってるんだろう。

「ん゛ぅうーー!」

抗議の声を上げようとしても、その声も彼に呑まれるばかりだった。


「ふっ…んぅ、む゛ぅうーーっ…!」

いつの間にこんな、性悪になったのか。
あるいは、私のが移ったのかもしれない。
そしてそんな彼の意地悪も拒めないほど、私も彼に毒されてきているようで。

「ん、ふぁ…っ、ふ、むう゛っ…!!」

彼は耳から手を離し、私の両の手首を掴み、身体ごと体重を押し付けてくる。
私は思わず退き、後ろの壁に背をついた。
そして両手も、彼の両手で固定され、逃げ道を失う。

――こ、のっ…!

思いっ切り睨みつけてもみたけれど、逆効果だ。
彼の目もこちらを覗きこんでいて、それが恥ずかしくて、私の方が参ってしまう。

「んっ…はぁ、は、む…ぅ…んぅ…」

結局されるがまま、口の中を犯される。
抵抗する気力もない上に、両手は塞がれ、嬲られ続けたせいで足にも力が入らない。

頭もボーっとして、脳が溶かされていく心地。

小学生の一団が、ずっとこっちを見ている。
純粋無垢なその眼差しに、白昼堂々こんな淫靡な行為に臨んだことを責められているようで。
それはたまらなく恥ずかしくて、羞恥心を煽られて、心臓が爆発しそうで。

「…っ、ぷは、はっ、はぁっ…」

数分間して、いやもっと長いだろうか、ようやく解放される。
自分の体が震えているのがわかる。ふわふわと雲の上を歩いているような感覚。
足にも腰にも力が入らないままで、壁に背を預けていないと、崩れ落ちてしまいそうだ。

せめて悔し紛れに、小学生の集団を精いっぱいに睨みつけ、追い払う。
顔も真っ赤で涙目で、迫力なんて全然なかっただろうが、空気を読んだように立ち去ってくれた。

「あーあ、かわいそうに…」

どの口が言うのか。
力の入らない右手で、彼の胸板を殴りつける。

「いたた…」
「っ…強姦魔…!」
「えっと…僕の気持ち、伝わった?」
「嫌というほどね…」
「嫌だった?」
「…馬鹿」


よく見ると、苗木君も私に負けないくらい、耳まで真っ赤になっている。

「…恥ずかしいなら、こんなことしなければいいのに」
「あ、はは…自分でも、らしくないとは思う」

それでも、勇気を振り絞って口づけしてくれたんだろう。
私の不安を取り除くために。
そんな彼の試みは目下のところ大成功で、さっきの不安が馬鹿馬鹿しくなるほどの恥ずかしさが私を襲っている。

「…『いらない』って言われたの、結構ショックだったからさ。その仕返し」

それを言われたら、もう何も言い返せない。
確かに今回の件は、最初から最後まで私に非がある。
勝手に不安がって、勝手に拗ねて、勝手に彼を傷つけたのだから。

「…本当に、ごめんなさい」
「ううん、僕の方こそ…なんていうかさ、霧切さんを不安にさせちゃったのは、僕の責任だから」
「優しいのね」

「また霧切さんを不安にさせちゃったら、その時は教えてほしいんだ」
「…ええ」
「それと、もう一つゴメン…突然、あんなことしちゃって。
霧切さん、嫌がるかなって思ったけど…なんていうか、あの瞬間はあれしか思いつかなくて」


…実はそんなに嫌じゃなかった、というのは、さすがに恥ずかしくて言えなかった。
これも正直に話せば、苗木君はまた強引なキスをしてくれるんだろうか。

でもそれは、またいずれ。
さっきの今じゃ、今度こそ我慢できなくなってしまう。
何を、だなんて無粋な質問はしないでほしい。とにかく、あの、そういうことだ。


「…本気出せば、いつでもあなたなんか襲えるんだから」
「え?僕襲われるの?…さすがに女の子には負けないよ」
「…」

どうやら意味を理解していない彼に向けて、仕返しの仕返しとばかりに頬をつねりあげた。

「いひゃい、いひゃい!」
「ホントは分かって言ってるんでしょう?さっきから意地悪を繰り返すのはこの口ね?」
「何、何!?いだいだいだいだい、ちぎれる、ちぎれる!!」

ホント、どこまでが本気か分からない。
…だから好きになったというのも、あるといえばあるけれど。

生意気だ、苗木君のくせに。


――後日談





翌日。


昨日の今日で、まだ恥ずかしさは抜けきらず、もしかしてあの出来事は夢だったのかもしれないと疑ってしまって。
それでも苗木君に会えればな、などといつもの通りの登校をしていると、

意外な人物が声をかけてきた。

「おはようございます、霧切さん」
「…お、おはよう」

噂をすれば影とはいうが、いささか影が付いてくるのが遅すぎやしないだろうか。


別に彼女とは、険悪なわけじゃない。
ただ、苗木君とああいう関係になってから、どこか後ろめたくなって、私の方が彼女を自然に避けてしまっていた。

「…昨日はラブラブでしたねー」
「なっ!?あ、あなた、見て…!?」
「携帯のムービーにも撮ってますよ、ちょっとボヤけてるけど。見ます?」
「…何が、目的?」
「うふふ…しばらくこれで、霧切さんをいじれると思うと、ヨダレものです」

彼女が突き付けた携帯の画面には、顔を真っ赤にして私を弄る苗木君と、
その倍ほどに真っ赤になっても、満更でもなさそうな、その恋人が写っていた。

「ちょ、ちょっと、舞園さん!消しなさい!」
「ふっふー、いやですよー!」

でも、台詞の割に、口調は親しげで。
ちょっとだけ、安心してしまう。


彼女の携帯には、ストラップはついていない。

その理由を、私は聞くことができなかった。


「霧切さん、私まだ、あなたを苗木君の恋人と認めたわけじゃないですからね!」
「上等よ…あ、苗木君。おはよう」
「!?」
「隙ありっ!」
「きゃっ!…う、ウソついたんですか!?油断も隙も…」
『ちょ、なえぎく…んむっ!?』
「その動画を消しなさい!今すぐに!」


その動画はしばらく一部の女子の間で出回り、挙句どこかのプログラマーやら同人作家やらの手にかかって、
まるで映画の濡れ場のワンシーンのような、エロチックなものに加工されてしまうまでに至り。

しばらく私たちの間では、屋外では絶対にキスをしないという暗黙の了解が生まれてしまった。


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